第1話『出来の悪い娘』
戦乙女 戦姫────武を極め抜いた美しき姫。
魔法、剣術、体術全ての武を極め抜いた伝説の女────それが前世の私だ。
エリン・オルティス。
これが今世での私の名前。オルティス伯爵家の末娘に生まれた私は生まれたその瞬間から自我があり、己が戦乙女 戦姫であることを自覚していた。
が、しかし……私はそれを他の誰かに打ち明ける気はなかった。
「────エリン!何を怠けているの!早く勉強をしなさい!」
そう言って、僅か四歳の私に手を上げたのは今世での母親イリア・オルティス伯爵夫人。
この人は出来の悪い私をとことん嫌っていて、何か理由を見つけては叱ってくる。
自慢の縦ロールを揺らし、艶やかな金髪を煌めかせるイリアはキッと両目を吊り上げた。
────刹那、パチンッと乾いた音が鳴り響く。
イリアの容赦ない平手打ちが私の頬を襲った。
戦乙女の生まれ変わりとは言え、所詮は子供。
思い切り叩かれれば痛いし、怪我もする。
「何よ!その目は!!このっ……貧乏神が!!」
「……」
「ふんっ!もういいわ!しばらく私の前に顔を見せないでちょうだい!」
イリアはパッと顔を背けると、カツカツと高いヒールを鳴らして、この場を立ち去って行った。
遠ざかっていく足音を聞き流し、サラリと揺れる銀髪を眺める。
イリアが私を嫌う理由はもう一つあった。それは────私の容姿だ。
白に近い抜けるような銀髪に、血を思わせる真っ赤な瞳。肌は陶器のように白く、パッチリ二重の大きな瞳は顔の半分近くを占めていた。
金髪碧眼のイリアとは、似ても似つかない容姿。
ちなみに父親のジェームズも、こんな容姿をしていない。
そのため、私はイリアと愛人の間に出来た妾の子だと社交界で囁かれていた。
イリアもジェームズも『エリンは自分達の子供だ』と否定しているが、ここまで容姿が違えば説得など意味が無い。苦し紛れの言い訳にしか聞こえないだろう。
これは使用人から聞いた話だが、イリアは私を妊娠するまでずっとジェームズの仕事を手伝っていたらしい。朝から晩まで働き詰めだったため、愛人を作る暇などなかったと言う。
だから、使用人たちはイリアの浮気を徹底的に否定した。
ならば、何故私の容姿は両親とこんなにも違うのか……その理由は私もよく分かっていないが、ただ一つ言えることがあるとすれば────前世の容姿とそっくりなことだ。
髪や瞳の色から顔立ちまで全部、前世の私と酷似している。違うところと言えば、サイズくらいだろう。
イリアからすれば、私の存在は目の上のたんこぶそのものだろうな。
『せめて、出来が良ければ』と思っているに違いない。
────でも、イリア。お前は一つ勘違いをしている。
「私は出来が悪いんじゃなくて────出来の悪い娘をわざと演じているだけだ」
私の今の実力は前世と全く同じ。
戦姫の頃、培った力がそのまま受け継がれている感じだ。
だから、実力だけで言えば私は上の兄弟やイリアよりも上である。
平手打ちされて赤くなった頬に無詠唱で治癒魔法を展開させた私は、腰まである銀髪を手で払った。
使用人すら滅多に訪れない屋根裏部屋で、埃っぽいベッドに腰掛ける。
「怠けるって言ったって、この程度の勉強……もう既に終わってるのに……」
前世で習った事をもう一度やれと言われても、正直困る。
あいにく、私に同じことを二度習う趣味はない。
魔法学の教科書が何冊も積まれた机を一瞥し、『はぁ……』と溜め息を漏らす。
ちなみにこれらの教科書は、全て上の兄弟のお古だ。
貴族だから金はある筈なのに、使い古された壊れかけの物しか私には与えられない。
家族が私を煙たく思っている気持ちの表れだろう。
一応教科書には全て目を通したが、全部知っている内容だった上に間違いもチラホラ発見した。
前世の私が死んでから1000年後の世界だから、と魔法学の進歩に期待したが……現実はその逆。まさかの後退を始めている。
『この1000年の間に一体、何があったんだか』と呆れつつ、私はチラリと天井を見上げた。
私の知識があれば、今のお粗末すぎる魔法学を一気に進歩させられるが……面倒だから、やるつもりはない。
何故なら、今世は────ただ静かにゆったり過ごしたいから。
前世のように血で血を洗うような戦の日々は真っ平御免だ。
あれはあれで楽しかったが、少し飽きた。
自分を倒せるほどの猛者が居れば、また戦乙女として生きても良いが、この魔法学の教科書を見る限りそれは難しいだろう。
────ならば、かねてより渇望していた引きこもり生活を満喫しようではないか!
ここだけの話、私はあまり外が好きではない。
どちらかと言えば、家でゴロゴロ過ごすのが好きである。
前世は色々事情があって、引きこもり生活が出来なかったが、今の私には可能だ。
今の私────エリン・オルティスは妾の子と噂されているため、両親があまり外に出そうとしない。
外出は必要最小限。他者との交流も制限され、今の私はぼっちそのもの……引きこもり生活を実現させるには十分過ぎる環境だ。
というか、もう引きこもり生活の真っ最中だし……。
イリアの襲来さえ無ければ完璧だが、まあ……そこまでワガママは言えないだろう。
「ふぅ……ちょっと疲れたし、お昼寝してからテスト用紙の記入を……」
「────エリン!今すぐ客室に来い!公爵様がお前をご所望だ!」
「……ふぇ?」
ちょっと昼寝しようかと思った矢先に、現れたのは────父親のジェームズ・オルティス伯爵だった。
顔を真っ青にする父は相当焦っているのか、目が若干充血している。
突然部屋に押し掛けてきて、何事かと思えば────公爵様が私をご所望?何かの間違いだろう?
だって、『嫁の貰い手が居ないのでは?』と囁かれるほど私の評判は悪いのだから。
「何をボケッとしている!?早く来ないか!」
「へぁ!?ご、ごめんなさ……じゃなくて、ごめんなしゃい」
慌てて言い直した私は内心ヒヤヒヤしながら、ベッドから降りる。
危ない危ない……動揺のあまり、普通に喋ってしまうところだった。
私はまだ四歳なのだから、子供のように拙い言葉と口調を心掛けなければ……。
改めて気を引き締めた私は、『早くしろ!』と急かしてくる父に連れられるまま屋根裏部屋を後にした。