31:……まさか、支払うと思った?
ハルティア王家はもはや実権を失い、獣氏族の元で保護されていた文官や騎士。ヴァカデスの愚行についていけなくなり、野に降った人間達はみなこぞって、ハルティア臨時政府に復帰する運びとなった。
かつてはグレゴール王を前に大勢の臣民が配して政務を執り行った朝議の場は、そのまま会議の場所となった。もっとも玉座に座る王はいない。みな平等の立場という形で会議は進む。
「とりあえずやるべき事を潰していきますわよ」
お酒の臭いにヘロヘロになったりしたレオノーラではあったが、一晩たって酒気を抜けばもともとの英明な頭が冴え渡る。
大勢集まったハルティア臨時政府の家臣、獣氏族の人間達を前に今後を定めていくのだった。
「まず。傭兵との契約は履行させますわよ」
彼女が第一に行ったのは傭兵に対する確実かつ契約時よりも多額の報酬の支払いだった。
この時代、傭兵などに人道など期待してはいけない。飢えれば間違いなく平和な暮らしを謳歌する民衆や村落へと飢狼となって襲い掛かり、略奪と人間狩りを行って蓄えようとするだろう。
それを避けるためには、やはり多額の現金を与えるしかない。狼も腹が膨らめば人を襲わないものだ。
「目的は分かります。しかし財源は?」
元ハルティアの財務官が意見を出す。イスハルを失い、今後ハルティアは別の方向で収入を得、財政を健全化させる必要がある。
自分達が国家の礎となるのだと思うと使命感と緊張感がいい感じにぶつかりあっているのが伺えた。
レオノーラは頷く。
「今回の一件でヴァカデスを担ぎ上げ、事態を悪化させた貴族は財産没収いたすのでしょう? それを用い、足りねば獣氏族からの貸し出しという形で補填しますわね」
元ハルティアの人間達は、借金を作らねばならないという事態に内心嫌そうな顔をしたけれど、表に出すことはなかった。
かつて議場を占めていた貴族たちならば「民草どもなど傭兵どもに好きに狩らせておけばよかろう」などと言ったかもしれない。しかしこの戦で選民意識の強すぎる連中は軒並み戦死か失脚だ。
民衆を大事にする、という一点では全員の意見が一致していた。
「ですが、しょせんは傭兵です。ヴァカデスの愚行を購う為には……契約時の報酬のおおよそ三倍。それを貰った上で犯罪に走る恐れも」
「そこは契約で締め上げるしかありませんわね。報酬を貰った後は速やかに国外へと脱出するように通達。背いた場合は回状を回して、契約に背いたと評判を流して仕事を受けられなくさせますわよ。
実行部隊として獣氏族の戦士の協力を取り付けましたわ。今回は1000でしたがもっと多くはいますので、略奪した場合は必ず追いかけてしとめます、と」
「わかりました。ならば飢狼のような連中でさえも静まるでしょう」
傭兵たちも獣氏族の精強さは肌身に染みているはず。問題の一つを解決する見通しが立つと安堵の表情がそこかしこで見えた。
だが、そこで<狼>氏族の族長が目に不機嫌を浮かべながら挙手する。
「あら。何かご不満な点でもおありでしたの?」
「ああ。些細に感じるかもしれんがな……『飢えたら品性を落とす』という意味で『飢狼』という人間側の語彙は、我らの前では謹んでいただきたい。なにせわれらは<狼>の氏族ゆえ」
……一瞬ハルティアの文官たちは自分達の何が、彼の機嫌を損ねたのか分からなかった。
しかしよく言葉を咀嚼してみると、自分達の象徴である『狼』という言葉を罵りや謗りの言葉として使っているわけだから……不満を抱かれるのも当然と謝罪する。
話してみれば、お互いの文化の差も見つかる。
最初こそ緊張気味だった彼らはそれをきっかけに、お互いの理解を目指して熱弁を始めた。
戦争は終わった。
獣氏族の人間達が大勢ハルティアへとやってきて、大規模な農地へと入植する。中には傭兵生活に見切りをつけて、剣を捨てて鍬を持つ人間も大勢いた。
そんな中でイスハルは一人、城の一室を借りて黙々と作業を続けている。
木組みとバネ、様々な部品をより合わせている。……そんな彼に差し入れをするべくジークリンデがやってきた。
今取り組んでいるものを見て、言う。
「それは。グレゴール王のための義手かい?」
「ああ。さすがに……食事の時も介助がいるのは面倒だし」
……あの後、グレゴール王は生き残った。
もちろん死ぬほど臭かったし、死ぬほど痛かったが、救命活動で、事実生き残ったのはイスハルのおかげなので恨めばいいのか感謝すればいいのか、良く分からない様子だったが……深々と頭を下げられたのは確かである。
イスハルは義手の具合を確かめた。
掌の部分と肘から手首の間の筋肉の動きを検知して開閉する特注品である。
ジークリンデは近くの椅子に腰掛けながら、頬杖をついた。自動人形の構造技術を流用したそれは、探せば手に入るものではない。
「……アイツにそこまでしてやらなくてもいいんじゃないかな」
「そうだな」
イスハルは目を伏せた。
……奴隷としての記憶の一番古く、一番忌まわしい記憶。
自分を可愛がってくれた女奴隷。彼女が燃える炎の色。
思い起こすたびに奴隷は嫌だという気持ちになる。
……ただ、少しだけ思い出したこともあった。
彼女はあの煌びやかな牢獄を、天国だといっていた。
食べること、着ることに事欠く暮らしに比べて、安全で、望めば本を幾らでも読める。ご飯もとても美味しい。
イスハルとサンドール師は自由を求めた。
だがそれは、自分で生き抜く力を持っている人の特権なのかもしれない。
「ま、縁切り金の代わりさ」
獣氏族はハルティアの再生に協力する事で意見は一致していた。
隣国の政情安定と交易相手はお互い利益になる――が、それはそうとして、戦後に果たさねばならない一つの行事がある。
捕虜交換式。
捕虜とは人道上生かしてやらねばならないが、抱え込んでいても無意味に財政を圧迫するだけの金食い虫。そして身分の高い相手なら身代金の形で資金を分捕ることができる。
獣氏族の代表として、居並ぶ双方の代表の前でレオノーラが進み出る。
彼女が手を打ち鳴らせば、獣氏族のほうから――鎖に繋がれたヴァカデス王子が現れる。
「我が獣氏族は、ハルティア王国の王子、ヴァカデスの身柄解放の条件として7000万リラの支払いを要求しますわ」
「ふふん。随分安く見積もったな、獣ども。我がハルティアにその程度のたくわえがないと思ったか?」
身は捕虜のものでもいまだに無根拠な自信を保つヴァカデスは傲然と胸を張る。敵味方からも『なんでアイツはあんなに偉そうなんだ?』といぶかしむ声が聞こえたが、ヴァカデスは聞き流す。
彼は未だに偉大で強大なハルティアを信じていた。その王子を助けるためならば、その程度はした金に等しいに違いない。
だが……自分たちハルティア臨時政府の交渉者として現れた姿にヴァカデスは目を剥いた。
「は? ……なんで、なんでお前がそこにいるのだ、イスハルぅ?!」
今回ばかりはヴァカデスの言い分が正しい。
イスハルは臨時政府の交渉担当官として立つ資格は本来はない。だが長く続いたこの暗愚の王子との因縁を永遠に断ち切り、終わらせ――そしてあの時の意趣返しをするためにハルティアの農耕用自動人形を数機再生させることを代金として……そっくりそのままお返ししてやるためにここに立ったのだ。
ハルティア臨時政府の文官という、ただ今回一度だけの条件で官服に身を包んだイスハルは前に進み出て――そして堂々と宣言した。
「我々ハルティア臨時政府は、王国の次期王位継承者、ヴァカデスの身代金支払いを、全臣民の意志の代弁として、断固として拒否する!」
「な……なにぃぃぃぃぃ?!」
そろそろ第一章の終わりが見えてきました。
今後もよろしくお願いします。




