15:一件落着と新たなる混乱
元騎士たちは、悔恨と慙愧の念の中で、じっと地方都市ドトレー近くの茂みの中から、帰ってくるはずの一行を待ち続けていた。
羞恥心で消えてしまいたいような気持ちだったが……あの夜、目覚めた時には家族を乗せた馬車などはどこにもなく、探すための伝手も土地勘もなく、家族を救い出す手段は失われていて。
もはや卑劣漢の手下として恩を仇で返すような蛮行に手を貸す以外になくなっていた。
「それにしても、なかなか来ないよなぁ」
「日が暮れる前には来るんじゃねぇかい?」
周りにはスパイだった男の本来の仲間達がいる。
連中も獣将姫レオノーラの実力は聞いているのだろう、武装も錬度もそこそこといったところだ。
口惜しい。この程度の相手、仲間数名の斬り死にを前提とすれば返り討ちにできただろうに。
「来たぞ」
「へへ……おい」
合図の言葉を受け、騎士達は陰鬱な面持ちで立ち上がった。
獣将姫レオノーラは手ごわい。先の戦争でも大勢の騎士達をその大戦槌で大勢屠った。元騎士達が犠牲なく彼女を廃し、イスハルを捕獲しようとするならば、狙いは初撃。元騎士達をイスハルと友好的な相手だと勘違いして背中を見せた一瞬しかない。
その恥ずべきやり口に、騎士たちが毒でも飲み込んだような苦い顔をしているなど、彼らは気にもしない。
「しかし、やれるんですかね。連中」
ゆっくりと接近していく騎士達の背中を見ながら男達はぞろぞろと獲物を持つ。
長い鎖や鋼糸を編みこんだ投網など。力で勝負したところで勝ち目などあるまいと、最初から動きを封じるための得物ばかりだ。
いかに獣将姫とはいえ、騎士数名を相手どれば多少なりと動きは止まり、相応に疲弊するはず。
「……あん? 大将、獲物の連中ですが、二人しかいませんぜ」
「魔獣狩りに出かけたんなら死ぬ事だってあるんじゃねぇの?」
遠目の利く一人が報告するが、スパイの男は適当に聞き流した。
「それより、あの餓鬼と獣将姫はいるんだろ」
「ええ、それはもちろん……接触しましたぜ、会話しています」
「よぉし、準備しておけよ、お前等。……あいつらが仕掛けて上手くいったならよし。失敗したら行くぞ。
なんにせよ終わったらあいつらの家族を好きにして――」
スパイの男は自分の卑劣さを喧伝するように声をあげながら、元騎士達とイスハルたちを確認しようとして……おかしなものに気付いた。
元騎士たちが膝を突き、涙を流している。
そして泣きながらもこっちを指差してきた。
「ああん? あいつら何を……」
察しの悪い手下の一人が、呆れたような声をあげる。
だが、異変は早く訪れた。木々の隙間から何十発も打ち出される光弾は高度を上げて放物線を描きながらこちらへと迫ってくる。
ひゅるるるっと特殊な飛翔音が響き渡り――それを呆けた表情で見つめるだけの部下を見捨てて、スパイは全力で逃げ出した。
どうして、なぜと問う気持ちが頭の中で錯綜する。あいつらは人質の命が惜しくないのか……! だが、奴らの家族に刃を突きつけるより早く相手の攻撃のほうがはるかに早い。
「こ、攻撃だ」「逃げっ」
そう思った瞬間、至近距離で何十発もの光弾が炸裂した。
膨大な衝撃と爆轟が至近距離ではじけ飛び、五体が木っ端の如く舞い上がり地面に叩きつけられる。
凄まじい衝撃で鼓膜が破裂し、臓腑が砕ける。高熱によって一瞬で絶命した男達はまだ幸運だっただろう。
スパイの男は即死のみは免れた。
いち早く異常に気付いたがゆえに逃げだし、そのおかげで、あるいはそのせいで……半死半生、虫の息。
「……こ、ば……な」
こんな、ばかな。
言葉さえ満足に発せず、ひゅーひゅーと引きつった声が漏れる。
四肢は重度の熱傷で焼けただれて、引き攣り、少しでも、少しでも生還の目がある場所を目指して生き足掻き、もがこうとする。
だが……これまで友を、仲間を売り捌いてその金で安楽に生きてきた。
頭の中のどこを探っても、自分のために命を懸けて救おうという人などどこにもいないことに思い至り……スパイの男は、その卑劣な性格に相応しく、ゆっくりと時間を掛けて苦しみもがいて死んだ。
地方都市ドトレーの政庁の中に一行は移っていた。
何せ街の至近距離でジークリンデによる強烈な爆裂魔術を何発も発射し、その強烈な光と衝撃は都市外周の警備兵達にしっかりと見られていたのである。
たちまち都市内部から、このあたりに住む獣氏族の<狼>の戦士が現れたのだ。
だが、元騎士達がジークリンデによって護衛されていた家族たちと涙ながらに再会した時は、さすがに彼らも概ね事情を察してくれたようである。
「ああ……『糸伝令』で妻と子の声を聞いて大丈夫と分かっていたが……。イスハルどの、一度ならず二度までも命と家族を救ってもらい、感謝する……」
そう感謝する騎士一行は――どこか晴れ晴れとした笑顔でお礼を述べてくれた。
この都市に住まう<聡耳>氏族のものたちも、何人かこちらにやってきて面倒を見始めているらしい。
レオノーラは口を開いた。
「わたくしの鼻も、あんがい正確ではありませんでしたわね」
「そうなのかい?」
同じ部屋の中から家族と抱き会う彼らを見て、ジークリンデが尋ねた。
「ええ。彼らと出会った時に嗅いだ邪気のにおいは……スパイ一人だけのものでしたわね。けれどもあまりに邪気が強すぎてにおいの元がわからなかった」
「そうかい。今は?」
「何も。全員が全員、イスハルに恩を仇を返すなど思いもしない清廉な人柄だったようですわね」
そっか、とジークリンデが視線を別のほうに向ける。
イスハルは小さな子供の面倒を婦人方と共に見ている。前に出会った、お礼のキスをしてくれた女の子にすっかりと懐かれ、困ったような嬉しいような笑顔をうかべて面倒を見ていた。
きっと幼いあの子も知っているのだろう。彼が見ず知らずの赤の他人のために心の底から怒れる男なのだということに。
レオノーラはハルティア王国に留学した際の事を思い出していた。
「……きみ、イスハルの事を思い出しただろう」
「……しっぽの動きを口にするのは獣人たちの中ではマナー違反ですわよ」
しかしジークリンデの指摘にレオノーラのしっぽが思わず腰に巻きついた。警戒のしぐさを見せながら相手を睨む。
「君が15歳、イスハルが12歳の時に出会ったんだっけ」
「あなたはどうでしたの?」
「わたしは……その一年か二年ほど前だね。当時は魔術師として遠縁の親族から王の養子として引き取られたけど。
まぁノイローゼさ。当時は魔力も少なくて……魔力増強のためにサンドール師とイスハルを紹介してもらったんだ」
「あら」
そういう事もあるのか、と考えたところでレオノーラはなんだか嫌な事を思い出した。
「……魔力増強の手段ですって? まさか房中術……な、わけありませんわよね」
性的な接触で魔力を譲渡し合う眉唾ものの術の名をあげたが、レオノーラはその言葉をすぐ否定した。
話が正しければ、当時のイスハルは10歳そこらで、自分と同年代らしきジークリンデは当時13歳だ。幾らなんでもそんなわけがない……と思ったけど、ジークリンデから漂う恥じらいのにおいにレオノーラの眉間は一気に険しくなり、しっぽがおいかりのあまりぶわりと二倍以上に膨らんだ。
「……ちょっと」
「え? い。いや、せ、せ、性的な接触はないよ?」
「それ以外はあったと白状しましたわね?!」
だがしどろもどろな様子があやしさをどんどん加速させていく。
性的な接触はなかった……嘘を言っている様子はない。だがしかしジークリンデから香る恥じらいのにおいは一体なんだ。何かがあったのは明白なのでレオノーラはじりじりと詰め寄る。
白状させてやる。そう思いながら飛び掛ろうとした彼女は、部屋を空ける音に不機嫌そうに振り向いた。
やってきたのは人間と同じ都市に暮らす<聡耳>ではない。レオノーラの<獅子>と同じく戦闘種族の<狼>に属する青年が居住まいを正して遠慮がちにやってきた。
「失礼……獣将姫レオノーラ様でしょうか」
「……<狼>の方が、退役した厄介ものになんの御用かしら」
「え。きみ退役してたの?」
初耳だよ、と目を剥くジークリンデに、レオノーラはひらひら手を振った。
「ええ。族長の方々に常々『弱者の戦い』の必要性を申し立ててきたせいで、わたくしは嫌われものですの。
ですから勝利を機に、皆様のご希望通り戦士を、指揮官をやめ、こうしてイスハルを伴って外国に渡ろうとしているところですのよ」
「行き着けば将軍だっていけそうな器の癖にね。獣氏族も存外情けない」
そんな風に眼前でこき下ろされた形の獣氏族の戦士だが、咎める様子もなく苦笑しているだけを見ると……どうも同じ考えの持ち主のようだ。彼女のような傑物を逃がすなどもったいないと目が語っている。
「それで<狼>氏族の方。めでたく退役させた獣将姫になんの御用?」
本当に、レオノーラは自分へと使者を立てられる用件が分からなかった。
もうハルティア王国は死に体。イスハルが自分の元にいる限りあの国はいずれ潰れる。グレゴール王の手腕次第では崩壊する時間が多少変わるかもしれないが……しょせん抜本的な対策にはならない。
だから後は戦争など発生しない。時間をかけてハルティア王国が傾いた後、ゆっくりと無力化すればいいだけだ。
使者の若者は言う。
「ハルティア王国から和平条約の破棄が一方的に突きつけられました」
「え?」
何を言われたのか分からない。訳が分からない、困惑を示すようにしっぽを左右に大きく振った。
「彼らは戦争をするつもりです」
ちなみに悪漢が見ている向こう側で何をしていたかというと。
元騎士のみなさんが緊張しながらも友好的に振舞いながら奇襲のチャンスを伺う。
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レオノーラが『ご家族を保護しました』と言い、糸伝令を使って家族の無事を確かめさせる。
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元騎士たちが悪漢と一緒に襲い掛かった場合は、白兵戦で無力化し、そのあとで話をする必要があったが、先に全員出てきたので敵を選別する必要がなくなる。
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家族の護衛兼遠距離攻撃のために近くの森に潜んでいたジークリンデが、元騎士たちの指差しとイスハルの地蜘蛛陣で大まかな位置を捕捉。
↓
白兵戦でリスクを負う必要はもうないので、やっちゃえ爆殺。
みたいな感じでした。




