狼の声 3
遠くで、狼の遠吠えの声が聞こえた。あちらこちらに。いくつも。
「……どうしてあんなこと」
近くで聞くと、話した時に混じる唸り声も大きく聞こえた。
狼は……まだまだいるんだ。私が通り抜けられるようなものではなかった……。
「……ごめんなさい」
言うと、ふわふわと涙が溢れた。こんなことで……泣くつもりなんてないのに。
「でも……こうでもしないと……エルリック……が」
言葉を紡げば紡ぐほど、涙は溢れた。
「どうしても……っ、私……。エルリック、を……っ!」
「…………そう」
私が必死にならないと。出来ることをしないと。
大切な人を失ってしまう。大切な気持ちを失ってしまう。
きっと私が離れてしまう。エルリックは止まったままなのに。そこに居てくれているのに。
エルリックがいなくても、心が躍ってしまう。
今だって、星空が、こんなに綺麗なんだと気づいてしまった。
「起きないのは嫌……!こんなのは嫌……!」
こんなわがままな理由で、泣きじゃくるなんて。そう思ったところで、涙は止まらない。
「君は、そんなに……」
悪魔が呟く。
突風が吹いて、抱きしめる悪魔の手が、また少しだけ強くなった。
マリィが大人しくなるまで、悪魔は、両手でマリィをかかえていた。泣き喚いて、それでも離されることはなかった。
悪魔の腕の中で、小さくマリィはうずくまった。
「ありがとう……悪魔さん」
ぼそっと、助けてもらったお礼を言った。
「…………もう、勝手に行かないでほしい」
「…………」
悪魔の口から、灰色の煙がふわっと漏れた。
二人で空を眺める。降るような星空。
「僕が狼を倒そうか?」
ふっと上を見たけれど、悪魔の顔までは見ることができなかった。頭が大きいので、空を見ている顎の部分しか見ることができなかった。
「狼達が魔力の壁になっているから、このままだと出ることはできないけど、……あれを物理的に減らせば……。狼は増えるから、何年かかるかわからないけど」
「それってつまり……今日みたいに一匹ずつ戦うってこと?」
「ああ」
マリィの顔は、みるみる青くなっていった。
「そんなの……だめよ……」
声が震える。この人までいなくなってしまったら、どうしたらいいのだろう。
「…………」
悪魔の翼が、一度だけばさりと羽ばたいた。
「心配してくれるんだね」
そんなの当たり前だ。一人にしないでほしい。
悪魔の服を握り、必死で訴える。
いなくならないでほしい。一緒にいてほしい。
そんなこと……言えるわけがない。でも。
もう一度、服を、握った。何かが伝わるように。
「それで充分だよ」
抱きかかえたままふわりと浮かんで、マリィの部屋のベランダへ降ろしてくれる。爪先から優しく降ろされる。まるで、宝物を扱うように。
今、一人になりたくないけれど。降ろされたので、仕方なく手を離した。
見上げると、悪魔の顔が見えた。獣の頭蓋骨のような頭。吸い込まれそうな瞳。
泣きそうになりながらも、なんとか笑いかける。
行ってしまう。
目の前で、翼が大きく広がる。
行ってしまう。
「おやすみなさい……!」
「…………」
飛び立とうとした瞬間、なんとかそれだけ声をかけた。
「うん、おやすみ。マリィ」
目の前が闇に包まれたような気がして、そして。悪魔は、闇に溶けるように消えた。