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12/62

12:心拍数異常


「ところで、俺一人でやってみてもいいだろうか」

「あら?」「うん?」


 イスハルの提案に、二人とも一瞬反応に困った。


「レオノーラは獣将姫と呼ばれるぐらいに武勇に優れ。ジークリンデも宮廷魔術師になるほどだ。

 では俺は……一人でどこまでできるのか試してみたい。駄目かな」


 イスハルが自分からやりたい事を口にした。自主性の芽生えだと思うと悪くないが今は少しタイミングが悪い。だが……そこは自分たちでカバーすればいいと考える。彼女達二人は視線で意志を交わすと、答えた。


「……よろしいでしょう。イスハル、単独行動を許します。ただし無理はなさらないように」

「何かあればわたしが遠間から射抜くよ。『糸伝令』は接続したままでいてね」


 こくり、と頷くとイスハルは目指すべき場所へと視線を集中する。

 

地蜘蛛陣グランドネストを収束」


 四方八方へと広がった魔力糸が今度は暴走猪を待ち伏せするために最適な沼田場へのルートへと収束していく。

 これまでは糸をただ伸ばすだけだったが、今度は地形へと網目のように覆いかぶさり、その触感を伝える。

 目を閉じて感覚に集中する。脳内に浮かぶのは糸で触れることにより、脳内に浮かぶ三次元映像。森の中で枝を伸ばす木々や突き立った岩など、進行ルート上にある物体を文字通り把握していく。

 イスハルは身をかがめた。その両足に魔力糸が巻きつく。


「人工筋肉帯を形成……」


 それは色こそ白色だが、形は剥き出しの筋繊維そのもの。足の周囲を補強するように纏わりつく。

 自動人形に用いられていた人工筋肉は人体を参考にしているため、形状が似ているのも道理であり……イスハルはそのまま走り出した。

 イスハル本来の脚力は並みでも、彼の両足を覆う人工筋肉帯は並みではない。


「……杞憂だったかもしれませんわね」

「それならそれでいいさ。行こう」

 

 一瞬で見えなくなったイスハルの後を追い、二人もそれぞれの手段で後を追いかけだした。



 暴走猪は森の木々を進んでいく。

 体にこびりついた細かな不快感、雑菌や寄生虫を泥浴びで洗いながしこざっぱりする事は魔獣であっても快感らしきものを感じていた。敵を踏み潰し、血糊のように粉砕し。貪り喰らい前進する。この森の中の生態系では頂点に近い魔獣は自分の縄張りである沼田場に訪れ、いつものように全身を泥の中へと放り込もうとして……それを中断する。


 何かまずい。


 具体的にどうまずいのかを言語化する能力などなかったが、逃げるべきだという本能に従って彼は駆けた。

 木々の隙間を縫って、この生存本能に突き刺さる危険の気配から逃げ出すのだ。


 だが、駆け出した暴走猪の五体は突如、冗談のように跳ね飛ばされ、沼田場への再度の落下を強いられた。

 

「ぶぎいいいぃぃ?!」


 激しい激怒と困惑が彼の眼光を赤く染め上げる。

 そんな馬鹿な事があっていいはずがない。大木だろうと岩だろうと、自分に倍する巨大な魔獣だろうとも自分に正面から挑んできた奴はいなかった。それがどうして木々の隙間から伸びている……細い糸などに突進を食い止められたのだ。

 ほかの脱出路を探そうと駆け出し……そこで、暴走猪は人間を一人、見つけた。



 人間が一人、宙に浮いていた。


  

 正確には、イスハルは木々の合間に張り巡らせた魔力糸の上に乗っているだけだが。

 

「ぶぎいいいぃぃ!!」


 イスハルは憎悪の声をあげながら突進してくる相手をひらりと避け、他の魔力糸の上に乗り。その反動を利用して、閉所のピンボールのように乱反射跳躍を繰り返して相手に的を絞らせない。

 それでいて、四方八方相手を取り囲むように張り巡らされた糸は相手の突進の勢いを、糸を介して周囲の木々に分散させ、完全に勢いを殺す。

 苛立ちをあげながら突撃を繰り返す暴走猪を前に、イスハルは、良し、頷いた。


「今回の目的は魔獣の皮の採取……なるべく傷を付けず、しとめる際は一撃……」


 暴走猪は地を蹴り、怒りのしぐさを見せながらイスハル目掛けて突進する。

 だが人工筋肉で強化した脚力は相手に影さえも踏ませずに翻弄する――また、暴走猪が苛立ちと共に糸の結界に激突。今度は、魔獣の唸り声に困惑が含まれていた。

 ぐにゃりと魔力糸が変質して暴走猪の五体に纏わりつき、四肢と地面を粘着させて身動きを取れなくしている。


「激突した魔力糸を粘着糸スパイダーに変質させた。暴れば暴れるほど絡みつくが……ああ、運が悪いなお前」


 暴走猪の五体に絡みついた粘着糸スパイダーは相手の鼻と口に半端に絡まり、気道を封じている。

 それでいて暴れる勢いはいや増す一方なのだから、今度は酸素が足りなくなり、魔獣の勢いは次第に衰えていった。


「……拘束と同時に気道を封じて酸素欠乏症チアノーゼを引き起こす手は要検証か……」


 脱出しようと必死に暴れまわった結果、もはや全身を動かす体力を失いつつあるのだろう。

 無尽蔵の生命力を持つと恐れられる魔獣は、今や最後の抵抗とばかりに大口を空けた。近づいてみるがいい、このひとかみでお前を噛み砕いてやるぞ、と、魔獣の声なき憎悪の声を聞いた気がした。


 だが、イスハルは瀕死の相手の最後の抵抗に興味なさげな視線を向けると、まるで事を処理するかのように無念の魔獣に死を告げた。

 指先が差すのは魔力糸の一本、喉元に絡みついたそれを変質させる。


「魔力糸を斬撃糸スラッシャーに変質」


 イスハルが配置したそれは一瞬で金剛の粉をまぶしたワイヤーソーと同等の切れ味を持つ、この世でもっとも薄く鋭い刃と変質して魔獣の首に食い込み、その頸部を跳ね飛ばした。

 どぶり、と鮮血が花の如く溢れ出し周囲の沼田場の泥を真っ赤に染め上げる。

 ふぅ、とイスハルは安堵の息をはく。

 相手の活力を奪い、動きを封じて一撃でトドメを差す――目的を達成。

 皮のほうも理想的な形で採取できそうだ。

 と、そう考えていると、こちらに足音が近づいてくる。イスハルは、そういえばまだ安全な街中ではないと考え直し、再度、地蜘蛛陣グランドネストを張りなおす。

 足音の主はジークリンデとレオノーラの二人だった。


「さすがはイスハルだねっ! ちょっと離れていた場所から観察していたが、わたしが手助けする必要もなかったようだ」


 感心したような声をあげるジークリンデと違い、レオノーラは少し気もそぞろな様子で周囲を警戒していた。鼻をひくつかせて周囲の臭いを確かめている。

 二人ともイスハルをいざという時に手助けするために構え、また昨日の元騎士達が出てこないかと警戒しているのだ。腰に巻きついたしっぽがそれを訴えている。


「うん。それじゃ……」


 皮を剥いで目的を達成しよう、と言おうとしたところで、イスハルは魔力糸に妙な感覚を覚えた。

 先日元騎士達と一緒にいたあの幼い子につけた糸。その感触が地蜘蛛陣グランドネストの感覚に触れた。まだこの近くにいたのか、と不思議に思ったがそれだけ。

 レオノーラに命じられてもいないのに居場所を勝手にするなど良くないと考え、意識から追い払おうとした瞬間……糸を介して伝わってくる心拍数の激しさに、イスハルは目を剥いた。


「なんだこれ……」

「イスハル? どうしましたの」

「レオノーラ! 昨日糸をつけた子の心拍数が……異様な値を示している」


 これだけ激しく脈打っているのが昨日の元騎士達であったなら、イスハルたちは妙だとは思わなかっただろう。

 何せこのあたりは魔獣の生息地域。家族と命を守るため戦えば心拍数もあがろうものだ。


 だが、あんな幼い子供がここまで心臓を打ち鳴らすものだろうか? なにか強い恐怖にさらされているかもしれないと思うとイスハルの心に強烈な危機感が沸きあがってくる。

 あんなに小さくて可愛らしい子供が何かに怯えているのだとすれば、年長者として、なんとしてでもその苦痛を取り払ってやらなければならない。


「異様な値、ですの? ……なんらかの危険や脅威に晒されていると……ちょっと!」


 レオノーラも困惑し、どうするべきかと考慮するより早く――イスハルが一目散に駆け出した様を見て慌てて追いかけた。


(……異様な心拍数? ……何が)


 あったというのだろうか。

 いや、そこに到着すれば分かるだろう。レオノーラもイスハルも、今はあの小さな子供が無事であることを祈るしかなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 狩り自体は、ごくごくあっさりと 自前で糸を魔力ある限りいくらでも紡げて、その糸を後からでも粘着でも斬撃用でも変化させられるとか、大抵のお話で超絶技巧として扱われる糸使いの中でも破格ですねぃ…
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