10:名探偵要らず
獣氏族は人間と変わらず村や町などで都市生活を営む<聡耳>と、魔獣撃滅や敵種族との戦いを仕事とする<獅子><熊><狼>の二つで構成されている。
肉体的な能力が格段に優れた三つの戦闘氏族とそれ以外の獣人たちはお互い得意分野で支えあい、これまで生活してきた。
その上手く行っていた体制にひびが入り始めたのはハルティア王国の躍進が理由となる。
王国が新しく生産した農耕用、労働用の自動人形は文字通り百人力で、これまで明確な国境線を持たなかった湿原地や森などへと盛んに開拓を行い始めた。
気質が大人しい<聡耳>のもの達は現地レベルでの交渉、折衝で解決を試みるも失敗。
結果、小競り合いに発展するも、これまでは戦闘において無敵だった戦闘氏族たちが敗北した事で獣氏族たちには不安が走った。
戦闘氏族の族長たちも焦りを覚える。
魔獣の狩猟に従事する彼らは、自分達以外の獣人から作物の提供を受けており、土地に旗を立てて生活領域を蚕食する王国を早く追い出してくれとせっつかれることになる。
ただし……獣氏族の指導者層が戦争に勝つために行った事と言えば、数を揃えるだけであり。
数を揃えるには当然補給が必要で、膨大な糧食を支えるには<聡耳>氏族たちの協力が必要で。それでいて負けるわけだから『頼まれたとおり糧食をそろえたのに何をやっていたのだ』とせっつかれ、悪循環が加速していく……。
「つまり……自分達が弱いと認めたくないんですのよ」
「あちゃー」
「数が少ないなりに夜目が効くなら夜襲を仕掛け。敵の糧食を焼いて飢えさせる。わたくしが提言した戦術は『弱者の戦い方』とされ、ようやく呑ませたのが本陣への奇襲だったのですのよ」
獣人の<聡耳>種族が作った地方都市は、人間が作ったものと変わらない。
自分たちが建築技術で劣っていると自覚があり、謙虚に教えを請える。レオノーラは息を吐いた。そこだけは本当に羨ましい。イスハルと二人、地方都市ドトレーを歩きながら考える。
今現在、ジークリンデとは別行動中だ。
馬車ごと止められる宿をイスハルとレオノーラが探し。
ジークリンデは冒険者ギルド、傭兵ギルド内で魔獣の皮を探し回っている頃だろう。
連絡に関してはイスハルが彼女と『糸伝令』を結んでいるため問題はない。
「それでは……少し行ってきますわね」
「よろしく」
馬車の番を任せてレオノーラが交渉のため宿の中に入る。彼の首には現在も首輪が嵌っているため、こういう場合は主人である彼女がいかなければならない。
イスハルは腰掛けながら路地行く人々を見回していた。
あまり王宮の外を出歩いたことはないが……人の数が多いように思える。
それもところどころ武装した傭兵崩れが見受けられる。現地に住んでいると思しき獣人たちも警戒した様子で歩いていた。なんでも風の噂によればハルティア王国では大規模な傭兵の雇い入れが始まっているらしい。
「影響が、出ているのか」
ヴァカデス王子の大負けでこれまでの均衡が崩れているのだろうか。
考えていると……こちらを見ている数名がぎょっとした様子を見せ、大またで近づいてくる。
「イスハルどの!!」
「え?」
大きな声で話しかけてくる成人男性が数名。後ろにはその妻子と思しき一団が三台の馬車と共にいる。
長旅を経験したのか、服のあちこちはほつれている。しかし顔立ちにはそれとなく気品があった。自分を知っている男性数名はこちらに近づくと、馬車に乗ったままのイスハルの前で……一斉に膝をついたのだ。
「え? あの……どなたでしょうか」
「王国の、元騎士にございます。ヴァカデス王子が逃げた後、敵の襲撃を受けましたがあなたの指示でどうにか生還を果たせました」
「あなたが帰国のあかつきには一同、礼を述べたいと思っておりましたが……それも叶わず」
「俺達はこれ以上王国にいても未来はないと見切りをつけ、妻子を連れて国を抜けてきたのです」
それで理解した。彼らはヴァカデス王子が身代金支払いを拒否したと聞き、王国を仕えるに値せぬと見切りをつけて逃げてきたのだろう。
「これから親族を頼り、国を出る所存ですが……こうして出国の際に気がかりを片付けることが出来てよかった」
「いえ、その……どういたしまして」
イスハルは照れくさそうに頬を掻いた。こうして面と向かって褒められるのは気恥ずかしさやむず痒さを覚える。
けれど、悪い気持ちではなかった。そんな風にしていると……彼らの馬車のほうに居た小さな女の子がちょてちょてと歩きながらやってきた。イスハルの前に立つと、ぺこん、と丁寧に頭を下げてくる。
「あいがちょございまちゅ」
「あ、ええと。どういたしまして」
「パパが帰ってきてくれたの、おにいちゃんのおかげ?」
そのまま小さな子が手招きする。
イスハルは膝を折って目線を合わせれば、ちゅっ、とほほに軽い口づけの感触を受けた。
「これは光栄だ。ありがとう」
「えへへぇ」
心の中に暖かなものが沸きあがる。ヴァカデス王子に見捨てられたけれども、王国の中にも自分の行動を評価してくれる人がいてくれたのだ。
「イスハル」
「レオノーラ?」
宿の中での交渉ごとが終わったのだろう。外に出てきた彼女は視線を――まず騎士を廃業した家族らの乗る馬車……の轍に向け、彼らの家族に向け。
そしてイスハルの耳元に顔を近寄せた。
「……その子に糸をつけなさい」
「え?」
『糸をつける』……それはイスハルの魔力糸でこの小さな子の位置を把握する意味だ。
なぜ? という疑問はあるが……他ならぬレオノーラの言葉だ。女の子の頭を優しくなでてやり……同時に糸を付けておく。
レオノーラはイスハルにぶしつけな事を命じたなどおくびも出さず、礼に叶った丁重な態度で会釈した。
「じゅ……獣将姫レオノーラどの、か……」
「緊張なさるお気持ちは分かりますけど、不要ですわよ? かつて属する国家が違うゆえに戦火を交えましたが、あなたたち個人にはなんら恨みもございません。……新天地での活躍を期待していますわね」
「……仲間が妙な声をあげて申し訳ない。あなたが我らの恩人の主人になったと聞いた。
気にかけてくだされば、幸いだ。……行こう」
元騎士達も同僚を屠った敵将の姿に、内心は兎も角丁寧な態度でレオノーラに対して会釈しそのまま去っていった。
「レオノーラ。どうして」
「宿はここに決まりましたわよ。わたくしが呼ぶのでジークリンデを『糸伝令』で繋いでくださる? イスハルは馬車を裏口にお願い」
「う、うん」
イスハルはうなずく。もちろん幼子に対して『糸』を付けたことは褒められたものではない。その説明をしてほしかったが……イスハルは彼女があんな幼子に悪意ある振る舞いをするような人間ではないと信用していた。
多少困惑した様子だったが、イスハルは魔力糸をレオノーラの耳につなぐと、そのまま馬車を引く馬たちの轡をとり、裏口に回っていく。
レオノーラはふぅ、と息を吐いてから通信を始めた。壁に背を預けて、糸を介して思念を飛ばす。
「ジークリンデ、話があります」
『ん? あちこち回っているけど魔獣の皮はまだ見つかってない。宿は決まった……という感じじゃないね、きみ。
イスハルにはあまり聞かせたくない話かい?』
「ええ、お互い嫌い合ってるもの同士だからこそできる嫌な話がありますの」
『聞こう』
レオノーラは頷く。
「実はわたくし、ハルティア王国を逃げてきた元騎士と、その家族がイスハルと接触した様子を宿の中から確認していましたのよ」
『間違った判断ではないと思うよ』
それは分かる。戦争は終わり、もう戦う理由がないけれど……かつて命を奪い合った敵同士が顔を合わせれば余計な火種になりかねない。彼女はそれを避けたのだ。
『何が気になったのさ』
「……早すぎませんこと?」
発言の意味が分からず声に疑問をのせるジークリンデに、レオノーラは疑念を眉間に浮かべて応えた。
『早すぎるって。何がだい?』
「……騎士の方々がヴァカデス王子の失態を見て『王国は忠誠をささげるに値しない国家だ』と見切りをつけて逃げ出す……実に良く分かりますわね」
『そうだね』
レオノーラは周囲を見まわしイスハルが来ていないかを確かめる。彼に聞かせたくない話だった。
「……ここから先は。推論に推論を重ねた想像で、まったく的外れかもしれませんわよ。もしかすると聞かなかったほうが良かったかもしれないと後悔するかもしれませんの」
『だからこそ、わたしなんだろ? ……いいさ、聞こう』
よし! これから嫌な気分になるぞ! と腹を括ったようなジークリンデの言葉に妙な頼もしさを感じながらレオノーラは言う。
「あの騎士達、妻子がいらっしゃるのよ」
『え?』
「ヴァカデスに呆れた騎士が国家を捨てるのは分かるけど……わたくしは最初、それは養うべき家族を持たない人間だけが逃げると思っていましたわ。
けども彼らはきちんと妻子を持っていた。一家を養う責任を持った騎士が、仕えるべき国家を、安定した給料を捨てるなんて決断はもっと王国が傾いてからだと思っていましたの」
『……ああ。だから早すぎるってことかい』
そんな彼女の思考を感じながらレオノーラは元騎士たちが残した車輪跡の轍を前にひざを突いた。
「彼らの馬車の一つの、轍がとても深くなってますのよ」
どういうことだい、と尋ねる彼女に、レオノーラは答えた。
「わたくしたちの、自動人形を積んだ馬車よりも轍が深い。
彼らは何を載せていたのかしら? 金銀財宝を積んでいるならこんな馬車で逃げるはずがないありませんわよね。逃亡を図る人がそんな重量物をもっていくなんて……それは国外に売りさばくための自動人形と思いません?」
『……興味深いな』
ジークリンデの同意の意志が返ってくる。
『君の推論はこうだね? 騎士がヴァカデス王子の醜態に呆れて国家を捨てるのはわかる。しかし妻子のいる騎士が禄を捨てて出国するなんてそうそうできることじゃない。
彼らはその将来の不安を解消できるだけの大金を得る当てがある……それは自動人形の構造を喉から手が出るほど欲しがっている諸外国の連中だ』
「自動人形の中枢、魔力繊維が消失したことは王国でも隠し通そうとするでしょうし、一般兵では自動人形の内部を確かめるすべがない。
彼らは解析調査のために諸外国へと売却できると考えていると思いますわね。……魔力繊維がなくとも内部構造は参照になるでしょうし。諸外国が人形生産の手がかりを手に入れようと暗躍していたのは周知の事実ですわよね」
『なるほど……で。それの何が問題?』
彼女の声には、ありありとした脱力が含まれていた。
確かに興味深い予想だ。しかし――
『わたしが宮廷魔術師として王国に仕えていた時なら目くじらを立てる必要があったかも。
けどね。彼ら騎士たちが火事場泥棒的に自動人形を盗んで他国に売りさばこうとしても、それがなんだってんだい? 王国の資産が目減りしようとわたしたちには関係ないし、むしろ泥船からいち早く逃げ出そうと目端が利いているともいえる。
なかなか判断が早いと称賛こそすれ、脅威には感じないよ』
「ジークリンデ。わたくしが最初なんて言ったか覚えていらっしゃいます? ――王国を逃げてきた元騎士と、その家族がイスハルと接触した――そう申しましたのよ?」
その言葉の意味が分からず沈黙するジークリンデだが……理解した次の瞬間、彼女は声を張り上げた。
『なるほど!! ……奴ら、イスハルを見たんだったな!!
馬車に積んでいる自動人形よりずっと価値のある製作者を見たんだったな――くそっ!』
「わたくしが警戒する理由がお分かりかしら。……彼らが自動人形を売却する伝手を持っているとして。……ならばイスハルのことを掴んでいる可能性はありますわね」
『命を助けてやったかつての母国の騎士が、その命の恩人を売り飛ばすために襲い掛かってくるなんて考えたくはないが。
ありえない話でもないか。
ないが……確かに不愉快な話だね。わたしが君の立場でもこの嫌な気持ちを共有したいと思うだろうさ』
ジークリンデが大きなため息を吐いた。天を仰いで嘆くさまがありありと想像できる。
『……だが命の借りを仇で返さず、そのまま去っていく可能性だってあるだろ。
このままはいさよなら、で終わる見込みはないのかい』
「残念ながら……彼らがイスハルを見た時、一瞬、邪気のにおいがしましたのよ」
ジークリンデが呆れ果てたような感情を言葉にのせた。
『君みたいなやつが推理小説の探偵役にいたら誰も死ななくて、読者からふざけんなとクレームが入るところだぞ』
「そんなにいいものでもありませんわよ。時々……鼻が効き過ぎることに疲れます。
どんな善良で誠実な人間でも……いいえ。善良で誠実な人間だからこそ、家族を養うために少しでも大金が欲しいと思う。当然の考えと思いませんこと?」
『……わかった。イスハルにはこのことを伝えずに平静を装い。彼らが敵対するならば、イスハルになるべく気づかれないように潰す。
きっと知れば傷つくだろうから……願わくば、君の想像がすべて的外れで意味のない妄想のまま終わりますように』
そんな彼女の言葉にレオノーラは小さく微笑みながら答えた。
「ジークリンデ」
『うん?』
「わたくし、あなたのこと嫌いですけど。あなたがイスハルの心を守ろうとするその様は好ましく思ってますわよ」
ジークリンデは、ふ、と小さく笑って答えた。
『その言葉、そっくりそのまま返してやる』




