第92話『夜』
外周後は腕立て伏せや上体起こしなどの基本的な筋トレに励んだ。
『今度こそ、減点を!』と意気込む私だったが、ライアン達の見事なサポートにより、どれも不発に終わる……。
腕立て伏せではアンナに支えられ、上体起こしではライアンの風魔法で補助された。まさに介護と呼ぶべき、面倒見の良さである。
正直、ちゃんと減点して貰えたのか分からない。このままだと、試験に合格してしまう可能性も……いや、待て。落ち着け。まだ試験は始まったばかりだ。焦る必要はない。これから、どんどん減点して貰えばいい。あいつらだって、試験中ずっと私の面倒を見る訳にはいかない筈だ。
諦めるのはまだ早いと考える私は、ふと空を見上げた。
すっかり暗くなった夜空は星々の輝きで満ちている。
『もう今日も終わりか』なんて考えながら、私は焚き火に近づいた。
「エリン、体を冷やさないようにな」
そう言って、私にブランケットを手渡して来たのは兄のライアンだった。
私の体調を気遣う彼は、焚き火の温度を少し上げる。
「ライアンお兄しゃま、ありがとうございましゅ」
ニッコリ笑って、ブランケットを受け取った私はそれを肩に羽織る。
支給された折り畳み式の椅子に座り、焚き火に手を翳した。
もうすっかり夏とはいえ、夜は少し肌寒いな。私も他の奴らみたいに、保温魔法が掛けられたテントで眠りたいものだ。
少し離れた場所にある複数のテントを見つめ、私は小さく肩を竦める。
今頃、他の奴らは寝袋でぐっすり眠っているのかと思うと、少しだけ羨ましかった。
「試験初日に夜の見張りだなんて、ついてないでしゅね」
ゴシゴシと目元を擦る私は『ふわぁ……』と大きな欠伸をする。
中身は大人でも、体は子供のため、眠気や疲労を隠し切れなかった。
「確かについてないな。でも、最終日の夜に見張りを任されるより、マシだと思うぞ。今日さえ乗り切れば、あとは楽だ」
『だから、頑張れ』とエールを送るライアンは、ポンポンッと私の頭を撫でる。
昼間の訓練と違い、上手くフォロー出来るものではないので、応援することしか出来ないのだろう。
眠気との戦いはいつだって、孤独だからな。第三者の介入で、どうこう出来るものではない。ここは頬を抓って、頑張って起きるしか……って、ん?どうして、起きる必要がある?だって、私は不合格になるために、ここへ来たんだぞ?頑張って起きたところで、デメリットしかない。
逆にここで居眠りをすれば、減点というメリットがあるのではないか……?
ハッとしたように目を見開く私は、『その手があったか!』と心の中で叫んだ。
まだ十歳にも満たない子供が見張り中にうっかり眠ってしまっても、きっと誰も不思議に思わないだろう。むしろ、『この歳なら、しょうがない……まあ、減点はするけど』となる筈。ライアン達だって、気持ち良さそうに眠る私を起こそうとは思わない筈だ!
小さな拳をグッと握り締める私は、徐々に見えてきた退学への道に思いを馳せた。
昼間の訓練で起きた数々の失敗を思い返しつつ、私は早速作戦を実行する────筈だった。私の天敵さえ、現れなければ……。
「────エリンちゃーん、ライアンくーん!お待たせー!薪を拾ってきたよー!」
ソプラノボイスを響かせ、物凄いスピードでこちらに迫って来るのは────私の天敵改め、クラスメイトのアンナだった。
大量の薪を手に持つ彼女は焚き火の前までやって来ると、急ブレーキを掛ける。減速せずに止まったせいか、風が吹き荒れた。
砂浜の上だったため、砂埃も凄くて……私とライアンはケホケホと咳き込む。
「おい、変態女!いい加減にしろ!お前は加減ってものを知らないのか!?」
「ごめんなさい!まさか、こんなことになるとは思わなくて……あっ!でも、火は無事ですよ!ほら!」
「俺達が無事じゃないんだよ!火なんて、どうでもいい!」
魔法で火を起こせるライアンは『焚き火なんて、二の次だ』と叫ぶ。
目くじらを立てる彼の前で、アンナはシュンと肩を落とした。
「そこまで怒らなくてもいいのに……」
「なんだと?さては、お前……反省してないな?」
額に青筋を浮かべるライアンは、ゴキゴキと手を鳴らし、戦闘態勢に入る。
そして、『一発ぶん殴んないと、気が済まない』とでも言うように拳を握った。
険悪なムードを放つ彼らの前で、私は服についた砂を払う。
アンナのせいで、眠気が吹っ飛んでしまった。これでは、居眠り作戦は使えない……いっその事、寝たフリでもするか?
パンパンッと手を叩き、砂を落とす私は減点のことで頭がいっぱいだった。
『朝まで寝たフリはさすがにキツいな』と考える中、ライアンとアンナの言い合いはヒートアップしていく。
「だーかーらー!ごめんなさいって、謝っているじゃないですか!」
「誠意が足りない!」
「じゃあ、どうすればいいんですか!?言ってみてくださいよ!」
「それくらい、自分で考えろ!」
周りの迷惑など考えず、怒鳴り散らすアンナとライアンは互いに火花を飛ばし合う。
『何故、こんなに怒られるのか』と不満に思うアンナの気持ちも、『全く反省の色が見えない』と憤慨するライアンの気持ちも分かるため、私は敢えて口を挟まなかった。別に仲裁に入るのが面倒臭いとかではない……。
それにしても、こいつらは元気だな。昼間にあれだけ騒いだのに、まだ喧嘩する気力があるのか。
アンナの持ってきた薪を炎の中に放り込む私は、我関せずの姿勢を貫き通す。
『夜はまだまだ長いな』と、どうでもいいことを考える中────見知った気配を察知した。
ピクッと反応を示す私は薪から手を離し、ブランケットの裾をさりげなく口元に当てる。
すると、次の瞬間────凄まじい落下音と共に砂埃が舞い上がった。
「────ライアンくんもアンナくんも、その辺にしておいた方がいいよ。試験の審査は今も続いているからね」
聞き覚えのある陽気な声で、減点の可能性を匂わせるのは────教師のシオンだった。
両手にマグカップを持つ彼は予備の椅子に腰掛け、足を組む。
「はい、これ。差し入れの野菜スープだよ。上の許可は取ってあるから、安心して食べて」
人数分のマグカップを差し出し、シオンは半ば強制的に言い合いを終わらせた。
有無を言わせぬ物言いに屈したアンナとライアンは、無言で椅子に腰掛ける。そして、シオンからの差し入れを有難く受け取った。
ライアン経由で、マグカップを手渡された私はスープの匂いに頬を緩める。
湯気立つそれに目を細めながら、スープに口をつけた。
「美味しいでしゅ!」
「なら、良かったよ。おかわりもあるから、たくさん食べてね」
「えっ!?本当ですか!?やった!!たくさん食べますね!」
嬉しそうに頬を緩めるアンナは、ゴクゴクと野菜スープを飲み干していく。実にいい飲みっぷりだった。
スープとはいえ、具材もしっかり入っているのに凄いな……。ほとんど噛まずに飲んでいるじゃないか。
「あんまり食べ過ぎると、太るぞ」
「食べた分、運動するので問題ありません!ご心配なく!」
ライアンの嫌味をサラリと躱したアンナは、シオンにおかわりをお願いする。
アンナのマグカップを受け取ったシオンは、嫌な顔一つせずに立ち上がった。
「それじゃあ、おかわりを貰いに行ってくるよ。ちょっとだけ、待っててね。直ぐに戻っ……」
『直ぐに戻ってくるから』と続く筈であっただろう言葉は────突如鳴り響いた雷鳴に遮られた。