第9話『次男』
────翌日の朝。
昨夜ウィリアムを脅迫することに見事成功した私は、清々しい朝を迎え、素晴らしい朝食を頂いている。
そう、素晴らしい朝食を……頂いている……筈なのだが……。
なんだ!?この視線の量は!?
昨日と同様リアムに膝抱っこされた私は、この場に居る人間の視線をほぼ全て集めていた。
こちらを羨ましそうに見つめるウィリアム、驚きの光景に何度も目を擦るメイドや執事……リアムに関しては、こちらをガン見である。
昨日と変わらない無表情でこちらを見下ろし、スープを掬ったスプーンを私の唇に押し当てた。
お、おまっ……!ちょっとは待て!まだ口の中にパンが残っているんだ。
というか、先に自分の食事を済ませたらどうだ?
『何故、そこまでして私の世話を……』と思いながら、一先ずスプーンを口に含む。
胃に優しいあっさりした味付けのソレに目を細め、私はコクリと喉を動かした。
「お父しゃま、このスープ美味し……」
「────遅くなりました。おはようございます、父上、兄上」
私の言葉を遮るようにして登場したのは、次男のルーカスだった。
肩まである柔らかな金髪に、私と同じ赤い目をした美青年。
おまけに凄く優しくて童話に出てくる王子様のようだと、令嬢の間では専らの噂だ。
おかげで、かなりモテる。
執事の話によると、毎日のように縁談話が舞い込んでくるんだとか……まあ、多くの令嬢が熱を上げるのも無理ないか。
だって、こいつ────常に魅了を使っているし。
魅了とは精神感応系の魔法の一種で、人を虜にする力がある。
まあ、虜にすると言ってもその効力はあまり強くない。多少印象を良くする程度だ。
だが……使い手によっては、その『多少』が大きな影響を及ぼすこともある。
先程も言った通り、こいつは外見よし・中身よし・家柄よしの三拍子が揃った男だ。
そんな奴が魅了を使えば、より多くの女性により深く愛され、求められることだろう。
まあ、魅了は私のような格上相手や鈍感な天然野郎には効かないがな。
あと、魅了を使っていることがバレれば勝手に理性が働いて、冷静になるため効かなくなる。
あくまで魅了は人の潜在意識に介入し、影響を及ぼすものだから。
ただ、大抵のやつは気づかない。
だって、魅了使いの数は極端に少ないから。
私ですら、自分も合わせて三人としか会ったことがない。
なので、多少感情が揺れ動いても『これは魅了のせいだ!』とはならないんだ。
『だからこそ、厄介な能力』と考えていると、ルーカスが私を見てニッコリ微笑む。
「やあ、君がエリンちゃんだね?セバスから、話は聞いているよ。僕はルーカス。可愛い妹が出来て嬉しいよ。これから、よろしくね?」
「……こちらこそよろしくお願いしましゅ、ルーカスお兄しゃま」
こいつ、今私に魅了を使おうとしたか……?
ルーカスが纏うピンクの煙のようなものが、今さっき私に宛てがわれた。
その煙は魅了を具現化したものであり、普通の人間には見えない。
ただ、特別な訓練を受けた者や魔眼持ちは例外。
────っと、それはさておき。
こいつは何で私に魅了を使おうとしたんだ?
色恋沙汰に鈍感な子供には、魅了が効きづらいことを知っている筈なのに。
それに、私を魅了してどうするつもりだ?何か奴にメリットでも?
……いや、とりあえず今は良い。
「お父しゃま、エリンもうお腹いっぱいれす」
「もうか?」
「はい!」
リアムの問いかけに笑顔で頷き、私は彼の膝から飛び降りた。
昨夜届いたばかりの新品のドレスはふわりと揺れ、子供用の低いヒールはカンッと床を鳴らす。
さてと、リアムは仕事で忙しいだろうし、昼食か夕食になるまで顔を合わせることはないだろう。
その間、私はいつものように惰眠を貪って……
「ひゃわっ!?」
「どこに行く?私はどこかへ行っていいと許可した覚えはない」
食堂を出て行こうとする私を捕まえ、再び膝抱っこしたリアムは『傍に居ろ』と宣う。
相変わらずの無自覚暴君っぷりを発揮する彼に、私は目を白黒させた。
「ふ、ふぇ……?で、でしゅが……お父しゃまは仕事が……」
「ああ、そうだな。私には、仕事がある。だから────お前には今日一日、私の仕事に付いてきてもらう」
えっ……嘘だろ?
ここでは、私の自由がないのか?
『部屋に戻ってグータラしたいのに……』と嘆くものの、リアムはそんなのお構いなしで事を進める。
気づけば、出掛ける準備は終わっていて……『羨ましい』と歯軋りするウィリアムに見送られる形で、屋敷を後にした。
まさか、本当に外へ連れ出されるとは……。
小綺麗な馬車に揺られる私は、昨日と同様リアムの膝の上である。
そして、向かい側には何故かルーカスが座っていた。
柚葉色の布地へ金のラインが入ったブラウスに、茶色のベルトで締められた苔色のズボン。
同じく苔色の布地に、金のラインとお洒落なマークが描かれた制帽。
それらはモーネ軍の軍服を真似たものだが、色が異なった。
確か、こんなデザインの服をどこかで見たような……?あっ、あれだ!士官学校の制服だ!
『そういえば、こいつ士官学校の三年生だったな』と思い出し、私はチラリと窓の外へ視線を向ける。
状況から察するに、行き先は士官学校だろう。
でも、何故我々も一緒なんだ?
馬車なんて沢山あるんだから、わざわざルーカスと相乗りしなくても……って、まさか────リアムの今日の仕事って、士官学校関係なのか?
「お、お父しゃま、今日のご予定をお聞きしてもよろしいでしゅか……?」
「ん?あぁ、そう言えば話していなかったな。今日は士官学校の視察だ。ただ校内を歩いて回るだけだから、直ぐに終わる」
やっぱりか……!
まあ、そうだよな……ルーカスと同じ馬車に乗っている時点で、気づくべきだった。
『軍本部に連れて行かれるよりマシだが、これは……』と苦悩する中、ルーカスがニヤリと笑う。
「────父上はエリンちゃんのことを余程、気に入っているみたいだね」
存在自体が胡散臭いその男の呟きは、残念ながら私の耳に入らなかった。