第3話『天然』
オルティス伯爵家の屋敷を後にした私は、現在リアム・マルティネスの膝の上に居た。
「お前、軽いな。しっかり、食べていたのか?」
公爵家の豪勢な馬車に揺られながら、金髪翠眼の美丈夫は私の横腹を掴んだ。
いや、うん……ちょっと待ってくれ。
まだ子供とは言え、女の贅肉を掴むのはどうなんだ?
それは男として、色々アウトじゃないか?
リアム・マルティネスの色んな意味でアウトな行動に思わず頬が引き攣りそうになるが、私は何とか耐える。
────と、ここで彼が顔を上げた。
「ふむ……やはり、細いな。セバス、菓子を」
「畏まりました」
セバスと呼ばれた男性は執事服に身を包んでおり、顔や手に多くの皺を刻んでいた。
恐らく、年齢は六十代前後だろう。
などと考える中、私達の真向かいに座るセバスは大きな鞄をいそいそと漁る。
そして、顔くらいの大きさの缶を取り出した。
「今朝、料理長に作らせたクッキーに御座います」
「ああ。一枚寄越せ」
「畏まりました」
セバスはリアム・マルティネスに命令されるまま、缶の蓋を開けた。
刹那、ふわりと甘い香りがこの場に漂う。
そういえば、この体に転生してから菓子なんて一度も食べたことなかったな。
お粗末ながら、一応三度の食事はあったが……。
『パン一切れとか、具なしスープとかだったけど』と思い返す中、リアム・マルティネスはセバスからクッキーを受け取った。
かと思えば、直ぐさま私の口元に持ってくる。
「食べろ」
『食べるか?』ではなく、『食べろ』か。しかも、相変わらずの無表情。
これ、普通の子供相手だったら泣いているぞ。確実に。
『私で良かったな』と内心肩を竦めつつ、とりあえず口を開けた。
その途端、
「あっ……むっ!?」
クッキーを半ば無理やり押し込まれ、変な声を上げてしまう。
一口サイズのクッキーとは言え、子供の小さな口で食べるにはまだ大きい。
なのにこいつはそんなのお構い無しで、一枚そのまんま口に押し込んできやがった。
これには、さすがの私も驚きだ。
……まあ、クッキーは普通に美味しかったけど。
「坊っちゃま、エリン様のお口には少しクッキーが大きかったようですね」
「そうか?口いっぱいに頬張ってて、リスみたいだぞ?」
「坊っちゃま、論点がズレております……」
「ん?」
セバスの話をきちんと聞いていなかったのか、ただ単に天然なだけなのか……リアム・マルティネスはキョトンとした表情で首を傾げた。
かと思えば、缶から再びクッキーを手に取り、私の口元に寄せる。
こいつ、まだ食べさせるつもりか……。
正直クッキー……というか、お菓子はもう良いんだが。
また一枚そのまんま口に放り込まれても、困るし……あと凄く喉が渇いた。
口内に残るクッキーの欠片をゴクンと飲み込むと、私は翠玉の瞳を下から覗き込んだ。
「リアムしゃま、クッキーはもう大丈夫れす。ご馳走しゃまでした」
彼の膝の上に座ったまま、ペコリと頭を下げれば何故かガシッと顎を掴まれる。それもかなり強い力で。
魔法で身体強化すれば余裕で振り払える力だが、今の私は非力な子供。この手を振り払う訳には、いかない。
『色々と制約が多すぎる』とゲンナリする中、グイッと力任せに顔を上げさせられる。
そして、再び彼と視線が交わった。
感情が読み取れない無機質な瞳を前に、私は内心困惑する。
な、何だ!?いきなり!
まさか、『クッキーはもういい』と言ったからか!?
それで、機嫌を悪くしたのか!?
公爵様の気遣いを無下にするな、と……!?
「私はお前の父親となった。リアム様ではなく、お父様と呼べ。分かったか?」
「は、はぃ……お父しゃま」
「ああ。それでいい」
リアム・マルティネスは満足そうに頷くと、すぐに私の顎から手を離した。
────って、それだけ!?呼び方が気に食わなかったが為に、子供の顎を掴んだのか!?
もっと深刻な問題かと思って、身構えた私が馬鹿みたいじゃないか!
どこまでも行動が読めないリアム・マルティネスに戸惑っていると、彼は私の膝の上にあるクッキーを拾う。
恐らく、私の顎を掴んだ際落としてしまったのだろう。
『ゴミ処理なんて、使用人に任せればいいのに』と考える私を前に、リアム・マルティネスはクッキーを────口に含んだ。
「え、あっ!お父しゃま、落ちたものを食べたらバイ菌が……!」
「問題ない。お前の膝なら、セーフだ」
「坊っちゃま、残念ながらアウトです」
「……私がセーフと言ったら、セーフだ」
「坊っちゃま……」
呆れた様子で頭を振り、セバスは目頭を押さえる。
『ふぅー……』と長い息を吐き出すセバスに、私は生暖かい目を向けた。
『お互い苦労するな』とでも言うように。
これから公爵家でやっているのか、ある意味不安になる中────人ではない魔物の気配を感じ取った。
これは……。
私達を乗せた馬車が走っているのは、森近くの街道。
魔物が多く生息する森が近くにあるため、ここを通る人間は少ない。
が、生きる伝説と言われるリアム・マルティネスが居るなら問題ないだろう。
いざとなれば、私がこっそり倒せばいい話だし。
そう判断し、雑魚魔物の接近を見逃した。
馬車に近づく前に始末することは可能だが、リアム・マルティネスやセバスに私の魔力を感知されたら面倒だ。下手に動くべきではない。
黙りを決め込んだ私の傍で、リアム・マルティネスがピクッと反応を示した。
「ストーンゴーレムか……お前、水晶は好きか?」
何の感情も窺えないエメラルドの瞳でこちらを見下ろし、リアム・マルティネスは問い掛けてくる。
が、質問の意図がよく分からない。
特に興味はないけど、好きか嫌いかと問われれば。
「しゅき、でしゅ……?」
「そうか────では、ストーンゴーレムを狩るとしよう。セバス、馬車を止めろ」
「……畏まりました」
どこか呆れた表情で了承の意を表したセバスは御者に声を掛け、馬車を止めさせる。
え、え?まさか、水晶の質問って……ストーンゴーレムの心臓のことだったのか!?
────ストーンゴーレムはそれぞれ胸に、動力源となる水晶が埋め込まれている。
名実ともに心臓の役割を果たすソレは、魔石とはまた違う高密度の魔力が宿った結晶体。
マニアには、高値で売れる代物だった。
別に難易度の高い魔物ではないが、金にも資源にも困っていない公爵家が相手をする価値はない。
つまり、無視が一番。
『なのに、何故わざわざ立ち向かっていく……』と嘆息する中、リアム・マルティネスは私を片手で抱き上げた。
かと思えば、そのまま馬車を降りる。
ストーンゴーレムの群れは、もう直ぐそこまで迫っているというのに。
ちょ、ちょっと待て!?まさか、こいつ……!!私を抱っこしたまま戦う気か!?
────と察した瞬間、森の方からストーンゴーレムの群れが飛び出してきた。