第85話『変化する学校生活』
時間いっぱい試験の内容を説明された私達はそれぞれ気持ちを切り替え、一限目の授業に精を出す。
射撃場と呼ばれるエリアで、幾つかのグループに別れて練習に励んでいた。
当然のようにアンナやライアンと一緒のグループになった私は彼らの後ろに並ぶ。
今回の授業内容は三十メートルほど離れた場所にある的に攻撃を当てるだけの簡単な訓練だった。
普段は実戦形式の訓練が多かったが、休み明け一発目の授業で模擬戦っていうのは少々問題がある。テロ事件のトラウマを刺激しかねない……。そして、何より────フラーヴィスクールは現在、深刻な人手不足に陥っていた。
ジェシカのようにフラーヴィスクールのテロ事件で精神を病み、休職する教師が他にも何人か居たのだ。まあ、学校を休んだのは教師陣だけじゃないようだが……。事件に巻き込まれた生徒はもちろん、清掃員や警備員なんかも何人か休んでいるらしい。中には仕事や学校を辞める者まで居た。
一年生や二年生はそこまでじゃないが、三年生は見るからに生徒が減っている。テロ事件を通して、『自分は本当に軍人になれるのか』『自分に軍人の素質はあるのか』と疑問に思ったのかもしれない。就職を控えた三年生だからこそ、自分の将来に危機感を抱いたのだろう。
────まあ、うちのルーカスはテロ事件の事など、露ほども気にしていないようだが……。
ライアンの後ろから、ひょこっと顔を出した私は何食わぬ顔で的と向き合うルーカスに、目を向けた。
長ったらしい詠唱と共に風魔法を発動させた彼は無惨なまでに的を切り裂いてしまう。原型も留めぬほど切り刻まれた的はガシャンと音を立てて、地面に落ちた。
「う〜ん……やっぱり、ただの的に攻撃を当てるだけって言うのは詰まらないね」
そう言って、肩を竦めるルーカスは『早く模擬戦がしたいな』と呟いた。
ちゃっかり、私達のグループに加わっている彼は不完全燃焼だとでも言うように肩を回す。
本来であれば、別々の授業を受けている筈だが、今回は人手不足により、学年混合で授業を行うことになった。
一緒に暮らしているせいか、ルーカスが一緒に居てもあんまり違和感がないな。むしろ、しっくりくる。ずっと一緒に授業を受けてきたようだ。
「確かにつまらないですね。せめて、もう少し耐久力を上げて欲しいです」
「なら、的に強化魔法を掛けて耐久力を上げるのはどうだい?」
「なるほど。それはありですね」
何故か、的の耐久力について話し合うライアンとルーカスは完全に浮いている。だが、本人達は至って真剣だった。
全く……周りはテロ事件のトラウマで精神的に参っているというのに、呑気な奴らだ。
「次、エリンちゃんの番だよ!ライアンくん達のことは放っておいて、さっさとやっちゃおう!」
僅かに身を屈めるアンナはニッコリ笑って、私の手を引く。
促されるまま前に立った私は少し離れた場所にある的と向かい合った。無惨に引き裂かれた的はいつの間にか取り替えられており、木くずも全て回収されている。
出来損ないだとアピールするためにわざと失敗するか。夏季試験で不合格になる予定とはいえ、こういう積み重ねは大事だからな。
「氷しゃん、たくさん出ろー!」
手のひらを前に突き出した私は掛け声と共に氷結魔法を展開する。
出来るだけ魔力消費を抑えて作り出した氷は拳よりやや小さめだった。
『上出来だ』と満足気に微笑む私は意気揚々と氷を放つ。
白い冷気を放出するそれは的のところへ真っ直ぐ飛んでいき────途中でバタッと地面に落ちた。
「「「あっ……」」」
思わずといった様子で声を漏らす周囲の人々は慌てて口元を押さえる。
『途中まで順調だったのに……』と残念がる彼らを他所に、力尽きたようにピクリとも動かない氷は夏の暑さにやられ、どんどん溶けていった。
よし、完璧だ!これなら、誰もが私のことを『コントロールもまともに出来ない幼女だ』と思い込むことだろう!失望されたのは言うまでもない!
グッと拳を握る私は密かにガッツポーズをする。
上機嫌な私を他所に、後ろで控えていたアンナ達はこちらへ駆け寄ってきた。
「失敗なんて、誰にでもあるから大丈夫だよ!それにエリンちゃんは可愛いから!可愛ければ、大抵どうにかなるよ!」
「『可愛いから、大丈夫』という考えは理解出来ないが、まあ……エリンはまだ五歳だからな。失敗しても仕方ない」
「そうだよ。エリンちゃんはまだ幼いんだから、焦らなくていいんだよ。自分のペースで成長して行けばいいから」
頼んでもいないのに怒涛の勢いで慰めの言葉を掛けてくる彼らは順番に私の頭を撫でる。
『次、頑張ろう!』と意気込む彼らに、私はとりあえず頷いておいた。
ここまで全力で慰められると、逆に申し訳ないな……退学したい一心でわざと失敗したなんて言ったら、恨まれそうだ。
「────あっ!そう言えば、今朝のホームルームで夏季試験の内容を発表されましたけど、あれ鬼畜過ぎません?朝の四時半に起きて、夜までずーっと訓練なんて地獄ですよ。その上、夜の見張りまであるなんて……!本当に最悪です!」
プクッと頬を膨らませるアンナは極自然な流れで話題を変える。
プリプリ怒る彼女を前に、ライアンは呆れたように溜め息を零した。
「確かに普段の学校生活に比べればハードだが、この程度で音を上げていては軍人になどなれないぞ。現地で働く軍人達はその鬼畜スケジュールを毎日こなしているんだからな」
「まあ、配属先によってスケジュールや仕事内容は変わるけどね。でも、体験しておいて損は無いと思うよ」
「うぅ……確かにそうかもしれませんが……私、あんまり朝に強くないんですよね。訓練自体は全然問題ないんですけど……」
正論を叩きつけられたアンナは拗ねたように口先を尖らせる。
ただ単に愚痴りたかっただけなのに、正論で諭されてしまって面白くないのだろう。
全く……ライアンもルーカスも適当に頷いて、共感してやればいいものを……女の扱いがまるで分かっていないな。
やれやれと内心肩を竦める私は『ここは一つ、お手本を見せてやろう』とアンナのスカートを少し引っ張った。
「私も早起き苦手でしゅ!仲間でしゅね!軍人体験は不安でしゅけど……一緒に頑張りましょう!」
────まあ、私は全力で不合格を取りに行くけどな!
とは言わずに私はニッコリ微笑んだ。
感極まったように目尻に涙を浮かべるアンナはガバッと勢いよく私に抱きついた。大好き!と態度で表すアンナに、私は苦笑する。
ポンポンッと彼女の背中を叩きながら、柔らかい表情を浮かべていれば────ライアンとルーカスの硬い声が耳を掠めた。
「ルーカス兄さん、一つ聞きたいことがあるんですが……エリンは夏季試験に合格出来ると思いますか?」
「う〜ん……正直、ちょっと難しんじゃないかな?ハンデでもないと、厳しいと思う」
「ですよね……さすがに退学は不味いですし、今のうちに対策でも練っておきましょう」
「そうだね。出来るだけエリンちゃんのフォローに回ろう」
当人の意思を完全に無視して、話を進める二人は『絶対に合格させよう!』と固く誓う。
『いや、余計なお世話だ!』と叫びそうになったものの、私は何とか耐えた。
これはちょっと面倒なことになってきたな。まあ、でも……あいつらの力で全部フォローするのは無理だろうし、とりあえず放っておこう。もし、邪魔になるようなら、その時また考えればいい。
『絶対に退学したい妹VS絶対に合格させたい義兄達』という謎の展開に、私はそうそうに思考を放棄するのだった。