第65話『ランチタイム』
幻影魔法を駆使して髪や瞳の色を変えた私は人混みに紛れて、街中を進む。
体が小さいせいか、スイスイと人の間を通り抜けることが出来た。
屋根の色で現在位置を割り出しつつ、屋台から香る香ばしい匂いに『くぅ〜』とお腹が鳴る。
大して魔力は使っていないものの、時間帯がお昼時ということもあり、妙にお腹が減った。
レオンと合流したら、あいつに何か奢らせるか。あれでも一応理事長だし、それなりに金は持っているだろ。
何より────。
「────これだけ働いたんだからご飯代くらい出してくれないと割に合わない」
レオンに頼まれて、テロに巻き込まれた被害者を治療して回っていた私はそう零す。
実際に治療したのは重傷者だけだが、みんなバラバラの場所に入院しているため、移動に手間取ってしまった。
あと、事前に聞いていた看護師の見回り時間がちょいちょいズレていて、スムーズに任務を遂行出来なかったのだ。
シオンの治療中に看護師が来た時はさすがにビビったな。おかげで完全に魔力を散らすことが出来なかった。まあ、残留魔力はほんの僅かだし、私だと分かる者はほとんど居ないだろうが……。
『大丈夫だろう』と楽観的に考える私は人混みを抜けて、待ち合わせ場所である喫茶店に駆け寄る。
カランカランという音と共に中へ入れば、一際目立つ大男がこちらに手を振った。
小洒落た喫茶店とは一生縁がなさそうな男に苦笑しつつ、店員の案内を断って奥へ進む。
待ち合わせ相手であるレオンの正面に座れば、噛み付かんばかりの勢いで質問を投げ掛けられた。
「治療は上手くいったのか!?」
少し前のめりになりながら、私の答えを待つレオンはどこか不安げだ。
固く握り締めた拳は少し震えており、赤に近いマゼンダの瞳はゆらゆらと揺れている。
落ち着きのないレオンに苦笑しつつ、私は口を開いた。
「ああ、上手くいった。全員無事だ。後遺症もない」
「本当か!?」
反射的に聞き返してきたレオンに一瞬イラッとするものの、コクリと頷く。
『ちゃんと完治させた』と断言すれば、奴は大袈裟なくらい胸を撫で下ろした。
安堵のあまり、涙が込み上げてくるのか少し目が潤んでいる。
「良かった……本当に良かった!ありがとう、せん……いだっ!?」
ホッとした表情を浮かべ、感謝を述べるレオンだったが、急に足の脛を押さえて蹲る。
『ぐぉぉおおおお!』と奇声を上げて苦しむレオンにニッコリ微笑み、私は意味ありげに短い足を組んだ。
「大衆の面前で私の本名を呼ぶなんて、いい度胸をしているな?次は脛だけじゃ済まないぞ」
「す、すみませんでした……」
レオンの脛を蹴り上げた張本人である私はニッコリ微笑み、『次からは気をつけろよ』と釘を刺す。
ビクビクと可哀想なくらい震えるレオンは、さっきとはまた違う意味で泣きそうだった。
旧友の情けない姿を一瞥し、私は近くの店員にオムライスとリンゴジュースを注文する。
もちろん、レオンの奢りである。
「お、おい……これから家に戻るのに大丈夫なのか?そんなに食べて。昼飯が入らなくなるんじゃねぇーか?」
「問題ない。あっちの分は部屋に置いてきた身代わり人形……じゃなくて、私の分身が食べる筈だ。まあ、食べると言っても消化できる訳じゃないから、私の亜空間収納に保管することになるだろうが……」
ケロッとした様子でそう答えれば、レオンは『へぇー』と適当に頷いた。
恐らく、説明の十パーセントも理解出来ていないだろう。
私は被害者の治療を行うにあたり、水で作った分身を公爵家に置いてきた。
昔、暗殺の対策として身代わり人形に使っていたソレは実にいい働きをしてくれている。簡単な受け答えしか出来ないのが玉に瑕だが、それ以外は問題なかった。
自由に外出できれば、こんな手間を掛けずに済んだんだが……まあ、しょうがない。公爵家の連中は無駄に過保護だからな。
あれこれ世話を焼きたがる彼らの姿を思い出していれば、ちょうどオムライスとリンゴジュースが運ばれてきた。
テーブルに置かれたオムライスを前に、『くぅー』と再びお腹が鳴る。
空腹を訴える本能に促されるまま、私はスプーンを手に取った。
「そう言えば、フラーヴィスクールの臨時休校はいつまで続くんだ?まだ正確な日程は通達されていないが……」
ふわふわトロトロのオムライスをパクリと一口食べ、正面に座る大男に目を向ける。
片手で足の脛を撫でながら、メニュー表を眺めていたレオンはふと顔を上げた。
「あー……確か夏休みの二週間前くらいに再開する予定だったぞ。とりあえず、今は生徒達を療養させる方針で話が進んでいる」
「賢明な判断だな。それじゃあ、夏休みは潰れるのか?」
「いや、多少期間は短くなるが、夏休みはちゃんとあるみたいだぞ。夏季試験だけやって、また直ぐに休みに入る感じだ。いきなり、長期間登校するのは難しいだろうから、少しずつ慣れさせるんだと」
「ほう?随分と過保護だな」
レオンの口から語られた学校側の対応に、『お前らは生徒達の保護者か』と毒を吐く。
すると、一応学校側の人間であるレオンは肩を竦めて、賛否を避けた。
今回のテロ事件で管理責任に問われるフラーヴィスクールとしては少しでも心証を良くしておきたい……ってところか。
保護者からのバッシングが酷ければ、世間からの風当たりも強くなる。有名貴族や有能な若者たちに背を向けられれば、色々厳しくなるだろう。
「それにしても、夏休みの二週間前か……かなり期間が空くな。一ヶ月はあるんじゃないか?その間、ずっとあの鬱陶しい奴らに監視されなきゃいけないのか……」
いちいち煩い侍女軍団や頻繁に様子を見に来るライアンを思い浮かべ、げんなりしてしまう。
念願の引きこもり生活だというのに、あいつらのせいで楽しめそうになかった。
『はぁ……』と溜め息を零す私に、レオンは少し考え込むような動作を見せる。
そして、何かを思いついたようにポンッと手を叩いた。
「暇なら、俺と一緒に────和の国に来ないか?」
「和の国……?水蓮に会いに行くのか?」
「あ、ああ……例の件を報告しに行こうと思ってな」
どこか気まずそうに視線を逸らすレオンはちょんちょんと両手の人差し指を合わせる。
奴の言う『例の件』とは恐らく、テロの目的についてだろう。先日の話し合いで私達の情報を狙った可能性が出て来たため、報告しなきゃいけないと思ったらしい。
そのことを話せば、確実にあいつは怒るだろうな。『情報管理が甘すぎる』と叱られるに違いない。骨折くらいは覚悟しないと駄目だな。
「不機嫌なあいつに会いたくはないが、あいつらに監視されるよりはマシか……?」
二十四時間体制で監視される日々に嫌気がさし、水蓮の訪問に思考が傾く。
口端についたケチャップをペロリと舐め、真剣に悩んでいれば、レオンが懇願するような目を向けてきた。
恐らく、自分一人で不機嫌な水蓮を相手にするのが嫌なんだろう。
あいつは私と違って、一度不機嫌になると長いからなぁ。しかも、結構根に持つタイプだし。
冗談抜きで怒らせると、面倒臭い。でも、普通に強いし、分別を弁えているのでわりと気が合った。
「────よし、分かった。私も旅に同行しよう。ただし、リアム達の説得はレオンがしてくれよ。旅費もお前持ちだ」
面倒なことを全て丸投げした上で了承すれば、レオンはパァッと表情を明るくさせる。
よっぽど、一人で水蓮に会いに行くのが嫌だったようだ。
「ありがとう!せん……じゃなくて、エリン!この恩は必ず返すぞ!」
テーブルにおでこを打ち付ける勢いで頭を下げたレオンは大袈裟なくらい、私に感謝した。
あまりの必死さに少し引いてしまったが……気にせずオムライスを平らげる。
────こうして、私は旧友に会いに行くため……もとい、監視だらけの公爵家から抜け出すため、和の国へ行くことになった。