第43話『破壊衝動』
それから、私達は急いでグラウンドを離れ、フラーヴィスクールの敷地内にある倉庫に身を潜めていた。
ほとんど使われていない古びた倉庫は埃が凄くて、少し息がしづらい。
でも、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
先程の爆発から校舎内は危険と判断し、倉庫に来たみたいだが……助けが来るまでやり過ごすのはちょっと難しそうだな。
まだ見つかってはいないが、時々テロ犯の仲間と思しき黒ずくめの集団が倉庫の前を通り掛かる。
発見されるのも時間の問題だろう。
となると、戦うか逃げるしか方法がない訳だが……。
私は暗い表情を浮かべるアンナと強く手を握り締めるライアンを交互に見つめる。
二人とも先程のショックが抜けないのか、あまり喋らない。
一応、何があっても対応出来るように剣や魔法陣を手にしているが、あれではまともに戦えないだろう。
アンナとライアンの実力は本物だが、人殺しに抵抗を感じるなら、戦闘中に必ず迷いが生じる。
剣先が鈍れば敵に淘汰され、攻撃を躊躇えば味方の命が失われるだろう。私はそういう奴らを多く見てきた。
だから、こいつらは今、戦うべきじゃない。
そうなると、私達に残された道はただ一つ────フラーヴィスクールからの脱出だ。
遠目でしか見えなかったが、街の方はテロの被害に遭っていないようだった。
つまり、テロ犯が占領しているのはフラーヴィスクールの敷地内だけ。
学校から抜け出すことが出来れば、あいつらも追ってこないだろう。
だが、そのためには脱出経路を確保する必要がある。
フラーヴィスクールは外敵から生徒を守るため、そして生徒達の攻撃から街を守るために巨大な壁で校舎を取り囲んでいる。
その高さと強度は城壁に匹敵すると言われていた。
そのため、敵の目を掻い潜り、こっそり脱出は出来ない。必ず壁に阻まれる。
フラーヴィスクールには正門と裏門の二つの出入口があるが……恐らく、見張りが居るだろう。
ここまで大胆なテロを行う奴らだ、脱出経路を残しておくとは思えない……。
正面突破を試みることも出来るが……今の二人を前線に立たせるのは不安でしかないな。
出来るだけ戦闘を避けて、安全に脱出する方法か……。
正面突破が普通だった私では思いつかないな……。
強すぎるが故に脳筋思考になりがちな私は解決策に頭を悩ませる。
『いっそのこと、壁をぶち破ればいいのでは?』という考えに思い至ったとき────不意に誰かの気配を感じた。
魔力の波長からして、私の知り合いではなさそうだが……一体何者だ?
「────皆〜!無事かい?もし、そこに居るなら返事をしておくれ!」
我々の安否を確認する優しげな声は────確かにルーカスのものだった。
出会って日は浅いが、あいつの甘ったるい声はよく覚えている。
だが、何だ?この違和感は……。
何故あいつは────声に魔力を乗せているんだ?自分の声を遠くまで届けるためか?いや、だとしてもおかしい……テロ犯がそこら辺にうじゃうじゃ居る状況で大声を上げるなんて。
ルーカスの全てを把握している訳じゃないが、私の知るルーカスはそんなリスクを犯す奴じゃない。
嫌な予感を覚える私を他所に、アンナがパッと顔を上げた。
「この声は……ルーカス先輩!?きっと、私達を保護しに来てくれたんだ!早く私達の居場所を知らせなくちゃ!」
一縷の希望を見出したアンナは明るい表情を浮かべ、駆け出した。
倉庫の大きな扉の前まで行き、古びた取っ手に手を掛ける。
私の野生の勘が言っていた────あの女を早く止めろ、と。
「ま、待ってくだしゃ……」
小さな手を目いっぱい前へ伸ばし、制止の声を掛けようとするが────アンナの方が少し早かった。
止める間もなく、倉庫の扉が音を立てて開く。
扉の外に居たのは────ルーカスとは似ても似つかない、黒ずくめの男だった。
「っ……!!」
やっぱり、ルーカスじゃなかったか!恐らく、魔法で声を変えて、ルーカスを演じていたんだ!隠れている生徒を誘き出すために……!!
焦る私を他所に、見事作戦に成功した黒ずくめの男はニヤリと笑う。
奴の策に引っ掛かったアンナは大きく目を見開き、顔を青くした。
「あっ、ぅ……何で……?確かにルーカス先輩と同じ声だったのに……」
絶望するアンナを前に、黒ずくめの男は懐からナイフを取り出した。
四本のナイフを指と指の間に挟み、しっかりと構える。
標的は言うまでもなく、一番近くに居るアンナだった。
「っ……!アンナ・グラント、下がれ!!」
私を庇うように前に立ったライアンは事前に用意していた魔法陣を黒ずくめの男に投げつけた。
赤い光を放つ魔法陣が巨大化していく中、金髪碧眼の美少女が反射的に身を屈める。
倉庫の外に居る黒ずくめの男が急いでナイフを投げる姿が見えた。
「炎の守護者よ 今一度、我の呼び声に応えたまえ 我、汝の力を欲する者なり────ファイアボム!」
ナイフが直ぐそこまで迫ってくる中、ライアンは早口で詠唱を口にする。
その甲斐あってか、ナイフがアンナに刺さるより先に魔法が発動した。
ボンッという爆発音と共に投げられたナイフは四方八方へ吹っ飛ぶ。
そこまで大きな爆発ではなかったため、アンナに怪我はなかった。
「あ、ありがとうございます、ライアンくん……それから、ごめんなさい。私のせいでこんなっ……!」
「いや、止めなかった俺も悪い。だから、気にするな。そんなことより、今は目の前の敵に集中しろ」
「わ、分かりました!」
ライアンのおかげで幾分か正気を取り戻したのか、アンナは慌てて剣を構える。
爆発による黒い煙の向こうには、まだピンピンしている黒ずくめの男が目に入った。
やはり、あの程度の攻撃では倒れないか。
「お前は前線に出て、あいつを牽制しろ。別に倒さなくていい。時間さえ稼いでくれれば、それで構わない」
「分かりました。エリンちゃんのこと、任せます!」
「ああ」
昨日やった実践訓練と同じ要領で動く二人はそれぞれの役割を果たす。
アンナは強化呼吸で身体能力を飛躍的に向上させて黒ずくめの男に斬りかかり、ライアンは大急ぎで魔法陣を練り上げた。
大人顔負けの実力を持つ二人に守られながら、私は戦況を見守る。
完全にショックが抜けた訳ではなさそうだが、戦闘が出来るまで回復したみたいだな。
殺すか殺されるかの状況に追い込まれない限り、大丈夫そうだ。
ホッと息を吐き出す私の前で、アンナの剣技に踊らされる黒ずくめの男が眉を顰める。
彼女の実力が予想以上で、苦戦しているのだろう。
防戦一方になる黒ずくめの男は腰に差した剣を抜きながら、私の方に目を向けた。
ライアンの背に隠れる私を見て、ニヤリと口元を歪める。
全身の穴という穴から冷や汗が吹き出す中、黒ずくめの男は懐から拳銃を取り出した。
なっ!?何故、あいつが拳銃を……!?モーネ国では一般人の所持を禁じている筈!なのに何故……!?
予想外の事ばかりで思考が追いつかない中、黒ずくめの男は拳銃の引き金を引いた。
撃ち放たれた銃弾は私目掛けて真っ直ぐ飛んでくる。
今から、結界を張る余裕はない……いや、私なら張れるが、ライアンやアンナでは無理だろう。
幸い、狙われている場所は心臓でも頭でもなく、太腿みたいだし、我慢するか……?いや、でも……。
どの判断が最善なのか思い悩んでいる内にも、銃弾は物凄いスピードで迫ってくる。
もう一刻の猶予もなかった。
「────エリン!!」
焦ったように私の名前を呼ぶ声が聞こえたかと思えば、ライアンが私を庇うように覆い被さってきた。
押し倒されるような形で床に倒れるのと同時に、カンッと何かを弾くような音が聞こえる。
銃弾が外れたのか?と困惑する私を他所に、目の前にあるライアンの顔がグニャリと歪められた。
「っ……!!掠ったか……!」
普段のポーカーフェイスが嘘のように歪められた顔は苦しそうで……慌てて視線を動かす。
すると────真っ赤に染まるライアンの横腹が目に入った。
かなり傷が深いのか、出血が止まる気配はない。
全身から血の気が引いていく私は頭の中が真っ白になった。
何で……どうして、こいつが怪我を……?この傷は、痛みは、苦しみは……私が受ける筈だったのに。
「ら、ライアンくん!!」
こちらの様子を呆然と見つめていたアンナは敵のことなんて忘れて、こちらに駆け寄ってきた。
私の上からライアンを退かし、床の上に横たえる。
彼女は今にも泣き出しそうな顔でライアンの傷口をハンカチで必死に押さえた。
「ライアンくん!しっかりしてください!」
そう呼び掛ける彼女の前で、銀髪翠眼の美青年は必死に意識を保とうとするが……出血量が多すぎたのか、そのまま目を閉じた。
まだ辛うじて息はあるが、このまま放置すれば確実に死ぬだろう。
「ライアンくん!お願いします!目を覚まし……っ!」
うるさいくらい声を張り上げるアンナに、黒ずくめの男は情け容赦なく銃弾を浴びせた。
ダァン!という銃声と共に、彼女の肩から血が吹き出す。
アンナの肩を貫通した銃弾は床に転がった。
「かはっ……!え、りんちゃん……逃げて……」
精神的ダメージもあり、アンナはその言葉を最後に気を失った。
二人分の血の匂いがこの場に広がり、私はそっと目を伏せる。
荒波のように激しい感情が渦巻く中、黒ずくめの男は私に拳銃を向けた。
嗚呼、今日は本当に────気分が悪い。
「邪魔だ」
詠唱ですらないその一言に私の魔力は反応し────男の腕を捻りちぎった。
肩から指先まで失った男は呻き声を上げながら、その場に膝を着く。
このちっぽけな男を殺すのに魔法陣も詠唱も必要なかった。
私はただ願えばいい────こいつの死を。
「うるさいぞ、三下。声を上げていいなんて、私は許可していない」
顔から感情を削げ落とした私は冷徹な目で黒ずくめの男を見つめる。
『ひぃ……!』と情けない声を上げる男は恐怖心を露わにし、そのままズルズルと後ろに下がった。
懇願するような目を向ける男を前に、私はニヤリと口角を上げる。
────戦姫だった頃の感覚が少しずつ戻ってきた。
「はははっ!殺される覚悟もなく、相手を襲うなど愚の骨頂だな?お前ほど、愚かな人間は見たことがない!一ついいことを教えてやろう!私はお前みたいな人間が────大嫌いなんだ」
後半部分を平坦な声で告げれば、男の体は風の刃で切り刻まれ────ぐちゃぐちゃになった。
肉と骨だけになった男の死体は真っ赤な血で汚れている。
愚者の最期にしては良い方だろう。
もし、この場にライアンとアンナが居なければ、もっと酷いことになっていただろうからな。
昔の記憶を呼び起こす私は男の死体を一瞥し、ライアンとアンナに視線を移した。
未だに出血が止まらない二人は顔色が悪く、呼吸が乱れている。
「ライアン、アンナ……辛い思いをさせて、悪かった。後のことは私に任せて、今はゆっくり眠ってくれ」
怪我をさせてしまった二人に少なからず責任を感じる私は完全無詠唱で、治癒魔法を発動した。
ライアンとアンナは白い光に包まれ、あっという間に傷を完治させる。
顔色はまだ優れないが、呼吸はかなり安定した。
失われた血に関しては治癒魔法じゃ、どうしようもないからな。自然回復を待つか、輸血をするしかない。
「まあ、安静にしていれば大丈夫だろ」
そう結論づけた私は倉庫全体を取り囲む形で、結界魔法を展開した。
万が一にも二人が害されないよう、結界は二重構造にしておく。
そして、倉庫の中にあった青い布を上から被った。
グータラ生活のためにも、出来ればリスクを背負いたくないが……このテロを仕掛けた奴らにはお仕置きが必要だろう。
何より────多くの血を浴びなければ、この衝動は収まらない!私の全細胞が血を求めているのだ!
「お前達は本当に愚かだな。私から戦姫だった頃の感覚を呼び覚ましたのだから。今の私を止められるのはレオンくらいだぞ。まあ、そいつも出張中で居ないがな」
クツリと笑った私は血のように真っ赤な瞳を爛々と輝かせ、この場を後にする。
全身を駆け巡る破壊衝動に押されるまま、私は学校の校舎を目指した。