3:10分の1刑
「ヴァカデス王子、ご帰還~!」
物見の兵が大きな声を上げて城内の兵士に通達する。
同時に城門に並んだ兵士と、その周囲に直立する自動人形が旗を掲げた。
二メートル半の巨躯は、まるで全身甲冑を着込んだ巨人種のようだが、中身はばねと滑車、そして魔力繊維と呼ばれるものでできている。
動作こそ鈍重だが、人間よりも強力な腕力と、疲れ知らずの体。まさに王国躍進の原動力であった。
その人形が整列する中、ヴァカデス王子を初めとする騎士たちが入城していく。まるで主人の帰還を祝福するかのように楽器が音をかき鳴らし、城の内部で歓声が聞こえてきた。
「ふっ、このヴァカデスを皆が待ち望んでいたというわけだ。歓声に答えてやらねば……なっ?!」
だが、ヴァカデスは、城の外壁に貼り付けられた横断幕に目を向いた。
『忠勤にして名誉ある奴隷の鑑、イスハルの帰還を最大限の感謝を以って迎える』と刻まれている。そしてその下、人の中心には父であるグレゴール王が歓喜の表情を浮かべ、待ちわびた様子で立っていた。
ヴァカデスはこの時……ようやく自分が途轍もなくまずい事をしでかしてしまったのではないかと思った。
「おお、ヴァカデス。良くぞ戻った。……イスハルはどこにいる?」
「それは、その……父上、実は」
「なにせ奴は死地にてお前の尻拭いをしてくれたからな。我が精兵達を大勢死地から生還させてくれた上、奴は最後の最後まで殿軍を努めてくれた。大きな恩がある」
グレゴール王は上機嫌な様子で顎のひげをなで、ご満悦の様子である。だがそれに反し、ヴァカデスの顔色はじわじわと青褪めていく一方であった。
「ち、父上。俺は反対ですッ! あのような下賎な奴隷にそれほどの厚遇を……」
だが、その言葉を黙らせるかのようにグレゴール王は息子の襟首を掴んで引き寄せた。
周囲に聞こえないよう密談の距離まで顔を近づける。
「誰のせいだと思っておる……お前が尻に帆をかけて物見遊山気分の仲間と一緒に逃げ出したせいで、わしの騎士たちが大勢無駄に死んだ。自動人形を擁する無敵の我らが、勝てる戦でな……っ! その損失を減らしてくれた彼に報いるならば金など惜しくはないわ……!」
そのまま息子を突き放すと、グレゴール王は馬車に呼びかけた。
「さぁ、イスハルよ、出てきてくれ……ああいや、もしや戦場で怪我でもして一人では出られぬのか?
さぁ、皆も見るがいい、主人のために尽くす、まこと奴隷の鑑であるぞ!」
「ち……父上。実はその…………イスハルめは死にました」
「……なぁに?!」
王は激怒を浮かべてヴァカデスを真っ向から見据える。
「馬鹿な、敵軍は命に触るような怪我はないと太鼓判を押したぞ!」
「ち、違います、それは――」
「陛下! 違います! ヴァカデス様の言い訳です!」
ヴァカデスは咄嗟に父の追及から逃れるべく底の浅い嘘を付こうとしたが、彼の事を心よく思わぬ文官の一人が膝を突き、主君に注進する。
まさか下僕が高貴なる己に不利になる証言をしようとするなど許し難い、ヴァカデスは口を封じようと前に出ようとする。
だが、そんな息子には一瞥もくれずに王は言った。
「話せ」
「その……イスハル殿を解放する代わりに身代金支払いを要求なさいましたが……ヴァカデス王子は、その場で身代金の支払いを拒絶なさいました」
王は――感情の抜け落ちたような目で、息子を見た。
まるでとてつもなく下らないもののために、人生を台無しにされたかのような目だ。
「ヴァカデスよ」
「はっ、はひっ」
「わしはお前に命じたはずだ。イスハルの身代金を即座に払うと答えよ、と。
もし膨大な身代金を要求された場合は、支払いの要求期限を延ばすよう依頼せよと。
支払いを拒否した理由を述べよ。偽りは許さぬ」
王は、剣を抜いた。
もしわずかなりと嘘偽りが混じればわが子であろうと殺すと言わんばかりだ。
腑抜けのヴァカデスが父の苛烈な怒りを前に嘘などつけるはずもない。彼はすべてを明かした。
「……つまり。
お前は己の尻拭いをした奴隷の忠誠に厚く報いることなく、身代金を惜しんで奴隷を見捨て。
そしてわしがお前に託した金で個人的な借金を清算し、また新しい女奴隷を買ってすべて使い込んだと」
「でっ、ですがっ、父上! あんな替えの効く奴隷一人に身代金を支払うなどっ」
「阿呆、まだわからんかっ!!」
グレゴール王は激昂する。
「金を惜しんだせいで、お前はわが国に仕えるあらゆるもの達の信望をドブに投げ捨てたのだぞ!! これを回復させるのにどれだけの手間と金と時間がかかるかわかるかっ!!
真っ先に逃げた主君のために剣を持って必死に戦おうとも、その忠誠に応えようとしない相手などにどれだけの家臣が付いてきてくれると思うかっ!!
わが子であるゆえ甘く見たが間違いであった、もう我慢ならん……こやつと共に逃げた騎士たちを連れて来いっ!!」
主君の怒りに騎士たちが一斉に動き、あちこちからヴァカデスに付き従って戦場から逃げ出した連中が捕らえられ、引き出される。
ヴァカデス王子に媚びへつらい、次代の王の覚えをめでたくして甘い蜜を吸おうとしていたやからだ。
その彼らに、王は冷酷に命令する。
「10分の1刑を執行するっ!!」
「ひいいいいぃぃ!!」
「陛下、お許しをっ!」
ヴァカデスのみは父の言葉の意味を知らなかったが……他の仲間達はみな恐怖の悲鳴を上げて逃げ出そうとし、周囲の騎士たちにたちまち取り押さえられる。
文官が10個のくじを持ってきた。王はそれぞれくじをひくように命令する。ヴァカデスは周囲の仲間が青い顔でがくがくと震えながらくじを引くさまを見ながら、自分も引いた。外れであった。
それを見て、父である王は言う。
「ふん、生き残ったか。これでそなたが死ねば、少なくともわしが息子であろうと刑を執行する、冷厳にして公平な男と評判が立ったであろうにな」
「ち、父上、それは……」
「い、いやだあああぁあぁっぁぁ!!」
当たりくじを引いてしまった男が悲鳴をあげて逃げ出そうとするが……それをさせじと、外れくじを引いた仲間たちが逃走を阻んだ。
何か恐ろしいことが起こっていることだけはわかったが、それが何なのかヴァカデスには分からない。
「処刑台を組め! ヴァカデス、お前もだ!」
ヴァカデスは周りにせかされるまま、当たりくじを引いてしまった友人を、言われるがまま地面に打ち立てた木材でしばりつける。
何か恐ろしいことが進んでいた。
「い、いやだああぁぁぁ! わたしはあんたの息子が臆病風に吹かれて逃げたのに釣られただけで、あの時までは真剣に戦うつもりだったんだぁ!!」
「運が悪かったな」
王の声はにべもない。空恐ろしいほどの冷酷さが溢れていた。
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにゆがめながら、当たりくじの男はヴァカデスを睨みつけ罵倒する。
「ヴァカデス、この馬鹿やろぉ、お前が逃げなきゃこんな目に遭わなかったのにぃ、いやだああああぁぁぁぁぁ!!」
「一人につき十回の殴打、刑90回の殴打で妥当とする。刑を執行せよ!!」
当たりくじを引いてしまい……台座に縛りつけられた不幸な一人を取り囲み、一人が棒を振り上げる。
殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。
一打ちごとに血が飛び、肉を打ち、骨を砕く恐ろしい音が響く。
全員の罪を1人に背負わせて他の9人が、親しい友人を撲殺する。渾身の力を込めて殴るように命令された彼らには手心はない。ここで手ぬるくすれば、10分の1刑が10分の2刑になるからだ。
撲殺する9人と処刑される1人を決定したのは10枚のくじの中に1枚だけ忍ばされた、たったひとつの当たりくじ。10分の1の確率。ゆえに10分の1刑。
父王の言葉の意味が今更ながら理解できる。
人間は渾身の力で90回も棍棒で殴られて生きていられるわけがない。実質的な死刑。それもよく顔を見知った相手を処刑人にすることは、残った9人にトラウマものの罪悪感を刻みつける結果となる。
運が悪ければ、ヴァカデスもこうして木に縛られ、撲殺されるかもしれなかったのだ。
そこには親子ゆえの甘さなどは全く存在しない。自分が生き残ったのは――偶然だったのだ、死ぬかも知れなかったのだ、それが……例えようもなく恐ろしい!!
「何をしておる、ヴァカデス! お前もやるのだっ!」
「ひっ、ひいぃ!」
父王に逆らえば殺される。ヴァカデスもそれだけは分かった。
己にしたがっていた友人を棒で殴りつければ、既に息も絶え絶えの哀れな犠牲者の眼が、ヴァカデスをにらみつけた。
「呪って……やる……ヴァカデス……」
たった一度、主筋に当たる男の臆病風に当てられ逃げた結果が、友人たちによる撲殺刑であるなら、まだ敵に勇敢に突っ込んで死ぬほうが名誉も守られる。この刑罰を受けて、そして10分の9に当たった生存者は他の人間から白い目で見られることが確定していた。命は助かるが、これから不名誉が一生付き纏うのだ。
半死半生の犠牲者に、口に溜まった血ごと唾を吐きつけられ、ヴァカデスは震えながら後ろにさがる。
棒ごしに人を殴打したおぞましい感触が伝わってまだ離れない。彼もこの10分の1刑が世にもまれなる残酷な処刑法であることを実感した。
「なにを休んでいる、殴れ!」
命令のまま、ほんの少し前まで歓談していた友人を己自身の手で殴り殺すおぞましさと恐ろしさ。
あと何度もそれを繰り返さねばならない地獄。
(お、おのれぇ、おのれぇ! この俺が、高貴なる俺がなぜこんな目に会わねばならんのだ!)
ヴァカデスが恵まれた生活が出来るのは父である王のおかげであるから彼を憎むことは除外される。
で、あれば彼は当然逆恨みする。
(殺してやる、きさまのせいだっ! 絶対に許さんぞイスハル!
あの奴隷め、奴があの戦場で殺されていれば俺はこんな目に会わずに済んだんだ!!)
矛先を誤った憎悪を胸に抱え、ヴァカデスは友人だった男を仲間達と共に撲殺した。
……グレゴール王は、運悪く当たりくじを引いた男が死亡したと確認する部下の言葉に頷いた。
そして部下に命じる。それも正道を歩むものではなく……破壊工作や噂の流布、表沙汰にはできない汚れ仕事を一手に引き受けるものだ。
「……イスハルはわしによく仕えてくれた。しかしこうとなってはわしは王家を優先せざるを得ぬ」
「よろしいので? 陛下」
「彼は『糸伝令』にくわえ、自動人形の構造も熟知しておる。
殺せ。
我が国を強国に押し上げた自動人形の秘密は守られねばならない。
……あの子の師であるサンドールめは怒り狂うだろうが……ふん。奴隷だ。わしには逆らえぬ。問題はない」
「は……直ちにかかります」
配下の男は黙って頷いた。
頭の切れる主君であることは間違いない。
ただ、その鋭敏な頭脳も、暗愚のわが子が絡むと途端に輝きを失ってしまう。
王にこれから纏わりつくであろう悪評をすべて解決する一番の策はヴァカデスにすぐ死を命じることだ。
……王はのちに、ここで親子の情に目を曇らせず処刑しておけば、暗殺者を放たねば、以降の大過を避けえたのだと後悔する事になるのだが。
この時点では、知る由もなかった。