第15話『自習』
────その日の夜。
夕食を食べ終えた私は、部屋で自習を行っていた。
まあ、自習と言ってもただ教科書をパラパラ捲っているだけだが……。
ここに書いてある内容は既に知ってるものか、間違っているものしかないからな。
新しい知識や有力な情報などは、何一つない。
正直、時間の無駄だ。
でも、事前に勉強しておかないとまた先日のようなミスを犯してしまうかもしれない。
氷結魔法の一件を思い出し、私は深い溜め息を零した。
必要のある事とはいえ、面倒臭いことには変わりないから。
大体、この国の魔法学は基礎から間違っているんだ。
魔力の生成理論なんて、特にそう。
現代の人々は人間の体内にあるエネルギーを元に、魔力が作られていると思っているらしいが、実際は違う。
空気中にある魔素を取り込み、エネルギー変換することで魔力を生成しているのだ。
人間の体だけで魔力を生成なぞ、出来る訳がない。
ここの国の連中は、人間という種族を過大評価し過ぎだ。
自分達の存在理由や価値を客観的に見ようとしないから、間違った認識ばっかり広まってしまう。
いつから、人間様はそんなに偉くなったんだか。
「はぁ……」
「────俺様がわざわざ様子を見に来てやったのに、溜め息とは何だ!!」
そう言って、荒々しく扉を開け放ったのはウィリアムだった。
リアムと同じ金髪翠眼の彼は、少しムッとした表情を浮かべている。
『わざわざ様子を見に来てやった』って……そんなこと頼んだ覚えはないが?
それに今どき『俺様』って……お前、いい加減一人称をハッキリさせたら、どうなんだ?
リアムの前では『私』で、感情的になった時は『僕』、そして私と二人きりの時は『俺』や『俺様』。
代表的な一人称は、コンプリートしているぞ。
「これは失礼しました、ウィリアムお兄しゃま」
子供にしては少し高めの椅子から飛び降り、床に着地する。
そしてヒラリと舞うドレスを掴むと、優雅にお辞儀した。
『一体、何をしに来たんだか』と思案する私を前に、ウィリアムはコホンッと咳払いする。
「う、うむ!以後気をつけるように!」
いや、お前こそ人の部屋に入る時はノックを忘れるなよ。
あと、私の部屋の前をうろつくな。三十分以上、立ち往生されるのはさすがに気色悪い。
明らかに非があるのはウィリアムの方なのに、本人は気づいていない様子。
ここまでアホだと、いっそ哀れだ。
私が言うのもなんだが、マルティネス公爵家の未来が不安だな。こんなのが次期当主なんて、世も末だぞ。
「それで、用件は何でしょうか?何か用があって、ここに来たんれすよね?」
これで『特に用はない』とか言ったら、ぶち殺す!!腸を引きずり出して、ズタズタに引き裂いてやる!!
『こっちはただでさえ忙しいのに!』と苛立つ私の前で、ウィリアムは少し頬を赤くした。
「ぇ、あ……いや、その……勉強見てやろうかなって……ほ、ほら!お前、まだガキだし!読めない単語とか、分かんない文章とかあるだろ!だから、俺様が特別に教えてやるって言ってるんだ!」
気恥ずかしいのか、ウィリアムは半ば捲し立てるように言うと、フイッと顔を逸らした。
なるほど、勉強を見に来てくれたのか。でも、何でわざわざ……?
こいつは私のことを嫌っているんだよな?
もしや、何か裏が……?
────いや、それはないな。
見るからに単細胞なこいつに、裏があるとは思えない。
たとえ、他に目的があったとしてもウィリアムの場合顔に出るだろ。
どこからどう見ても善意の塊としか思えないウィリアムの横顔を前に、私は少し悶々とする。
全く、どういう風の吹き回しなんだか……。
だが、まあ……単細胞な奴は嫌いじゃない。
ゆるりと口角を上げた私は、思い切ってウィリアムに抱きついた。
奴は驚いたように身体をビクつかせるが、きちんと私を抱き止めている。
「嬉しいれす!是非お願いしましゅ!」
「っ……!」
少し顔を上げてにっこり微笑めば、ウィリアムは照れたように口元を押さえた。
耳まで真っ赤にした彼を前に、私はフッと笑みを漏らす。
なかなか面白い反応をしてくれる。これは良い玩具になるかもしれんな。
「ちょ、ちょっとだけだからな!」
「はいっ!」
ウィリアムは照れたようにポリポリと頬を掻き、私を抱き上げた。
かと思えば、近くの椅子に腰かける。
そうなると、必然的に私は彼の膝の上になる訳で……。
ウィリアム、お前もか。
何故、大人達はこうも私を膝の上に乗せたがるのか……よく分からん。
この国の男どもは、そういう習性を持っているんだろうか?
今度、レオンあたりに聞いてみるか。
そう決意する私の傍で、ウィリアムは懐かしそうに教科書を眺めている。
学生時代のことでも、思い出しているのだろう。
まあ、まだ『懐かしい』と呼べるほど時間は経っていないがな……。
というか、こいつ私に勉強を教えに来たんだよな?
何で普通に教科書を読んでるんだ?
懐かしむのは別に構わないが、教える気がないなら今すぐ部屋を出て行ってほしい。
普通に邪魔だ。あと、お前の筋肉質な膝のせいで尻が痛い。
「おー!懐かしいなぁ……あっ、ここ方程式を忘れてテストで間違ったところだ。いやぁ、あの凡ミスのせいで満点取れなかったんだよなぁ……」
ダメだ、これ。しばらくは思い出話に花を咲かせることだろう。
まあ、私は聞く気0だが……。
はぁ……仕方ない。適当に相槌でも打ちながら、他の教科書を読むか。
『そもそも、こいつに教えを乞うのが間違いだったんだ』と思いつつ、私は召喚魔法の教科書を手に取る。
そして、またもやお粗末な内容に溜め息を零すのだった。
この国の魔法学、本当に大丈夫か……?