第82話『養子にした理由《リアム side》』
「お父しゃま、私は……エリンは────前公爵夫人の代わりとして、引き取られたんでしゅか?」
可哀想なほど震えた声でそう問い掛けてきたエリンに、思わず息が詰まった。
ポロポロと大粒の涙を零す銀髪の幼女は不安そうに瞳を揺らす。
今にも消えてしまいそうな儚さを持つエリンに、私はなんて言えばいいのか分からなかった。
何故、エリンがオフィーリアのことを……?廊下に飾ってある肖像画でも見たのか?いや、今はそんなことどうでもいい。原因を探るよりも先にエリンにどう説明するか、考えなくては……。
キュッと唇を引き結ぶ私はこの幼い少女に真実を打ち明けていいのか、迷う。
多少の食い違いはあるが、オフィーリアのことがきっかけでエリンを引き取ったのは事実だった。それを知ったエリンがどう反応するか分からないため、告白するのを躊躇ってしまう。
いずれ、養子にした理由を話さなければならないと思っていたが、まさかこんなに早く核心を突いて来るとは……全てを打ち明けるのはまだまだ先だと思っていたのに。子供の観察眼は馬鹿に出来ないな。
無知なままで居てくれないエリンに、ちょっとした焦りと不安を抱えながら、私は顔を離した。
涙で濡れた彼女の頬を親指の腹で拭い、『いっそのこと、嘘で誤魔化してしまおうか』と考える。
純粋無垢な子供を騙す悪い大人として、真実から遠ざけるのも一つの手だった。
『上手くこの子を騙すことが出来るだろうか』と思案していれば────頬に暖かい何かが触れる。
「────やっぱり、エリンは前公爵夫人の代替品なんでしゅか……?そうなら、そうだってハッキリ言ってくだしゃい……覚悟は出来てましゅから」
か細い声で告げられたエリンの覚悟に、私は思わず目を見開いた。
頬に触れる小さな手は酷く震えているのに……本当は怖い筈なのに、この子は『本音を聞きたい』と願っている。
小さな体で必死に訴えかけて来るエリンを前に、私は自分が恥ずかしくなった。
何が『上手くこの子を騙すことが出来るだろうか』だ……!エリンは自分なりに覚悟を決めて、話してくれたのに……それに向き合おうともせず逃げるなど、許されない!ここはエリンの父親として、きっちり我が子と向き合うべきだろう。
「……結局、誰よりも臆病だったのは自分だったという訳か」
ボソッとそう呟いた私は自嘲にも似た笑みを浮かべ、そっと目を伏せた。
一度気持ちを落ち着かせるため、静かに深呼吸する。
そして、我が子と向き合う覚悟を決めた私はパッと顔を上げた。
「エリン、不安にさせて悪かった。今から、お前を養子にした理由を全て正直に話す。だが、その前にこれだけは言わせてくれ。私は────お前を通して、妻のことを思い出すことはあっても、お前と妻を重ねて見たことは一度もない。それはエリンにも妻のオフィーリアにも失礼なことだからな」
言外に『妻の代替品として引き取った訳では無い』と言い切り、一先ずエリンの誤解を解いておいた。
目ん玉が零れ落ちそうなほど大きく目を見開くエリンはピタリと涙を止める。
『本当に……?』と問い掛けてくる眼差しにコクリと頷けば、嬉しそうに微笑んだ。
天使と呼ぶべき愛らしい笑顔に、私は頬を緩めつつ、エリンの頭を優しく撫でる。
「私がエリンを引き取ろうと思ったきっかけは春頃に行われたデビュタントパーティーで、お前をたまたま見掛けたことだ。出来るだけ目立たないよう、会場の隅っこに立たされていただろう?オルティス夫妻や兄弟達に馬鹿にされながら……。虐待の噂は耳にしていたが、まさかここまで酷いとは思わなくてな」
当時の状況を思い返す私は『今、思い出しても胸糞悪い光景だ』と吐き捨てる。
家族から浴びせられる罵詈雑言に、ひたすら耐えるこの子の姿はかなり痛々しかった。
泣くことも喚くことも許されなかったエリンのことを思うと、やるせない気持ちになる。
「でも、エリンを引き取りたいと思った理由は虐待の他にもう一つある。それが────妻オフィーリアのことだ」
既に他界してしまった妻の名前を出せば、エリンはあからさまに顔を曇らせた。
『オフィーリアの代替品じゃない』と事前に言われたものの、不安は拭い去れないのだろう。
明らかに元気の無いエリンに眉尻を下げ、私はそっと彼女を抱き締めた。
「エリンの髪や瞳の色は妻とよく似ている。だからこそ、オルティス夫妻の虐待は見逃せなかった。どうしても、他人事だと思えなかったんだ……だから、急いで養子縁組の書類を集めて、オルティス伯爵家に乗り込んだ。一分でも一秒でも早くエリンを救い出すために」
『妻の代わりなど、考えもしなかった』と付け加え、艶やかな銀髪を優しく撫でた。
「エリンを引き取った理由はほとんど私の自己満足だ。でも────お前を愛する気持ちに偽りはない。きっかけは確かにその容姿だったが、私はエリン自身を愛している。そこに妻の死や外見は関係ない。私はエリンだから、愛しているんだ」
「っ……!はぃ……!」
コクンと大きく頷いたエリンは鼻を啜りながら、私の首に腕を回した。
ギュッと抱きついてくる少女に頬を緩め、『やっと甘えてくれたか』と安堵する。
離さないでと全身全霊で訴えて来るエリンを愛おしく思いながら、スッと目を細めた。
このまま、ずっと成長しなければいいのにな……そうすれば、いつまでも私の傍に置いていられるのに。いつか嫁に出さなくてはいけないのかと思うと、憂鬱になる。まあ、何処の馬の骨かも分からない男に渡す気はないがな。私より弱い男は全員却下だ。エリンを託してもいいと思えるくらい、強い奴でなくては……。
『そう簡単にうちの娘はやらん』と決意する中、耐え切れなくなったエリンがまた泣き出す。
子供のように泣きじゃくる我が子を抱き上げ、私はそのままソファへ腰掛けた。
ポンポンッと優しく背中を叩き、エリンが落ち着くまで静かに待ち続ける。
数ヶ月前の私なら、『時間の無駄だな』と吐き捨てただろうが、エリンのためなら時間など惜しくなかった。
書類仕事など、いつでも出来る。可愛い娘のためなら徹夜くらい、どうってことない。
すっかり親馬鹿と化してしまった私は大量に積まれた書類など目もくれず、ひたすらエリンをあやし続けるのだった。