第29話『天敵出現』
────翌日の早朝。
昨日と同じ要領でフラーヴィスクールに登校した私は、教室の片隅で読書を嗜んでいた。
ペラペラと本のページを捲りながら、窓から入ってきたそよ風に銀髪を靡かせる。
前世からは考えられないほど穏やかな時間を過ごす中、目の前に人の気配が……。
「あ、あのっ!エリン・マルティネス様……だよね?」
そう言って、机にそっと手を置いたのは金髪碧眼の女の子だった。
癖を知らない真っ直ぐな金髪を後ろでポニーテールにし、海のような瞳を輝かせる彼女は随分と小柄だった。
また顔立ちも幼い。
幼女の私が言うのもなんだが、この女はこう……チマッとした子だ。
緊張しているのか恥ずかしそうにモジモジする女を前に、私は辟易する。
『相手にするのが面倒だな』と思いつつも、とりあえず本を閉じた。
と同時に、ロリもどきの女と向かい合う。
「はい、私がエリン・マルティネスれす。それがどうかしましたか?」
「あっ!え、えっと……私、アンナ・グラントって言うの。よ、よろしくね!」
「はい、よろしくお願いいたしましゅ」
今になってようやく自己紹介を始めたアンナ・グラントに、私は内心冷ややかな目を向ける。
全く……落ち着きのない娘だ。
それに初対面でタメ口とは、一体どういう事だ?
こいつは最低限の礼儀やマナーも、知らないのか?
初対面なら、まずは敬語からだろ。
あと、これ以上モジモジするな。見ていて、ウザい。
と、内心イライラが止まらない私だったが……何とか笑みを取り繕う。
「それで……用件というのは、挨拶だけでしゅか?」
「え、あ……その……実は折り入ってお願いしたいことがあって……」
短いスカートを両手でギュッと握り締め、彼女は足をモジモジさせる。
恥じらうように赤く染まった頬は、林檎を彷彿させた。
なんだ?こいつ……トイレにでも行きたいのか?
なら、さっさと行け。
言っておくが、私は連れションなどしないぞ。行くなら、一人で行……
「あ、あのね!────私とお友達になって欲しいの!!」
迷走し始めた私の思考回路に、彼女は理解不能な単語をぶち込んできた。
両手をギュッと握り締める彼女の前で、私は思わず固まる。
柄にもなく大きく目を見開き、アンナ・グラントを凝視してしまった。
「え、えっと……理由をお伺いしても……?」
自分のものとは思えないほど震えた声で、私はそう尋ねる。
今までは、どんな強面に脅されても一切声色を変えなかったのに。
この場に嘗ての仲間が居れば、大爆笑していただろう。特にレオンが。
『この場にあいつが居なくて、本当に良かった』と安堵する中、アンナ・グラントはおずおずと口を開く。
「じ、実はその……凄く言いづらいんだけど……」
恥ずかしそうに頬を赤らめながら、彼女はそう前置きした。
モジモジする足は、相変わらずである。
『もういいから、さっさと言えよ』と項垂れる私の前で、アンナ・グラントは意を決したように声を上げた。
「あ、あのね!私────“幼女”がとんでもなく大好きなの!!」
「……はっ?」
予想の斜め上を行く回答に、私は思わず素で返してしまった。
他のクラスメイト達も、『えっ?なんて?』と動揺を露わにしている。
でも、この中ただ一人だけ元気な奴が……。
言わずとも分かると思うが、このカオスな状況を作り出した張本人アンナ・グラントである。
「きゃー!言っちゃった、言っちゃった!!どうしよう!?あのね、あのね!!エリンちゃんが公爵様と学校見学に来た時から、ずーっと気になってて!!だって、お人形さんみたいに可愛いんだもの!!もう一目惚れよ、一目惚れ!!可愛すぎて禿げるかと思ったもん!!あっ!別に恋人になりたいとか、そんなんじゃないよ!?私はただ間近でエリンちゃんを見られるだけで、充分だから!!それ以上は望まないっていうか、むしろこの願いも図々しいっていうか……!!とにかく、私とお友達になってほしいの!ほら、友達だったら間近でエリンちゃんを見つめても問題ないでしょ?だから、お願い!私と友達になって!!」
さっきまでのたどたどしい言葉遣いや恥じらいが嘘のように、アンナ・グラントは喋りまくった。
どこで息継ぎしてんだ?と、疑問に思うくらい。
さり気なく『様』呼びから『ちゃん』呼びに変えられた上、聞きたくもない性癖を思い切り暴露された……。
なんか……なんだろう?精神的にどっと疲れた。ただ話を聞いただけなのに……。
この女……只者じゃないかもしれない。
ある意味、私の天敵だな。
警戒心を露わにする私の前で、アンナ・グラントは何故か笑顔。
どうやら、言いたい事が言えてスッキリしたらしい。
シーンと静まり返る教室内には目もくれず、私をじっと見つめていた。
心做しかブルーサファイアの瞳は、輝いて見える。
どうしよう……凄く断りづらいんだが!?
『待て』を強いられる子犬のような彼女に、私は早くも困り果ててしまう。
『断ったら、泣くか……?泣くよな!?』と混乱しつつ、顔を上げた。
「あっ、えっと……」
「わくわく!」
「その……」
「わくわく!」
「あのですね……」
「わんわん!」
おい、何で最後『わんわん』なんだよ!わざとか!?わざとなのか!?
クソッ……!だから、あざとい女は嫌いなんだよ!!
自分のことは棚に上げて、文句を言っていると────不意にチャイムが鳴る。
「皆さん、席について下さい。ホームルームを始めますよ」
担任ジェシカの登場により、カオスと化した空間は一瞬にして消え去った。
ゾロゾロと自分の席へ着き始めるクラスメイト達を前に、アンナ・グラントは小さく肩を竦める。
『残念』とでも言うように。
「じゃあ、また後でね!エリンちゃん!」
さすがにジェシカには逆らえないのか、彼女も大人しく席に戻っていった。
その後ろ姿を見送り、私はホッと胸を撫で下ろす。
ナイスタイミングだ、ジェシカ。助かった。