卑弥呼と司馬懿の会談
予定を前倒しして投稿しました。
「はははは、しかしこうも上手く行くとは思わなんだ。これもわしの軍事外交の才のおかげなのは確かじゃが、ひとえに左将軍殿の弟君、いや張天師様の機を見るに敏、天命をお聞き出来る才のおかげじゃ。ああ、それと青州兵を借り受けた事、この大将軍が篤くお礼を申していたと、わしかわしの息子が帝位に即いたあかつきには、道教を国教とする事に同意すると伝えてくだされよ」とほくほく顔で語る。
大将軍のお礼を述べる顔を、齢宗はきざったらしいニヤニヤ顔で見つめつつ気を引き締めながら「なに、弟への礼はまだ早いですぜ大将軍様。先に送ったあの使者について陛下にが謁見できない状態じゃどう転ぶか解からねえ。中書の連中がどの様に動くかで大きく変わるし、何より邪馬台国の卑弥呼とか言うかなり強い力を持った女王の力が借りる事が出来るかどうかも未定だ」と意見をした。
その反論に胡曼才が横槍を入れる、「お前、この方は大将軍様だぞ? お前に言われずともきちんとその辺りのところは手を打ってるに決まっていると思うがな」と強面の顔をさらに恐ろしく歪ませて凄む。だが凄まれた当の本人はあいも変わらずヘラヘラしている。
司馬仲達はニコニコとした表情を変化させずに「これこれ征北将軍よ、いちいちいきりたつでない。まあ左将軍の不安も解かるがの、きゃつらが宮中を握っていると言ってもまだまだ長文、おっと礼に失したな、司空殿(陳羣)の影響力は絶大じゃ。なにせ録尚書事も兼務しておるからの。それに皇后陛下もこちらが手中にしておる。両者とも、もう燕王殿下だの中書殿だのはうんざりと言っとったわい。じゃから両派の横槍が入ったとしてもきちんと大鴻臚(孔乂)へ処理をまわしてくれるじゃろ」と楽観的な見通しをしめした。
あらかた話し合い、一息ついたところで「さてそろそろ会食の時間じゃ、その後はそうそうに休むとするかの」と司馬仲達が提案すると、「わかりました」「了解」と返事をしてそれぞれ休む事にした。
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「遠路はるばるご苦労。お三方殿」、ド田舎の小国とは思えない凜とした美貌の持ち主である女王が挨拶をする。そしてその冷たく鋭い目がある人物を見つめる、「ほう、これは稀有な才能の持ち主じゃな。呉の皇帝から道士という妾に似た力を持つ者が存在する、そしてそういった者は滅多に姿を現すことが無いと聞いておったが。なるほど、貴国は人材が多いと見える」ひとしきり言葉を吐き出してふっとため息をつくと、再び三人を見据えて「とりあえずは妾にそちたちを紹介してくれぬか?」と言葉を投げかける。
司馬仲達は好々爺然とした柔和な表情をしながら、「わざわざ手間を取らせてお会いいただき感謝する。それがしは天朝の皇帝陛下にお仕えして軍権のトップである大将軍を拝命している司馬仲達と申す。まあ大将軍殿等と堅苦しい呼び方はやめて気軽に仲達と呼ばれよ。そして傍らにいるこのがたいの大きいのが部下の征北将軍を勤めている胡曼才、そしてどうやら女王様に目をつけられたらしいこの二枚目は左将軍を勤めている張齢宗ですじゃ」とひとしきり自己紹介する。
目して聞き入っていた女王が口を開く「ではお言葉に甘えて仲達殿と呼ぼう。仲達殿が訪問なされた理由は一大率より聞いておる。そして妾もそちらの事情について鬼神の託宣によってあらかた解かっておる」
仲達はその言葉に非常に喜び「おお ならば話が早い、では」と一端言葉を区切り、真っ白い絹の巻物を差し出した。それは皇帝からの詔勅だった。「これは陛下からの詔勅、まあ親書みたいな物という事にしておいてくだされ。本当の所はこの様な物を書かせるだけの体力も無いのじゃから」と申し訳なさそうな表情を浮かべて女王に差し出す。
「ふむ。まあ仲達殿の置かれている状況も大変じゃろうのお。皆まで言わなくても妾も仲達殿がどの様な要望があるのかは分かっておるつもりじゃ。ずばり天朝への朝貢、偽朝との縁切り、じゃろ?」、どうだ?と言わんばかりの得意気な顔をしながら問いかける。
流石の仲達も驚いた表情を見せたが、すぐに通常の好々爺然としたニコニコ顔に戻すとさらに条件を付け加えるよう訴える、「それに加えてもう一つ、いや二つ程お願いしたい」と。女王は少し思案したがすぐにまずは聞こうと言うと仲達が口を開く、「一つ目は距離の問題。かつて才溢れる元侯殿は大月氏国を朝貢させたが、その距離は万二千里じゃ。じゃがここは失礼じゃがいささか近すぎる。そこで後で詳細は詰めるとしてここまでの距離を万二千里以上にする事。次にここの人口についてじゃが、邪馬台国だけで戸数は十万戸以上にする事。この二点を取り合えず抑えた上で話を合わせていただきたい。さすがに伝説の蓬莱国がこの様な田舎では体裁が悪いのでな」、同意するか? と目で訴えながら女王を見る。
女王はふむとしばし思案する。そして一つ質問した「それに同意したとして、宮廷の方は上手く行くのか? 兵を差し向けて脅しでもするのか?」仲達は大笑いをしながらそれを否定する、「はははは、確かにそれでも今の情勢なら上手く行くじゃろうが、天朝様に謀反など恐れ多い。ただ宮中や皇族はほぼ相手に手中にされているとはいえ、つけいる隙は充分あるのじゃよ。あれだけの功績を持ちながら名ばかりの官職を与えられたのは我が友じゃが、そやつは今でもそれなりに影響を持っておるしわしの頼みも聞いてくれる。大鴻臚殿(孔乂)は気骨のある奴でな、宗聖侯の子孫である事を鼻にかけておる。だから横槍が入ればますます意固地になるじゃろうから安心じゃ」
そこまで聞いたところで成功を確信したのか、女王が「では」と邪馬台国側の条件を述べる。少し心配するような顔をした仲達に卑弥呼は苦笑しながら「何、心配はいらぬよ。国としての条件等ほぼ無いに等しい。大月氏国と同じ待遇なのじゃろ? それ以上の物は求めはせぬよ。別に臣下になるわけでは無いから<大魏国倭王章>を渡せとは言わぬ」と否定した。それを聞いた仲達はホッとしたが、では外に何か欲しいものがあるのじゃろうか? と疑問に思う。
卑弥呼はおもむろに「そこの男、名は確か張齢宗とか言うたな。中々の力の持ち主と見える」と再度感心したように言うと、イケメンなチャラそうな笑顔を貼り付けながら「いやあ、そんなに褒められると照れますな。あ、私の事も齢宗と呼捨てにしてください」と半ばナンパしているかのような言葉を発する。
卑弥呼はふふと笑みを浮かべると、仲達に向って仰天発言をする、「妾の条件はそこの男に一夜夫、まあしばらくは逗留してもらうのじゃから一夜という事はないが、一夜夫となって欲しい」と。流石の仲達も女子から男子を求める忌むべき要求に皺をよせて考え込むが卑弥呼はさらに言葉を告げる、「それだけが妾の望みじゃ。もし受け入れてくれれば、齢宗にも結納代わりに鬼道の知識を授けようと思うが? 齢宗はどうじゃ?」と問うた。齢宗もやや驚いたがすぐに掴みどころの無い笑顔をむけながら「そりゃもちろん据え膳食わぬは恥だからね。俺としては問題ないよ。相続の問題で口を挟まなければね」と釘をさすと、卑弥呼は了解したように首を縦にふり「もちろんじゃ。そなたの実家には迷惑を掛けぬ」とその条件を受けた。
仲達は話がついたような雰囲気を感じたので、「これでお互い同意という事じゃな。それではこれ以上は何も言うまい」と話をまとめた。卑弥呼は若干顔を赤らめながら「それでは今夜から早速。そうそう仲達殿少しよろしいか?」と呼び止めたため、仲達が女王の方に向いて「どうしたのですかな?」と問いかける。「いつ頃までに齢宗をお帰しすればよいかの?」との卑弥呼の質問にしばし考えた後、「12月までに洛陽に帰してくだされば問題ない」と答えた。卑弥呼は「それでは、ナソメとツシゴリに送らせます。仲達殿の成功をお祈りしておりまする」と別れの挨拶をすると、仲達はニコニコ顔で頷いて退出した。
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夜も更けたころ、四人の巫女達が東西南北の配置に座って祈りを捧げ、中央の台の上には清楚な貫頭衣をつけた女王が座っている。「さてそれじゃあ、俺の方も用意をするか」身を清め終えた齢宗も絹の黄色の道服を身につけるが、下には何もつけなかったためチャライ容姿には似合わない凶悪な物がいきり立ったまま女王の前に立つ。手にはお茶碗、そしてなにやら丸薬のような物を持ったまま一礼して隣に座った。「それじゃ女王様、これは我が家に伝わる媚薬と女の道を狭める効能を持つ石硫黄です。これを飲んでください」と差し出すと女王は顔を赤らめながら、「おお、すまぬの。妾はもうたまらないのじゃが、せっかくの好意ありがたくもらうぞ」とその薬を飲む。
ほどなく女王の息がハァハァと乱れるが、それを強力な意思で押さえ込んで顔を齢宗の胸にくっつけ、左腕を背中にまわし、右手で齢宗の物をさすりながら「のう、今日は初日じゃ。まだまだ時間はたっぷりあるゆえ、そなたの事を聞かせてはくれぬか? そなたは仙人なのか? 一族は相当名のある者ばかりであろうな」と快楽に意識を飲まれかけながらも陰陽和合の為の自然の気を取り込みながら矢継ぎ早に質問する。
「いやいや、そんな大したものじゃないさ。まあ道術というのは老子が始まりらしいんだが、本格的に体系したのは俺の曽祖父からだと聞いている」と信じているようないないような感じで話をする。「そ・・・・そなたの曽祖父はすごいんだな」と感心すると、まんざらでも無い様な顔をしながら「まあな。曽祖父は初代の天師で張陵と言ってな、漢の高祖に仕えた張良の子孫らしい。まあそこはどうせ嘘だろうが。だが張陵ってじじいがそれなりの力を持っていたのは事実みたいでそこから俺達の教団が始まったんだ」と話す。
「す、すごいわ。でも、確か道士と言えば、黄巾の乱を起こした人も張氏だったけど関係あるの?」と我慢が出来なかったのかたまに口に含みながら質問する。齢宗はたははと頭をかきながらとろけた表情で「まあ公式には関係ないって話だが、実は俺の祖父の弟の息子三兄弟だって話がある。太祖様に仕えた元黄巾の青州兵も俺達の所に来たからな、さあそろそろ良いだろ。これから毎日ひいひい喘がせてやるから覚悟しろよ」と言うや上に乗っかる。
「あん、そんなに慌てないで。きちんと作法があるんでしょ?」と言うと、「おっとそうだった。黄帝の九法に基づいた儀式で行うぞ。毎日毎日狂わせてやるからな」と興奮して圧し掛かる。しばらくして卑弥呼のお腹に子どもを宿す事になり、その血統が後々に重要な働きをする事になるとは本人たちも夢にも思わなかったであろう。
景初二年(238年)十二月、洛陽の大鴻臚の屋敷において簡単な謁見の真似事を行った。<親魏倭王>の金印紫綬は役所に預けられたままという異例の状態になり、皇帝への謁見は正始四年(243年)まで待たねばならなかった。これらの事は日本にとっては小さな出来事であった。
次は一週間後くらいです(今度こそ本当に)