第38話『すっとぼけ』
────その日の放課後。
私は『レオンに呼び出された』という名目で、ライアンを先に帰し、理事長室に向かっていた。
レオンの魔力は常に駄々漏れ状態なので、探知しやすく、居場所を割り出しやすい。
戦場ではそれが命取りになったりするが……あいつの場合、ほとんど関係なかった。
向かってきた敵を圧倒的実力で切り伏せ、屈服させる……それがレオンのやり方だ。
私は短い足でトテトテ歩きながら、周囲の様子を窺う。
フラーヴィスクールの生徒は放課後になると、練習場に行くか直ぐに帰宅する者が多い。
そのせいか、放課後の校内は人が少なく、静かだった。
────あいつの気配さえなければ、更に静かになるんだが……いい加減、視線が鬱陶しいな。
この周囲には私達しか居ないのだから、もうそろそろ姿を現したら、どうだ?息を殺して、幼女の後を追うのも大変だろう?
ライアンと別れたあたりから、ずっと私の後ろをついてくる者が居た。
その人物とは────教師のシオンだ。
どうやら、授業の時に見せた私の魔法に興味が湧いたらしい。
奴の気配に気づかないフリをしながら、歩みを進めると────突然天井からシオンが降ってくる。
軽やかな身のこなしで着地した彼はニパッと笑って見せた。
「やあ、エリンくん。授業ぶりだね。今ちょっとお話いいかい?」
道化師のように笑顔の仮面を被る彼はどことなく胡散臭い。
雰囲気はルーカスとよく似ていた。
「お話でしゅか?でも、私これから理事長先生のところに行かなくちゃならなくて……」
「大丈夫、大丈夫。直ぐに終わるから。エリンくんが直ぐに答えてくれれば、五分もかからないよ」
「そうでしゅか?それなら……」
ニコニコと笑うシオンに笑い返し、静かに頷く。
ピンッと背筋を伸ばした私は彼の言葉を待った。
シオンは無垢な子供を演じる私に探るような目を向けながら、口を開く。
「エリンくん、君に聞きたいことは一つだ。君は一体────何者だい?ただの子供ではないだろう?」
確信を滲ませた声色で私にそう尋ねるシオンは真剣な表情を浮かべている。
道化師のような胡散臭い笑顔はどこかへ消えていた。
「君が授業の最後に見せた魔力の譲渡と魔力回路の修復は誰にでも出来ることじゃない。十歳にも満たない子供がまぐれで引き起こせる技じゃないんだ……それに君には普通の子供とは違う独特の雰囲気がある。とてもじゃないが、親や兄弟に甘えるだけの無垢な子供とは思えない。絶対に誰にも言わないから、君の正体を教えて欲しい」
真っ直ぐな思いと無限の好奇心を私にぶつけるシオンはその場で膝をおり、私と目線を合わせた。
自分の言葉に偽りはないと証明するかのように私の目をじっと見つめ返す。
武人の性とでも言うべきか、シオンは私に嘘をついたり、拷問したりすることはなかった。
こういうところは昔と変わらないんだな。1000年前に実在した武人たちも決して卑怯な手は使わなかった。
弱者を虐げるようなことはせず、誰であろうときちんと向き合う。
強者との戦いにしか興味がなかった私とは全然違うな。
昔と変わらない武人の志に目を細め、懐かしさを覚えた。
シオンの真剣な眼差しを受け止めながら、ゆるりと口角を上げる。
「シオン先生。私、実は────何を言っているのか、さっぱり分からないでしゅ!」
人差し指を口元に当て、コテンと首を傾げる私はシオンに向かってニッコリ微笑んだ。
私の正体?そう簡単に教える訳ないだろ。初対面の人間に口を割るほど、私はチョロくない。
武人の志を受け継ぐお前にはちょっと感心したが、それとこれとは別問題だ!
「魔力の譲渡と魔力回路って、何でしゅか?それに私の正体って、どういうことでしゅか?あっ!もしかして、私のお名前を忘れちゃったんでしゅか?だったら、もう一度教えてあげましゅ!私はエリン・マルティネス!マルティネス公爵家の養女でしゅ!」
士官学校の生徒らしく敬礼し、『これでどうだ』と言わんばかりに胸を逸らす。
無知で、無垢で、無邪気な子供を全力で演じ切ってやった。
KYという名に相応しい私の切り返しに、シオンはただただ黙り込む。
残念だったな!シオン!私の正体を知りたいなら、自分で調べあげることだ!私の口から真実を聞き出そうなど……1000年早い!
「えっ?本当に僕の勘違い……?エリンくんはただの子供で、授業の時に見せたあれはまさかまぐれ……?でも、まぐれで引き起こせる技じゃないと思うんだけど……」
ブツブツと独り言を零すシオンは相当混乱しているようで、フルフルと頭を振る。
取り乱す彼の前で、私は一人勝ち誇った笑みを浮かべていた。
よし!すっとぼけ作戦は見事成功したな!
これでシオンも変な勘繰りはしてこないだろう。私への疑いが完全に晴れることはなくても、『まぐれだったのでは?』という可能性を植え付けることは出来た筈だ。
今日のように自信満々で尋問してくることはなくなるだろう。
とりあえず、ミッションコンプリートだな。
「シオン先生、お話は終わりでいいでしゅか?もうそろそろ、理事長先生のところに行かないと……」
「あ、ああ……引き止めて悪かったね。もう行っていいよ。また明日ね」
「はい!さようなら!」
未だに動揺が抜けないシオンにペコリと丁寧に頭を下げ、奴の隣を通り抜ける。
後ろからブツブツと独り言を呟くシオンの声が聞こえるが……私は聞こえないふりをした。
ここで変に反応したら、後が面倒だ。今はレオンと合流することだけを考えよう。
そう決めた私は魔力探知を頼りに廊下を進み、見慣れた扉の前で足を止める。
学校の全体図をまだ把握し切れていないので、少し遠回りになってしまったが、何とか理事長室まで辿り着くことが出来た。
周囲に誰もいないことを確認してから、魔法を使って勢いよく扉を開け放つ。
「レオン、紅茶とお菓子を準備しろ。少し話がある」
とても客人とは思えない態度で、私はソファで昼寝中のレオンにそう言い放った。
突然の物音で飛び起きたレオンは慌てて周囲を見回し、私を見つけるなり大きく目を見開く。
「えっ……?えぇ!?おまっ……!何で!?」
「ちょっと聞きたいことがあって、来ただけだ。それより、早く紅茶とお菓子を準備しろ。私を待たせるな」
「え?あ、ああ!」
寝起きで上手く頭が回らないのか、レオンは困惑した様子で隣の部屋に入っていく。
その様子を見届けてから、私は部屋の中へ入り、開けっ放しだった扉を閉めた。
レオンが大急ぎで紅茶とお菓子を準備する中、来客用のソファにドカッと腰掛ける。
聞かれて不味い話ではないが、念のため防音魔法を張っておくか。
手の平に魔力を集めた私は効果範囲を調整しながら、防音魔法を発動させた。
床や壁にピタッと張り付くように広がったこの膜は音を弾く仕様で、音漏れを防いでくれる。
どんなに大きな物音を立てても、外部に漏れることはなかった。
とりあえず、これで外部に情報が漏れることはない。
まあ、レオンが言いふらさなければの話だが……あいつの口はヘリウムより軽いからな。戦姫の外見情報を生徒達に言いふらすくらいには。
不愉快極まりない記憶が脳裏を過り、一気に機嫌が悪くなった私は隣の部屋から戻ってきたレオンを軽く睨みつける。
突然殺気を飛ばされたレオンは『え?何?』と視線だけで問うてくるが、私の機嫌の悪さを察するなり、パッと視線を逸らした。
紅茶とお菓子が乗ったトレイを手に、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
そして、私の前に紅茶とお菓子を素早く並べると、向かい側のソファに腰を下ろした。
「そ、それで今日は一体何の用だ?何か問題でもあったのか?」
若干声を上擦らせるレオンは下手くそな作り笑いを浮かべ、私の機嫌を窺う。
大の男がただの幼女に怯える様子は見るに耐えないが……今はそれを指摘している暇はなかった。
さて、レオン────シオンのことについて、洗いざらい話してもらおうか。
ニヤリと唇の両端をつり上げる私は幼女とは思えないほど、禍々しい雰囲気を放つ。
悪い笑みを浮かべる私を前に、レオンはサァーッと青ざめた。
「いや、『問題』と言うほどのことじゃないさ。ただちょっと聞きたいことがあってな。教師の中に和の国出身のシオンって奴が居るだろ?あいつのことについて教えてくれ」