第44話『助太刀《ルーカス side》』
時は少し遡り、グラウンドから生徒達が逃げ出した直後────僕はシオン先生と共にこの場に残っていた。
遠ざかっていく弟の背中を見送り、空を見上げる。
生徒達の安全を考え、ブレスをいなすことも出来ないシオン先生は額に玉のような汗を浮かべていた。
あれじゃあ、長くは持たないね。早めに手を打たないと……。
ドラゴンのブレスを必死に食い止める先生の姿を眺めながら、僕は魔法陣を描き上げていく。
努力家のライアンには劣るが、魔法陣を構築するスピードには自信があった。
僕には兄上やライアンのような火力はないけど、魔法の細かい調整において右に出る者は居ない。だから────他人の魔法に干渉するくらい、造作もなかった。
「風の守護者よ 今一度、我の呼び声に応えたまえ 我、汝の力を欲する者なり────エアコントロール」
出来上がった風の魔法陣に魔力を流し、そう唱えれば、ちょっと特殊な風魔法が発動した。
その魔法は強風を吹かせるものでも、風の刃を作り出すものでもない。
目に見える効果ではないため、大抵の人は僕が何をしたいのか分からないだろう。
放出した魔力の流れを追いながら、手を指揮者のように振るう僕はゆるりと口角を上げた。
「シオン先生、もう下がって大丈夫ですよ」
そう告げるのと同時に────ドラゴンのブレスが突然消えた。
まるで何かに掻き消されたみたいに……。
まあ、魔法のコントロールが意外と難しくてシオン先生の炎魔法も消えちゃったけど……そこはご愛嬌ということで。
「えっ……なんっ!?ルーカスくん、これは一体……!?」
戸惑いが隠せない様子のシオン先生に、僕は『大したことではない』とでも言うように肩を竦める。
「ドラゴンの周囲を窒素で満たしただけです。燃焼に必要な酸素を奪ったので、しばらくブレスは吐けません。それから────」
わざとらしくそこで言葉を切ると、僕はドラゴンの上に乗る人物を見上げた。
灰色のローブに身を包むその人物は苦しそうに喉元を押さえている。
ドラゴンはブレスを吐くために必要な酸素を取り入れるために呼吸をしているが、人間は違う。
生命活動に必要な酸素を取り入れられなければ、呼吸困難に陥り、やがて死に至るだろう。
だから────。
「もうすぐ、テロ犯の一人がドラゴンの上から降ってきますよ」
「えっ!?」
確信を滲ませた僕の言葉に、シオン先生は大声を上げ、天を仰いだ。
すると────僕の予想通り、ドラゴンの上にいた人物が転げ落ちるように落下してくる。
空中でケホケホと咳き込みながらも、着地用の魔法陣を構築するあたり、魔法の腕前はそれなりと言えた。
一般人なら、パニックになって魔法陣を構築する余裕なんてないんだけど……フラーヴィスクールにテロを仕掛けるだけあって、優れた判断力と冷静さを持ち合わせているようだね。
そこら辺のチンピラとは訳が違う。あまり油断しない方が良さそうだ。
相手の一挙一動から実力を推し量る中、奴は風魔法を使って、ふわりと地上に降り立つ。
その反動で、バサッとローブのフードが取れ、奴の顔面が露わになった。
「ははっ!これは驚いたね。まさか、テロ犯の中に────敗戦国の王族が混ざっているなんて」
予想の遥か上を行く人物の登場に、僕はただただ笑みを零した。
そんな僕の前で、テロ犯の一人であるイザベラ・ジュエル・マーティンが唇を噛み締める。
彼女はマルス王国の元王女で、僕らモーネ国に戦いで敗れ、逃げ出した女だ。
イザベラはマルス王国一の魔法使いと呼ばれており、幻影魔法に長けていた。
今までモーネ国の追跡を免れたのも、その力のおかげだろう。
そのまま大人しく余生を過ごせば良かったものの、何故テロなんて仕掛けてきたんだか……。
親の復讐?それとも、生徒を囮にしてマルス王国の復興でも呼びかけるつもりだったのかい?だとしたら、愚かとしか言いようがないね。
こんな形で復讐をしてもマーティン王家の醜聞を晒すだけだし、生徒を囮にしてもマルス王国の復興は叶わない。仮に復興したとしても、他国から非難を浴びるだけだろう────やり方が卑劣過ぎる、と。
『随分とお粗末な頭だね』と笑顔で吐き捨てれば、イザベラは怒りで顔を歪めた。
闇夜に溶け込む黒髪を揺らし、瑠璃色の瞳に憎悪を滲ませる彼女は実に醜い。
顔立ちは悪くない筈なのに、どこまでも穢れた存在のように思えた。
家族を殺され、モーネ国を恨む気持ちは分からないでもない……でも、戦争と直接関わりのない子供を襲うのは間違っている。
怒りの矛先を向けるべき相手は僕らじゃない。
「マーティン王家の生き残りがまさか、ここまで落ちぶれていたなんて思わなかったよ。君以外の王族は潔く死を受け入れたのに、君はその死を無に帰すんだね」
皮肉半分、本音半分の厳しい言葉を投げかける。
すると、イザベラは般若の形相で僕を睨みつけた。
「アンタに……アンタなんかにっ!私の何が分かるのよ!?」
耳にキーンと響くほどの大声で叫ぶイザベラは目尻に涙を溜める。
その姿は実に哀れだが……彼女に同情の余地なんてなかった。
「ははっ!君の気持ちなんて分からないし、分かりたくもないよ────マルス王国の国民を危険に晒そうとする君のことなんか、ね」
「っ……!」
痛いところを突かれ、返す言葉が見つからないのか、イザベラは思い詰めたような顔をする。
彼女だって、本当は理解しているのだろう。こんなことをすれば、マルス王国の国民の立場が悪くなると……。
フラーヴィスクールには貴族の子供達が少なからず通っている。そこにテロが起きたとなれば、その親が黙っていない。
イザベラの存在が明るみに出れば、マルス王国の処遇を考え直すよう多くの貴族から嘆願書が寄せられることだろう。
イザベラを除く王族が潔く死を受け入れたから、マルス王国の処遇は比較的軽いものだったのに……君のせいでマルス王国の国民たちは更に苦しむことになるかもしれない。
本当に可哀想だよ……いつだって、苦渋を飲まされるのは哀れな国民達なのだから。
「────え、えーっと……話はよく分からないけど、彼女は元王女様ってことでいいのかな?」
今の今まで沈黙を貫いてきたシオン先生がおずおずといった様子で、そう問い掛けてくる。
見るからに政治に興味がなさそうなシオン先生はイザベラのことを知らない様子だった。
「ええ、その通りです。なので、捕縛して頂けると助かります。敗戦国の元王女として、処刑しないと民に示しがつかないので」
「あー……なるほど。処刑台に上げるために捕縛するのはちょっと気が進まないけど、それが国の意向なら従うよ」
複雑な表情を浮かべながらも了承の意を示したシオン先生は浮遊魔法を解き、トンッと地面に着地する。
懐から新しい呪符を取り出す先生を尻目に、僕はチラッとドラゴンを見上げた。
特に動く様子はないね。やっぱり、飛竜程度のドラゴンじゃ、自分で考えて行動することは不可能か。
一口にドラゴンと言っても、その種類は様々で振り幅が大きい。
レッドドラゴンは動物並みの知性しか持ち合わせていないため、このように人間の言いなりになっている。そうでなければ、力を尊ぶドラゴンが人間の下につくことなんて、有り得なかった。
とりあえず、あのドラゴンは放っておいても良さそうだね。
となると、問題は────幻影魔法の使い手であり、ドラゴンの飼い主でもあるイザベラか。
ドラゴンに何か指示を出されても面倒だし、さっさと片付けてしまいたいね。
「シオン先生、他の生徒のことも気になりますし、一気にケリをつけましょう」
「そうだね。ここにあまり時間を割く訳にはいかない」
意見が合致した僕とシオン先生は互いに頷き合い、目の前の敵を見据えた。
さあ、罪深き元王女よ────相応の報いを受けるといい。