1:獣将姫さまの戦利品
たくさんのご高覧と感想ありがとうございます。
暖かいお声をいただき今回連載版を始めさせていただきました。
連載にあたり、王の名前を「グレゴール王」に変更しました。そのうち別の王様が出る可能のほうが多いためです。
今後は二話ほど(伸びるかもしれません)レオノーラ視点で物語が始まる前の、主人公イスハルの捕まるあたりを書いてそのあとで短編後の時系列の話を書いていこうと思います。
なるべく毎日更新を目標にがんばります。
よろしくお願いします。
「王室の所有奴隷イスハル解放のための身代金の支払いを、王国の王位継承者、ヴァカデスの名において拒否する!」
イスハルは王子の言葉に思わず目を剥いた。
お互いの国境付近に設置された天幕での重要な会議。敵国である獣氏族連合と王国との和平交渉。
その途中で行われた王子の、自分を切り捨てる発言にめまいがする。
「それは……どういう事ですか。殿下」
黒目黒髪に不機嫌そうな印象を与えている唇は、主君の恥ずべき裏切りに怒りと失望で震えだす。
「ふん、お前などしょせん替えのきく奴隷風情だ。わざわざ金を出してまで買い戻す必要がどこにある」
イスハルは助けを求めるように王子の後ろに控えていた騎士たちに視線を向ける。
王子直属の騎士達は冷酷な嘲笑を浮かべ……反対に心ある武人たちは皆一様に苦々しい顔をし、王子に見えない位置で詫びるように頭を下げた。
その罪悪感は本物で、恐らく周囲に人目がなければ土下座ぐらいはしていただろう。
「俺は……お味方の撤退支援のため、最後まで陣地に残り……指示を出し続けておりました。この固有魔術『糸』の派生である『糸伝令』で」
その指先から虹色の光が灯る。魔力で編まれた光は糸となって……騎士達数名と繋がっていた。
彼らは全員が全員指揮権を持った高位の騎士たち。繋がった騎士を起点に強化魔術を遠隔で発動、軍団単位で強化。彼らと密に連絡を取り合い、位置情報を共有しあうことで全軍撤退を成し遂げることができた。
「武勲に於いては第一と自負して……!」
「黙れぃ! 奴隷であったならさっさと自害でもして主人の負担を減らせばよいものを!」
奴隷も法で彼らの人権も一定は認められている。
主人は彼らに一定の俸給を支払わねばならないし、死に等しい命令を与えることは禁じられていた。もちろん法の目を潜って虐待を繰り返す悪質な主人は絶えないが、例え建前でも主人は奴隷を守らなければならない。
ましてや、イスハルのように『主人の命を守った』『財産を守るために多大な働きをした』と、誰の眼から見ても賞賛に値する功績を立てた場合は、主人は感謝の意を示すために解放奴隷にする……これが当たり前のことだった。
だがしょせん奴隷は奴隷。相手が道理を無視する恥知らずであれば意味はない。
ヴァカデスは薄ら笑いを浮かべる。
「第一、お前は奴隷でありながら指揮を執っていたではないか。これは明確な軍規違反、処刑されても可笑しくはない大罪であるぞ」
イスハルは主人である王子のあまりにも理不尽な物言いに目の前が真っ暗になった。
常識に乗っ取れば、ヴァカデス王子はイスハルの身柄を解放してもらい、さらに解放奴隷として身分を保証し、大功の報酬として祝い金を持たさねばならない。
もちろん負け戦だからイスハル以外にも身代金を支払う必要がある。
その金額が想像よりはるかに大きいために切り詰められるところは切り詰めたいのだろう――例えば、王室所有の奴隷を捨てればいい節約になる。
ふざけんな。
恩を仇で返す王子にだんだんと腹が立ってくる。
捕虜交換の際には上位で身柄を確保してもらえる。
王子の後ろで苦渋を浮かべる騎士達は『糸伝令』越しにそれを確約した。捕虜交換リストの優先対象になると考えたからこそ最後まで残り、撤退支援をし続けたのだ。
主人である王室のものに対しては丁寧な対応が骨身に染み込んでいたが……相手のあまりにも理不尽なものいいに、自然と守るべき礼儀作法は剥がれ落ちる。
「……そもそも王国軍が撤退したのは……彼ら獣氏族が王子のいる陣幕に奇襲を仕掛けて!
それにおびえたヴァカデス王子が近習のものを引き連れて近くの城に逃げ出し、中軍は混乱、後詰を失って前衛がむちゃくちゃになったからじゃないか!!」
「き、きさま……なんと無礼な?!」
自分に絶対服従である奴隷――その証明のように首には重厚な首輪ががっちりと嵌っている。
その存在が、ヴァカデス王子に対して絶対に不利な事はしないという思い込みを産んだのだろうか。だが奴隷でも自衛は認められている。主人が理不尽な理由で奴隷を虐待しようとするなら抵抗することも、自分の無実を証明するため証言することもだ。
……静かに嗤う声がする。もちろんイスハルに対してではない。
敵対する獣氏族からだ。彼らからすれば失笑ものの内輪もめだろう。
「なにが……何がおかしい!!」
今にも剣を抜いて切りかからんばかりのヴァカデス王子を周りの騎士達が慌てて押しとどめる。和平交渉の場で剣を抜いて流血騒ぎになれば確実に再度の戦争となるが、この王子にはそんな分別さえないのだろう。
相手側の士官は、王子に対して軽侮の視線を向けた。
捕虜の面倒を見る役人がイスハルの肩を掴んで立たせる。王国ではなく……獣氏族の捕虜用天幕に逆戻り――暗然とした気持ちでイスハルは立ち上がり、そのままつれられていく――その時だった。
「あら。ならば王国側は彼の所有権を自ら放棄。
以降は彼の身柄をどのように扱ってもよいと――そう仰せなら、わたくし、今回の武勲に対する報酬は彼を要求いたしますわね」
これまで……天幕の端にひっそりと潜んでいたのだろう。
声の主は、どうして存在に気付かなかったのかといぶかしむほどの美しい人であった。
金の頭髪に猫科の獣の耳。金色に黒の混じったカラフルな髪の色合いの服装から虎の獣人であろうか。長身と均整の取れた肉体は文字通り獅子のよう。お尻の辺りから伸びるしっぽを見るとねこさんを思い出す。
目つきは鋭いが、何かとてもよいことがあったように微笑みに緩んでいて美しい。
その美しさといい、全身より漲る自信といい、獅子の女王めいた威厳があった。
イスハルと目が合う。しっぽがまっすぐ上に立った。嗅覚に優れた虎の獣人はにおいで感情を伝えあい、しっぽの動きでコミュニケーションをとる。
まっすぐ上を向くしっぽは『仲よくしようよ』『すき』のしぐさ。
「獣将姫レオノーラ、そうは申されるが」
「上のご長老方もわたくしの報酬に悩んでいるのではなくて? 獣人特有の身体能力で真正面から力押しすることを『王者の戦い方』と信じる方々が、敵陣の強襲という『弱者の戦い方』で勝ち。その立役者であるわたくしにどう報いればよいのか。
……それを、彼一人で済まそうというのです。あなたが仕える族長もそれを喜ぶのではなくて?」
レオノーラ。
そう呼ばれた虎の獣人の娘の言葉は、獣氏族の文官にとっても頭の痛い問題だったのだろう。
熟考するように考え込む人が大勢だが、その目にはあからさまな安堵と喜色が浮かんでいた。
「おお! なんと美しい娘だ、このヴァカデスの寵愛を得る事を許そう!」
だがまるで空気の読めない言葉を発するヴァカデス王子に――レオノーラ、彼女はあからさまな軽侮の眼差しを向け、うっすらと嗤った。
その笑い方を、受け入れられたと勘違いしたヴァカデスに彼女は言う。
「あなた、わたくしを妾か妻だかにしたいと仰せかしら」
「左様だ! このヴァカデスに奉仕する栄誉を与えるぞ。さ」
と言って手を伸ばし、胸元に抱き寄せようとしたのだろう。彼女はそれを避けた。
「あなたのにおいは覚えています」
「む?」
意味が分からない、という風なヴァカデスに言葉を続ける。
「わたくしが王国の本陣に奇襲をしかけて、指揮官がいると判断して踏み込んだ天幕の中にべっとりと染み付いた、臆病塗れの失禁のにおい。あなたから今も小便のにおいが臭くてたまらないので失せてくださいません?」
「な……き、貴様!!」
「それにあなた、自分に従う騎士をどれだけ侮辱しているかご存じないの?
わたくしは先の戦で大勢貴国の兵を屠った敵将。騎士たちからすれば、自分の同僚を殺した相手を主君の妻として仰ぐことになりかねませんわよ。どれだけ神経を逆撫ですれば済むのかしら」
彼女の言葉は真実だった。ヴァカデスが思わず振り向けば、そこにはどうにか怒りを飲み込もうと努力して、失敗した鬼の如き凶相の騎士が無言で佇んでいる。
ヴァカデス王子はとうとう臆面もなく、悲鳴をあげて逃げ出し。
一幕を呆然とした面持ちで見つめていたイスハルに、彼女はにっこりと微笑んで言った。
「これであなたはわたくしのものですのよ、イスハル」
レオノーラに連れて行かれるイスハルの背を見送りながら、交渉にきていた獣王国の文官は口を開いた。
「ひどいな、王国は」
「ええ。……あの奴隷の子供ですが、王国のからくり師サンドールの弟子でしょう? もったいなくないんですかね」
……副官の言葉に外交大臣は笑った。
「恐らく『糸伝令』の能力しか持たない弟子なんだろ。
あの国の王子が如何に馬鹿で阿呆の間抜けだろうと……王国の屋台骨である自動人形の技師を手放すほど愚かではないはずだ」