14:保護
何度も振り下ろされる悪漢の鞭の音は、馬車を引く馬を急き立てる。悪漢の恐怖と狼狽が乗り移ったかのごとく狂奔する馬車をレオノーラは追った。
人工筋肉によって倍加する脚力。一歩目でその凄まじい強化のせいでバランスを乱しそうになるが、そこは猫科猛獣と似た特質を持つ<獅子>の並みはずれた平衡感覚が補正した。
二度目の踏み込みで地面を蹴り上げ馬車の横に並列する。
ここから御者席に乗り込み始末をできるか? 分からない。もみ合い、取っ組み合いになって車輪の制御が利かずに横転する可能性がある。確実でない以上、元騎士の家族たちを無闇に危険には晒せない。
レオノーラは三歩目で元の感覚と強化された感覚を補正し――人工筋肉の躍動と自分自身の脚力を完全に同調させた。
疾走する馬車の正面に回りこみ相対する。
「どけぇ!」
御者の悪漢が怒声を張り上げた。当然手綱を緩めて轢殺を回避しようなどという殊勝な気持ちなどない。むしろこのまま馬蹄で踏み潰してやるという害意のにおいが際立った。
まぁ、それも予想通り。そもそもここで手綱を緩めるような相手なら、幸せそうな家族を地獄に追い込むような真似などすまい。
レオノーラは大きく息を吸い込み……そのまま殺気を込めて吐いた。
「威、矢亜アアアァァァァァァァァァァッァァァァ!!」
<獅子>氏族の威嚇術、獅子吼。
大音声とともに放たれる殺意は音塊の打撃となって、御者の凶漢相手にのみ魂が消し飛ぶほどの震え、恐慌を引き起こす。
その余波を浴びた馬は、敏感な聴覚で爆発する咆哮におびえた。馬車の鞭など脳裏から消し飛び、急制動をかけながら即座に前足を振り上げ、怯えのあまり嘶いた。
「よし、よーしよしよし……」
狂奔する馬の口、轡を掴んで腕力を込める。強化された腕力で地面に引き降ろし……そのまま馬の荒ぶった気を静めるように首筋を優しく何度も軽く叩き言葉を繰り返す。
背中から迫る鞭の音と痛みがなくなり、目の前の相手の優しげなしぐさに落ち着きを取り戻したのか、馬は荒い息を突きながらも歩みを止める。
「さて……」
御者席にいた悪漢はどうなったかというと、レオノーラの獅子吼を浴びて気絶している。
死線を潜り抜けた戦士であればこうも無様なことにはならないが、しょせんはか弱い女子供を食いものにしていたやからだ。
「中にいた方々、ご無事ですの?」
「は。はい……すみません、まだ耳が」
獅子吼の収束させた殺意は悪漢のみを恐慌、気絶へと追い込み、馬車に乗っていた家族に害は与えない。彼女らはただ大きな声でびっくりしただけだ。
よし、と安堵の声をこぼして気絶した悪漢を見下ろす。
いずれ殺すにせよ、女子供の眼が届かないところで行おう。レオノーラは相手を、骨でも折れるがいいと思いながら御者席から蹴り飛ばした。
「あーんあーん……おかあさん、おかあさん!!」
「……ああ、本当になんとお礼を言って良いか……」
小さな子たちはお母さんの腕の中で安堵のあまり大声で泣いていて。他の子もみな似たようなものだ。安心のあまり気絶じみた様子で眠りについていたりする。
無理もない。心身ともに疲弊の極みにあった子供も両親も安心と安堵で疲れきっている。
だが、いま少しだけ彼女達には協力してもらわねばならない。
「……まずは一安心ですが、可能な限り奥様方の顔を、あなたの旦那様がたに見せて差し上げる必要があります」
「ええ。もちろんです。奴らが話していましたが……貴方達のお仲間の一人が、魔獣の情報を集めていると……それで」
「なるほど」
家族の事情は話して分かった。元騎士達の中にいた他国のスパイの手引きで自動人形を盗みだしたが、イスハルをみた事で獣心を露にし、人質にとったという。
だが連中の会話からすれば、自動人形を売り捌いた金を正しく分配したかどうかも疑わしい。
イスハルは魔力糸で連中をひと固まりに縛り上げる。
「こいつらは置いておくしかない。構わないかな、レオノーラ」
「生きていれば法の裁きを受けるでしょうけど……一番軽くて死刑でしょうから魔獣に食い殺されるのも、司法の手を煩わせないからいいのではないかしら」
レオノーラのほうも返答に容赦はない。喚き散らしている連中の大声も、口に猿轡をかませて黙らせている。死のうが生きようが正直興味はない。
「さてと。ここからどうするかですが」
相手がイスハルたち一行を襲撃するタイミングを……魔獣を狩り、町に一端帰ってくるあたりに絞っていることは突き止められた。
ならばそこで彼らの家族が無事な姿を見せれば元騎士達がスパイの命令を聞く理由がなくなり、味方になってくれるだろう。
「ところでジークリンデ。あなた。あの遠距離からの魔術は見事でしたわね」
「まぁね。イスハルとの意識同調でなら、わたしが目視しなくても撃てる。距離は離れてるほうが戦いやすいんだ」
実のところ、ジークリンデはイスハルとレオノーラの二人が走っていった後追いかけようとはしなかった。
二人の足の速さに併走できる技術も体力もないせいだ。それなら最初から移動せずに魔獣を他の魔獣の餌食にされないように警戒しつついつでも援護射撃ができるように魔力を練っていたらしい。
「時間はまだありますわね。魔獣の皮を剥いで戦果を掲げたほうが、相手にとっても目印になるでしょう」
「あの……それでしたらお手伝いをしましょうか?」
善後策を協議していると、元騎士の家族である夫人たちがおずおずと申し出てくれた。
彼女らも夫が野外行動中に狩ってきた魔獣や獣の皮を剥いでなめす副業を営んでいたらしい。それならば、とお願いすることにした。
イスハルは自分にお礼のキスをしてくれた小さな子を胸に抱きしめながら、緩やかにあやし、小さな声で唄を歌っている。
とろとろとまどろむ彼女にしているあやしかたは、幼い頃自分に優しくしてくれて最後には処刑されてしまったあの人を真似ていた。
母親代わりのあの人が、自分にしてくれた優しい慰めを思い出す。
「よいこよいこ……目が覚めたらお父さんが君を待っているからね……」
あの女奴隷が処刑されたのはもうずっと昔。
なぜだか、涙が出てきた。
あの日、処刑されてしまった彼女を救うことはできなかった。
顔も名前もおぼろげだけど、胸を掻き毟るような激しい苦しみの傷跡は今も心を掻き乱す。
けれど、今はこうして誰かを守れている。
少しだけ後悔の痛みが和らいだ気がした。
ご指摘を受け、前半を少し修正しました。




