第90話『朝食完成』
「それでね、エリンちゃんにはニンジンを半月切りにして欲しいの。お願い出来るかな?」
そう言って、アンナは小さめの包丁を手に取った。
お手本と題して、三本中一本のニンジンを半月切りにする。『半円にしてくれれば、いいよ』と語る彼女は包丁の持ち方まで、しっかりレクチャーしてくれた。
手渡された小さめの包丁を握り、私はニンジンを見下ろす。
これは減点してもらうチャンスかもしれない。
ニンジンの切り方を間違える程度なら、味に支障はないし、周りに迷惑も掛からない。
さっきはカレーの肝とも言える米の作業だったから、何も出来なかったが、これなら失敗しても問題ないだろう。
わざと不味い朝食を作るのは申し訳ないと思い、減点行為を控えていた私はニヤリと笑う。
ようやくチャンスが巡ってきたと浮かれる私は、ニンジンに手を伸ばした。
『どう切ってやろうか』と思案しながら、子供らしく豪快に……そして、勢いよく包丁を振り下ろす。
カンッと甲高い音を立てて、ニンジンは縦に切れた。
このままだと、最終的に半月切りになってしまうため、更にもう一回縦に切る。
四つに切断したニンジンを前に、私は『最後の仕上げだ』と言わんばかりに細かくスライスした。
よし、完璧だ。これなら、時間逆行魔法でも使わない限り、失敗を取り戻せないだろう。
上手く行ったと内心ほくそ笑む私は、残りの一本も同じように切り刻んだ。
満足気に微笑む私を他所に、アンナはボール片手にこちらへ歩み寄る。
私の後ろからひょこっと顔を出すと、違う形にカットされたニンジンを見下ろした。
「あっ、イチョウ切りにしちゃったんだ!」
直ぐさま異常に気がついたアンナは僅かに目を見開き、ニンジンへ手を伸ばす。
持ってきたボールを一旦テーブルの上に置くと、彼女はお手本として切った半円のニンジンを────半分に切った。
「ふぇ……?」
まさかの暴挙に目を剥く私はおずおずと、隣に立つアンナを見上げる。
「大丈夫だよ、エリンちゃん!半月切りもイチョウ切りもそんなに変わらないから!誤差だよ、誤差!」
「そ、そうなんでしゅか……?」
「うん!だから、気にしないで!煮込んじゃえば、全部同じだから!」
『腹に入れば何でも一緒』と同じような理論を口にするアンナはニッコリ笑う。
失敗して落ち込んでいることでも思ったのか、彼女は精一杯、私をフォローしてくれた。
言われてみれば、確かに半月切りもイチョウ切りも大して変わらないな。火の通り具合が異なるくらいで、あまり問題は無い。
微塵切りにでもしておくべきだったか……いや、さすがにそれはやり過ぎか。最悪の場合、ニンジンがドロドロの液体状になりかねない……。
ペースト状のニンジンとカレーの混合物を食べる勇気はなく、早々に思考を放棄する。
『もっと大きな失敗をしなければ』と使命感に駆られる中、アンナはイチョウ切りのニンジンをボールの中へ入れた。
他の班員からもカットした野菜や肉を回収し、そのまま鍋へ近づく。どうやら、朝食作りもラストスパートへ突入したみたいだ。
「ここから先は私がやりますので、手の空いている人達は盛りつけの準備や後片付けを始めてください」
お玉片手に指示を飛ばすアンナは早速沸騰した鍋に具材を入れていく。
慣れた様子で調味料を混ぜる彼女は額に滲み出た汗を無造作に拭った。
カレー作りに勤しむアンナを他所に、私達はせっせと後片付けをする。
初めての雑用に戸惑う班員達は食器洗いやテーブル掃除に通常の倍以上、時間を掛けた。
結局、失敗らしい失敗は出来なかったな。ライアン達の手つきがあまりにも不慣れで、危なっかしくて……それどころじゃなかった。アンナの指揮下から外れるだけで、こんなに駄目になるとは……。
『予想の三倍は酷かった』と嘆きながら、私は小さく溜め息を零す。
人数分のお皿をテーブルに並べ、カレーの完成を心待ちにする中────アンナはこちらを振り返った。
「ちょっとスパイスが足りない気もしますが────一応完成しましたよー!概ねレシピ通りの仕上がりです!ご飯も炊けている頃でしょうし、早速みんなで食べましょう!」
カレーの芳ばしい香りを漂わせるアンナは『まずはご飯を盛り付けましょうか』と促す。
炊飯係のライアンは炊きたてのご飯を人数分にきっちり分けて、盛り付けた。
あつあつの白米を前に、アンナはお玉で出来上がったカレーをすくい上げる。
班員一人一人の要望を聞きながら、カレーの量を調整するアンナは『熱いから、気をつけて』と私達に言い聞かせた。
「思ったより、カレーの量が多かったみたいですね。結構残っちゃいました」
カレーを配り終えたアンナは鍋の中を覗き込み、『勿体ない』と零す。
残ったカレーの量は少なく見積もっても、三人分はあった。
「他の班に分けてやったら、どうだ?」
「う〜ん……それは得策じゃないかもしれません。他の班に分け与えるには、ちょっと微妙な量なので。でも、私達が食べるには多いし……」
ライアンの提案に難色を示すアンナは、腕を組んで考え込む。
他の班と比べ、うちの班のカレー作りはかなり上手く行ったため、争奪戦にならないか心配なのだろう。
他の班の料理は色んな意味で悲惨過ぎるからな。ルーカスの班なんて、ほぼ具なしだぞ。辛うじて残った野菜と大きな肉しか入っていない。
更に酷いところは、カレーの色が紫色に変色しているし……って、何でそうなった!?変色させる方が難しくないか!?
料理音痴の本気を垣間見た私は『ある意味、天才なのでは?』と迷走し始める。
毒々しい紫色のカレーに注目していると────不意に金髪の美丈夫と目が合った。
サラサラの金髪を風に靡かせる彼は無表情のまま、こちらを見つめる。
軍団長の登場に周囲がざわつく中、リアムは迷うことなく真っ直ぐこちらへやって来た。
「もう作り終わったのか?」
「はい!皆で頑張って、作りました!」
「そうか。よく頑張ったな」
ポンポンッと優しく私の頭を撫でるリアムはふと鍋の中へ目を向ける。
まだ大量に残っているカレーを前に、少し考え込むような仕草を見せると、アンナに視線を移した。
「もし、残っているなら貰ってもいいか?」
「えっ?あっ、はい!全然大丈夫です!むしろ、助かります!でも、お米はもう残っていなくて……」
「米なら、基地にあるだろうから問題ない────お前達もそれで構わないか?」
班員全員にきちんと確認を取るリアムは『嫌なら、断ってもいい』と付け足した。
軍団長の申し出に思わず固まる班員達はハッと正気を取り戻すなり、『大丈夫です!』と勢いよく頷く。
班員達の快諾に礼を言うリアムは部下へ命じて、鍋ごと回収させた。
「エリンはどんな調理をしたんだ?」
「私はニンジンさんをたくさん切りました!」
「そうか。なら、ニンジンは特に味わって、食べるとしよう」
キャキャッと子供のようにはしゃぐ私を前に、リアムは穏やかに頷く。
そして、もう一度私の頭を撫でてから、そっとこの場を後にした。
思わぬ来客ではあったが、カレーを残さずに済んで良かったな。
一件落着だと歓喜する私は、テーブルに並べられたカレーと改めて向き合う。
木箱を椅子代わりに使い、スプーンへ手を伸ばした。
「え、えーっと……気を取り直して、頂きましょうか!」
掛け声にも満たないアンナの言葉に、私達はそれぞれ頷き、カレーをすくい上げる。
社交界と違って、細かいテーブルマナーはないので、各々好きなタイミングで食べ始めた。
出来立てホヤホヤのカレーを口に含む私達は『美味しい』と口を揃えて言う。
一流シェフの料理にはどう頑張っても太刀打ち出来ないが、この状況も相まって美味しく感じられた。
なかなか悪くないな。少なくとも、具なしカレーや紫色のカレーよりマシだろう。
『普通に美味しい』と呼べるレベルの出来栄えに、私は改めて感動を覚える。
アンナの料理スキルに再度感謝しながら、私はカレーを見事完食した。




