30:なんかムカつくな
戦闘後、獣氏族の軍はそのまま前進した。
ヴァカデスと共に戦線を離脱した連中もいたが、その大半はまたしても真っ先に逃げ出したヴァカデスに愛想を尽かしており、全面降伏を受け入れる形となる。
その後はハルティアの首都へ。
現在ハルティアの民衆は指導者層への強い不審と不満が積もり積もっている状況であった。
これまでは膨大な人口とそれを支える耕作地帯を有していたが、自動人形の停止に伴い農業を行う人手が絶望的に不足したのである。
さいわいこれは休戦に至った獣氏族と、民間の農業従事者の間で交渉が持たれて、戦闘種族以外の獣人たちが大勢農作業を手伝う方向で話が纏まっていたのだ。
だがヴァカデスが主導権を握り、休戦条約を一方的に破棄してからはその話も立ち消えた。
たまらないのは民衆のほうだ。
獣氏族から十分な労働力を確保できると思ったら、お上の都合でぶち壊され、来年以降は食べるものがなくなるかもしれないという不安を抱え込む事になったのだ。
だから民衆にとっては王家の軍が敗れ去り、獣氏族の精兵が門まで押し寄せた時に民衆は歓呼を持って迎え入れたのである。
イスハルたち一行はハルティアの王城内を進んでいた。
現在は獣氏族の人間が降伏した貴族の検分を行い、武装解除を進めている。
ヴァカデスが実権を握って以降、理不尽な処罰を恐れた文官や騎士達もやってきて、治安維持と内政のためにおいおいやってくる予定だ。
『……なんで侵略者の我らが歓迎されているのだ』
「将来の不安を解消してくださるなら、昨日の敵でも構わないだけですわよ」
獣氏族の将が呆れたような、困惑したような声を『糸伝令』で伝えてくる。
レオノーラとしても頷くが、これで民衆を不当に害した場合は歓迎ムードの民衆も敵に回るかもしれない。
「でももし無用な暴力や略奪をしたらその限りじゃないから。そこは徹底してほしいね」
『承知した』
ジークリンデの言葉に獣人の将が答える。
そうして彼女たちは先頭を進むイスハルを見た。
「ところでどこに向かってますの?」
「……俺と先生のいた奴隷部屋だよ。あそこには先生の残したものが山ほどあるんだ」
イスハルは廊下を歩きながら不思議な感慨に耽っていた。
ここを歩いたことはある。けれど常に回りには役人が首輪から伸びる鎖を掴んでおり、自分で行きたい場所に行ける感覚が新鮮だったのだ。
進んだ先にある奴隷部屋の扉。
内側から見たことは飽きるほどあるけど、外側から見たことは少ない。
イスハルは取っ手を回し、鍵がかかっていないことに感動しながら開いた。
「にゃ、ふにゃぁぁぁ~~ん!!」
「「なにいまのこえ!!!???」」
後ろから聞こえてくるレオノーラの猫言語に二人ともびっくりして思わず振り向き……同時に室内から吹き付けてくる強烈な酒精の臭いに顔を顰めた。
室内に足を踏み入れれば、机の上には大量の酒瓶が乱立しており、半端に残っているものもある。
空気中に揮発した酒精がこの酷い酒臭さの原因だろう。人間でさえ顔を顰めるような強烈な臭いだ。嗅覚が鋭敏な獣人のレオノーラが涙目になって鼻を押さえるのも無理はない。
「わ、わたくしはここはむりですわぁっ~……」
「こればかりは仕方ないよ、レオノーラ」
「そうだね、ここはわたしとイスハルの二人で行こう」
さすがにこの酒精の臭いは我慢できないようだ。
とりあえず同胞と合流してしろをたんさくしますわ……と顔を赤らめながらレオノーラは別行動を取る。
おさけはいやですわぁ……とふらふらしながら去っていく彼女を見送り二人は室内に入った。
イスハルは顔を顰めながら周りを確かめる。思い出の場所を酒臭くされて不愉快だったが、先生の残した自動人形のある場所を探す。戸棚の一つをずらせば、壁にはめ込まれた魔力糸の結界がある。
「よし、見つかっていないな」
アイテムボックスの生産法を流用した圧縮空間による隠し部屋だ。
師に教えられた解錠法を行い、錠をはずす。中の圧縮空間に顔を突っ込み、出たときと同じものが残されている事を確かめた。
ヴァカデスが自分を手放した時は、ハルティアを離れることを優先していたが……師の遺産を残していかなければならない事に後ろ髪を引かれるような気持ちがあったのも確か。
さぁ持ち帰ろうとしたところで、別の部屋を確認していたジークリンデが声をあげる。
「イスハル。……グレゴール王だ」
「え?」
どういう事だ、と思って声のするほうに向かえば……そこには短剣を突き立てられて服を赤く染めたグレゴール王が、壁に背を預けていた。
イスハルは――思わず呟いた。
「……なに勝手に俺と師の部屋で死のうとしてるんだよ、あんた。よそで死んでくれないか?」
言うまでもなく。
イスハルはグレゴール王が嫌いである。師と自分を長年閉じ込めた男だ。
加えて自分と師の部屋に大量の酒瓶を持ち込んだ男も恐らくはコイツだ。ますます嫌いになった。
「まさかまたこの奴隷部屋に入ってるなんてねー」
「死ぬなら外にさせるか」
ジークリンデの呆れたような声がする。イスハルも同様だ。
二人にはこの王に友好的に接する理由はない。
「お、ア……」
だがグレゴール王は薄く目を開けて目の前の相手がイスハルと気付いたのか、声をあげた。
声が酷く荒い。イスハルはさもありなんと頷く。あれだけ大量の酒を暴飲していれば喉を悪くしてもおかしくない。
「なんだいグレゴール陛下。この寄生虫の親玉。わたしのイスハルになんか言いたいことでも?
ねぇイスハル。こいつ、外に出しておこうか?」
グレゴール王は言葉を発せないままイスハルを見た。
心の中にあるのは罪悪感ばかり。サンドールと彼には償い切れないことをした。詫びの言葉を発せないのが残念だった。
詫びのことばは心の中で。
すまなかった。
いくら言葉を重ねようと許されるわけもないが……これで最後の心残りは終わった。グレゴール王はそのままゆっくりと目を閉じ……。
「なんかムカつくな、陛下」
イスハルは……グレゴール王の贖罪を果たしたかのような満足げな笑みに、穏やかな目にいら立ちを覚えた。
死に瀕した男の顔が、心の底から気にくわない。
今まで自分と師の人生をゆがめてきた元凶の男が、なに満足げな顔をして死のうとしているのだろうか。ヴァカデスを育て、自分と師の犠牲に成り立った仕組みを作った男のくせに。
こいつはもっと苦しませねば気が済まなかった。
ここで楽に死なせるなど気にくわなかった。
「ジークリンデ、酒を持ってきてくれ」
「え? ……そこの机の奴からかい? でもどれを」
「蒸留酒がいいな。可能な限りアルコール度数の強い奴だ」
「となると北国産の火酒かな……そいつ、治すのかい?」
イスハルは小さく頷いた。
慈悲ではない。善意ではない。
この男がハルティア王国で最も有能な政治家であり、生かしたほうが戦後の政務に役立つというのもあるが、それは後付けの理由だ。
理由はただ一つ――なんか、ムカつくからだ。
ここでただ死なせて楽にさせるより、ボロボロになった国を抱えて苦痛と共に生き永らえさせるほうがいい。
イスハルはジークリンデが持ってきた火酒で、サンドール師の遺品の一つである縫合針をぬぐった。
「……酒精の強いアルコール成分は消毒液の代用品になる、か」
「君が医術に通じているとは私も知らなかったよ」
「師の知識は広大でね。自動人形の参考は人体だから人体構造も学んだ。とはいえ……あくまで傷口に手を突っ込んで破れた臓腑を縫い合わせるだけだが……よっと」
「ウ……ァァ」
意識がもうろうとしていたグレゴール王にとっては、傷口を縫い合わせるため突き刺さったままの短剣を引き抜かれる激痛は再び意識を現世につなぎとめる楔となる。
(……は、よ、よせ……いらぬ。わしはわびれたのだ、満足して死んで……痛い痛い痛い、よせ、やめて! せめて毒杯をよこしてくれぇぇ!!)
「よし、次は気付けだ。ジークリンデ、そこの小瓶を取って。ああ。臭いはかがないほうがいい。アンモニアの気付け薬だ」
(ぐわああぁぁぁ! く……臭っせぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!)
だがイスハルに意志を伝えたくともグレゴール王はしゃべることができないでいる。
ジークリンデは興味深げな顔でグレゴール王を見た。心配しているような顔ではない。それはイスハルも同じだ。正直な話、縫合に失敗して傷口から毒が回って苦しみのたうちながら死のうと……まぁそれはそれでいいんじゃないかな? というたいへんテキトーな感じである。
「勝率は何割だい?」
「4対6だな。……なにせ治療行為は練習こそしても、実践は初めてだ」
(ぎゃああぁぁぁ! こ、この、こんなに痛くて臭くてかなわんのに四割しか生きる目がないだと?! や。やめろ、もういい! 治さんでよい! 一撃で首を刎ねてくれぇ!!)
「グレゴール王、一応尋ねるが。治して構わないよな、沈黙は同意と見なすぞ」
(しておらぬ! しておらぬ! いっそ殺してくれぇぇぇ!!)
気付け薬で朦朧とした意識を無理やり引き戻され、激痛はよりはっきりと感じられる。
魔力糸を針に通し、イスハルはグレゴール王の両腕を粘着糸で拘束してから、衣服を斬り抜いて傷口を露出させる。鮮血の赤色にくらりとしたが気を取り直した。
曲がりなりにも一国の王か。未だに絶叫一つあげない王の姿にジークリンデは口笛を吹いた。
「致命傷を受けながらも堂々たる耐えっぷり。なかなかやるじゃないか」
「うん。うるさくなくて助かる。治癒魔術を使える神官を呼ぶまで王は持たない。ここでなんとか間に合わせの治療をする以外にない。ここからは今までの数十倍痛いけど麻沸散とか痛み止めはないから。
死んだほうがマシとか思うかもだけど頑張って」
「お……ァ」
(やめてくれ、もういい! 悪かった! 謝罪する! わしが悪かったからもう痛くせんでくれ!)
「では、施術を始める。……まぁ無意味に苦痛を長引かせる結果になっても許してくれ」
(ぎゃ……ぎゃあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!)
……そうして。
返り血を浴びた服のまま、イスハルは傷口に治癒ポーションを振りかけた後で消毒。手早く包帯を巻いていく。
「グレゴール王。あんたは俺にとっていい王ではなかったけど、声一つあげない、いい人体実っけ……いい患者ではあったよ。少し見直した」
「イスハル、きみ今人体実験って言った?」
そうして後は寝台に寝かせて安静にさせないと。そう思っていると……グレゴール王の脈拍を確かめようと、彼の腕を取ったジークリンデが眉を寄せていた。
「どうかした?」
「……イスハル、これ」
そう言って掲げた王の手には指が一本もなかった。
もう片方も同様だ。
二人は顔を見合わせた後、グレゴール王の口の中を改める。
舌が切り落とされていたと、二人はここでようやく気付いた。
と、するとあれか。
グレゴール王は激痛を王に相応しい堂々たる態度で耐えきっていたのではなく、単に声を発することができないだけだったのか。
自分たちはそれに気づかず、沈黙を同意と判断して麻酔なしで手術を行ったわけだ。
……その間中、グレゴール王は生きながらはらわたを縫われる激痛を味わい続けたということになる。
「「やっべ」」
二人は思わず同時に呟いた。
だがまぁ、二人はどうせグレゴール王だし、と気にしなかった。イスハルにとってグレゴール王は師と自分を幽閉し続けた元凶。ジークリンデにとっては昔の家族から引き離し、愛するイスハルを虐待し続けた男。
どちらにとっても王は憎悪に値する男だから……まぁ、一応助けるつもりではあったので良しとしよう。
「できるなら……先ほどまで王が何を考えていたのか聞いてみたいな」
「うん、わかるわかるっ。ふふ。アンモニアをかがされたあの時、この寄生虫ったら何を考えていたのかな。きっとしばらく肥溜めの臭いが離れないだろうね」
二人はお互いに見つめ合い……どうにも堪えきれずに噴き出した。
不謹慎とわかっていても、おかしさがこみあげてくる。
「ぶ。ふふ……」
「はは……ははは……」
自分たちの人生をゆがめた男を大いに虚仮にして笑いものにする。
なんとも爽快な気持ちのまま、イスハルとジークリンデは腹の底から大爆笑した。
――なお、お酒の臭いで涙目になったレオノーラは別になにかピンチに陥ったなどということはなく。
物置に隠れていたヴァカデスは失禁のにおいをかぎ当てた獣氏族の戦士によって発見され、抵抗したのでぼこぼこのぼこにされたあと、捕虜となった。
いつもありがとうございます。
明日の12月17日は更新をお休みさせていただきます。
よろしくお願いします。




