81. スズキノヤマ帝国 キヌア島(12)
ローズとロッコが一時的に行方不明となったことで、エフェルガンは不安になった。彼は荷物が届いた、という理由で基地からローズを領主の執務室へ連れて行った。ローズの涙の訳に、嘘があると見抜いたようだけれど、口にしなかった。
ローズが嘘をつくのが下手だったかもしれない。あるいは、エフェルガンはとても繊細で鋭かったかもしれない。どちらにせよ、彼はローズを目が届くところに置きたいと思っているのでしょう。リンカは猫の姿のままでオレファに抱っこされて、隣で飛んでいる。
領主の執務室に着くとエフェルガンの机の近くに、一つの机と椅子が用意されていた。留守番したケルゼックが準備したようだ。机の上に一つの荷物が置かれていて、インクとペンも用意されていた。開けるとフォレットからの荷物で、学校の先生が用意してくれた教科書と参考本と課題数枚が入っている。そして飴玉2箱ときれいに箱の中に入っている。焼き菓も一箱があった。焼き菓子はヒスイ城の料理人であるエフェルガンの乳母が作った物だった。それを見たエフェルガンは嬉しそうに一つ食べて、仕事に戻った。
結局ローズはここで勉強でもせよ、ということだと理解した。エフェルガンは直接言葉にしなかったけれど、すべて用意されたということは、おとなしくそこにいろという意味だ。とても居心地が悪い、とローズは感じている。なぜなら、今は勉強するムードではなかったからだ。
猫のリンカはここに到着してからもうどこかに行って戻って来なかった。白湯を運んで来たハティに聞いても分からない、と答えられた。
結局ローズは本を手にして、読むことにした。む、難しい、とローズが何回読んでも分からない。気持ちを整理しなければ、この本を読んでも理解できないと思う。落ち着かないから、窓際に行って、外を見ている。少し空いている窓から良い風が吹いていて気持ちが良いものだ。そこから見える町並みがとてもきれいだ。南国らしい風景だ。海に囲まれているこの島は本来観光で賑わうはずなのに、この数日の出来事で、観光客が一気に減ってしまった。島への出入りもとても厳しくなっている。
ローズの近くに立っているエファインは無言で彼女の行動を見ている。またエフェルガンの近くに立っているケルゼックも無言だ。エフェルガンは今仕事モードで無言だ。
「外に出ても良いですか?」
エフェルガンに声をかけて見た。エフェルガンは仕事を中断して、ローズを見つめている。
「どこへ?」
「屋根の上に行きたい」
「どうして?」
「今はそんな気分だから」
「エファインと一緒なら良い」
「分かりました」
本を持って、エファインと屋根の上に登った。午後の風がとても気持ちが良いものだ。勉強しようと思っても、頭の中にはロッコのことでいっぱいだ。
まったく集中ができない。
結局ローズはただ本を抱いて、何もせず、ただぼーとして座っていて、一時間以上も屋根の上にいた。
「ローズ、大丈夫か?」
突然後ろからエフェルガンの声がした。彼が心配になって、上に来たのだ。
「ん?うん」
「そうは見えない」
「大丈夫だよ」
「僕には話せないことか?」
「・・・」
「ロッコ殿のことか?」
「・・うん」
「何か・・されたか?」
エフェルガンが聞いた。
「ううん」
「何か言われたか?」
「・・うん」
「それを聞いて、悲しくなったか?」
「・・・」
「泣いているのか・・」
「・・・」
エフェルガンがため息ついて、しばらく考え込んだ。
「僕がロッコ殿に直接聞くしかないな」
「ダメ」
「なら、僕にその涙の訳を教えて下さい」
「人払いを・・」
「分かった。エファイン、ケルゼック、ちょっと外してくれ」
「はっ!」
エファインとケルゼックがどこかに行った。
「人払いしたから、話を聞かせて」
「ロッコは、父上から任務を受けているの」
ローズがうつむいて、話し始めた。
「何の任務だ?」
「内容は知らないけど、私を守るための任務だそうで、・・極めて危険な任務だと聞かされた」
「そうか。心配なのか?」
「うん」
「ロッコ殿は強いから大丈夫かと思うが」
「でも、私のために彼を苦しめることになることに変わりない」
「彼は苦しんでいると言ったのか?」
エフェルガンが優しく聞いて、彼女を見つめている。
「言っていない」
ローズが首を振った。
「なら彼は理解した上でその任務を受けたのだろう」
「命を落とすかもしれない任務なのに?」
「彼は男だ。ローズが言った通りの、男の中の男だ。きっと彼の考えがあって、それを挑むと思う」
「ロッコのことが知らないエフェルガンは、なぜそう言える?」
「昨夜の会話で分かったんだ。彼は僕と似ている」
「ロッコも同じことを言った」
「そうだったか」
エフェルガンが微笑んだ。
「なぜそう嬉しそうになるの?」
「なんとなく」
エフェルガンが彼女を見て、答えた。
「エフェルガン、私は、自分のために誰かが大変な目に遭うのがとてもいやで、彼に何かあったら多分自分を許すことができないと思う」
「ローズはロッコ殿を信じないのか?」
「信じる・・?」
「そう、信じる。彼の強さに信じる。彼が身も心もとても強い人で、きっと無事に帰ってくると思う」
「任務を終えたら、私と正式に交際することになるかもしれないよ」
「それは困ったな・・」
「うむ」
「でも、僕は負けない。彼は堂々とやるなら、僕も堂々とローズを守って、ローズの心の扉を開けてみせる」
エフェルガンがそう答えて、ローズの顔にかかった髪の毛をきれいにした。
「私は、どうしたら良いか分からない」
「ローズの思うままにすれば良い」
「うむ」
「今すぐでなくても、時間をかけて考えれば良い。感じたままを素直に受け取れば、どの方向が一番自分に合うか分かる」
「うん」
「はい、涙を拭いて」
エフェルガンはポケットからハンカチを出して、差し出した。そのハンカチを受け取って、ローズは涙を拭いた。
「今日の夕餉にロッコ殿の誕生会にでもしようか?」
「うん」
「でも昨日は何も言わなかったな。昨日知っていたら、何か祝い品を準備するのに」
「今日、決めたの」
「何を?」
「誕生日」
「へ?」
「ロッコは自分の誕生日が分からないと言ったから、私が勝手に決めたの。今日から、この日はロッコの誕生日に決めたの」
「なるほど。ローズらしいな。で、ロッコ殿はなんと?」
「困った顔をしていたよ。でも、ありがとうと言ってくれた」
「なるほど」
エフェルガンが微笑んだ。
「うむ。やはり私って変なのかな」
「いや。僕なら喜んでそれを受け取るよ」
「うむ、エフェルガンの誕生日に何もしてあげられなかった」
「ローズが近くにいるだけで、僕にとって何よりの幸せだ」
「ありがとう」
ローズが微笑んで、礼を言った。
「はい。どう?少し気分が晴れたか?」
「うん。ありがとう」
「どういたしまして。そろそろ中へ入ろうか?」
「うん。あ、エフェルガン・・」
「はい」
「私の誕生日・・」
言おうと思って、ためらった。
「いつ?」
エフェルガンが聞いた。
「あ、ううん。気にしないで」
「言わないと毎日聞くよ?」
「む、・・・十日後だ」
「もっと先だと思ったが、こんなに近いと贈り物の準備が大変だ」
「良いの。贈り物は要らない」
「そうはいかない」
「うむ、なら、私と一日、仕事抜きで、過ごして欲しい」
エフェルガンは止まった。じっとローズを見つめている。
「分かった。その日が休めるように、頑張る」
「無理なら・・仕方がない。わがままを言ってごめんなさい」
「いや。大丈夫だ。じゃ、中へ入ろうか。そろそろエトゥレ達が帰ってくる時間だ」
「うん」
部屋に戻るとやはりエトゥレ達が戻ってきて、今日の調査結果を報告してきた。なんとこのバラバラに見えている事件はすべて繋がっていた。
元領主の息子とその仲間達は比較的に魔力が高そうな女性をさらって、好き勝手にしてから、人売りと呼ばれる人たちに売り飛ばした。人売りはその女性達を数人の魔法師に彼女たちを体実験道具として販売した。魔石にされた人がいれば、もっと悲惨な運命になってしまった人もいた。薬の効き目の実験とされた数人が死亡してしまった。また魔法の実験で、命を落としてしまった人も何人かいた。記録の照らし合わせと、行方不明者のリストからだけでも少なくても六十人もいたという。無事に助かったのはその半分ぐらいで、残りは死亡したか、魔石としてどこかに売られてしまったか、現在調査が続いていると暗部の者が言った。販売した記録がなかったため、かなり難しいという現実に、顔を曇らせた暗部もいる。今のところ、関係していた人売りや魔法道具売りのすべての関係者、そして偽薬販売者と製造者を含んで、ほぼ全員逮捕された。エフェルガンは引き続き暗部達に調査と取り調べを命じた。
そして首都からの調査員からの報告があがってきた。この島を支配した領主とその一族に横領の疑いが確定的になった。数々の贅沢極まりない行為、権力の乱用、そして賄賂などが紛れのない事実となった。大量の証拠が見つかり、また中央権力に関わりのある人物の名前まで出てきた。今までこのような不正が良くばれなかった原因は、賄賂で隠蔽工作によって、うまく皇帝を騙していたようだ。この行為は万死に値するの重罪だとエフェルガンが言った。
数々の証拠品をそろえてきれいにまとめられていた。また学校や病院などの建設詐欺の証拠も見つかった。エフェルガンはその報告書と証拠の品々を読んで、一人でふむふむと言って、引き続き調査を命じた。
しばらくすると、ガレーとロッコが現れてきた。ロッコはスズキノヤマの軍服ではなく、もう旅人の服装になっている。片手が袋のようなカバンを持っている。彼の顔がとても暗かった。ガレーはジェンの取り調べの結果をエフェルガンに報告した。
その内容は、アルハトロスと周囲の国々の召喚テロ行為はローズをあぶり出すための行為だった。また彼の魔力の原動力として、数々の村や町を襲って魔石にしたという。アルハトロスにいる彼の情報提供者によって、ローズがスズキノヤマへ留学しているという話を聞いて、ジェンはスズキノヤマへ行くことにしたという。そして反逆者に召喚術式を提供して、テロを起こすつもりだったという。バナダ村の化け物の件も彼が関わっていたということも自白した。ローズはロッコとガレーはどのように彼の自白をさせたか気になるけれど、怖いから聞かないことにした。
そしてモルグ人との関わりも明白である。彼はモルグ王国から莫大な資金を受け取って、指示に従い行動したという。今世界中の各地に、モルグ人と関わりがある者が増えている。お金という甘い罠に身を落としている人が数多くいるという現実に、驚きを隠せないエフェルガン達であった。そしてそのジェンと関係したモルグ人の手先の名前も判明したとロッコが言った。その名はビリナである。
それを聞いたローズがとてもびっくりした。なぜなら、そのビリナを助けたのがローズだったのだ。リンカが奪ってきた魔石のペンダントの中に閉じこめられていた女性はドイパ国からの観光客であるビリナが、とても衰弱していた。その人はモルグ人の手先であることに見えなかった。しかし、ジェンはその名前を口にしたことで、事実の確認する必要がある。だからこれからロッコは首都に行き、ドイパ国の大使館へ行くつもりで準備した。ビリナがもう帰国してしまったら、彼女をドイパ国まで追う必要があるとロッコが説明してくれた。とても重要な任務なので、ロッコはもうこの島を出なければいけない。ローズはそれを理解していても、やはり寂しいものは寂しい。また彼と別れなければならないからだ。
「話が分かった。こちらも国内の手配と彼女の行方を追う。これから首都へ?」
「はい」
ロッコがうなずいた。
「夕餉してからでも行けるが。今日はロッコ殿の誕生会とローズに話していたが・・」
「お気持ちだけ頂く。一刻も早くビリナを追わないといけない。ローズの身元がばれてしまったら、この国も無事でいられない」
「それはどうして?」
「モルグ王国にとって、ローズはもっとも危険な人物として、発表されていた。裏で暗殺者や賞金首ハンターを送ってローズを襲うか、あるいは堂々と戦争を持ち込んでしまう可能性もあると思われる」
「それは一大事だ」
エフェルガンの言葉を聞くと、ロッコがうなずいた。
「だから、一刻もビリナを探し出し、捕らえる必要がある」
エフェルガンがうなずいた。確かに、これは一大事だ、と彼が思った。
「分かった。これから首都へ行く手配をする。エトゥレ、疲れていると分かっているが、首都までロッコ殿を案内せよ。戻りは終わってからでも構わない。とにかく首都で、ロッコ殿の探索を全面的に協力せよ」
「はっ!」
エトゥレが言った。
「感謝する」
「ロッコ殿、失礼かもしれないが、これから必要だろうと思うが、少し調査の助けとして、この路銀を受け取ってくれるか?」
エフェルガンは机の上にお金を入っている袋を置いてロッコに差し出した。
「路銀はちゃんと領主から頂いた」
ロッコがそう言って、断った。
「これは僕の個人的な気持ちだ。海を渡るかもしれない貴殿はこれからいろいろとお金が必要だと思う」
「その気持ちだけをありがたく頂こう」
「どうしても、受け取ってくれないのか?」
エフェルガンが彼を見て、尋ねた。
「くれるなら・・そうだね、その雷鳥石を一つ下さい」
ロッコは袋に入っているまだ磨いていない雷鳥石を指さした。エフェルガンはその袋を取りロッコの前に出した。ロッコは適当に一つ取り出した。
「じゃ、これ一つもらうよ」
「それだけで良いのか?」
「そうだね。これ一つあれば、十分だ。ありがとう」
「はい」
ロッコがうなずいた。
「殿下、アルハトロス第一姫のローズ姫のことをよろしくお願いします。姫の安全と笑顔を、殿下に託します」
ロッコは頭を下げて丁寧にお願いした。それを応じているエフェルガンはびしっとしてまっすぐとロッコを見て、答えた。
「全身全霊でお守りする」
「感謝する」
ロッコは手を出してエフェルガンと握手した。男の約束だ、という顔をしている。
ロッコはローズの前にきて、跪いた。ローズの目にまた涙が出ていてしまった。彼がとても苦手とする、彼女の涙だ。
「泣かないで」
「無理よ」
「前にもそう言ったな」
「・・・」
ローズがロッコを見つめている。
「俺は必ず帰ってくるから、信じてくれ」
「無事に帰ってきて、元気な姿で、五体満足で」
「その命令はまだ有効だから、必ずそれを全うすると誓った」
「取り消すつもりはない」
ローズが言うと、ロッコが微笑んでいる。
「心得た」
「寂しくなるけど・・」
「俺もだ」
「でもまた会える時に、いっぱい話そう・・」
「無論、そうする」
「友達だからね」
「そうだね。ローズはロッコの友達だ」
「うん」
今、目の前にいるのはロッコじゃないと分かった。彼はフェルトだ。
「微笑んでくれる?」
「少しなら」
「十分だ。その笑みのために、俺が必ず生きて、帰ってくるから」
ローズは精一杯、彼に笑顔をみせた。涙が勝手に流れてしまったけれど、彼女の唇が笑顔で溢れている。フェルトは指で彼女の涙を拭いて、優しく手を口づけした。
「行ってくる、ローズ」
「行っていらっしゃい、二人とも。ご武運を・・」
フェルトは微笑んで、立ち上がった。ローズたちのやりとりをただ見つめているエフェルガンに、一礼をしてエトゥレと退室した。彼は首都へ旅立った。ローズを守るために、これから命がけの仕事に挑むことになる。
その任務の一つが、アクバー・モーガンの暗殺だ。ロッコが待っているのが長く険しい道だけれど、ローズは知らない。




