18:愚王子の後悔(王国視点)
「おい……朝議に出ているものの姿が減ってはおらぬか」
ヴァカデス王子は、玉座の前に立って本日の執務を始めようとしたところで、いつもと違うことに気付いた。
それは、そうだろう。
ハルティア王国は、もはや砂上の楼閣。沈没寸前の船であり、状況を把握しているものから一目散に逃げ始めていた。
残っているのは、危機を察知する能力の欠けた貴族か、国を出ても生きていく才幹のないものたちだろう。
「まぁよい。本日の……」
朝議を始めようとしたところで、門を蹴破らん勢いで一人の兵士が飛び込んできた。
血相を変えた様子で跪き、危急ならば御免と大声を発する。
「反乱です! 民衆が反乱を起こし、城内で貴族の屋敷を襲撃し、商家を襲って……」
またか、とヴァカデスは鼻を鳴らした。
……政の基本で考えるなら、反乱した相手を一度武力で鎮圧するのは別に間違いではない。
しかし反乱した相手が何が不満でどのようにすれば不満を解決できるのか考え、それを解消するほうが確実だ。
ゆえに、『またか』と考えている時点ですでに為政者としては落第であった。
「なら騎士をやって鎮圧させよ」
ひたすら力で鎮圧することはひたすら無能であるが……今回兵士の発した言葉は、朝議に参列したどの貴族も想像していないものだった。
「いません!!」
「は? ……何をふざけたことを言っている!」
「ですから、いません! このハルティア王国の騎士は軒並み職を辞し、逃げたか野に降りました!」
その言葉を玉座から聞いていたグレゴール王は秘かに溜息を吐いた。
予想できたことだ。
常よりもはるかに過酷な仕事量を受け、給料を三倍に増やした状況でも騎士達は悲鳴をあげていた。状況を改善してくれと訴えていたところに給料三倍から半分に減らすという命令を聞いて真面目に仕事している奴などいるだろうか。
ヴァカデスや彼を盛りたてる貴族たちも一瞬唖然とした表情を浮かべていたが、すぐに怒りを露にする。
「ゆ……ゆるせん! 国家安泰の責務を捨てて逃げるとは」
「奴らの責任者を呼び出して見せしめにし、戻るようにせねば」
「仰せの通りですな! で……誰がやりますか」
「そ……それは」
……一人の貴族の至極当たり前な発言を受け、朝議の場が凍りつく。
口ではどれだけ血気盛んで意気軒昂な発言をしていても、誰もそんな事はしたくはなかった。
そもそもが騎士団は自動人形なき今、この国最強の武力集団である。そんな彼らに罰を与えることができるものなど、どこにもいない。
「傭兵どもに任せるというのは?」
「信用できるのか。しょせん傭兵だぞ」
……グレゴール王が治安維持や民衆の爆発を防ぐための苦肉の策として傭兵を集めているのは貴族たちも知っていた。
だが、実のところ遵法意識の低い傭兵は、こういう暴動の際には火事場泥棒として民衆と一緒に略奪をしているものも大勢いたのだ。
彼らがそういう蛮行に及ばなかったのは、騎士団の存在を恐れてさすがに手控えていたせいだったが……もうそれを止めるものもいなくなっている。
治安維持を行っていた騎士は騎士団を捨て去り、国民もその様子に将来に対して不安を覚える。
「そもそもどうして民衆は暴動を起こしておる」
「ふん、先行きが見えぬからとかいっているそうだが……」
それもまた本当のところだ。
ハルティア王国は肥沃な農耕地を有しているが……農作業用の自動人形を用いる事を前提とした農業従事者だけでは到底数が足りていない。来年の小麦など作物の値段が上がることを恐れて説明を求めているが、それに対しては説明もなく、ただただ解散しろと命令するだけなのだから。
傭兵の中には、命と危険を対価に金を稼ぐ当てのない生活に見切りをつけて、このハルティアで農業をやりたいという人間も一定数いた。
なにせ人形が手入れしなければ広大な農地もどんどんと朽ち果て錆びゆくがまま。斬った張ったの殺伐とした業界より足を洗い、田畑を耕し正業につくなら双方にとっても利益がある。
だがハルティア王国は他国人に農地を譲るような政策などは許してはいない。
このまま朽ちるに任せるより、人を多く用いて耕したほうがいいという意見も……イスハルを失う以前の政策に戻したせいで何もかも白紙になった。
ヴァカデスも度重なる危機的状況の報告に嫌なものを感じる。
これまでグレゴール王のもとで庇護され成長してきた暗愚の王子は、とうとう国家を導く地位にまで達し得意の絶頂だったのだ――数日前までは確かに。
己を支持する貴族たちからの称賛を受け、自分は間違っていないと思っている。今も。
だが……ヴァカデスにはなんら自信となる積み重ねがなかった。
もしいにしえの聖賢が残した伝記や業績を読み重ねていたなら、そこから事態を打開する方策をひらめいたかもしれない。
しかし彼にあるのは自分に媚びへつらいおもねる仲間ばかりで、自身で積み重ねた自信という名の背骨が欠けていた。
これまではそれでもよかった。父が彼に求めていたのは自分の血をひくという一点。
何かあっても父が最後には尻ぬぐいしてくれる……そう思って、以前と同じく父のほうを振り返り。
「……」
グレゴール王の冷血なまなざしに射貫かれて自分の今を思い出す。
王の指と舌を切り落としておきながら助けを求める行為がどれほどばかげているか、さすがに彼にだってわかっている。
彼は本当の意味で、親から独立し、自分自身の知恵でこの国を引っ張っていかねばならず。
その重責の気配に、ヴァカデスは自分がとてつもなく恐ろしい場所にいるような気がした。
「イスハルの引き渡しを要求するのはいかがでしょう」
この場に残った貴族の一人が胸を張って提案する。
当然ながらヴァカデス王子は面白くなさそうな目を向けた。
「なぜあんな奴隷を引き取らねばならん!」
「陛下、われらには騎士どもに代わる手ごまが必要です。奴一人を取り戻しさえすればよいのです。
聞けば敵の獣将姫は彼を自分の奴隷にしたと聞きます。……ならば、最初に提示された金額を支払うと申せばよいでしょう。
しょせん蛮族どもに人形の生産者であるあの奴隷の真価は気づきますまい。
それに、この手はグレゴール陛下も推し進められて……」
「そやつを王族に対する侮辱罪で投獄せよ!」
「は?」
これぞ事態を打開する最善手、と言わんばかりに自信満々に発言した貴族は突然牢屋に入れられると宣言され首を捻った。
間違ったことを言ったわけではない。
確かに自動人形という労働力を復活させることができれば問題の多くは解決する。
だがイスハルの身代金支払いを断ったのは当のヴァカデス。貴族の意見をまるで自分に対する当てこすりのように感じたがゆえの理不尽な沙汰であった。
ヴァカデスは先ほどの意見は本当は正しいのかと周囲の貴族を見回す。
だが彼らもまたグレゴール王の判断の正しさを理解できずにいたずらに状況を混迷させるだけだった連中である。顔を見合わせるだけ。
「……イスハルめを連れ戻すと言ったな。位置は把握しているのか」
「恐れながら殿下。調査中断を命じられたのは殿下ご自身です」
グレゴール王に仕えていた影働きの専門家が短く答える。
施策のすべてをもとに戻す……その命令を下したのは確かにヴァカデスだが、もちろん彼はそんな細かなことまで意識しているわけがなかった。
なんだこれは。
ヴァカデスの腹の底から喚き散らしたくなる衝動がせり上がってくる。
貴族たちが自分を旗印にし、この国を元の素晴らしいものに戻す……そのためならばと頷いたのに、問題は解決の予兆もなく積み重なるだけ。
彼もさすがに自分を支持する貴族たちに疑問を持つ。
「……父上が推し進められていた、と言ったな。
……よし、よし。わかった! ち、父上が推し進めていたなら、それが正しかろう!
獣氏族に使者を送って身代金支払いに応じると伝えよ!」
その発言にヴァカデスを支持しているはずの貴族たちでさえめまいを覚えた。
数日前に父の政策を『間違いだった』と言った舌の根が乾かぬうちに、父の政策が正しかろうと言ったわけだ。主義主張が一転二転し、言葉があまりにも軽くなる。
……沈黙が続く朝議の場で、財務大臣が挙手し、発言を求める。
「……陛下。それはそうとして――」
「なんだ」
「……今国庫は全盛期の半分以下です。これまでの国庫の貯蓄があればこそ、どうにか傭兵を雇い入れることができておりますが。来年には破滅いたしますぞ」
「……イスハルを連れてこさせればすべて解決だ。それでよかろう!」
財務大臣は特に反論することもなく、恭しく頭を下げた。
金という最も重要なモノを扱うだけあって、彼はグレゴール王に次いで状況を理解している。
イスハルを連れ戻す……本来は密偵を使っての誘拐や秘密裏の買収が確実だが、ヴァカデスの横やりで密偵たちは獣氏族から引きあげ済み。
グレゴール王が治安維持に連れてきた傭兵の数を頼みに獣氏族を恫喝し、相手をイスハルの身代金取引のテーブルに着かせる。
それが叶わねば、傭兵を率いて一戦し、賠償金がわりにイスハルを要求するしかない。
もう金は持たない。このままを来年まで続ければハルティアは破産する。その前に博打に出るしか手段は残されていなかった。
(……無理だろうな)
もちろん、財務大臣も分かっている。
自動人形を有していたからこそ、どうにか勝負になっていた獣氏族と、士気も練度も足りぬ傭兵で挑む?
一度身代金支払いを拒み、獣将姫レオノーラの所有物になったイスハルを買い取りたいなど、むしの良すぎる話だ。
もうこれより先は交渉担当の領分だと、財務大臣はすっぱりと忘れることにした。
その一部始終を薬で萎えた体でグレゴール王は聞いていた。
いくら戦後処理で忙しくしていたとはいえ、親である自分を幽閉し、政を欲しいままにしたのだ。ヴァカデスに奸物の計算高さぐらいはあってほしかった。
だが、息子には独立不羈の精神など望むべくもない。
父から権力を奪い去った後でさえ、父の敷いたレールに沿う生き方しかできない情けない我が子にグレゴール王は嘆いた。
舌がなく、ため息が出ないことだけが幸いだった。
獣氏族の族長たちはいまさら身代金による捕虜交換を言い出してきたハルティア王国の要求を拒絶した。
かの奴隷はすでに獣氏族の族長たちの手を離れ、一個人の所有財産となっている。正当な理由もなしにそれはできない。
だが拒絶されると戦争というカードをちらつかせてきたハルティア王国に、さすがに驚き訝しみ……獣氏族一の知恵者であり、騒動の中心であるイスハルの主人、レオノーラに事情を聴くため急使を送り込んだのだった。
「ちょっと何言ってるか分かりませんわね」




