第84話『ホームルーム』
二階の廊下でルーカスと別れ、一年生の教室へ足を踏み入れた私達はライアンの席に集まって、臨時休校中の出来事を披露し合った。
旅行の話などをしているうちにあっという間に時間は流れ、キーンコーンカーンコーンと学校のチャイムが鳴る。
慌てて席へ戻っていくアンナの後ろ姿を見送り、私は椅子に座り直した。
教室内に静けさが戻る中、スライド式の扉から、見知った人物がひょこっと姿を現す。
髪の毛一本すら生えていないツルツルの頭を光らせ、教室へ入ってきたのは────武人である、シオンだった。
何故、あいつがここに……?担任のジェシカはどうした?
どう考えてもおかしい状況に頭を捻る中、シオンは教壇の上に立つ。
どことなく暗い雰囲気を放つ生徒達とは違い、彼は陽気な雰囲気を纏っていた。誰よりも酷い怪我をしたと言うのに、怯える様子は一切ない。良くも悪くもいつも通りだった。
「さて、まずは担任のジェシカ先生について話そうか。彼女は今、有給を取って学校を休んでいる。だから、その代わりとして、僕がSクラスを任された。あくまで臨時だけど、よろしく頼むよ」
ゆるりと口角を上げるシオンはお気楽そうに微笑む。
不安なんて微塵も感じさせない陽気な態度に、生徒達は毒気を抜かれたように肩の力を抜いた。多少なりとも、安心できたらしい。
あの生真面目なジェシカが有給を取ってまで休むとは……一体どういう事だ?まさか、テロ事件で負った怪我がまだ治っていないとか……?可能性としては有り得るが、あいつの怪我はそこまで酷くなかった筈……。ちょっと腕を切った程度で、通常業務をこなす分には全く問題ない。
だとすると、残る可能性は────テロ事件に対する恐怖とトラウマ、か。
いくら士官学校の教師と言えど、犯罪組織と一戦交えることなんてなかった筈……小悪党を懲らしめることはあっても、真の悪と対峙した経験はなかっただろう。きっと物凄い衝撃を受けただろうな。中途半端な正義感と実力が打ち砕かれるくらいには……。特にあいつは真面目だから、色々思い詰めているかもしれない。
口うるさい担任教師を思い浮かべ、私は心の中で『早く元気になるといいな』と呟いた。
「ということで、ホームルームを始めて行くよ。久々の登校で落ち着かないかもしれないけど、話はしっかり聞いてね」
そう前置きするシオンはニコニコ笑いながら、教卓に手を掛ける。
「細々とした連絡事項は後に回すとして……まずは────もうすぐ始まる夏季試験について話していこうか」
全く緊張感を感じさせない明るいトーンで、とんでもないことを口走ったシオンは口元に緩やかな弧を描いた。
『夏季試験』という単語にピクッと反応を示す私達は驚きのあまり、ガタッと物音を立てる。もはや、テロ事件のトラウマなど気にしている余裕もないのか、クラスメイト達は暗い雰囲気を一瞬にして消し去った。
夏季試験か……。テロ事件や黒幕の件で忙しくて、すっかり忘れていた……。フラーヴィスクールのイベント表によれば、夏季試験は二週間後に行われるが……この場合はどうなるんだ?テロ事件のせいで大分スケジュールが狂ってしまっているぞ。
「夏季試験の日程についてだけど、予定通り二週間後に執り行うことになった。日程の変更も一応検討してみたけど、試験内容がちょっと特殊だから見送られた。そして、肝心の試験内容についてだけど────君達には軍が管理している島で、一週間ほど軍人体験をしてもらう」
「「「!?」」」
驚きの試験内容に、この場の誰もが言葉を失い、大きく目を見開いた。
一週間泊まり込みで試験など……過酷なのは言うまでもない。精神的にも肉体的にも色々とキツいだろう。想像しただけでも気が滅入る。
授業の一環として、軍用施設へ見学に行くことがあると聞いていたが、まさかこうなるとは……試験なんて、二日・三日で終わるものだと思っていたのに最悪だ。想像以上に面倒な試験になりそうだな。
『一週間も家から離れないといけないのか』と嘆く私はガクリと肩を落とした。
『はぁ……』と深い溜め息を零す中、シオンはふと教室の外に目を向ける。
「試験の詳しい内容については担当の者に説明してもらう。ということで────入って来ていいよ、ウィリアムくん」
明るい声でそう呼び掛けるシオンは『おいでおいで』と手を振った。
聞き覚えのある名前に目を剥く私は彼の視線の先を辿るように顔を動かす。
教室の出入口に注目が集まる中、ガラガラガラと音を立てて扉が開いた。周りの視線など物ともせず、Sクラスの教室へ足を踏み入れたのは────紛れもなく、あのウィリアムだった。
サラサラの金髪を後ろで結い上げる彼は、涼しげな横顔で黒板の前まで歩いていく。中身はただのファザコンだが、こうして見ると、ただの美形にしか見えなかった。
今朝、ウィリアムの姿が見えなかったのはこのせいか。説明用の資料作りや打ち合わせで忙しかったのだろう。まあ、学校に来るならせめて一言くらい言っておいて欲しかったが……。
「モーネ軍から派遣されてきた、ウィリアム・マルティネスだ。夏季試験の説明は私の方から、行う。質問などがあれば、その都度聞いてくれ」
教壇の上に立つウィリアムはキリッとした顔で、私達と向き合う。
その凛々しい姿に感激するクラスメイト達は『さすがはマルティネス公爵家の嫡男!』と盛り上がった。
興奮を隠し切れない彼らを前に、ウィリアムはコホンッと一回咳払いする。
「では、早速試験の説明を始める。まず、試験の採点形式についてだが、今回は減点方式でやって行く。一回ミスをする度、二点ずつ減っていき、最終的に六十点以上残っていれば、合格となる仕様だ。尚、減点項目については試験終了まで明かさないものとする。だが、これだけは言っておこう────軍人として在るべき姿を貫けば、問題なく合格出来る筈だ」
言外に『軍人として有るまじき行動を取れば、容赦なく減点する』と言い切り、ウィリアムは前を見据えた。
仕事モードの彼を前に、私は『四十点分の減点をしてもらえばいいのか』と考え込む。
最近色々あったものの、私はまだフラーヴィスクールの退学とグータラ生活を諦めていなかった。
「減点の判断については、生徒一人一人に試験官を付けるため、その者に一任することになる。尚、不正を防ぐため、誰がどの試験官の監視下にあるかは公表しない。常に誰かに見張られていると思って、過ごしてくれ。決して、気を抜くな」
『軍人全員が試験官だと思え』と口走るウィリアムに、クラスメイト達は早くも心が折れそうだった。
『一週間も気を張るなんて無理……』と絶望する彼らに、ウィリアムは情け容赦なく追い討ちをかけて行く。
「そして、詳しい試験内容についてだが、今回はあくまで軍人体験なので、君達には実際に軍の仕事や訓練をやってもらう。夜の見張りや野営もしてもらう予定だ。夏季試験の間は本当の軍人として扱うから、覚悟するように。学生だからと甘やかす気は一切ない」
「「「……」」」
『お客様気分で参加されては困る』と遠回しに言われた生徒達はガクリと項垂れた。
どこか遠い目をする彼らは今にも砂になって、消えてしまいそうである。
色んな意味で神経をすり減らすこの試験は、早くも一年生の心を削るのだった。
まあ、私としてはこのくらい厳しい方が都合がいいけどな。不合格を狙いやすい。
私のグータラ生活のために夏季試験では何としてでも成績を落とさなくては……。そして、さっさと退学するんだ!
机の下でグッと拳を握り締める私は『要するに二十回ミスをすれば、いいんだろう?』と考え込む。
退学を夢見る私は終始ニコニコ笑いながら、ウィリアムの説明に耳を傾けるのだった。