第105話『暴行寸前』
「さあ、受け取れ。これこそ、お前の望んでいたものだ」
『待て』を解除した私は、テディーに餌という名の供物を差し出した。
「お前の欲しがっていたものは、あくまで戦姫の死体だろう?なら、エリン・マルティネスを殺す必要はない。だって、お前は────戦姫の魂じゃなくて、戦姫の体を求めたのだから。これ以上、争いを続ける理由はないと思うが……?」
『円満解決でいいじゃないか』と呼びかけ、私はニッコリ微笑んだ。
互いの望みを叶えることが出来るのだから、これ以上いい取り引きはないだろう。テディーだって、きっと喜んでくれる筈────と考えるものの……私の予想は大きく外れてしまった。
「な、んで……?欲しいものが手に入った筈なのに、何でこんなに虚しいの……?」
不思議そうに首を傾げるテディーは────呆然とした様子で、涙を零した。
震える手で戦姫の死体に触れ、冷たくなった頬を撫でる。
でも、全く嬉しくないようで、ひたすら泣き続けた。
「何で……?どうして……?僕はおかしくなったの……?自分でも自分のことが分からないよ……」
迷子になった子供のように視線をさまよわせ、テディーは『何で?』と繰り返す。
狂ったように泣き続ける彼は、感情に引っ張られるまま雷を落とした。
正気を失いつつある彼の姿に、私はちょっとだけ焦りを覚える。
お、おい……まさかとは思うが、暴走したりしないよな?さすがに暴走状態のテディーを相手するのは、厳しいぞ……?
時間逆行魔法まで使って、戦姫の死体を用意したのに、結局戦うことになるのか?
『私の苦労を返せ!』と言いそうになるものの、空気を読んで黙る。
変に刺激を与えれば、テディーが暴走する可能性は高まるため、必死に我慢した。
まずはテディーを落ち着かせないと、いけないな……このまま放置すれば、確実に暴走するだろうし。でも、私にテディーの精神状態を安定させることは出来るのだろうか?私はレオンのように誰かの気持ちに寄り添うことも、アルフィーのように他人の心を読むことも出来ない。暴力以外の解決方法を知らない私に説得など……可能なのだろうか?
『人選ミスなのでは?』と考える私は、暴走寸前のテディーをどうすればいいのか、分からなかった。
コミュニケーション能力の欠如を呪いながら、私は何度も自問自答を繰り返す。
そして、悩みに悩んだ末、一先ず声を掛けることにした。
「テディー、一旦落ち着け。あまり深く考えるな。深みにはまるぞ」
当たり障りのない言葉を選び、私は落ち着くよう、促した。
でも、そう簡単に上手くいく筈もなく……テディーはひたすら泣き続ける。
そもそも、私の言葉など届いていないようだった。
「胸にぽっかり穴が空いたみたいだ……体さえ手に入れば、満足できると思ったのに、どうして……?戦姫と会えなかった1000年間より、苦しいよ……」
思ったことをそのまま口に出すテディーは、混乱を露わにする。
今にも消えてしまいそうな儚さと危うさを持つ彼は、子供のように泣きじゃくった。
『分からない』と繰り返す姿は、酷く哀れで……救いを求める愚者のように見える。
私は一体どんな言葉を掛ければ、いいんだ……?『虚しく感じるのは気のせいだ』と誤魔化せば、いいのか?それとも────『愛している』と嘘を吐けば、いいのか?
テディーの求めているものは1000年前から、ずっと変わらない。
私の愛さえ与えれば、彼はきっと満足するだろう。たとえ、それが偽りの愛だったとしても……。
テディーはきっと、真実を胸の奥にしまい込んで、偽物を慈しむ筈……でも────それが正しいとは、どうしても思えない。
嘘で塗り固められた愛に価値はない。結局、空っぽのものだから。どれだけ現実から目を背けても、いつか夢は覚める。偽りの愛をずっと信じることは出来ない。
『嘘ほど脆いものはない』と呟き、私はそっと目を伏せた。
珍しく感情論に流される私は、『物事を合理的に考えられないなんて……』と嘆く。でも、不思議と不快感は感じなかった。
「一度冷静になって話し合おう、テディー」
柔らかい声色を心掛けながら、私はテディーに話し掛ける。
でも、相変わらず無反応で……私のことなど、眼中にないようだった。
感情に引き摺られるまま、あちこちに雷を落とすテディーは、いつ暴走してもおかしくない。
情緒不安定な彼は何かに怯えるように身を縮めると、必死に声を絞り出した。
「────僕の心はどうすれば、満たされるの……?」
満たされない心がついに悲鳴を上げたのか、テディーは胸を押さえて、しゃがみ込む。
苦しそうに嗚咽を漏らす姿は、あまりにも不憫で……見ていられなかった。
「……私も大概甘いな」
やれやれと肩を竦める私は、自嘲にも似た笑みを零す。
『前世に比べれば、随分と丸くなったものだ』と呟きながら、溜め息を零した。
テディーの涙に免じて、今回だけは絆されてやろう。
「私は人の感情に疎いから、確かなことは言えないが────単純に戦姫の死体だけじゃ、物足りなかったんじゃないか?心も手に入れないと、満足できない性質だったんだろう。お前は昔から、欲張りだったからな」
『大勢の女を侍らせていたのがいい例だ』と告げ、私は呆れたように笑う。
ハッとしたように目を見張るテディーは、呆然とした様子で固まった。
灯台もと暗しとも言える回答に驚いているのか、まじまじとこちらを見つめる。
瞬き一つしない彼を前に、私は『結局、刺激を与えてしまったな』と苦笑いした。
暴走寸前の人間に真っ向から、意見を述べるなんて、本当に馬鹿だな。でも、テディーを落ち着かせる方法なんて思いつかなかったし、しょうがないか。旧友の暴走くらい、甘んじて受け入れよう。
諦めの早い私は、『どうやって、暴走状態のテディーを止めようか』と考える。
魔力の残量と相談しながら、作戦を練る中────テディーは正気を取り戻した。
「……そっか。そうだよね。僕は欲張りなんだから、戦姫の死体程度で満足する筈ないよ」
『どうして、気づかなかったんだろう?』と首を傾げるテディーは、何故か嬉しそうに顔を上げる。
「戦姫って、意外と僕のことをよく見ているよね。普段はあんなに冷たいのに……でも、凄く嬉しいよ」
「ちょっと待て……!その解釈は色々と違う!私はただ、物事を単純に考えただけで……!」
ポジティブ思考のテディーに、私は慌てて反論する。
『一般論に過ぎない!』と主張するものの……彼はニコニコと笑うだけだった。
「うんうん!分かっているよ〜。僕はちゃ〜んと分かっているから、安心して〜」
「その顔は絶対に分かっていない!確実に誤解している!」
『勝手に妄想を膨らませるな!』と一喝する私は、何とか誤解を解こうとする。
でも、悟り顔のテディーに軽く受け流され、全く意味を成さなかった。