第74話『不満《ウィリアム side》』
────一方、その頃マルティネス公爵家の屋敷では……エリンを除く公爵家の人間が顔を突き合わせていた。
食堂の長テーブルを囲み、昼食を摂る僕達はどことなく気まずい雰囲気を放つ。ここまで会話の少ない食事は久しぶりだった。
あいつが居ないだけでこんなに変わるのか……以前まではこれが普通だったのに、いつの間にかあいつの居る生活に慣れてしまった。今日の食事はなんだか味気ない…………。
大好きな肉料理も喉を通らず、僕はナイフとフォークをテーブルに置いた。
父上の休暇とルーカスの退院が重なり、久々の家族団欒だと舞い上がっていた三十分前の自分がアホらしい……。
エリンは父上の愛情を奪った憎き相手なのに居ないと、どうも調子が狂う。
テロ事件のショックがまだ抜けないのか……?でも、お見舞いに行った時はわりと平気そうだったぞ?普通に差し入れの果物やお菓子を食べていたし……今になって、テロの恐怖がぶり返してきたとか?そう考えれば、家族団欒の時間を蹴った理由にも説明はつくが……どうも腑に落ちない。
大体、何故父上は平気そうなんだ?認めたくはないが、あんなにエリンを大切にしていたのに……。
頭の中が『?』マークでいっぱいになる僕を他所に、父上はパクパクと料理を平らげていく。
あっという間に空になった皿を一瞥し、ふと顔を上げれば────向かい側に座る弟達と目が合った。
果実水片手にこちらを見つめるルーカスは『エリンちゃんは?』と視線だけで問うて来る。その隣で、ひたすらステーキを切り分けるライアンもチラリとこちらに目を向けた。
妹の不在に不満を露わにする弟達に、僕は『知らない』と首を横に振る。
見るからに落胆したルーカスとライアンは『はぁ……』と溜め息を零した。
おい、さすがにその反応は僕に失礼だろ!一応、僕はお前達の兄なんだぞ!もっと敬意を払え!
弟達の失礼な態度に腹を立てていると────ライアンが食事の手を止めた。
宝石のエメラルドを彷彿とさせる緑の瞳には、ワインを嗜む父の姿が映っている。
「父上、お聞きしたいことがあります」
「何だ?」
ついに痺れを切らしたライアンに、僕とルーカスは顔を見合わせる。
まさか、父上に直接質問するつもりか!?と密かに焦る中、怖いもの知らずの三男は強硬手段に出た。
「何故、エリンはここに居ないんですか?」
エリンの定位置である父上の膝元を見つめ、ライアンはそう問い掛ける。
『せっかくの家族団欒なのに仲間外れにしたのか?』と遠回しに言われた父上はふと窓の外へ目を向けた。
いつも通りの無表情を見せる父上だったが、心做しか寂しそうに見える。
「エリンは今、屋敷に居ない────理事長に連れられて、旅行に行っている」
「「「はっ……?」」」
予想を遥かに越える回答に、僕達三人は思わず声を漏らしてしまう。
内容があまりにもぶっ飛び過ぎていて、理解するのに三十秒ほど時間が掛かった。
えっ?旅行?それも、理事長先生と一緒に?どうして、そうなった!?上手く状況が呑み込めないんだが……!?
「えっと……何故、理事長先生とエリンが旅行に?」
「今朝、理事長がうちを訪ねてきて『エリンと一緒に旅行へ連れていきたい』と頼んできたんだ」
「えっ……?理事長自らですか!?」
「ああ」
一瞬の躊躇いもなく頷いた父上に迷いはなく、嘘をついているようには見えない。
だが、やはり直ぐには信じられなくて……父上のサポート役であるセバスに確認を取った。
『本当か?』と視線だけで問い掛ける僕に、セバスは静かに……でも、ハッキリと頷く。
この時点で、エリンが旅行へ行った話は疑いようのない真実になっていた。
嘘だろ……?本当に旅行へ行ったのか……?あんなことがあったのに……?いや、それ以前に理事長とエリンって、そんなに仲が良かったのか……?全くの初耳だぞ……?
エリンの学園生活など知る由もない僕は戸惑いを隠し切れない。
困惑気味に視線を右往左往させる僕の前で、今度はルーカスが動き出した。
「旅行の行き先はご存知ですか?」
「ああ。理事長の話だと、和の国へ行くらしい。まあ、一・二週間もすれば帰って来るだろう」
「そうですか……理事長先生が居るなら、大丈夫だと思いますが、ちょっと心配ですね。何かのトラブルに巻き込まれないと良いですけど……」
窓越しに青々とした空を眺めるルーカスは心配そうに眉尻を下げる。
エリンの身を案じる彼を他所に、ライアンはガタッと勢いよく席を立った。
膝に掛けたナプキンをおもむろにテーブルの上に置き、そのまま踵を返す。
無言で立ち去ろうとするライアンに、父上は流し目を送った。
「どこへ行くつもりだ?」
「……エリンを連れ戻しに行くだけです。直ぐに帰ります」
一度足を止めたライアンは視線だけこちらに向け、そう答える。
『ライアンって、こんなに過保護だったか?』と驚く僕を他所に、父上は一つ息を吐いた。
「駄目だ。それは許可出来ない。エリンは私の合意の元、旅行へ行かせた。それを邪魔するなら、いくら息子のお前でも容赦しないぞ」
「っ……!何故ですか……!」
ガバッと勢いよくこちらを振り返ったライアンは珍しく、父上に噛み付いた。
以前までのあいつなら、黙って父の決断に従ったというのに……。
ギュッと強く拳を握り締めるライアンは普段のポーカーフェイスが嘘のように、クシャリと顔を歪めた。
不満を露わにする彼に対し、父上は優雅に紅茶を飲む。
「旅行へ行きたいと言ったのはエリンだ。理事長の指示で行かせた訳じゃない」
「だとしても、この時期に国外へ出すなんて間違っています……!今すぐにでも連れ戻すべきです!何かあったら、どうし……」
「“紅蓮の獅子”と呼ばれる理事長が居るんだ、問題ない。それとも、お前は理事長の隣より安全な場所を知っているのか?」
「っ……!!」
理事長先生の名前を出されると弱いのか、ライアンは思わず口を噤んだ。
言い返す言葉がなかなか見つからないようで、視線を右往左往させている。
頭の中では、理事長の隣が一番安全だと分かっていても、心が追い付かないのだろう。
あんなことがあった後だからな。守れる位置に大切なものを置きたいと考えるのは理解出来る。まあ、少々過保護すぎる気もするが……。
僕達四人の中でエリンと接する機会が一番多かったライアンは父上の説得にもなかなか折れない。
『連れ戻す』と言って聞かない三男に、父上は深い溜め息を零した。
「正直な話……私だって、行かせたくはなかった。だが、理事長に命まで賭けると言われてはなかなか断れない……何より────エリンにとって、いい気晴らしになると思ったんだ」
尤もらしい理由を並べて説得するのは無理だと感じたのか、父上は珍しく本音を吐露する。
憂いげな表情を浮かべる金髪の美丈夫は椅子の背もたれに寄り掛かった。
「テロ事件以降、エリンの笑顔が減ったと報告を受けている。事件当時の記憶は曖昧みたいだが、怖いという感情はハッキリ残っているようだ。まだ幼いあの子に事件と向き合う勇気はない。だからといって、いつまでも落ち込んでいられない。旅行程度でエリンの笑顔が取り戻せるとは思っていないが……少しは気持ちが楽になるだろう」
暗い声色でそう語る彼は複雑な感情を押し殺せずにいた。
恐らく、父上はエリンのために色々悩んで苦渋の決断を下したのだろう。父上だって、あれだけ可愛がっていたエリンを外へは出したくなかった筈だ。
父上の苦悩と葛藤を目の当たりにしたライアンは握り締めた拳を解き、一度深呼吸する。
そして荒ぶる感情を宥め、複雑な表情を浮かべた。
「……分かり、ました。ここで静かにエリンの帰りを待ちます。取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
ペコリと小さく頭を下げるライアンはグッと唇を噛み締める。
────こうして、エリンの不在を巡る問題は幕を閉じたのだった。