13: 生死不問
彼女はここしばらくはずっとご機嫌だった。
騎士としてのお仕事で家を空けることが多かったおとうさん。
何か我慢できないことに耐えかね、家族みんなでふるさとを出て外にいくみたい。生まれて初めて馬車に乗り遠くを目指して旅をする。
道中には魔獣やわるい人などいるときいたけど、彼女の父親はみんなが憧れる騎士様で、お父さんの友達たちもみんなそうだった。
何よりお父さんと一緒にいる時間がたくさんで、怖いことも悪いこともみんな近寄らない。
お父さんの恩人だというお兄さんにも会った。
ありがたくてうれしくて、ほほにキスをすると照れたようにはにかんだ様子がかわいいと思った。
そのまま次の日も、また次の日もお父さんやお母さん、自分達と一緒に異国を目指す家族と旅をするのだとそう思っていた。
……それは、夜、うとうととして目覚めた時に聞いてしまった。
『反対だ……』
『あなたが自動人形を盗むために異国から遣わされたスパイで、報酬を約束してくれたことは感謝しているがな』
『ああ。命の恩人を捕らえるというなら……すまないが、君とはこれまでだ』
お父さんとその仲間のみんなの、こんなにも緊張した声は初めて聞いた。
眠りが浅く、寝ぼけ眼をこすりながら彼女は父の言葉を聞く。何かとても大切な話をしているのは分かった。
『はぁー……急に真面目ぶりやがってまぁ……。あのなぁ。あの餓鬼を捕らえれば約束した報酬の20倍近くの金を出してもらえると約束を頂いてるんだ。あんたたちも妻子を養うための金が欲しいんだろ?』
『我々は、国は捨てても品性まで捨てた覚えはない』
ぱちん、と金属の音がした。
幼い彼女にはそれが抜刀の準備だとは分からない。
『……あのなぁ。こっちも遊びでやってるわけじゃねぇ。戦後のどさくさ紛れに人形を盗む手助けをしてくれたこたぁ感謝だが……製作者を見た以上、はいそうですか、というわけにゃいかんのよ。ま、予想通りだったな』
『う……? なんだ、こうも眠気が…………貴様?!』
『頭の固い連中だったがお前達は腕は立つ。相手には獣将姫レオノーラがいるから人手が欲しいのよ。
……安心しな、目覚めた時には妻子とはなればなれだが……きちんと人質として丁寧に遇してやるよ、ひゃひゃっひゃ!!』
彼女は、震えた。
夕食の食事は馬車で揺られて少し気持ちが悪くてそんなに食べられなかった。お腹が空いて夜目を覚まして聞いた言葉は、意味が良く分からなかったけど、とても悪い事が起きているとだけは理解できる。
お母さんを揺すっても起きる様子はない。みんな疲れて眠っているせいか、薬のせいか、彼女には分からなかった。
(……たすけて、おかあさんっおきて)
逃げ出して助けを求めに? 無理だ。
今は月明かりさえ乏しい。森の中から出てくる凶漢たちに周りを取り囲まれ、仮の宿だった馬車がゆっくりと前進していく。外に出て行ったところで森の中を進めるとは思えないし、土地勘のない旅先ではどこを目指せばいいかさえ分からない。
幸いだったのは食事に含まれていた薬物が、一度目覚め恐怖の坩堝にあった幼い娘を再び眠りに落としたことか。
助けを求める声に応えるものはいない。
少なくとも、今はまだ。
先行するイスハルの背を追いながら、レオノーラは考え込む。
先日、あの幼い女の子に糸をつけるように命じた彼女だが、明確な考えがあったわけではない。
幼子に糸をつけ、位置を把握し続けたならあの元騎士達の大まかな位置だって分かるだろう。元騎士達が独立して動く可能性も十分あったが、それはそれで悪くない。
そうなったなら元騎士達の妻子に事情を明かし、夫を説得してもらえるように頼めるからだ。
(あの騎士達は誠実で善良だからこそ、家族を養うために大金を欲するかもしれない。
なら、誠実で善良だからこそ、家族の訴えを拒むことはできない……そう考えていましたけど)
だが、その糸が原因でイスハルが激怒して危険に近づいていることはよろしくない。
不意に、イスハルが足を止めた。
草むらに身を屈めて様子を伺う。レオノーラもそれに続き……観察するべき馬車の周りから漂う、強い邪気のにおいに思わず鼻をつまんで顔をしかめた。
馬車が二台、路地の端に止められ周りを筋のよくなさげな男が囲んでいる。一応見張りなのだろうが、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて中のほうをのぞき込んでいた。
「で、まぁ夕方ぐらいにゃ帰ってくるんじゃねぇの? おたくの旦那」
「つってもなぁ。相手は獣将姫レオノーラだろ? あいつからしてみりゃ自分の奴隷を盗みに来てるから頭カチ割られてるかも」
「お……夫は……夫は帰ってくるんですか?!」
「獣将姫に聞きな、俺ぁ知らんよ。……とにかく。あんたらは人質だ。旦那が朗報持ち帰ってくるまで待ちな」
レオノーラも、イスハルも、男の下卑た発言を耳にしておおよその事情を察した。
イスハルが繋いだ糸から感じる心音の異常な速さの原因はこれだ。
「……あいつら……!」
イスハルは唇をかみしめる。傍にいるレオノーラもはっきりと感じられるほどに強烈な怒りのにおい。
レオノーラは周囲を見回した。鼻をひくつかせれば、元騎士たちの家族を人質に取っている連中のにおいはここにいる連中で全部だ。
「イスハル、機をうかがいます。近づきますわよ」
「ああ……」
噴き上がるほどの激怒を懸命に御するのは万が一にも捕らわれている家族たちに危害を加えさせないため。
遮蔽物に身を隠しながら接近を続ける。
「なぁ……なぁ、それにしてももういいだろ? 女だぜ、目の前にいるんだぜ? 手ぇ出さないでどうすんだよ」
だが、悪漢の一人のことばにイスハルは自分の頭に青筋が立ったのを自覚した。
「わ、わたしたちに手は出さないって……!!」
「人質ってもよぉ……あんたたちは故国を捨てて身分さえ定かじゃねーし、脱走したんならハルティアもまじめに探さねぇだろ?」
「へへへ……てか、そもそも真面目な取引してもらえるとか思ったぁ? 最初からさぁ、あんたたちは奴隷商に売り飛ばす気だったさ。前の戦争で捕虜が出て、このあたりじゃ奴隷商人が来てるんだ。買い手にゃ困らん」
「それに俺らの雇い主からの金を何で割らなきゃならねぇのよ。一番高く売れんのは旦那だろうけどな。騎士さまだし労働用としちゃ最上だろ」
「なぁ、いいだろ、もういいだろ? な。餓鬼いるんだから手ぇ付けても価値かわんねぇだろうし……」
「うわぁー!! こわいよ、おとうさん、おとうさんー!!」
周囲に立ち込める害意に、怯えが臨界を越えたのだろう。馬車の中から小さな子供の悲鳴が聞こえてきた。
イスハルは目が眩むほどの憎悪に取りつかれ、歯をがちんと噛み鳴らす。
あの泣き声は、自分にお礼のキスをしてくれたかわいらしい女の子の声だ。
あんなにも愛らしくかよわい子を――奴隷というあんな悲惨な境遇に堕とそうというのか、こいつらは。脳髄から発する怒りの量で、頭蓋骨が内から弾けるかと思うほどの激怒に駆られる。
もういい……もう十分だ。レオノーラさえ我慢の限界を迎えた。
親指を下に向けるレオノーラの『ぶち殺せ』のサインと共に、イスハルは両足に人工筋肉帯を巻き付けると一足でとびかかった。
人工筋肉帯の出力リミットを解除。
「はへ?」
狙いは馬車の中によじ登ろうとした男。
鞭のように振り上げられた蹴り足が男の頸部を砕き、空中で一回転させ外に跳ね飛ばす。
限界の筋力を発揮した人工筋肉帯が千切れ飛ぶが意にも介さない。魔力を湯水のように消費しながら再度新しく張りなおす。
「お……おま」
イスハルに目を向けた一瞬でレオノーラが接近し、大戦槌を振り回して相手の胴を砕きながら吹き飛ばし――他の男にぶつけて数秒、時間を稼ぐ。
「ジークリンデ!」
『今撃った!!』
糸伝令を介しての言葉に即座に反応が返ってくる。
……イスハルは、攻撃は苦手だ。彼の真骨頂は魔力糸を周囲に張り巡らせ、罠を仕掛け、優位な位置をとり、相手を損耗させる防御的なやり方だ。
だが今は、今だけは有利をかなぐり捨てて戦わなければならない。
子供の悲鳴だけは絶対に我慢ができない。
殺す。
「て。てめぇ、なんでここに! 魔獣を狩りに出てるはずじゃ!!」
「お前らの都合なんか知るか!」
相手の刺突を腕にまとう人工筋肉帯で受け流し、そのまま拳骨を放つ。
……自動人形の構造に熟知するということは、そのモデルである人体構造にも知識があるということ。
どこをどう破壊すればいいのかも、知っている。
拳骨を防具の上から相手の横腹に思いっきり叩きつける。
「ぎゅあっ?!」
その拳骨が浮動肋骨をへし折り、その折れた骨が腎臓に突き刺さった激痛でのたうちまわる。
イスハルは、今は、今だけは容赦はなかった。相手の顔面を全力で踏みつける。頭蓋が砕けようが知ったことか。相手の生死など、もう無視していた。
男への冷酷な追撃に恐れを成したのか、凶漢たちの顔に明らかな怯えが浮かぶ。
背中を見せて一目散に逃げ始める。だが、ちょうどジークリンデから『糸伝令』を介して声が響いた。
『イスハル……弾着まで10秒、そこからは君の視線誘導に切り替える! ユーハブ!』
「アイハブ!!」
視線を相手に向ける。まるでその視線に導かれるように……木々の隙間を縫って飛来した数十発の光矢。焦熱光線と呼ばれる攻撃魔術は魔力糸を介して制御をイスハルに譲渡。
そしてイスハルの視線に操られた必中の魔弾は木々の隙間を縫いながら逃げようとした連中を穴だらけにしてみせる。
「ひ、ひぇえっ!」
だが……最後に見落としがあったのか――レオノーラが戦槌で吹き飛ばして巻き込まれた男の一人が立ち上がると、そのまま馬車の御者席に飛び乗った。
イスハルとレオノーラの二人からわずかなりと逃げようとしたのだろう。だがこれに慌てたのはむしろ二人のほうだ。目的は元騎士たちの人質にされた家族を助け出すこと。しかし糸も魔術の支援攻撃も間に合わない。
そんな一瞬の迷いより早くレオノーラは疾風のように駆け出していた。振り向きながら叫ぶ。
「イスハル! わたくしをマッチョに!!」
レオノーラはとっさのことで変な台詞になったことを自覚したが、イスハルも彼女が何を欲しているのかおおむね察した。
獣将姫の両腕、両足を、『糸伝令』のためにつないだ魔力糸を介して人工筋肉帯が覆う。
恩を仇で返すような道理を無視する人は物語の中でも少数でいい。(私見、あるいは趣味)




