第59話『幹部との戦い』
溢れ出る笑みをそのままに、私は目にも留まらぬ速さでオリヴァーとの間合いを詰める。
仰向けの状態で倒れ、アホ面を晒す彼の顔面に拳をめり込ませた。
ゴキッと鳴っちゃいけない音が鳴り響き、拳に纏った風が奴の皮膚を切り刻む。
周囲に血が飛び散る中、オリヴァーは殴られた勢いを殺し切れずにそのまま右頬を床に打ち付けた。
今ので頭蓋骨を割ってしまったかもしれんな。少なくとも脳震盪は起きているだろう。もう少し遊びたかったが、これはもう使い物にならないかもしれない。
顔の左半分をぐちゃぐちゃにされたオレンジ髪の男は白目を向いて、気絶している。
あれだけ威勢よく飛び出して来たと言うのに、無様な男だ。
「手加減して、これとは……詰まらんな。弱いにも程がある」
そう吐き捨てれば、メラニーとハイネが大きく目を見開き、私を凝視した。
『あれが本気じゃない!?』とでも言いたげな表情だ。
私がここで本気を出せば、敵も味方もただじゃ済まないからな。校舎の破壊はもちろん、王都全体を更地にしかねない……。
それでは、私の引きこもり計画が台無しだ。
「残るは三人か。さて、どうやって調理し……ん?」
気絶したオリヴァーを一瞥し、顔を上げた私は見覚えのある魔力を探知し、床を見下ろす。
校舎の二階に意識を集中させ、魔力探知の精度を高めれば────リアムの魔力がハッキリと認識出来た。
もうモーネ軍が駆け付けたのか。思ったより、早かったな。
「もう一刻の猶予もなさそうだ」
「「「?」」」
何気なく呟いた独り言に、テロ組織の幹部とボスは不思議そうに首を傾げる。
どうやら、奴らはリアムやモーネ軍の魔力を探知出来ないらしい。
即死回避などの魔法は使えるのに、基礎中の基礎である魔力探知は全然駄目なんだな。実にアンバランスな奴らだ。
「まあ、今はそんな事どうでもいいが……」
スッと目を細めた私は胸の中に湧き上がる破壊衝動に押されるまま、駆け出した。
息を吸うように魔法を使い、己の体に身体強化魔法を施す。
幼児の体に身体強化を掛けるのは危険を伴う行為だ。軽い強化なら問題ないが、未成熟な体に釣り合わない強化を施せば、体が悲鳴をあげる。
そのため、本来であれば避けるべきなんだが……『人の体を素手で殴りたい』という衝動と残り時間が少ないことが重なり、こういう結果になった。
どうせ、死ぬことはないんだ。多少無茶をしても問題ないだろう。たとえ、怪我をしたとしても魔法で簡単に治せる。だから、我慢することは無い。
身体中がギシギシと悲鳴を上げ、関節や神経が痛む中、私はニヤリと口角を上げる。
抑え切れない愉悦を感じながら、ギュッと拳を握り締めた。
────まずは魔力切れの魔法使いから。
「ぐふっ……!?」
メラニーのお腹に小さな拳をめり込ませると、彼女は汚い声を上げて、吹っ飛んだ。
宙を舞う彼女の体は壁に叩きつけられ、そのまま床へと転がる。
殴られたお腹を抱えて蹲るメラニーは紅で彩られた唇から大量の血を吐いた。
「ケホケホッ……!」
「なっ……!?全然見えなかった……!!いつの間にこんな……!!」
血を吐くメラニーと私を交互に見つめ、ハイネは困惑を露わにした。
化け物でも見るかのような目で私を見つめ、急いでメラニーに駆け寄る。
治癒用の魔法陣を慌てて構築した彼はそれを発動し、直ぐさま彼女の傷を癒した。
「お前は回復師だったのか。気配が薄いから暗殺者か結界師かと思ったが……これは予想外だ」
クスクスと楽しげに笑いながら、ハイネに近づく。
こいつが回復師だと分かった時点で、優先順位は完全に入れ替わっていた。
連携の取れたパーティーを相手取る場合、真っ先に倒すべきは回復師だ。連携の要である支援職を先に潰しておくことによって、他の奴らに心的ダメージを与えると共に『もう回復は出来ないぞ』と圧を掛けられる。
後がない状況に追い込まれた人間ほど、脆いものはないからな。
「あ、貴方は一体何者なんですか?何が目的でこんな……」
僅かに後ずさるハイネは私と交渉でもするつもりなのか、質問を投げかけて来る。
弱者らしい不毛な会話に懐かしさを覚えながら、私は口を開いた。
「さっきも言ったが、私の正体を明かすつもりはない。どうしても知りたいなら、自分で暴け。あとは私の目的だったか?そんなの決まっているだろ」
そこでわざと言葉を切り、私は笑みを打ち消す。
脳裏に浮かぶのは血だらけで倒れるライアンとアンナの姿だった。
「────お前達が不愉快だからだ。存在自体が気に食わない。だから、潰してやろうと思ったんだ」
彼の考える目的とは程遠い理由を述べ、私は奴の胸ぐらを掴んだ。
ドロドロとした黒い感情が沸き起こる中、ハイネを黒板へ投げ飛ばす。
彼の体はボスの横を通り過ぎ、黒板に直撃した。
受け身すら取れなかったのか、ハイネは唸り声を上げながら、床に倒れる。
彼の無様な姿を見ると、少しだけ胸がスッとした。
嗚呼、本当に忌々しい。何故どいつもこいつも余計なことばかりするのか……私はただ引きこもり生活を送りたいだけなのに。
「お前ら全員邪魔だ」
抑揚のない声とは裏腹に感情は昂り、この身に秘められた強力な魔力が引き出される。
確かな質量を持つ高濃度の魔力は周囲に渦巻き、緩い風を巻き起こした。
『どう調理してやろうか』と考えながら、一歩前へ出る────が、しかし……誰かに左足を掴まれ、前へ進むことが出来ない。
横槍を入れられた私はブチギレる寸前で……苛立たしげに後ろを振り返った。
「余程死にたいらしいな?魔法使いの女よ」
眉間に深い皺を刻む私は必死に足を握るメラニーを見下ろした。
私に怯えながらも仲間のため、足止めをする彼女は実に健気だ。
でも、それしきの事で私の心は動かない。
「来世は幸せに暮らせるといいな?」
そう呟くのと同時に、周囲を漂う高濃度の魔力がメラニーに降り注ぎ────彼女を氷漬けにした。
後ろから『ま、待ってください……!』と声を掛けられるが、もう遅い。
まるで時が止まったかのように目を開いたまま凍ったメラニーに、もう息はなかった。
馬鹿な女だな。余計なことさえしなければ、軽傷で済んだかもしれないのに。
足を掴むメラニーの手を乱暴に振り払い、私は今度こそハイネの元へと向かう。
彼女のことが好きだったのか、灰髪の男性はポロポロと大粒の涙を流していた。
「そんなっ……!メラニー、返事をしてください!お願いですから……!」
床を這いつくばるようにして、氷漬けにされた紺髪の美女に近づこうとするハイネはとにかく必死だった。
涙で潤んだサンストーンの瞳にはメラニーしか映っていない。
私の前に現れなければ、好きな女と幸せな人生を送れたかもしれないな。まあ、もう手遅れだが……。
ハイネの行く手を阻むように彼の前に立つと、私は少し身を屈めた。
小さな手をギュッと握り締め、脇を締める。
そして────ハイネの頬を思い切り殴り飛ばした。
バキッと骨の折れる音と共に彼は鼻から血を垂れ流し、うつ伏せの状態で気絶する。
かなり強烈な一撃だったが、きちんと手加減したのでハイネにはまだ息があった。
「最愛の女を失った世界で狂いながら、生きるといい」
死ぬより辛い罰をハイネに与え、そっと身を起こす。
苦しみながら生きる彼の姿を想像し、ゆるりと口角を上げた。
鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌な私は教卓の上に座る白髪の美丈夫に目を向ける。
部下達の敗北を黙って見守っていたボスは『次は自分の番だ』と自覚しても、顔色一つ変えなかった。
ほう?それは面白い……いじめ甲斐がありそうだ。リアム達がここに来るまでもう少し掛かりそうだし、たっぷり楽しもうではないか。
「────テロ組織のボスよ、一騎打ちと行こうじゃないか」