766. 襲撃の真相(29)
その夜、ロッコは宿の窓からずっとジョナス店を見張っていた。
夜中、数人が現れて、店の中へ入った。そしてまた馬で慌ただしく動いた。
『ゼルミウス、奴らはどこへ向かった?』
ロッコが聞くと、足下から黒い服の人らしき者が現れた。
『イブラヒム・ジョナスの元へ向かっております』
『なぜ?』
『ロッコ様が現れたからでございます。本日、モルグからの船がございませんでした』
『なるほど』
要するに、「怪しいモルグ人」が現れて、イブラヒムを探している。イブラヒムの妻であるメリサはそれに気づいて、人を送った訳だ。
イブラヒムに知らせるために、と。
『追え!』
『御意』
ゼルミウスは頭を下げて、消えた。ロッコはしばらく考え込んだ。
イブラヒムの妻、メリサもスパイである可能性が高い。あるいは、彼女も暗部である可能性はある。
ラフィオの華というギルドからの緊急連絡も考えられる。そもそもマラの本名である「イブラヒム・ジョナス」を見知らぬ相手に漏らしたことはあり得ない。どうせ死ぬだと判断されたから、真実を言っても誰もしらないだろう、とロッコは飲み屋の店員の行動を思い出した。
けれど、ロッコには毒が効かない。だからあの店員が危険を感じて、慌ててジョナス宛てに連絡を入れた可能性が高い。その連絡がやっと届いて、メリサが馬を走らせて、イブラヒムに知らせる。
ロッコは外へ見ている。ジョナスの屋敷から宿へ向かって、見ている人がいる。やはり彼の居場所がばれている。けれど、向こうから何も動きはない。互いに見張っているかもしれない。
怪しいモルグ人だ。彼らの目で、ロッコの姿は鮮やかな赤い色の瞳をしているモルグ人だ。
そもそもこの国はモルグ人を拒否しないけれど、自由に出歩いているモルグ人がいなかった。イスタの町は、あくまでも、貿易場だ。商売をするためなら、どんな人種でも、エルムンドは歓迎する。けれども、それ以外は許可しない。港も比較的に人が少ない北側の港に限定される。なぜなら、これはエルムンドの周囲の国々を刺激しないために取った行動だからだ。
モルグと関係がある国となると、この大陸の人々が恐れてしまう。いくつかの国は、モルグ人に対して国境を封鎖するほど、嫌っている。特にアクバー・モーガンの被害が大きかった国々には、今でも警戒している。そのこともあるから、大きくなったエルムンドが可能な限り、モルグ人との貿易を表に出ないように厳しくしている。
船乗り員は、港と市場だけに留まるように、という厳しいルールがある。小さな港町だから、見慣れない顔があるときに、真っ先に聞かれるのは「船乗り員」かどうか、と。
思えば昼間、ロッコにそう聞いた人がいた。そして鮮やかな赤い瞳した彼を見た人は、ロッコがモルグ人かどうか、と聞いた訳だ。恐らく、確認するためだろう。
考えてみると、この国では鬼神がいないから、彼らも赤い瞳していることを理解する人がいない。同じ赤い瞳でも、鮮やかな赤い色の鬼神と赤い土に近い赤い色のモルグ人とは全然違うものだ。けれども、比較対象がないこの国では、それを気づく人がいない。
ロッコは外を見ながら考え込んだ。あの三人は、恐らくジョナスのために働いているだろう。あるいは、何らかの関係を持っているに違いない。ロッコは変化を整えてから、部屋の外へ出て行って、港へ向かって、歩いている。
港では、岸壁にいくつかの船が停泊している様子が見えた。
一番手前にあるのは、エルムンドの国内線を結ぶ貨物船だ。その後ろの二隻は近くの島々へ行く船だ。そして一番向こうにある船は確かに外国船だけれど、エスティナモルグの船ではない。
新たな嘘が必要だ。
ロッコが周囲を見て、そのまま暗闇に紛れて、消えた。
「あのモルグ人はどこに消えた?」
「確かにこの道だと思うが・・」
「誰もいないぞ?」
「おかしいな・・」
二人の男の声が聞こえた。彼らはロッコを追って、港まで来た。しかし、その道には誰もいなかった。
「サミン、お前がこのまま奴を追え。俺は応援を呼んでくる。何かあったら叫べ!」
「分かった」
彼らは二手に分かれた。一人は元の道へ戻って、もう一人がそのまま前へ進んだ。
「いたか?」
「いや、いなかったよ、ジャルザさん」
応援を呼んで来たジャルザが再び戻って、ロッコを追ったサミンに聞いた。サミンは首を振って、また周囲を見渡した。周囲は樽や箱しかない。これから先も行き止まりだ。
一体、どこへ消えたのだろう?
「この周囲を調べよう」
「ああ、そうしよう」
彼らは再びその周辺を細かく確認した。逃げられるはずがない。けれど、時間が経っても、あの「怪しいモルグ人」を見つけることができなかった。
彼らは顔を見合わせながら、周囲を見渡した。上を見上げた人もいる。けれど、彼は風のように、消えた。
「夜だから、彼を見つけることができなくて、仕方がない。明日、また見張ろう。彼が現れるかもしれない」
一人の男が言うと、他の人もうなずいた。
「とりあえず、飲もうか。もう遅いし、寒い」
「そうしよう」
彼らはそのまま港にある飲み屋へ向かって、酒を頼んだ。
「ジャルザさん、俺たちはいつササノハに戻れるかな」
「さぁ、な」
ジャルザと呼ばれる人が酒を飲みながら首を振った。
「おい、ジャルザ、ガルマン様がお呼びだ」
「へい」
ジャルザが椅子を立って、一人の男の前に立った。
「追跡が失敗したと聞いたが?」
「はい。怪しいモルグ人がいて、俺たちが彼を追って、港の第三倉庫あたりまで追っていました。が、彼の姿が消えてしまって・・、いろいろ探したが、見つかりませんでした」
ジャルザが報告すると、ガルマンは考え込んだ。
「この町から出られないから、彼が泊まっている宿を見張れ」
「分かりました」
ジャルザがうなずいた。
「まぁ、今夜は少し飲んでから行け」
「分かりました」
ガルマンが自分の酒を飲んで、ジャルザを下がらせた。ジャルザは自分の席に戻って、酒を飲みながら、店が出したつまみを食べた。
「ジャルザさん、実は俺が聞いたんだ。ササノハで、アルハトロス軍がアジトに来て、いろいろと調べたってさ」
「ほう。団長が無事か?」
「捕まったらしい」
「他のメンバーも?」
「そうだよ」
その男がまた酒を飲んだ。
「お前、誰から聞いた?」
「ガルマン隊長の客だ。昨日来た客でね、そう話した。ササノハのシルマの星が終わったって」
「ふむ」
ジャルザがまた酒を飲んだ。
「なら、今は戻らない方が良い。ことが治まってから、こっそりと・・」
「でもな、俺は恋しいんだ。ササノハの料理が食べたいんだ」
「ちょっとだけの間だから、耐えろよ」
「はぁ~」
彼はため息ついた。お酒はかなり入ったらしい、とジャルザは思った。
「ここの料理って、味が濃いか、味がないか、どちらかにしかない。極端過ぎるよ」
「海の近くだからな」
ジャルザがため息ついた。彼は店員が持って来たつまみを全部食べた。そして、彼は立ち上がって、二人の子分を連れて、飲み屋を出て行った。
三人が宿に着いた。ジャルザ達が外で座りながらずっと宿を見つめている。
「ジャルザさん、少し食べる?」
サンダという彼の子分の一人が持って来たパンを見せた。
「良いよ。俺がおなかいっぱいだ」
「つまみしか食べなかっただろう?」
サンダがそう言いながらパンを二つにちぎって、ジャルザに渡した。
「ありがとう」
ジャルザはそのパンを受け取って、口に入れた。味はまぁまぁだ、と彼は思った。
「デルマンが言うように、俺もササノハが恋しい」
サンダがそう言いながらパンを食べた。もう一人の仲間が道ばたにある小さな店の前で座って、周囲のチンピラたちと会話している。
「実は、俺もだ」
ジャルザはまたため息ついた。
「ここの女は、数が少ないくせに、メリサのように偉そうな人ばかりだ」
「ははは、ジャルザさんもそう思うか」
「ああ。やってられねぇよ」
ジャルザは店から戻って来た人が差し出した飲み物を受け取って、飲んだ。
「サンダ、お前が良くあいつが怪しいと気づいたな」
飲み物を持って来た人がサンダに言うと、サンダは笑った。
「だって、奴はエスティナモルグから来たと言ったろう?俺はちょうど港から戻って来たばっかりで、今日はその国からの船が来ていなかった」
「えらいぞ、サンダ」
「へへへ、ありがとうよ。あ、飲み物、ありがとうな、ガティさん」
「良いさ。飲みな」
「へい」
サンダは笑って、ガティという人から飲み物を受け取って、飲んだ。三人が会話しながら宿の入り口を見つめている。途中でロッコらしき人が宿へ戻ってきた姿が見えた。彼らは部屋の灯りを見て、しばらく無言でその部屋を見つめている。
部屋の灯りが遅くまで明るかった。朝近くになると、ようやく灯りが消えた。それを見たジャルザが周囲を見て、そのままこっそりと港へ向かった。彼の二人の子分達は未だに宿の前で眠っている。
「カルタナ行きを、大人一人だ」
ジャルザが運賃を払って、そのまま船に入った。朝日が出ている前に、一番早い港から出る船がカルタナ行きだった。
船でたった一時間だけのイスタと距離が近い島だ。
「ジャルザさん、珍しいね」
一人の男が彼を見て、隣に座った。
「イスティア様、お久しぶりです」
「カルタナへ行くのか?」
「はい」
「ガルマン殿は許してくれたのか?」
「いや」
ジャルザは首を振った。
「俺はもうイスタにいるのが飽きたんです。カルタナへ行って、そこから別の船を乗るつもりです」
「そうか」
「まぁ、これでシルマの星の奴らとおさらばですね」
ジャルザが言うと、イスティアが笑って、うなずいた。次々と客が入って、出向を知らせる鐘が鳴った。船がゆっくりとイスタの港を離れていく。
「イスティア様もカルタナへ?」
「はい」
イスティアがうなずいた。
「アーチバルドに、用事があるんだ」
「なぜわざわざ遠回りしたのですか?」
「ははは、ジャルザさんは知らないかもしれないが、イスタからカルタナ、そしてカルタナからアーチバルド、船の運賃をまとめても一番安いんだ。イスタからアーチバルドだと、半日もかかるだけではなく、運賃も倍もするんだぞ?」
「へぇ・・」
ジャルザが瞬きながらイスティアを見ている。
「さすがです、イスティア様」
「まぁ、これでも商売になれているんだからね」
イスティアが笑って、驚いた顔をしたジャルザを見ている。
「ジャルザさんはカルタナで何しに?」
「適当です。少し見回ってから、ぐるっとして、ササノハへ戻る道を探ります」
「今はまだ危険だと聞いたよ」
「イスティア様もご存じで?」
「もちろんさ」
イスティアがうなずいた。
「アルハトロス軍がササノハで大規模な捜索を行ったらしい。シルマの星という暗殺ギルドメンバー、または関わっている人々を片っ端から捕まったと聞いたよ。私の情報屋も、命ガラガラで逃げることができたと聞いた」
「それほどまでに・・」
ジャルザが不安そうな顔をして、イスティアを見ている。
「やはり潰しに行ったのですね」
「アルハトロス軍は本気だ。シルマの星は女王の妹の屋敷を襲撃したらしい」
「本当は、あれは襲撃じゃなくて、救出しようとしたんです」
「救出?」
「はい」
ジャルザがため息ついた。
「薔薇姫様をスズキノヤマの者から彼女を救出して、国外へ連れて行く、という簡単な内容だった。シルマの星の主力メンバーで行けば、早いだろうと思いました。事前にスズキノヤマの大使を片付けたから、恐らく混乱した状況だろうと思ったが、まさかの失敗とは・・」
「スズキノヤマ空軍基地はその屋敷の後ろにあるからだ」
「それは知りませんでした」
「私もそうだよ。恐らくジョナス様も知らなかったと思う。後から新たな情報が入って、知らせようと思って、遅かった。せめてガルマン隊長とシルマの星の生き残りぐらいを救出しようとジョナス様に頼んだ」
「そういうことだったのですね。最初はなぜイスタにいるのか、理解できませんでした。おかげさまで生き延びました。ありがとうございました」
「良いさ」
イスティアが微笑んだ。
「落ち着いたら、また新たな仕事を依頼しようと思ったが、ジャルザさんはもうイスタを離れたから、仕方がない」
「イスティア様は命の恩人ですから、またその内に会いに行きますよ」
「ははは、そうだね」
イスティアが笑って、うなずいた。
「私はしばらくアーチバルドで用事を済ましてから、いくつかの国へ回ると思う。ジャルザさんも落ち着いていたら、手紙でも出して下さい。エスカンダリアの屋敷にね」
「はい」
ジャルザがうなずいた。船が港へ入って、岸壁に近寄っている。
「実のところ、私はジャルザさんの腕が良くて、とても気に入った。だから、気分が晴れたら、必ず連絡下さい。私の専属暗殺者にしたいと思っている」
「嬉しいです。ありがとうございます。落ち着いていたら、必ず連絡します」
「待っているよ」
「はい」
ようやく船が停泊した。イスティアは手を振って、船を下りた。ジャルザも船を下りて、しばらく港で過ごした。
本当に小さな島だ。ジャルザがしばらく歩いて、高台へ上った。遠くからアーチバルドへ向かった船が出航した姿が見えた。そして彼は朝餉を食べに市場の屋台で食べた。食べ終えると、ジャルザが再び港へ向かって、エングラシア島へ行く船に乗った。
「・・聞いたか?イスタで殺人事件が起きたらしい。さっき、港の関係者が話していたところで聞いたんだ」
「今度は何?」
少し離れた所に座っている客らが会話した。見た目は商人だ。
「飲み屋の客が全員死亡したってさ」
「へぇ?犯人は?」
「知らないよ。警備隊がまだ調べているらしい」
ジャルザが耳を傾けた。
「本当に怖い世の中だ」
「そうだね」
彼らはうなずいて、商売の話をした。ジャルザは立ち上がって、窓側によって外を見ている。船がゆっくりとカルタナの港を離れて、北へ向かっている。
あの飲み屋で客が全員死亡したと聞いたジャルザは何も反応をせず、ただ外の景色を見つめるだけだった。警備隊は恐らくストレスがたまっているシルマの星のメンバーが暴れていたことを察しただろう。何しろ、店員以外、客はほとんど殺し屋だったからだ。実際に彼らはイスタにいて、一週間で飽きてしまった。仕事なら我慢できるけれど、これからずっとそこにいると考えると、無理だろう。
ササノハと違って、イスタは田舎だ。娯楽もあまりなく、とてものどかな町だ。だからエルムンドが彼らを管理するためにイスタに閉じ込めた。海以外、外へ出ることができない場所である。
しかも、外へ出るにはメリサ達の厳しい目がある。ほぼ不可能だった。
けれど、今日の朝はジャルザが問題なく船に乗ることができた。ジャルザが遠くなったカルタナの港町を見つめている。そして彼はその場から離れた。ジャルザは個室に入って、扉を閉めた。
『ゼルミウス、イスティアという人を捕獲して、彼の記憶からすべて引き抜け。終わったら、殺せ。自然死に見せるようにな』
『御意』
ジャルザの足下に黒い服をした人のような者が現れて、頭を下げてから消えた。ジャルザは変化を解いて、別の顔にした。衣服も脱いで、別に呼んだ「人ではない者」が用意した衣服に着替えた。そして脱いだジャルザの衣服を拾って、ポケットの中身を確認してから、そのまま灰にした。
そう、ジャルザはロッコだった。本物のジャルザは今頃イスタの港で発見されるだろう、とロッコはそう思いながら部屋を出て行った。応援を呼ぶ時に、ロッコはジャルザを襲って、彼の記憶を引き抜いた。そしてロッコはジャルザに変化して、なりすました。
一緒に見張っている二人は目を覚ますことなく、そのまま死亡させる毒を仕込んだ。そしてメリサ達も、この時間だと、店で死亡した姿が発見されるだろう。地獄の暗部であるゼルミウスの仕事は確かだからだ。
ローズへの襲撃に関わっている全員を殺す。そのために、彼はためらいなく彼らを暴き出す。これからイブラヒム・ジョナスを追って、詳しい話を探らなければならない。
「少しだけ辛抱してくれよ、ローズ」
ロッコがそう呟きながら広がった海を見て、懐からかんざしを取り出した。そして、愛しそうにそのかんざしをにぎりしめて、また海を見つめている。




