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第81話『ショック』

「……なるほどな。戦の英雄であるマルティネス公爵家が私を養子として、引き取ったのは────前公爵夫人と容姿が似ていたからか」


 平坦な声でそう呟いた私はざわつく胸を誤魔化すように、額縁の下に飾られたネームプレートを見つめる。

そこには確かに『オフィーリア・マルティネス』と書かれている。その名前は前公爵夫人のものと完全に一致していた。


 よく見てみれば、ルーカスの顔立ちとそっくりだな。ウィリアムやライアンは父親似だが、目元は少し前公爵夫人に似ている。


 と冷静に分析してみるものの、何故だか心は落ち着かなくて……ひたすら、苦しかった。息をするのさえ、億劫だった。


 何故、こんなに辛く感じるんだ?別に傷つくようなことじゃないだろう?私は亡き()の悲しみや寂しさを紛らわせるために呼ばれただけ。たったそれだけのことなんだ……よくある話とまでは言わないが、理解出来る話なのは確か。


「なのに────何故こんなにショックを受けているんだ……?」


 グッと奥歯を噛み締める私は壁に手を付き、ズルズルとその場に座り込む。

複雑な感情に苛まれる私は多くの疑問に悩まされながら、俯いた。

『なんだ、そうだったのか』と養子にされた理由を軽く流せない自分に苛立ちを感じる。でも、それ以上に胸が痛くて……何故だか、泣きそうになった。


 最近の私は一体どうしてしまったんだ……?明らかに変だぞ……?


 今までずっと感じてきた違和感がより鮮明になり、私はクシャリと顔を歪める。

様々な感情で入り乱れる心がとにかく鬱陶しかった。

『この肖像画を壊せば、落ち着くだろうか』と考える中、ふと────簪の入った小包が目に入る。


「あぁ、そうだ……これを渡しに行かなくては。こんなところで油を売っている場合ではない」


 半ば自分に言い聞かせるようにそう呟くと、私は小包を持って立ち上がった。

胸に残る違和感を振り払うように小さく首を振り、『ふぅ……』と一つ息を吐く。


 確かリアムの執務室はあっちだったな。


 クルリと方向転換した私は長い廊下を一人で歩いていく。

歴代公爵の肖像画などが飾られた三階は展示品で溢れ返っており、ちょっと不気味だった。

部屋数はあまり多くないようで、ほとんど扉を見掛けない。『隠し部屋でもあるのだろうか?』と首を傾げつつ、私は床に仕掛けられた侵入者用の罠を飛び越えた。

間もなくして、執務室へ繋がる大きな扉に辿り着く。美しい装飾が施された観音開きの扉に、私はおもむろに手を伸ばすと、コンコンコンッと三回ノックした。


「お父しゃま、エリンでしゅ!お土産のお届けに参りました!」


 子供らしく声を張り上げれば、扉の向こうからガタッと大きな物音が聞こえた。

『何か落としたのか?』と首を傾げる中、ガチャッと直ぐに扉が開く。

一人で執務室に籠っていたのか、出迎えに来てくれたのはリアム本人だった。


「……一人で来たのか?侍女はどうした?」


 慣れた様子で私を抱き上げるリアムは随行者が誰も居ないことに眉を顰める。

『怪我でもしたら、どうするんだ』と不機嫌になる彼を前に、私は慌てて口を開いた。


「皆、いっつも良くしてくれるかりゃ、たまには休んで欲しくて一人で来たんでしゅ!ダメでしたか……?」


 わざとらしくシュンと方を落とし、上目遣いでリアムを見上げる。

ついでに瞳を潤ませれば、彼の眉間から皺が消えた。無表情に戻ったリアムは一分ほど黙り込み、小さな溜め息を零す。


「エリンの気遣いは素晴らしいが、今度からは侍女と一緒に来てくれ。三階は色々と危険が多いからな。分かったか?」


「はい!分かりまちた!以後、気をつけましゅ!」


 ビシッと下手くそな敬礼をして頷く私に、リアムは僅かに目元を和らげる。

雪のように白い手が私の頭に触れ、『良い子だ』とでも言うように優しく撫でてくれた。

心地よい感触に目を細め、私はゆるゆると頬を緩める。


「ちょうど、仕事が一段落したところだから、紅茶でも飲んでいけ」


「はい!ありがとうございましゅ!」


 わーい!と手を上げて喜ぶ私は『子供の振る舞いも板に付いてきたな』と自賛する。

そして、抱っこされたまま部屋の中へ入り、グルッと室内を見回した。


 さっき、『ちょうど仕事が一段落した』と言っていたが、あれは確実に嘘だな……この書類の山を見る限り、終わっているのは全体の30%と言ったところか?まあ、それでも大分進んでいる方だが……全体の数があまりにも大きすぎる。


 書類の山で溢れた執務机と壁際に重ねられた本の数に、私は圧倒される。

どう頑張っても一日じゃ終わらない量に、頬を引き攣らせた。

『公爵って、大変なんだな……』と同情する中、高級感漂う青色のソファに下ろされる。


「少し待っていろ」


 そう言って、ポンポンッと私の頭を撫でるリアムはクルリと身を翻した。

壁際に設置されたワゴンに歩み寄り、不気味な手つきで紅茶を淹れていく。

その様子を眺めながら、ソファの背もたれに寄り掛かっていれば、部屋の窓から風が舞い込んできた。

ヒラヒラと数枚の書類が舞い落ちる中、何かを隠すように取り付けられた黒いベールが揺れる。


「!!」


 まるで運命のイタズラかのように、壁に垂れ下げられたベールは舞い上がり、その下に隠されたものを露わにした。


 ────オフィーリア・マルティネス前公爵夫人の肖像画か……ここにもあったんだな。まあ、彼女はリアムの前妻だし、肖像画の一つや二つ飾っていてもおかしくないが……。


 廊下で見たものとは全く違うポーズで描かれたそれに、私は痛いほど胸を締め付けられる。

『さっき、気持ちを切り替えたばかりなのにこれか……』と落ち込みながら、ギュッと手を握りしめた。

忘れようとしていた気持ちが、違和感が、本音が溢れて来る。

自身の頬にそっと手を添えた私は『こんな表情(かお)、リアムには見せられない』と俯いた。


「────エリン、紅茶を持ってき……おい、どうした?怪我でもしたのか?」


 ティーカップや茶菓子の乗ったトレイを手に持つリアムは私の様子に直ぐさま違和感を抱く。

何も喋らない私に不安を覚えたのか、トレイをテーブルの上に置いて跪いた。

下からこちらを覗き込むリアムは、小さく震える私の手に自身の手をそっと添える。


「エリン、大丈夫か?何があったのか、話してみろ」


「……」


「何か話せない事情であるのか?」


「……」


「エリン……」


 泣きたくなるほど優しい声に、じわりと目に涙が滲んだ。

『何でもない』『気にしないで』と早く言わなきゃいけないのに、喉に何か詰まったように声が出ない。


 嗚呼、なんて情けない……私は最強の戦乙女なのに、こんなことも出来ないなんて……いつから、こんなに弱ってしまったんだ?私は一体────何を恐れているんだ?


「────エリン」


 漠然とした不安に押し潰される中、優しいのにどこか凛とした声に名を呼ばれる。


「こっちを向け。私の顔を見ろ」


 そう言って、私の頬に手を添えたリアムは『余計なことは考えるな』とでも言うように、コツンッと額をくっつけてきた。

目と鼻の先にある端整な顔に、私は僅かに目を見開く。こちらを真っ直ぐに見つめる緑色の(まなこ)は見えない愛情で溢れていた。


「エリン、もう一度聞く。何があった?何がそんなに不安なんだ?お前は一体何に怯えている?」


「……」


「エリン、私はお前の父親だ。たとえ、血が繋がっていなくてもそれは変わらない。私は父親として、エリンの力になりたいんだ」


 飾らない言葉で真っ直ぐに想いを伝えてくるリアムはいつになく真剣だった。

一瞬の躊躇いもなく、『私はお前の父親だ』と言ってくれることに安心感を覚える。

でも────まだ足りなかった。全てを話すためには、もう一押し欲しかった。


「……よく聞け、エリン。私は────お前を愛している。だから、お前の苦しむ姿は見たくない。出来れば、ずっと幸せそうに笑っていてほしい……そう願うのはいけないことか?」


 困ったように眉尻を下げる金髪の美丈夫は切なげにそう懇願してきた。

『愛している』とハッキリと告げられた私はポロリと一筋の涙を零す。

安心感と幸福感が胸に広がり、不安を打ち消してくれた。


 ああ、そうか……やっと分かった。何故、前公爵夫人のことでショックを受けていたのか。私はきっとリアムに……いや、公爵家の皆に─────心から愛して欲しかったんだ。前公爵夫人の代替品ではなく、一人の人間として……。だから、物凄くショックだった。


 不明瞭だった違和感の正体に気づき、『私にもこんな感情があったのか』と少し驚く。

でも、それ以上にスッキリしていて……リアムの目を真っ直ぐに見つめ返すことが出来た。

感情の昂りに応じて震える吐息を整え、意を決して口を開く。


「お父しゃま、私は……エリンは────前公爵夫人の代わりとして、引き取られたんでしゅか?」

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