第61話『帰還した理事長』
────フラーヴィスクールを狙った大規模なテロから、今日で三日が経過した。
事態を重く受け止めたフラーヴィスクールは臨時休校を宣言し、生徒達はみんな自宅で療養している。重傷を負った生徒や教師については治癒院に運ばれ、学校側が全面的に治療費を負担した。
テロ組織の全貌についてはまだ調査中で、モーネ軍は捕獲したテロリスト達を片っ端から尋問しているらしい……。
そのせいか、軍団長のリアムはほとんど家に居らず、平隊員のウィリアムがたまに『父上からの見舞い品だ』と言って果物やお菓子を持ってくるくらいだ。
まあ、無傷の私に見舞い品など必要ないのだが……。
自室のベッドで寝転ぶ私は大量の見舞い品で溢れ返った室内に溜め息を零す。
贈り物の多くが貴族からで、公爵令嬢となった私への貢ぎ物だった。
もちろん、『こんなに幼い子が可哀想に……』と本気で私を心配して贈り物をくれた人も居るが……そんなの極小数だ。
包装すら取っていない大量のプレゼントを前に、頭を抱えていると……壁際に控えていた侍女達が何故か涙ぐむ。
「うぅ……!!まだ十歳にも満たない子があんな目に遭うなんて……!何にも興味を示さないし、きっとショックだったんだわ……!」
「そうよね……最近は全然笑顔を見せてくれないし……」
「テロに巻き込まれて正気でいろって方が無理よ!ほら、泣き止んで!旦那様やウィリアム様がいない間は私達がお嬢様を支えないと……!」
可哀想な子を見る目で私を見つめる侍女達は涙を拭き、グッと拳を握り締める。
『お嬢様の笑顔を取り戻すのよ!』と沸き立つ彼女達は心強いが……ぶっちゃけ、凄く邪魔だった。
リアムの指示なんだろうが、こいつらが四六時中見張っているせいで気が抜けないんだよなぁ。一日中、幼女のふりをするのはさすがに疲れる……それに医者から『もう大丈夫だ』って言われているのに、部屋から出して貰えないし。部屋に引きこもって、ぐーたら過ごすのは楽しいが、さすがにこれは息が詰まるな……。
『はぁ……』と何度目か分からない溜め息を零す中────コンコンッと部屋の扉がノックされる。
『またウィリアムか?』なんて思いながら体を起こせば、扉の向こうからセバスの声が聞こえた。
「エリンお嬢様、お休み中失礼致します。お嬢様に会いたいと────フラーヴィスクールの理事長がお見えになっておりますが、如何なさいますか?」
フラーヴィスクールの理事長ってことは、レオンか。あいつ、出張に行ってたんじゃないのか?随分と帰りが早いな……まあ、学校が襲撃されたとなれば、さすがに帰ってくるか。名ばかりとはいえ、あいつは一応フラーヴィスクールのトップだからな。
「通してくだしゃい!」
「畏まりました」
わざわざ送り返す理由もないので、部屋に招けば、扉の向こうから大柄な男が現れた。
王都に帰って来たばかりなのか、薄茶色の長髪と髭が少し乱れている。また、眉間には深い皺が刻まれていた。
レオンの不機嫌さに苦笑する中、彼と入れ替わるように侍女達が出ていく。
レオンと二人きりになった空間で、私は少し手を振り、防音魔法を展開させた。
こりゃあ、相当怒っているな。今すぐにでもテロリスト共を殺しに行きそうな勢いだ。
表面上とはいえ、自分の縄張りを荒らされて頭に来ているのだろう。
「まあ、とりあえず座ったらどうだ?」
「……ああ」
ベッドの隣にある一人掛けの椅子を勧めれば、レオンは素直に腰を下ろした。
普段は喋らなくていいことまで口走るくせに、今日はやけに静かだ。
まるで別人と対面しているかのようだが……こいつがただ拗ねているだけだという事を私はよく知っている。
なんだかんだ、こいつとの付き合いは長いからな。大体のことは分かる。
「学校関係者に死者は出なかったんだ、それでいいだろ」
「今のところは、だろ?生徒を守ったシオンや他の教師が深手を負い、まだ目覚めていないのは知っている」
マルティネス公爵家に来る前にある程度情報を把握していたのか、レオンは『気休めの言葉はいらない』とでも言うように頭を振った。
血が出るほど強く拳を握り締めるレオンは思い詰めた顔をしている。
こいつは昔から仲間の死や怪我にとにかく敏感だった。
レオンの言う通り、シオンを始めとする学校関係者が数人、生死をさ迷っている。生徒の被害に関しては怪我人が多いものの、ほぼみんな軽傷だった。一番の重傷者であるルーカスも意識が回復していて、後遺症などもない。
ちなみに私が密かに治療したライアンとアンナについてだが……記憶が混濁していて、倒れる前の記憶がほとんどないらしい。だから、私も二人に合わせて『何も覚えていない』と答えた。なので、何故私達が助かったかについてはあまり言及されていない。
「はぁ……分かった。お前がそんなに気に病むなら、後で私がそいつらを治療し……」
「────俺が言いたいのはそういう事じゃない!!」
旧友のしけた面を拝むくらいなら一肌脱こうと思い立つ私だったが……激昂したレオンに言葉を遮られた。
そして、私が何か言い返す前に彼は怒号をあげる。
「お前は何で────俺を呼ばなかったんだ!?」
勢いよく席を立ったレオンはガッと私の胸元を掴み、真っ直ぐに睨み付けてくる。
獣のように表情は険しいのに、充血したマゼンダの瞳が今にも泣き出しそうだった。
神殺戦争を経験した人間だからこそ、レオンは人一倍臆病で、誰かを失うことに抵抗感を持っている。こいつは仲間の死を切り捨てることが出来ない優しい奴だから……。
「俺にとって、フラーヴィスクールは家だ!教師は家族だ!生徒は可愛い弟子だ!そして、お前は……戦姫は────俺の大切な仲間で、何にも変えられない友人だ!そんな大切な奴らが俺の知らないところで危険な目に遭って、生死に彷徨うなんて……耐えられる訳がないだろ!」
私の胸ぐらを掴む手に力を込めるレオンはポロリと一筋の涙を零す。
大の大人が……それも神殺戦争の英雄が人前で泣くなんて情けないが、私はこいつの涙にめっぽう弱かった。
普段は絶対に泣かない男だと知っているからこそ、心を揺さぶられる。
「なあ、戦姫……俺は大切な奴らが危険な目に遭っているとき、呑気に飯を食ってたんだ。うめぇうめぇ言いながら……!お前らがテロリストに襲われているなんて知らずに!この悔しさがお前に分かるか!?なあ!!」
レオンの魂からの叫びに、私は唇を噛んだ。
『ただの八つ当たりだ』と割り切ることが出来ず、小さな手を強く握りしめる。
「お前がただ一言、俺の名前を呼んでくれれば……!俺はお前らを助けに行けたのにっ……!何で呼んでくれなかったんだ!?」
何故、レオンを呼ばなかったのか……。
出張中のレオンが現れた理由付けが面倒だったとか、そもそもその方法が思い付かなかったとか色々理由はあるが……一番の理由はやはり────私自らの手でテロリストを痛め付けたかったから。
戦姫だった頃の感覚が戻ったあの時、私は破壊衝動に押されるまま、暴れ回った。奴らの苦しむ顔を見ないと、この破壊衝動は収まらないと思ったから……私は人命よりも己の快楽を優先したんだ。
私が一部の下っ端と幹部連中を倒したおかげで被害が抑えられた節は確かにある。でも、もっと別の方法を取っていれば……レオンを直ぐに呼び出していれば、重傷者が出なかったかもしれない。レオンを呼び出せる場面は幾度となくあったのだから。
以前までの私なら、『他人の命なんて、心底どうでもいい』と切り捨てていたが、今はそれが出来なかった。
感情と呼ばれるものが次々と胸に湧き上がり、私の頭を悩ませる。
嗚呼、最近の私はどうなってしまったんだろう?あのテロ事件から……いや、ライアンとアンナが傷付けられてから、私の中にある何かが変わってしまったようだ。
「────すまなかった……」
湧き上がる感情に押されるまま、謝罪を口にすれば────レオンが驚いたように『へっ?』と変な声を上げる。
さっきまでの怒りはどこへやら……彼は見事なアホ面を晒していた。
「だから、すまなかったと言っている。お前の縄張りで好き勝手やったことは謝ろう。だが……」
そこで敢えて言葉を切ると、私は胸元を掴むレオンの手を捻りあげた。
『いだだだだだだっ!!』と声を上げる彼にニッコリ笑いかける。
「私に無礼を働いた礼はさせてもらうぞ」
「ちょっ!待っ……!!」
涙目で懇願してくるレオンをスルーし、私は彼の手首をあらぬ方向へ折り曲げ────そのままへし折った。
『いたぁぁぁぁい!』とレオンの情けない声が木霊するが、防音魔法を張ってあるので問題は無い。
されるがままだと思うなよ。私は戦乙女 戦姫だぞ。
「さて、このまま指の骨も順番に折ってや……」
「悪かった!!俺が悪かったから、それはやめてくれ!!」
ブンブンと首を左右に振って、拒絶するレオンに溜め息を零し、パッと手を離した。
さっきとは違う意味で泣きそうなレオンは変な方向に曲がってしまった自身の手にフーフーと息を吹きかける。
『いや、それで治る訳ないだろ』と苦笑しつつ、彼の手首に治癒魔法を展開した。
グキッと音を立てて手首が正常な位置に戻り、白い光に包まれる。
そして、光の消滅と共にレオンの手首が完治した。
「さて、レオン。手首の怪我が治ったところで────フラーヴィスクールのテロに関する情報を貰おうか。治療費代わりだと思えば、安いものだろう?」
そう言ってニッコリ微笑めば、レオンは即座に『よ、喜んで!』と頷いた。