第66話『出発前に問題発生!?』
口約束ではあるが、レオンと和の国へ行く約束を交わした次の日────彼は再びマルティネス公爵家を訪れた。
客室へと通されたレオンは国王の著名入り書簡を手に持ち、屋敷の主と向き合っている。
運が悪いことに、今日は軍の仕事が休みだったようで、リアムが客人の対応に当たっていた。
リアムさえ居なければ、執事のセバスに国王の著名入り書簡を渡してさっさと外へ出て来れたんだが……そう上手くはいかないか。
これはちょっと面倒なことになるかもしれんな。
定位置となりつつあるリアムの膝の上で密かに溜め息を零す私はチラリとレオンに目を向ける。
水蓮の怒りを分散させるため、何がなんでも私を連れて行きたいレオンは凛とした面持ちでこちらを見据えた。
「今日はエリンの外泊許可を貰いたくて、来たんだ。一週間ほど和の国へ、エリンと一緒に行っ……」
「────断る」
食い気味でそう答えた金髪の美丈夫を前に、『やっぱり、こうなるか』と溜め息を零す。
色んな意味で過保護なリアムがそう簡単に外泊許可を出すとは思っていなかった。
だから、こいつの居ない間に和の国へ行きたかったんだ。こうなるのは目に見えていたから……。
軍団長という地位に就くリアムは王命を退けられる数少ない存在だ。こいつの前で国王の著名入り書簡など、ほとんど役に立たない。
レオンに指示して、国王の著名入り書簡をゲットしたはいいが、これじゃあ無駄になりそうだな。
「エリンを他国へ行かせるなんて、出来ない。攫われたら、どうするんだ?」
「俺が居れば、攫われる心配も襲われる心配もない!“紅蓮の獅子”の名は伊達じゃないぞ!」
「それは『手の届く範囲に居れば』の話だろう?先日のテロ事件のように手の届く場所にエリンが居なければ、助けられない。実際、理事長がモーネ国に戻ってきた時には全て終わっていただろう?」
「っ……!」
痛いところを突かれた大柄な男はクシャリと顔を歪め、拳を強く握り締めた。
先日のテロ事件から神経質になったリアムは一歩も引かない姿勢を見せる。
私の腰に回された手は『絶対に離さないぞ』とでも言うように強く私を抱き締めた。
テロ事件の話を出されると、反論しづらいな……特にレオンはそのことについて責任を感じているから。
このまま、リアムに押し切られる可能性がある。
思い詰めた表情を浮かべ、口の開閉を繰り返すレオンに、『どうしたものか』と頭を悩ませた。
元々口喧嘩が苦手で、頭の悪いレオンに駆け引きや交渉は向いていない。だからこそ、国王の著名入り書簡を持って来させたんだが……それも今では役に立たない。
まさに八方塞がりな状況だった。
「エリンはまだ十歳にも満たない子供だ。親元を離れて、他国へ行くには幼過ぎる。たとえ、理事長であったとしても許可出来ない」
首を左右に振り、キッパリと拒絶するリアムに、レオンはたじろいだ
「……お前の気持ちはよく分かる。だが、これも経験の内だと思っ……」
「他国へ行き、見聞を広めるのも大切なことだが、別に今じゃなくてもいい。もう少し大きくなってからでも構わないと私は考えている」
「……」
リアムのご尤もな意見に返す言葉が見つからないのか、レオンはついに黙り込んでしまった。
じっと足元を見つめ、そっと目を伏せる。
やはり、レオンに交渉役を任せるのは無理があったようだ。
仕方ない。ここは私が一肌脱ぐとするか。レオンにしては頑張った方だしな。
「お父しゃま、エリンは和の国に行ってみ……」
「────リアム、頼む。エリンの外泊を許可してくれ」
『行ってみたいでしゅ』と続く筈だった私の言葉を遮り、レオンは深々と頭を下げた。
『これは俺の役割だ』とでも言うように私の手出しを禁じる。
レオンの旋毛を見つめながら、私は溢れ出そうになる溜め息を押し殺した。
お前は本当に……本当に馬鹿な奴だな。
「エリンは必ず無事に帰す。傷一つ負わせないし、何かあった時のために傍に居るよう心掛ける。もし、エリンに何かあったときは────俺を殺してくれて構わない。お前になら、喜んで命を差し出そう」
「「!?」」
硬い声で紡がれた言葉に、私とリアムは柄にもなく大きく目を見開いた。
誠意という名の諸刃の剣を振り翳すレオンに迷いや躊躇いは感じられない。
こいつはやると言ったら、必ずやる男だ。嘘や冗談を言っている訳ではないだろう。
戦姫の私に万が一のことなんてないと思うが……何かあった時は本当に死にそうだな。こいつにも嘘をつくほどの狡猾さがあれば、良かったんだが……本当に不器用な奴だ。
まあ、こういう奴だからこそ信用出来るんだが……口の軽さ以外。
頭を下げたまま動かないレオンを見つめ、半ば呆れていれば────誰かの手が私の頬に触れた。
少しひんやりとした手には心当たりがあって……促されるまま顔を上げる。
すると、こちらをじっと見つめる金髪の美丈夫と目が合った。
「……エリン、お前はどうしたい?和の国へ行きたいか?」
氷のように冷たい無表情は相変わらずだが、声色やエメラルドの瞳から迷いが滲み出ていた。
神殺戦争の英雄である“紅蓮の獅子”に確固たる意思と覚悟を見せられ、迷いが生じたのだろう。
“氷の貴公子“でもレオンの誠意には敵わなかったらしい。
スッと目を細めた私は頬に触れるリアムの手に自身の手を重ね、ゆっくりと口を開いた。
「私は和の国へ行きたいでしゅ。たくしゃん経験を積んで、早くお父しゃまみたいになりたいでしゅ。だから、和の国へ行かせてくだしゃい」
エメラルドの瞳をじっと見つめ返し、キュッと口元に力を入れる。
意志の強さを示すようにリアムから決して目を逸らさない。
ただ旅行に行きたいだけだと思われれば、却下される可能性があるため、『遊びのためじゃないぞ』と匂わせた。
そして────揺れ惑うエメラルドの瞳と見つめ合うこと五分……ようやくリアムが決断を下す。
「────分かった。そこまで言うなら、許可しよう」
私とレオンの強い意志に根負けする形で、リアムは首を縦に振った。
「「本当でしゅか!?|(本当か)」」
パァッと表情を明るくさせる私とレオンは喜びに満ち溢れる。
思わず頬を緩める私達とは対照的に、リアムは無表情のままだった。
「ああ、和の国へ行くことは許可する。ただし────必ず無事に帰ってくること。そして、少しでも危ないと思ったら、直ぐに帰って来い。これが絶対条件だ」
私達の身を案じる金髪の美丈夫は不安げに瞳を揺らす。
許可するとは言ったものの、やはり私達……と言うか、私のことが心配みたいだ。
今世では心配されることが多いな。おまけに私の周りは過保護な奴が多い。
こうやって、誰かに心配されるのはどうにも慣れないな……まあ、悪い気はしないが。
「はい、分かりまちた。約束しましゅ!」
「ああ、俺も約束しよう」
リアムの顔をしっかり見て頷いた私達に、マルティネス公爵家の当主は僅かに目を細める。
エメラルドの瞳はまだ不安げだが、もう私達を止めようとはしない。
「なら、いい。それより、今日中に出発するのか?」
「ん?あぁ、出来ればそうしたいと思っているが……」
「分かった。侍女達にエリンの旅支度をさせるから、少し待っていてくれ。出立の際は私も立ち会おう」
そういうが早いか、リアムは壁際に待機していたセバスに指示を出し、ついでにお金も用意するよう命令する。恐らく、私のお小遣い用だろう。
別に小遣いなんて必要ないんだがな。全てレオンに払わせるから。
旧友の貯金を使い果たす気満々だった私は『まあ、ないよりはあった方がいいか』と考え直す。
────その後、一時間ほどで旅支度とお小遣いの準備が終わった。