29:手遅れ(王国視点)
もう何もかも手遅れだった。
残された金でかき集めた傭兵は惨敗。急ごしらえの督戦部隊で一時盛り返すかに見えたが、あの忌まわしい自動人形が全てを台無しにした。
「おのれ、おのれぇぇっイスハルめぇっ!」
今やヴァカデスの脳内では自分の不幸はすべて彼から始まったと書き換えられている。
自業自得であるなど思いもせず、僅かに残った手勢と共にほうほうのていで王城に逃げ帰るとすぐさま門を閉めるように命じた。
「で、殿下、これから……」
「ち、父上にお会いする! そして善後策を協議するのだ!」
貴族のうち、ヴァカデスを神輿に担いで最後まで残った主犯格の男は、その返答に言葉を失った。
善後策を協議する? 指と舌を切り落として軟禁した主犯が被害者と? できるわけがない。もし彼らがグレゴール王の立場であれば、最後に残った歯をヴァカデスの首に突き立てているだろう。
わずかな貴族たちは、自分らが神輿に担いだ王子がもうどうしようもない暗君であると認めざるを得なかった。
降伏の準備をしよう、と目配せしあい準備を始める。
「父上ぇ、お救いください、父上ぇ!!」
がらんどうとなった城の中を進みながらヴァカデスは大声を張り上げた。
父を裏切り、その指と舌を切り落とした日からヴァカデスは一度も二人きりで父と相対したことはなかった。
今まで自分を守ってくれた父に対する依存心と、あの日自分を殺しても構わないと言い切った冷酷さに対する恐怖。
だが、今や自分をイスハルの魔手より救えるのは父王しかいない。
何もかも奴のせいだ。奴が、奴が、奴が。自分の事を棚に上げ、保身のために父に縋りつこうと、煌びやかな奴隷部屋に飛び込んだ。
グレゴール王のここしばらくの楽しみは少ない。
奴隷用の書棚にある本は、大半が学術書などの専門分野で半分も理解できない。物語もあったが大半は一度読んだものばかりだ。
舌を失い美食に耽溺する権利も失った今は、現実を忘れるぐらいに強い酒を浴びるように飲み干し、喉を焼く酒精を愉しむことだけ。
我を忘れるような酔いだけが、一時の心の安らぎであった。
(……サンドール)
酒を飲む以外は、グレゴール王はサンドールの生き人形の前に佇むことが多い。
永遠に辿り着けぬ異界より訪れたと自称する老人。
わが子に裏切られた今となっては、奴隷である彼の生き方と自分との差に思い悩んでばかりいた。
閉じ込められる苦痛は耐えがたく、グレゴール王はようやく自分が冷酷で残忍な男であったと自覚する事ができた。
息子に対する冷酷さ無関心が――結果として今の状況を招いたのだ。都合のいい現実しか見ようとせず、諫言を退け私利私欲を貪る。そんな男にしてしまった。
「父上ぇ、お救いくださいぃ!!」
だが、そんな思索を断ち切るようにヴァカデスの涙声が奴隷部屋に響き渡った。
ああ。終わりが近づいているのだと言われなくとも分かった。現実を見ぬ政策ばかりを繰り返し、最後には戦争という博打に身を投じて、勝ち目のない戦に負けたのだ。
はぁ、と溜息をついた。無念であった。今まで半生を賭して築いた国家は、あの日ジークリンデが言ったとおり、サンドールとイスハルの二人に寄生して得た栄耀楽土であった。
ああ、今でこそ理解できる。
当時のグレゴール王は自動人形の秘密を守ることに拘るあまり、製作者を増やすことをしなかった。
少数の天才が運用する組織よりも、多数の凡人が運用する組織のほうがずっと丈夫なのだと、何もかも失って初めて理解できた。
(……わしが愚かだった。サンドール。あの日お前の提言どおり、自動人形の修理を出来る人員を増やし、『糸』の魔術適性を持つものを大勢雇い入れ、お前たちに給料を支払っていれば、この破滅は防げたのだ……)
グレゴール王はサンドールの人形へと深々と腰を折ると、入ってきたヴァカデスに向き直る。
「おお、父上、父上! どうかお救いください! イスハルめが、奴が私のやることなすことすべてを邪魔し、破滅させようとしているのです……! どうかこの哀れな息子にお慈悲を!」
「…………」
「それに騎士どもは給金を半分にしただけなのに、国家存亡の危機に際して責任を果たさず逃げる始末! 貴族どもも官僚もわが国の忠誠を捨てて……ああ、嘆かわしい」
「…………」
「……父上、どうして何も仰らぬのですか?」
お前がそれを言うのか。
グレゴール王は愕然とした。ヴァカデスは、ここまで現実が見えていなかったのか。自分がした事の結末がこれなのだと理解せず、すべて他人が悪いのだと罵る醜悪な自己愛の化身。誰かに縋りつき、寄生するためならば舌と指を切り落とした父にさえ縋りつく厚顔無恥、恥知らずな振る舞いに、グレゴール王は自分の教育が完璧に失敗したのだと悟った。
ヴァカデスの頬を張る。
「……父上、何を――」
もう一発頬を張る。
言葉を発せたならば目を覚ませと怒鳴っただろう。
自分がしでかしたことの結末ぐらい自分で付けろ、尻拭いを他人に任せるな。
この父にも破滅の責任はあるが、お前にもある。もはや大人しく罰を受けるべきなのだ――と、動かぬ舌の代わりに目で訴えた。
罪を裁かれ処刑台にあがるのであれば、この父も一緒に括られよう。
だが、ヴァカデスにとっては父に頬を張られ、最後の寄る辺を失った今となっては。
その眼差しは過去の幻覚を呼び覚ました。
『呪ってやる……ヴァカデス』
殴り殺した友人の呪詛の言葉が、血塗れの顔の幻影が、眼前に広がった。
「ひ、ひやああぁぁぁぁぁ!!」
知らぬうちに絶叫を張り上げる。
悪くない、悪くないと目を背けているとはいえ、彼も父にした事が極悪非道の自覚はあった。
疚しいものを心の中に宿しているから、父王の最後の親心を込めた眼差しが、舌と指を切り落としたわが子に対する呪詛にしか見えない。
疚しいものがあるから父は自分を害するつもりと決め付けた。
自己保身の権化は恐慌に駆られ、無我夢中で――腰に下げていた短剣を父の腹に突き刺していた。
「……ア」
腹に突き立つ刃の激痛にたまらず膝を突くグレゴール王。
父の視線から外れ、正気を取り戻したヴァカデスは鮮血の赤が広がる父の腹部を見て声をあげた。
「ち、父上! だ、誰にやられたのですか!?」
お前以外に誰がいる。
と、グレゴール王は思っても指摘するための舌を持たない。
ヴァカデスは絶叫する。
「ち、父上、父上! しっかりしてください! あなたが死んだら、誰が私の尻拭いをしてくれるんですかぁ!」
……ああ。
グレゴール王は涙を流した。人は窮地に追い込まれれば本性が露になるというが、まさにそれだ。
刃を受け、血を流す父親を心配するのではなく。事此処に至ってなおわが身可愛さの言葉を発するわが子の下劣な性根にグレゴール王は――やはりあの時に10分の1刑などという僅かな甘さなどみせずに処刑しておくべきだったのだろうと後悔する。
「ひゃああぁぁ!!」
ヴァカデスはわけの分からぬ悲鳴をあげながら奴隷部屋から走り去っていく。
その背を見送り、グレゴール王は身を起こしながら壁に寄りかかった。
(……なんと無様な結末だ。わが子に舌と指を切り落とされ。刃を突き立てられて見下げていた奴隷部屋で命を落とす。
……寄生虫のわしには……似合いの無様な最後やもしれぬ……――)
臓腑に突き立つ刃の冷たさはぞっとするほどだが、反面衣服を濡らす鮮血は暖かく感じる。
落城間近で奴隷も使用人もここを見放した。
冷酷無慈悲な自分には、似合いの最後だ――グレゴール王は自嘲の笑みを浮かべながら目を閉じようとし……。
「……なに勝手に俺と師の部屋で死のうとしてるんだよ、あんた。よそで死んでくれないか?」
イスハルの、呆れ返った声を聞いた。




