第79話『帰還』
買い物や観光などに興じている間に約二週間の月日が流れ……気づけば、旅行最終日を迎えていた。
大量の土産をレオンに持たせた私は空気の澄んだ海底洞窟で、水蓮と向き合う。
旅行の間ずっと私達のワガママに付き合ってくれた青髪の美男子はちょっと寂しそうだった。
水蓮でもあんな表情するんだな。鬱陶しい奴でも急に居なくなると寂しく感じるのだろう……なんだかんだ、水蓮とレオンは仲がいいからな。
と盛大な勘違いをする中、水蓮は少し膝を折り、私の方へ手を伸ばす。
スルリと私の頬を撫でる彼は『この体では全盛期の力を引き出すのは難しいな』と独り言を零した。
「戦姫、テロ事件の黒幕には充分気をつけろ。何かよからぬ事を企んでいるのかもしれない」
「ああ、分かっている。水蓮も警戒を怠るなよ」
「もちろんだ」
互いの身を案じる私達を他所に、完全に仲間外れにされたレオンは少ししょんぼりしている。
でも、テロ事件の話題には極力触れたくないのか口を挟んでくることはなかった。
「テディーの様子もかなり変だったし、何かあれば遠慮なく呼んでくれ。戦姫からの召喚なら、いつでも応じる」
「分かった」
和の国の守護者である水蓮の協力を確約された私は僅かに頬を緩める。
レオンより頼りになる味方を手に入れ、かなり気分が良かった。
レオンも決して弱い訳じゃないが、脳筋だからな。正直、戦闘以外では役に立たない。だから、水蓮のような味方が居ると、心強かった。
「では、もうそろそろ行くとしよう。あまり遅くなると、何を言われるか分からないからな」
異様に過保護な公爵家の面々を思い浮かべ、肩を竦める。
『またあの軟禁生活が始まるのか』と溜め息を零しながら、足元に転移用の魔法陣を投影した。
吸収した魔力量に応じて広がっていくそれは淡い光を放つ。
本来であれば、水蓮の張った結界により転移魔法は使用不可だが、今だけ特別に結界を緩めて貰った。これなら、転移可能である。
「またいつでも遊びに来い。観光でも何でも付き合ってやる」
「ああ、こっちの生活がある程度落ち着いたら、また来るとしよう。レオンと一緒にな」
「え”っ……!?俺も……!?」
完全に空気と化していたレオンは突然話題を振られ、『嘘だろ!?』と慌て始める。
何をそんなに焦っているのか?と不思議に思うものの、特に興味がないので放置した。
魔力を帯びて銀色に輝く魔法陣を一瞥し、私は水蓮にヒラヒラと手を振る。
「じゃあな、水蓮。体調には気をつけるんだぞ。睡眠も程々にな」
そう言って、ゆるりと口角を上げる私は転移魔法をおもむろに発動させた。
刹那────私達の体は白い光に包まれ、水蓮の姿が見えなくなる。
それから程なくして、私達は公爵家付近の裏路地に転移した。
人気の少ないここはゴミが散乱していて、相変わらず汚い。おまけに日当たりも悪くて、ジメジメしていた。
「ケホケホッ……」
噎せ返るような汚臭と埃に鼻と喉をやられた私は勢いよく咳き込む。軟弱な子供の体に眉を顰めつつ、口元に手を当てた。
「お、おい!大丈夫か!?」
「ケホケホッ……ああ、平気だ。直ぐに収まる」
『心配するな』とぶっきらぼうに言い放ち、私は無詠唱で治癒魔法を展開した。
ついでに咳の原因である埃を片付けるため、ここら一帯に浄化魔法を掛ける。
海底洞窟との落差に体が驚いたようだな。あそこは空間そのものが澄んでいるから。
色んな意味で快適だった海底洞窟を思い出しながら、私は何とか咳を止めた。
「よし、ここからは歩いて公爵家へ向かうぞ」
「おう!」
相変わらず元気なレオンは大きなリュックを背負って、歩き出す。
その後ろに続く私は裏路地を出て、目と鼻の先にある公爵家へ向かった。
約二週間ぶりの帰宅か。あいつらはどうしているだろうか?ルーカスは多分もう退院しているよな?あいつの怪我はそこまで酷くなかったし……。もし、まだ入院しているようなら、夜中にこっそり治しに行くか。
まるで当然のように公爵家の人間を気遣う私はふと────『私にも帰る家と帰りを待ってくれる家族が居るんだな』と不思議に思う。
前世では絶対に考えられなかった出来事に、私は違和感を覚えた。
私はいつから、こんな風になった……?あいつらは引きこもり生活をエンジョイするための道具に過ぎなかった筈だろう……?なのに、どうしてこんな……。
知らぬ間に変わってしまった自分に漠然とした不安を覚え、キュッと唇を引き結ぶ。
まるで本当の自分が霞んで行くような……変な気分だった。
今思えば、フラーヴィスクールのテロ事件から、私はずっと変だった。テロ犯に腹を立てたり、レオンに謝ったり……周りに振り回されることが多くなった気がする。以前まではこんなことなかったのに……。一体何が私を変えんだ?
随分と人間らしくなってしまった今の自分を振り返り、複雑な心境に陥る。
果たして、これが良いことなのか悪いことなのか……全く判断出来なかった。
「私は一体どうすれば……」
「────おい、戦姫……じゃなくて、エリン!公爵家に着いたぞ!」
不安がる私のことなど露知らず、レオンは元気いっぱいにそう叫んだ。
ふと顔を上げれば、大きな屋敷と見覚えのあるガゼボが目に入る。
『もう着いたのか』とビックリする中、レオンは公爵家の騎士に当主への伝言を頼んだ。
“紅蓮の獅子”の訪問に瞠目する騎士達は直ぐさま屋敷へ向かい、慌ただしく動き回る。
それから間もなくして、訪問の許可が降り、私達は敷地内へと通された。
はぁ……なんだか、憂鬱だな。妙なことに気づいてしまったせいか、どんな顔をして会えばいいのか分からない……。
家族との接し方を忘れてしまった私は案内役の従者に促されるまま、整備された道を進む。
溢れ出そうになる溜め息を必死に押し殺す中、ついに正面玄関前へと辿り着いた。
観音開きの扉に手を掛ける従者に『待って』と言いそうになるものの、グッと堪える。
────どうか、誰も出迎えに来ませんように。
そんな願いを胸に抱く中、従者はガチャリと玄関の扉を押し開けた。
すると、そこには────軍団長のリアムから、入院中だったルーカスまで公爵家の人間が勢揃いしていた。
「「「「おかえり、エリン(ちゃん)」」」」
そう言って、笑う彼らは拍子抜けするほどいつも通りで……陽だまりみたいに温かい。
胸に渦巻く不安がスッと収まっていく中、リアムがこちらに手を伸ばした。
当たり前のように私を抱き上げる彼は『旅行は楽しかったか?』と尋ねてくる。
────その穏やかな声も、柔らかい表情も、優しい眼差しも全て温かった。
「ただいまでしゅ。旅行はとっても楽しかったでしゅ!お土産もたくさん買ってきました!」
『見てくだしゃい!』と言って、壁の花と化していたレオンを指さす。
保護者兼荷物持ちとして利用された彼は大きなリュックを揺らし、『大漁だぜ!』と胸を張った。
「土産については後で確認しよう。それより、旅行を楽しめたようで良かった。何か不便はなかったか?」
「大丈夫でしゅ!とっても快適でした!」
────主に和の国を守護する水蓮のおかげで!
とは言わずに私はニッコリ微笑んだ。
『どう接すればいいのか』と悩んでいたことが嘘のように笑えている。
「エリンちゃんが旅行に行ったと聞いたときは不安だったけど、心配なかったようだね」
「でも、もう二度と旅行には言って欲しくないな。心臓に悪い……ここ二週間、生きた心地がしなかった」
「ライアンは心配し過ぎだ」
『はぁ……』と溜め息を零すウィリアムに、ライアンは素知らぬ顔で肩を竦める。
二人のやり取りにクスクスと笑みを漏らすルーカスは『とりあえず、無事に帰ってきて良かったよ』と話を締め括った。
笑顔で溢れる屋敷内は実に賑やかで、不思議と頬が緩む。
嗚呼、どうして────ここはこんなにも温かいのだろう?
冷え切った心に差す一筋の光に、私は疑問を感じるのと同時に、安心感を覚えるのだった。