第64話『神の奇跡《ルーカス side》』
フラーヴィスクールを狙った大規模なテロから、約一週間が過ぎた。
重体とまではいかないものの、かなりの深手を負った僕は治癒院に入院している。
学校側が手配した病室には、連日記者やクラスメイトが押し掛けてくるが、『傷口に障るから』と家族以外の面会は断っていた。
その代わりと言ってはなんだが、見舞い品や花束が山のように届いている。
もうそろそろ、実家に送った方がいいかもしれないね。このままじゃあ、病室が物で溢れ返ってしまうよ。
嬉しい悲鳴と呼ぶべき、大量の見舞い品に苦笑しつつ、窓から空を見上げる。
青々とした空は晴れやかで……少しだけ心が軽くなる。でも、僕の心には拭い切れない不安と恐怖があった。
もう一週間も経つというのに、シオン先生が目を覚まさない……。
お医者様の話によると、『一命は取り留めたけど、このまま意識が戻らない可能性もある』らしい。まあ、早い話が植物状態になる可能性があるってことだ。
思ったより、脳へのダメージが大きかったみたい……。
シオン先生がああなったのは僕のせいだ……僕が弱かったから、先生に無茶をさせてしまった。『手伝います』と格好良く申し出ておきながら、この様だよ……本当に情けない。
眩しい青空から目を背けるように俯いた僕はクシャッと前髪を乱暴に握る。
己の弱さを恥じるように唇を噛み締めていると────不意に廊下の方が騒がしくなった。
バタバタと慌ただしい足音が鳴り響き、扉の向こうから人の話し声が聞こえてくる。
「目が覚め……先生を……」
「早く……軍の人を……」
「フラーヴィスクール……連絡して……」
みんな直ぐに部屋の前を通り過ぎるため、途切れ途切れにしか聞こえなかったが、どうやら誰かが目を覚ましたらしい。
それもモーネ軍やフラーヴィスクールに関係のある人物が……。
「ん?モーネ軍やフラーヴィスクールの関係者?それって、まさか────シオン先生……?」
口を突いて出た言葉に、僕はこれでもかってくらい大きく目を見開いた。
そして、居ても立ってもいられず、ベッドから飛び降りる。自分が裸足なのも忘れて、病室から飛び出した。
まだ確定した訳じゃない……!目覚めた患者さんがシオン先生じゃない可能性は充分ある!
でも、軍や学校に連絡を入れないといけない人物なんて限られている……!!そんなのテロに関わった人間くらいだ!!少なくとも、この治癒院の中では……!!
僅かな期待を胸に、廊下を駆け抜ける僕は周りから制止の声を掛けられるが、気にせず突っ走った。一分でも一秒でも早く事実を確認したかったから……。
無我夢中で走り回った僕はシオン先生の病室の前で足を止める。そして、『早く!』と急かす思考に押されるまま、病室の扉を開け放った。
「シオン先生……!!」
心の底から敬愛する男性の名前を呼び、そのままの勢いで部屋の中へ入る。
病室の中にはお医者様や治癒魔導師の姿があり、多くの人で溢れ返っていた。
でも、ベッドのカーテンに視界を遮られ、肝心の人物の姿が見えない……。
あと一歩の距離感がもどかしくて、魔法でカーテンを避けようとすれば────タイミングを見計らったように心地良い風が吹いた。
その影響でカーテンがふわりと舞い上がり────ベッドに横たわる人物と目が合う。
ツルツルの頭を光らせ、漆黒の瞳を僅かに見開くその人物は……間違いなく、シオン・キサラギだった。
「先生っ……!!」
「ルーカスくん……!?」
少し掠れた声で僕の名前を呼ぶシオン先生に慌てて駆け寄り、目尻に涙を浮かべる。
彼とまたこうして話せることが……名前を呼んでくれることが……目を合わせられることが嬉しくて、ポロリと涙が零れてしまう。
『男のくせに情けない』と思うものの、歓喜と安堵でそれどころじゃなかった。
「良かった……本当に良かった!もう二度と目を覚まさないかと思いました……!」
汚れるのも気にせず、床に膝をつく僕はベッドの上に手を置き、シオン先生と目線を合わせた。
まだ起きることが出来ないのか、彼は寝たきりのままでこちらに視線を向ける。
そして、ぎこちない動作で僕の頭に手を伸ばした。
「心配を掛けて悪かったね。でも、もう大丈夫だよ。まだちょっと体がだるいけど、数日で動けるようになるらしい。神の奇跡でも起きたのか、後遺症もないってさ」
「えっ?そうなんですか……!?」
昨日までの診察結果とは全然違う内容に、僕は目を丸くする。
真偽を確かめるように後ろに控える治癒魔導師にアイコンタクトを送れば、彼は『本当です』とでも言うように頷いた。
確かに頭や腕の包帯が取れてるし、わりと元気そうだけど……たった一日でこんなに回復するものだろうか?昨日の診察結果では『たとえ、意識が戻ったとしても後遺症の影響で上手く体を動かすことが出来ない』って言われたのに……。
あまり現実的な考え方じゃないけど、本当に神の奇跡でも起きたみたいだ。
「とりあえず、元気そうで安心しました。なかなか意識が戻らなくて、本当に心配し……ん?」
経緯はどうであれ、先生が助かったならそれでいいと考える僕だったが、微かに残った魔力の残り香に首を傾げる。
あまりにも量が少なくて、誰の魔力なのか特定は出来ないが────テロの時に感じたあの強大な魔力と波長が少し似ていた。
もしかして、あの魔力の持ち主がシオン先生の怪我を治療してくれたんだろうか……?だとすれば、驚異的な回復力にも納得が行くけど……一体何故シオン先生を?
「シオン先生、あの……先生がいきなり回復したのって……」
真相を確かめるべく、本人に事情を聞き出そうとすれば────彼は無言で首を横に振った。
それは回答を拒否していると言うより、『秘密にしてほしい』と懇願しているようだった。
恐らく、シオン先生もこの場に残った微かな魔力と自分の回復に関係があると分かっているのだろう。
分かった上で……いや、分かっているからこそ秘密にしようとしている。あの魔力の持ち主……いや、恩人に迷惑を掛けないため。
密かに先生を治したってことは周りに気づかれたくない事情があるからだ。詳しい事情は分からないが、助けてもらった以上、恩人の意向に従うのが礼儀だと彼は考えている。
恩返しは出来ずとも、恩を仇で返すようなことはしたくないって訳か……。
色々言いたいことはあるけど、今は『シオン先生が助かった』という事実だけでいい。それ以上のことは何も望まない。
先生の意思を汲み取った僕は了承の意を示すように小さく頷く。
そして、何事も無かったかのように柔らかい笑みを浮かべた。
「シオン先生の回復力には目を見張るものがありますね。和の国の武人はみんなこんなに丈夫なんですか?」
「わりと丈夫な人が多いかな。僕達は日頃から鍛えているからね。そう簡単に死んだりしないさ。そう言えば、昔の武人の中に大砲を生身で受け止めても無傷だった人が居たなぁ……」
「それは凄いですね。さすがは武術の達人です」
白々しい態度で嘘をつき、適当に話題を変える僕達は周りの人達に『武人だから、助かった』と思い込ませる。
真実とは程遠い虚言だが、武人の少ないモーネ国ならある程度通じるだろう。
いざとなれば、マルティネス公爵家の権力を使って黙らせるだけだ。
あの魔力の持ち主がシオン先生の恩人であるように、僕にとってシオン先生は大恩人だ。
彼の願いを叶えるためなら、出来る限り手を尽くそう。
そう心に決めた僕はシオン先生と微笑み合い、互いの無事を喜び合うのだった。