魔女はそれに名前をつけた 2
「青い花をお探しなさい。その花を器に水を飲ませれば王子は起きる……。ほら、フワフワと揺れている花、あるで・しょ・う?」
魔女は、少女の耳許で囁いた。
頭の中が、混乱して、何が起こっているのかわからなかった。けれど、自然と耳が研ぎ澄まされる。魔女キタカゼの声を、必死で聞く自分がいた。
青い花。
確かに、この国には青い花が咲く。少女にも、見覚えがあった。
あれで……水を……。
顔が紅潮するのを抑えることができない。
魔女の話なんて信用できないと思う一方で、それを信じることこそが唯一の道なのだと思う自分を認めざるを得なかった。
あの花なら毒があるわけじゃない。何も起こらなくてもいい。……やろう。
黒い袖から伸びる柔らかな腕が、少女の首元からするりと抜けた。
「よ……くも……」
「なァにが、よくも、なのか・し・ら。あなただって、それを望んでる。だって今、止められなかった」
「出て行け!」
獣が吠えるような、声。
部屋の中で黒い風が渦巻き、一つところに寄せ集まっていく。けれど、何か形を取るわけでもない。黒い何か、としか認識はできないけれど、そこに何かが居ることだけはわかった。
「た・だ・し、すこォしずつ死んでいくことに変わりはない。お早く、ね」
魔女は……魔女は知っているんだ。エルリックを起こす方法を。この街の空に太陽を輝かせる方法を。
魔女と黒い何かが対峙する。
何か悪いことが起こるのかと、少女はエルリックを庇うように覆いかぶさった。目を閉じる。覚悟する。
あの黒い影も、なんだかわからないものだ。
黒い影が、魔女キタカゼを威嚇するように動く。
「あなただって、嬉しいく・せ・に。喉から手が出るほど、欲しかったく・せ・に。あなたじゃどうにもできないんでしょう?ね・ん・ね・ちゃん」
ニヤリ、と魔女が嗤う。
「解っているんでしょう?これはね、”希望“というの。あなたのお嬢ちゃんの“希望”、そして……あなたの“希望”」
希望……。
「こんな……もの……。こんな……もので……」
黒い影は呟くと、窓を叩くように開けた。黒い風が、押し開けたように見えた。険悪で、凶悪で、哀しみを纏う声。
「ハイハイ、本当に行くわ」
呆れたように言うと、魔女はあっさりと、窓から出て行った。
あの……黒い影はなんだろう。生きているように見える。
黒い影も、魔女について窓から出ていった。
開いたときと同じように、窓が音を立てて閉まった。
その瞬間、窓の方を見られないほどの光が、屋根の上の方から射した。稲光の様な異様な光。
あとに残された少女は呆気にとられる。ただ、ひとつのことだけが少女の心に残った。
青い花の器で水を飲ませれば、エルリックの目が覚める。
それは魔女からの贈り物。
魔女はそれに"希望"という名前をつけた。




