21:よもや卑怯とは言うまい
「下がれ、これはお前が悪い。主人を侮辱された奴隷が激昂するのは当然だろう」
「うるせぇ! 大勢の前で奴隷風情に頬を張られて、はいそうですかと引き下がれるものか!」
周りの人間はイスハルの対応は当然の事とうけとめるが<獅子>の獣人は大勢の前で恥をかかされたと聞く耳もたず。
イスハルを殴りつけようと拳を振り上げ……突然、腕が動かないことに気付いた。
「なにっ?!」
理由――着込んでいる服の袖と上着が魔力糸で一瞬で縫い付けられ一体化してしまっている。
イスハルはその一瞬で魔力糸を男の首に巻きつけるように動きながら回り込んだ。
「ぐ、この、きさまっ……!!」
だが、悲しいかなイスハルの体格と腕力では、男の首を締め付けるには至らない。もう片方の腕で糸の食い込みを防ぐと、そのまま腕力でイスハルの五体を投げ飛ばした。
咄嗟に衝撃を受け止めようと身を丸めた彼を、レオノーラがうけとめる。
最初こそレオノーラを侮辱できればそれでいい<獅子>の男だったが、頭に血が昇っているのだろう。イスハルを踏みつけようと近づく。その彼を視線で制しながらレオノーラはしっぽを警戒するように腰に巻きつけた。
「そこまでですわよ。あなたの負けです」
「負けだと?! ふざけるな、たかだが人間の男に負けたなど!」
「手加減されていたと気付けないなど滑稽ですわね」
ふ、と嘲笑するレオノーラ。
イスハルの魔力糸の一つ、『斬鉄糸』ならば男の首など、巻き込んだ指諸共に両断してのけただろう。まぁ、実際に両断してみせるわけにはいかないが。
「族長がたの前で俺の頬を張り、手加減していたなどと妄言で侮辱を重ねるなど……表に出ろ、貴様を半死半生にせねば面目が立たぬ」
だが<獅子>の男は聞く耳もたずの様子でイスハルを視殺するような目で見た。
そんな彼を見てレオノーラはイスハルの耳にごにょごにょと耳打ちし、相手を見つめて同意の頷きを返した。
「分かった。外に出て勝負を所望するんだな。その際、武器を用いても構わないと」
「儚い人間風情が武器を使おうとも差は埋まらないがな」
周りの族長や他の獣人たちも最初はこれを止めようとしていた。
しかしイスハルが同意の頷きを返したことで、これは一族の慮外者が人間に対して暴行を起こす不祥事から、他人が介入することを許されない勝負と変わる。
一族のものの乱暴なものいいが発端だけあって、申し訳なさそうな視線が刺さるが、イスハルはそれを気にしなかった。
天幕から外に出て、大勢が見守る中、二人が相対する。
審判代わりに族長の一人が進み出てくる中――イスハルは魔力糸を繋いだ対象と意識を接続する。
魔力繊維、クールからホットへ。稼働状態へと移行し、脚部スラスターに魔力供給。
飛翔。
イスハルたちが乗ってきた馬車の天幕が吹き飛び、地上から星空へ流星が落ちるかのような轟音と爆光が二条煌いて空中へと舞い上がる。その巨大な鉄の巨人は両足から炎を吹き上げながら減速し、イスハルの横に着地した。
大勢が目を見開いて唖然とする中、ジークリンデが声をあげる。
「イスハルー、さすがにビームサーベルは威力がありすぎる。殴りで止めておくんだ」
「ああ」
「ちょっ……ちょっと待てぇ?!」
自動人形……それもサンドール師が手がけた上位高機動型。桁外れの大推力とパワーを有する高性能機が目の前に降下しイスハルの前に立って、さぁこい、と両腕を構える姿を見れば<獅子>の男も慌てふためいた。
彼も自動人形は知っているが、それはすべて低位の量産型。飛行能力を有するほどの相手など見たことも聞いたこともない。
空を飛ぶほどのパワーで体当たりされただけでひき肉になる未来が予想できただけに大慌てだ。
だが、その様子を横で見ていたレオノーラが茶々を入れる。
「あら、降参かしら? 最初に武器を用いていいかキチンと確認しましたのに」
「ぶ……武器だと?!」
「人間が両腕で構えて扱うもののみが武器、そんな規定などしませんでしたわよね。自動人形もイスハルの武器の一つ。なんら可笑しいところはございませんわ。それとも勝てる相手でなくなったから怖気づきましたの?」
大切なイスハルを傷つけようとした相手だ、舌鋒が鋭くもなろう。
どうすればいいのか困り果てた<獅子>の男に、族長が進み出る。仲介するように口を開いた。
「大事な会議の最中に横槍で邪魔が入ったが……我々は、イスハル。君の案を受けることにする。君の助力も期待してよいかね」
「それはもちろんです、族長殿」
族長の視線はイスハルが飛行させてきた自動人形に釘付けとなっている。
自由自在に空を飛びまわる鉄の塊。こんなものが飛翔して敵軍に突っ込んだなら相手の士気を大いに下げられるだろう。
「よろしい、では天幕に戻り、今度は軍議に写ろう。レオノーラ、勝ち筋を頼む」
「かしこまりました。イスハルは馬車に人形を戻しておいてくださいまし」
そう言ってレオノーラはしっぽを揺らしながらイスハルを軽く抱き締める。
自分への侮辱を許さず、<獅子>の男の頬を張った時から喜びで興奮していたせいで、軽く頬に口付けまでする。本当のところ、イスハルを連れ込んで彼を抱き枕にしていたいと思うぐらいだった。
そんな彼女が名残惜しげに天幕に戻っていく様を見送ると……<狼>の族長が少し面白そうに口を開く。
「君、彼女の番いなのか」
その言葉にイスハルは表情を変えることもなく、静かに答えた。
「『鼻で嗅いだことは口にしない』のでは?」
「……失礼。これは一本取られたな」
……人間が獣人の事を詳しく知ろうとする際、驚かれる物事の一つが感情に対する語彙の少なさだ。
彼らはにおいで相手の感情を察する。言葉などという不確かなもので感情を表現するより、お互いのにおいを嗅ぎ合えば何を考えているのかは、よりはっきりと理解できる。
必要がなかったから感情を意味する語彙は発達しない。獣人たちが使う『愛』『恋』などのことばはほぼすべてが人間からの輸入だ。
それと同時にプライバシーを守るマナーも生まれる。
においで相手の感情を知る獣人にとって『鼻で嗅いだことは口にしない』は基本的なマナーであり……族長は自分達のマナーに普通の人間が通じていることに驚き、素直に非を認めて頭を下げた。
イスハルは少し赤らんだ頬を自覚しながら人形を動かす。
レオノーラが自分にはっきりとした好意を持っていると他人に指摘されてしまった。
しかも獣人の中でも特に嗅覚に優れた<狼>の族長の見立てである。
なんともいえないむず痒く照れくさい甘みめいたものが胸の中にある。イスハルは心の中で族長を罵りながら人形を元の場所に戻すため、歩き始めた。
お知らせ。
以前は『高位量産型』と記載していましたが、以降は『上位高機動型』と表記を変更いたします。
よろしくお願いします。




