771. 襲撃の真相(34)
今日は風が強い日だ。ロッコはそう感じながらエスティナモルグへ足を踏み入れた。
エスティナモルグはエルムンドよりもずっと東にある国だ。面積はそこそこあって、高い山々に囲まれている大きな大陸だ。元々はエスティナと言う名前の国だったけれど、10年前ぐらいにモルグ王国に攻められてあっさりと落ちた。そして、モルグ王国が戦争で負けたついでに「謎」の大地震で海に沈んで滅んだことで、モルグ王国の後継ぎとされたのはこのエスティナモルグ王国だ。
エルカモルグと比べられないほど、大きな国だ、とロッコは周囲を見渡した。そして、この国は甘く見てはいけない。
ロッコがエスティナモルグに警戒する理由は国の大きさではない。
「・・へぇ、メルケ島から来たの?」
「はい。仕事を探しに来たんだ」
「なら、職業支援の方へ行くと良い」
その前にお食べ、と一人の中年女性がロッコにご飯とおかずをお皿に盛って、差し出した。
「でも私は・・」
「お金は払わなくても良いんだ。まずちゃんと食べて、仕事をしてから、寝る場所を探すんだ」
女性は白湯をグラスに注いで、ロッコの前に置いた。
「すみません。ありがたく頂きます」
ロッコはお皿を両手で持って、頭を下げた。そして彼は少しずつ食事をし始めた。
「メルケ島って、ここからどのぐらい遠いの?」
女性の隣に座っている男性が聞いた。
「遠いよ、ずっと東の向こうにある」
「そうなの?」
男性の答えを聞いた女性は再びロッコを見ている。
「はい、遠いです。エルカモルグの北あたりにある島だったんだ。しかし、スズキノヤマ軍が攻めて来て、もうその島をめちゃくちゃにした。ですが、彼らは攻めて来た時、私はちょうど海に出て行って、助かったのです」
「海に出たって、お前は漁師か?」
「はい」
ロッコが食べながらうなずいた。
「エルカモルグか、あれはひどかったね」
他の客が会話を聞いて、横から言った。
「はい」
「鬼神も来たらしい。王は死んだって?」
「多分、私はそこまで分かりません。岩場で身を隠して、夜中に帰って来ると、もう村の人がほとんどいなくなりました」
「ひでぇなー」
その客はロッコを見て、哀れな視線で彼を見ている。
「すると、あなたの家族は?」
女性は心配そうな目でロッコを見ている。
「両親は二人とももういないので、問題なかったが、友達や近所の人々の安否は気になります。ですが、私ごときの力で何かなるわけではないので、噂を頼りにして、こっそりと島から出ました。長い旅を得て、なんとかここへ辿り尽きました」
「よう頑張った!」
女性がうなずいた。
「ここなら大丈夫だよ。国王陛下は偉大なるモルグ大王陛下のご子息だ」
アクバー・モーガンの息子・・?
「本当に・・?」
「知らないのか?」
「はい、初耳です」
ロッコは驚いた顔で言った。けれども、同時にことの重要さを感じた。極めて危険だ、と。
「エルカモルグではエスティナモルグのことではさほど噂にもなっていませんでした」
「それは驚いた」
ロッコが言うと、他の客らが驚いた様子を見せた。
「エルカモルグの国王陛下は大王陛下のお孫様だと聞いていたのでね・・」
「あれは姫君が産んだ王だったんだ」
ロッコの隣にいる男性が言った。
「エルカモルグの前国王は大王陛下にお願いして、姫君を送ってもらったんだ。彼女が産んだ王子は後に王になったわけだ」
男性は白湯を飲みながら言った。
「なんだ、詳しいね」
女性は笑いながら彼の前にある空っぽになったお皿を取り上げた。
「こう見えても、俺は学者だからな」
「へぇ、偉いんだ」
女性が言うと、その男性は笑った。
「で、エスティナモルグの方は、大王陛下のご子息で、大変聡明なお方だ。大王陛下が大変かわいがってくださった」
その男性が机の上にある果物を取って、その皮を剥いてから食べた。
「なら安心してここで生活できますね」
「そうだよ。強くて、聡明なあのお方だから、安心して生きていけるさ」
他の客もうなずいて、横から言った。その店にいる誰もがうなずいて、同じことを言った。ロッコはうなずいて、食事を終わらせた。食べ終えると、店の人に御礼を言ってから、彼は店を出て行った。
「案内してやるよ」
突然後ろから誰かが言った。ロッコは振り向いて、相手を見ている。あの店で果物を食べる男性だ。
「はい?」
「職業支援に、な」
男性は微笑みながら言った。
「俺はガーマン・ダブウェストだ。その職業支援の職員だ」
「お役人様でしたか」
ロッコは彼を見ている。
「あ、申し遅れました。私はシルマンタ・フォルテ、メルケ島出身です」
「フォルテ殿か・・、メルケ島で親戚がいるのか・・」
ガーマンが考えながらロッコを見ている。
「シルマンタとお呼び下さい。他のフォルテ家はここにもいますか?」
「ははは、分かった。フォルテ家はこの国でもいるよ」
ガーマンはうなずいて、大きな建物の前で足を止めた。
「フォルテ家は大きな家紋だ。本家がもうないが、分家なら世界中にいる」
ガーマンは微笑みながらロッコを見ている。
「遠い親戚に出会って、今日は良い日だ。改めて、ようこそエスティナモルグへ。俺の母はエメルダ・フォルテだ。よって、フォルテ家は私の母方からの親戚だ」
ガーマンは嬉しそうに言った。
「驚いた・・」
ロッコは信じられない様子でガーマンを見ている。フォルテについて、細かく調べる必要がある、と彼は思った。
「ここだ。手続きを手伝うよ」
「はい、お願いします」
ロッコはうなずいた。二人が建物の中に入ると、ガーマンは手慣れた様子で窓口の人に指示を出した。そして戸惑ったロッコを窓口につれて、何枚かの書類をロッコの前に並べた。
「これらの項目を、全部記入してください」
「分かりました。ですが、私は読み書きがあまり得意ではありませんが・・」
「手伝ってやろう。向こうで座ろうか?」
「はい」
ロッコはうなずいて、書類を持ってガーマンが示した机へ向かった。ガーマンは丁寧に説明して、ロッコにその書類の記入を手伝っている。けれども、なんとか必要な項目を書くことができた。読み書きがあまりできないと言ったロッコの代わりに、ガーマンが丁寧に書いた。
「では、少し待っていて下さい。開いている仕事を確認するから」
「はい」
一人になったロッコは早速ゼルミウスにフォルテ一族について調べるようにと命じた。情報は直接彼の頭の中に送るように、と。
数十分後、ガーマンが現れた。彼の手には一枚の紙があった。
「古い記録だが、メルケ島のフォルテ家の情報があった。モルグ人の父親が花の種族の母親と結婚したということは、シルマンタさんは魔法ができるか?」
ガーマンは紙を持ちながらロッコの前に座った。
「多少はできると思います。灯りを付けるため程度です。でも、さっきも言ったように、私の両親は、私が小さい時に亡くなりました。だから私に魔法のことを教えてくれる人がいませんでした」
ロッコはまっすぐにガーマンを見ている。
「魔力があるだけでも良いことだ」
「そう?」
「ああ」
ガーマンはその紙をロッコに見せた。
「これは何の書類ですか?」
「魔法省の書類だ」
「でも私は読み書きがあまり得意ではありませんが・・」
「なんとかなるよ」
ガーマンはうなずいた。
「あなたの仕事は、その魔法省で術紙を作ることだ。すごく簡単だろう?」
「やったことがありませんが・・、私にはできるかな・・」
「できるさ。魔力がある人ならできる。それに、これは大変良いことだ」
ガーマンはロッコを見つめている。
「魔法省で働けば、住まいも食事も気にせずとも手に入る」
「そうなんですか?」
「ああ。それだけではなく、上の人にお目にかかるチャンスも大きくなるよ。いやあ、なんだかこちらまで嬉しく思うよ、ははは」
ガーマンは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
「じゃ、早速魔法省へ行きましょう!」
「あ、はい」
二人は職業支援から出て行くと、馬車で魔法省へ向かった。
豪華な馬車だ。ガーマンはそれなりに身分が高い人だ、とロッコは思った。
「ここだ」
馬車は大きな建物の前に泊まった。一人の護衛官らしき人は扉を開けると、ロッコたちが降りた。ガーマンは手慣れた様子で中へ入って、一人の男性職員と話した。そしてしばらくすると、その男性職員が中へ入った。しばらくすると、魔法師らしい男性を連れて戻って来た。
「私の遠い親戚、シルマンタ・フォルテだ」
ガーマンがロッコを紹介した。
「シルマンタ・フォルテです」
「イクアダ・アグリチェス、魔法省の製造部長でございます」
二人は握手して、丁寧に自己紹介した。
「早速ですが、確認したいことがございます。どうぞこちらへ」
彼は丁寧に二人を中へ案内した。数十人の職員らが彼らの存在に気づいて、一斉に立ち上がって、敬礼した。ロッコは一瞬で理解した。彼らはガーマンに敬礼した、と。
ガーマンはうなずいただけで、無言でイクアダの後ろで歩いた。イクアダは一つの部屋に足を止めて、扉を開けて、その部屋の奥にある扉を開けた。
「フォルテ様、どうぞ中へ」
イクアダは丁寧に言った。ロッコがガーマンを見ると、ガーマンは微笑んで、うなずいた。
一人で行くように、と。ガーマンは窓際に立って、その窓から中の様子を見ている。
ロッコはイクアダと一緒に部屋の中へ入った。その部屋でいくつかの魔法陣が見えた。どれも怪しげな形をしているけれど、ロッコは魔法陣自体の形を見覚えがある。
どれも危険な物ばかりだ、とロッコは思った。危険な動物を召喚するための魔法陣の製造機、記憶を埋め込むための魔法陣、そして人を閉じ込めるための魔法陣まである。
「見たことは?」
「ありません。ごめんなさい」
イクアダが尋ねると、ロッコが顔色を変えずに答えた。
「もったいないです。エルカモルグの役人はちゃんと仕事していなかったから、滅んでしまいました」
イクアダはため息ついた。
「良かったことに、各地のモルグ王国は情報交換を行っていて、このようにフォルテ様のご家族の情報もこちらで保管されました」
イクアダは危険動物を召喚するための製造機の前に止まった。そして彼はその製造機の使い方をロッコに見せた。すると、機械が動き出して、その機械から数十枚の術紙が出て来た。
「このように、簡単に思った動物を魔法の力で実現できます」
イクアダはその機械を離して、その近くにある一冊の本を取り出した。
「文字の読み書きはあまり得意じゃないと聞いたが、絵なら分かりますね?」
「はい」
ロッコがうなずいた。
「この本の中から、一種類だけを見て下さい」
「はい」
ロッコがその本を受け取って、パラパラと開けた。実にまとめられた危険な動物の絵だ。ローズなら喜びそうだ、とロッコは思った。
「はい。この鳥にします」
「ほう、なかなか良いですね。雷鳥を見たことがありますか?」
「ありません」
「ははは、そうですか」
イクアダは笑って、ロッコに機械をにぎるように、と命じた。
「次は、この絵を見て下さい」
「はい」
「この絵を覚えて、先ほど選んだ雷鳥の情報をここに入力します」
「ここですか?」
「はい。終わったら、この機械のにぎりながら、魔力を強く流し込んで下さい」
「はい」
ロッコは言われたままにその機械をにぎって、魔力を流した。機械が動き出して、突然光出した。すると、部屋の外で窓から見ているガーマンが光りに気づいて、部屋の中へ駆けつけた。
「あの光は?」
ガーマンが聞くと、イクアダは急いで機械を見て、中から出て来た術紙を取り出した。
「これは・・!」
彼はあまりにも驚いて、術紙を見ている。ガーマンもイクアダが持って来た術紙を見て、瞬いた。
「本当にエルカモルグの奴らは仕事していなかった!滅んでも仕方がないことだ!」
ガーマンがそれらの術紙を見ながら言った。
「シルマンタさん、すごいだ!」
「はい?」
「あなたは本当に天才だ。見て、獰猛クラスの術紙も百枚の束で出て来たよ!」
ガーマンは嬉しそうに言った。
「いや、これだけじゃもったいない。もっと難しい仕事もできるだろう」
「私もそう思います」
ガーマンが言うと、イクアダもうなずいた。
「所長の所へご案内致します。どうぞ、こちらへ」
イクアダはその術紙を持ちながら外へ出て行った。
「しばしこちらでお待ち下さい」
イクアダは丁寧に言って、部屋をノックしてから中へ入った。しばらくしてから、扉が開いた。開けたのはまた別の男性だ。
「どうぞお入り下さいませ」
その男性がとても丁寧に二人に言った。ガーマンはうなずいて、ロッコと一緒に中へ入った。
「閣下にご挨拶を申し上げます。閣下、これは、なんと・・」
部屋に立って男性は驚いた顔でガーマンを見て、説明を求めている視線を送った。
「すごいだろう?この人がやったんだ。この男、私の遠縁のシルマンタ・フォルテだ」
ガーマンは嬉しそうにロッコの肩をポンポンと軽く叩いた。ロッコが頭を下げてから自己紹介した。その男性も丁寧に自己紹介した。
「カヒル・ジャサンでございます」
彼は丁寧に頭を下げてからロッコと握手した。明らかに態度が違う。
「ジャサン殿は魔法省の所長でね、私の部下の一人なんだ」
部下、とロッコがすぐに理解した。ガーマンは職業支援の職員ではない。彼はその遙かに上の存在だ。
「メルケ島と言いますと、4年ぐらい前に滅んだあの国でございますね?」
カヒルが聞くと、ロッコはうなずいた。はい、と。
「あの国は滅んで当然だ。このような才能でさえ見つけることができない国なんだからね」
「私も同じ意見でございます」
ガーマンが言うと、所長らはうなずいた。
「これは新記録でございます。私どもが、このような術紙を作り出すことができませんでした。亡き大王陛下には及びませんが、かなりすごいことだと存じます」
所長は震えながらパラパラと術紙を見ている。完璧、というよりか、完璧過ぎる。たった一度しか使ったことがない機械で、このような完璧な術紙が大量に作れる人は、今まで一人もいない。
「フォルテ様は、本当に魔法をしたことはないですか?」
「灯りを付ける程度です。私は漁師なので、イカ釣りのために船に灯りを付けます」
「イカ・・?」
所長は瞬いた。
「灯りを付けると、たくさん釣れるんです。時には一晩、籠が二つも満杯になるのですよ」
「いや、なんと言いますか・・」
ロッコが誇らしげに説明すると、カヒルはまた信じられない様子で瞬いた。
「才能の無駄遣いだ」
ガーマンは即答した。カヒル達もその言葉を同意した。
「私は・・」
ロッコは困った顔でガーマンを見ている。
「一先ず、シルマンタさんはここで仕事をしてください」
「はい」
「明日、私は上と話し合う。その結果、また伝えよう」
ガーマンは微笑みながら言った。
「と言うわけだ、所長。私の遠縁を、しばらく頼む」
「かしこまりました」
カヒルは丁寧にうなずいた。
「あの、閣下、失礼ですが、フォルテ様は、今宵はどこにお過ごしか、と」
カヒルが聞くと、ガーマンはロッコを見て、苦笑いした。
「宿は?」
「今日来たばかりです。エルマサからの船で・・」
エルマサは南にある小さな港のことだ。遠回りして、やっとエスティナモルグに来られたから、身なりもボロボロだ。靴には穴があって、足の親指が見えた。
「私の家に連れて帰る。はるばる遠い所から来たので、これはきっと良い縁だ」
ガーマンはロッコを見て、笑みを見せた。ロッコは頭を下げて、感謝を示した。
その夜、ロッコはガーマンと一緒に帰った。大きな屋敷だ、とロッコは周囲を見渡しながら思った。
「ははは、驚いたか?」
「はい」
「まぁ、こちらだ」
ガーマンはロッコを屋敷の中へ連れて行った。彼らを迎えに来た執事は物乞い並の格好で来たロッコを見て、驚きを隠せなかった。
「遠縁のシルマンタ・フォルテだ。命ガラガラでエルカモルグから逃げて、4年もかけてこちらに来られた。彼に部屋と服装を用意してくれ」
「かしこまりました」
執事は丁寧に頭を下げた。
「シルマンタさん、何か必要な物があればアルフレッドに言ってくれ。今宵は私たちと一緒に夕餉を招待する。他のフォルテ家の人々は驚くだろう、ははは」
「ありがとうございます」
「ああ。また後ほど」
ロッコは丁寧に頭を下げた。そしてロッコは執事に従えて部屋に案内してもらった。執事や侍従達はお風呂や新しい服を用意した。ロッコは自分の姿を鏡で見た。
貴族らしい格好だ。
けれど、最初の予定とは違った。ロッコはこの展開を見て、考え込んだ。事前にファリズからフォルテ家について報告書を読んだものの、詳しく調べていなかった。
メルケ島の魔女と呼ばれる凄腕の魔法師がいた。彼女はモルグ人貴族だったアート・フォルテと結婚した。けれど、出産したときに、彼女は命を落とした。その彼女の子はシルマンタだった。しかし、翌年にアート・フォルテが亡くなってしまった。まだ幼いシルマンタは財産争いに戦う術もなく、そのままあっさりと負けた。フォルテ家の財産は他の親戚に乗っ取られたため、シルマンタはそのまま乳母に引き取られて、田舎へ連れて行かれた。後に、彼は漁師になったわけだ。けれど、スズキノヤマ軍が来た時に、メルケ島にいる唯一の貴族であるフォルテ家は捕らえられて処刑された。ついでに、住民の全員が捕らえられて、別々の島へ送られた。シルマンタの名前が報告に載ったのは、兵士らが彼を捕らえようとしたときに、彼は必死に逃げて、誤って崖の下へ転落したからだ。即死だった、と報告で書かれていた。
享年、18歳だった。短い人生だった、とロッコは思った。
シルマンタの情報でエスティナモルグへ乗り込めば、違和感がないはずだ、とファリズの提案を聞いたロッコはすぐにその提案を受け入れた。
けれども、まさかここにもフォルテ家がいるとは・・、とロッコは考え込んだ。
「シルマンタ・フォルテ様、お夕餉の時間でございます」
「はい」
ロッコは振り向いて、うなずいた。そしてためらいない足運びで、アルフレッドと一緒にダイニングルームへ向かった。




