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人形姫ローズ  作者: ブリガンティア
アフター・ウォーズ

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740/811

740. 襲撃の真相(3)

エトゥレはロッコの姿を見て、瞬いた。いくら優秀な暗部でも、暗闇の中からいきなり現れるなんて、そのような技を聞いたことがない。


「ロッコ殿?」

「なんだ、その間抜けの顔は?」


ロッコは近づいて、鳥籠の鍵を外した。すると、エトゥレは出て飛んで、近くの椅子の上で着地した。


「食い物を持って来た。そろそろ魔力を補充しないとまずいだろう?」

「あ」


エトゥレはうなずいた。変化すると魔力が消費されることはあまり知らなかった。ロッコは持って来た袋の中から串焼き数本と魔力回復薬を出して、机の上に置いた。魔力回復薬はフタを開けて置いた。


「さっさと食え」

「はい。ありがとうございます。頂きます」


エトゥレが素直に食べた。


「まったく・・、生肉が食えない梟だなんて、聞いたことがない。あんたは本当に変化が下手だね」

「はい、すみません・・」


エトゥレは恥ずかしそうにうなずいた。


「あんたは暗部なんだから、好き嫌いをなくした方が良いよ。いざと言うときに、ネズミや蛇など、生でも食べられないとまずい。それに、生の肉でも美味しそうに食べないとダメだ。なぜなら、あんたが梟なんだからね?野生の梟がネズミを食うのは当たり前なことだ」

「・・そうですね、はい、すみません」


エトゥレは串焼きを食べてから、ロッコが出した魔力回復剤を飲んだ。


「ご馳走様でした」


エトゥレが言うと、ロッコがうなずいて、串焼きの串と瓶を片付けた。エトゥレが落としたゴミまで、きれいに拭いた。


「じゃ、分かったことを報告して」


ロッコは床の上に落とし物がないか確認しながら言った。


「はい。この屋敷はエインハイム公爵の物だと分かりました。娘はミスカ、そして婚約者はイズミルという人です。イズミルからはとても強い魔力を感じました」

「分かった。あんたはこの屋敷の様子を探ってくれ。だが、無理しないようにな。難しいなら仕方ない。明日、迎えに行くから、俺が見えて来るまで無事でいろよ」

「はい」

「しっかりと情報収集してな」

「はい」


エトゥレがうなずいた。こんなに素直な自分を気づいたエトゥレ自身も驚いた。


「じゃ、俺が扉を開けたら、外へ飛べ。行けるところまで行ってこい!」

「はい!」

「頑張れよ、エルリッヒ!」

「ホー、ホー!」


ロッコは笑みを見せて、部屋の扉を開けた。すると、エトゥレは翼を羽ばたいて、音もせず、そのままスーッと部屋を出て行った。ロッコはまた暗闇の中にどこかへ消えた。





ミスカの部屋を出ると、意外ととても広い屋敷だ、とエトゥレが思った。エトゥレが周囲を見渡して、彫刻像の上に着地した。そして彼は静かにと開いている扉に向かって飛んで行った。


「お嬢さんの鳥さん!」


一人の侍女がエトゥレを見かけてしまった。その侍女が叫ぶと、他の侍女らと使用人が振り向いて、こそってエトゥレを追って、走った。


「何事だ?」


一人の男性が騒ぎに気づいた。エトゥレは彼を見て、しっかりと覚えた。ダイニングテーブルの座る位置によって、その男がこの家にとって、とても重要な人だと分かった。


恐らく、彼はエインハイム公爵だろう、とエトゥレが思った。食事はちょうど終わったところだった。


「お嬢様の鳥さんが・・」

「あ! エルリッヒ!」


駆けつけて行った侍女たちが言い終える前に、食事を終えたミスカが立ち上がって、向かって飛んで行くエトゥレに向かって、手を伸ばした。エトゥレは迷わず彼女の手の平で着地した。


「ホー、ホー」

「あら!かわいい!この子、私を探しているのね」


ミスカがエトゥレの頭に口づけした。


「あれはそなたが言った鳥か?」

「はい!飼っても良いでしょう?」


ミスカが言うと、イズミルが微笑みながら彼女を見て、そしてエインハイム公爵を見ている。


「その梟はミスカにとても懐いている。人が飼ってきた鳥のようで、自然界に逃がしても長く生きていけないだろう」

「イズミル殿がそう言うなら、ふむ・・、良かろう」


エインハイムは愛娘を見て、うなずいた。


「ありがとう、父上!」

「ホー、ホー」

「あら!エルリッヒもありがとうを言うのね!かわいい♪」


ミスカが笑いながらエトゥレをまた口づけた。


「だがな、ミスカ、その鳥をちゃんと世話するんだぞ?」

「はい!」

「イズミル殿と結婚しても、お粗末にしてはいけない」

「はい、父上。必ずお世話を致します」


ミスカがうなずいた。エインハイム公爵が数人の騎士と一緒に部屋を出て行った。イズミルがミスカの隣に歩いて、部屋まで送った。


「少しお茶を飲みますか?」

「いや、私はもう帰る」

「あら?お早いですね。せっかく来たのに・・」

「問題が起きたんだ」

「問題?」


ミスカが首を傾げた。


「一緒に仕事をした人が行方不明だ。万が一ということもあるから、私はこれからアルカサス卿と一緒に彼の行方を探さないといけない」

「ガムル卿が、行方不明なんですか?」

「そうだ。彼が宿舎にいなかったことを気づいた人は、ガムル卿の恋人の家を見に行った。だが、そこに争った後があったが、ガムル卿がいなかった。恋人がその時仕事で外へ出かけたから無事だったが、ガムル卿はどこへ消えたか分からない」

「お気を付けて、イズミル」


ミスカが不安そうな顔を見せた。


「心配するな。私は、この国では最強の魔法師だ。例え敵軍が攻めてきても、私一人だけでも倒せるんだぞ?」

「ですが、なんだか心配です」


ミスカが言うと、イズミルがミスカを見て微笑んだ。


「私たちの結婚式まであと一月だ。私はあなたを置いたりしないよ」

「分かっていますが・・」


やはり心配だ、とミスカが小さな声で言った。イズミルが数日間もどこかへ仕事に出かけたけれど、その行き先はエインハイム公爵を含むの関係者が数名しか知らない。


「なら、今のうちに、オスティア公爵夫人になる練習でもすると良い」

「まあ!」


イズミルが言うと、ミスカが恥ずかしそうにうなずいた。イズミルがミスカを口づけしてから頭を下げて、そのまま外へ出て行った。


「閣下、これから何処へ?」


屋敷の外で待機している騎士が聞いた。


「まずガムルが消えた部屋だ。彼の恋人は今、何処に?」

「彼の恋人は今取り調べで、別の場所におります」

「徹底的に調べろ。どんな小さなことでも良い、聞き出せ!」

「はっ!」


イズミルの配下がうなずいて、待機している馬に乗って、門から出て行った。イズミルは馬車に乗って、複数の配下と一緒にエインハイム邸を後にした。


「ガムル卿はなぜおとなしく宿舎にしていなかったか分からん」


イズミルはため息しながら聞くと、彼と一緒に馬車に乗った秘書が首を振った。


「その理由は誰も分かりません。宿舎にいる者たちによると、彼は今朝、昼餉を食べに部屋から出て行った姿が目撃された、とそのような報告を聞いております」

「食事に出たまま、ついでに恋人の家に行ったか?」

「そうだと思われます」


秘書がうなずいた。


「せっかくアルハトロスから脱出できたのに・・」


イズミルがまたため息ついた。


「失礼ですが、なぜ閣下がわざわざアルハトロスへ向かったのですか?」

「上からの命令だった」


イズミルが答えた。けれど、その答えを聞いた秘書がそれ以上聞かなかった。公爵であるイズミルに命令ができるのは王だけだった。


「任務を終えた後、私とガムルがアルハトロスで暗部に追われたんだ。あいつらの動きが速い。だが、なんとか逃げ切った。一瞬だけの差で、私たちは難を逃れて、帰国できたんだ」

「まさか、彼らはここへ?」

「そんなはずがない。ガムルの身元はアルハトロスのササノハ地方で暗殺者として登録した。それに、ちゃんと念入りにしたんだ。ササノハへ行って、ラデンナへ、そこからスワ王国へ行って、またいくつかに行ってから、ここへ」

「徹底的でございますね」

「無論だ。いくら我が国が強くても、あの国の後ろ盾はあのスズキノヤマだぞ?まともに相手にすれば、勝てる可能性が低い」


イズミルがため息ついた。


「それにしても、なぜ陛下が閣下にそう命じたか、理解できませんが・・」

「そのことについて、私も分からない。というか、知られて困る理由があったのかもしれない。上がそう命じたから、こちらが実行するしかないんだ」


イズミルがため息ついて、イライラを隠せずに言った。


「閣下は、ガムル卿の失踪について、アルハトロスまたはスズキノヤマが関係している、とお考えでしょうか?」

「その可能性が低いが・・、全くないではない」


イズミルが素直に答えた。


「だが、さっきも言ったように、私は念入りに逃げ道を作ったんだ。例えあちら側で凄腕の魔法師がいたとしても、簡単にここまで辿り着けないと思うが・・」

「そうでございますね」


秘書がうなずいた。


「ところで、ジェラード。今日は珍しくいろいろと聞いたな」

「ただ知りたいだけでございます」


秘書が微笑んだ。けれど、イズミルは異変に気づいた。


さっきから、周囲で護衛しているはずの騎士らがいない。彼らはどこでいなくなったのか、見当も付かない。イズミルはその状況を見て、危険を感じた。


「お前は誰だ?」


イズミルが鋭い目で秘書を見ている。


「私はジェラードでございます」

「いや」


イズミルが警戒して、素早くポケットから杖を出した。けれど、秘書が微笑んだだけだった。


「私に魔法は効きませんよ、閣下」

「・・・」

「それに、今更私を攻撃しようとしても、無駄です。閣下はもうどこへも行くことができません。私を殺しても、閣下はこの場所から出られません。術者は別にいますから」


馬車が止まると、外から扉が開いた。秘書がにっこりと微笑んで、外へ出て行った。


「閣下もどうぞ降りて下さいませ」

「・・・」

「ご存じだと思いますが、閣下には拒否権がございません」

「分かった」


イズミルが馬車から降りると、そこは見慣れない場所だった。


「ここは?」

「さぁ、どこでしょうね」


秘書が微笑んで建物の中に入った。


「ガムル卿に会わせて差し上げます」

「・・・」


長い廊下を通った後、秘書が扉を開けた。


「どうぞ」

「・・・」


イズミルが無言で入った。目の前で、鎖で繋いだガムルがいる。


「望みはなんだ?」

「真実ですね」

「私が言ったことは真実だ」

「そのようですねぇ」

「お前は・・」


秘書が姿を変えた瞬間、イズミルが目を大きくした。ジェラードの顔も、声も、すべて変わった。


「覚えてくれたんだ」

「なぜ・・」

「さぁ、なぜだろうね」


秘書がロッコになった瞬間、イズミルは動こうとした。けれど、見えない何かが、彼の手と足をつかんだ。


「お前はあの時の暗部・・」

「俺がその時、顔を隠したが、良く分かったね」

「なんとなく、波動が・・」


イズミルが息を呑んだ。ズルグンを刺した後、二人がロッコ達に追いかけられた。逃げたところで、イズミルはロッコの気配に気づいてとっさに魔法を唱えて、二人が一瞬の早さでロッコから逃げ出した。危機一髪だった。それなのに・・。


「波動か。彼女以外に、波動で人を区別して、認識できる人がいるなんて、驚いた」

「彼女とは・・?」

「お前達が襲ったもう一人の被害者だ」


ロッコは静かに言った。


「私たちはアルハトロスにいるスズキノヤマの年寄りを襲うようにと命じられただけだ。その人以外、誰も手を出していなかった。襲ったのは彼一人だけだった」

「彼は何者か知ってんの?」

「後から知った。在アルハトロス王国のスズキノヤマ帝国特別大使、ズルグン・スズヤマと言う人だった」

「正解」


ロッコが手をパッチンとならすと、半透明の者が現れて、椅子を運んで来た。ロッコはその椅子に座って、身動きができないイズミルを見ている。


「お前はスズキノヤマの者か?」

「違うよ」


ロッコが首を振った。


「俺はあの里の者だ」

「あの里は、スズキノヤマの支配下にあるのか?」

「細かいことは言えないし、問題もそこじゃねぇ」


ロッコは鋭い目で彼を見つめている。


「なぜズルグンを刺した?」

「命令だった」

「王の命令か?」

「そうだ」

「理由は?」

「分からない」

「あんたは理由も知らないで、人を殺せるのか?」

「あなただって、王が命じれば、そうするしかないだろう?」


イズミルが答えると、ロッコはため息ついた。


「確かに」


ロッコがうなずいた。遙か昔、ダルゴダスが世界を征服するために、彼に良く暗殺命令を下した。そしてこの世界へ移住しても、そのような命令は彼の元へ普通に来る。


理由も知らないで、とにかく殺せ。彼にも、しないという選択はなかった。


フェルト、という名前で命じるならば、どんな命令でも、どんな方法でも、手段を選ばず、実行する。


「エインハイム公爵はあんたの仕事について知っているのか?」

「私が仕事に出て行ったことは知っていた」

「その理由も?」

「彼が知っているかどうか、分からない」

「なら彼に確認するしかない」


ロッコがため息ついた。この問題は意外と面倒くさいだ、と彼は思った。


「エインハイム公爵はこの問題と関係ないと思う。頼む・・」

「そう言われてもねぇ」

「私を殺したいなら構わない。だが、彼を、見逃してくれ」

「あんたは彼の娘と結婚するからか?」


ロッコは鋭い目で聞いた。


「そこまで分かったのか」

「まぁ、な」


ロッコがうなずいた。


「けどな、悪いけど、いくら彼女を愛しても、この問題を起こした以上、あんたらの処遇はスズキノヤマにあるんだ」


大使を攻撃したことで、スズキノヤマ側が彼を処刑するかもしれない、そういう可能性が高い、とロッコは言った。それを聞いたイズミルが瞬いた。


処刑。つまり、死だ。


「けどまぁ、あんたは協力的だから、その辺りもいろいろと免除されることもあるだろうな」


ロッコが立ち上がった。


「あ、そうだ、ちょっと確認したい。あんたは暗部か?」

「魔法師だ。魔法長官、イズミル・オスティアだ」

「なるほど」


ロッコがうなずいた。だから彼が嘘つかなかったのか、とロッコは思った。あるいは、もうすでに諦めたかもしれない。ガムルが捕らえられた時点で、彼らの運命が決まった、と分かったかのような様子だった。


「自害することは許さないから、この部屋で魔法が発動できない。ちなみに、首を吊ろうも、舌を噛んでも、無駄だ。あんたの体にバリアー魔法がかかっている」

「分かった」


イズミルはうなずいた。


「そうだ、ズルグンが付けた顔の傷痕は、魔法で消したのか?」

「ああ」

「あんたは本当にすごい魔法師だね。死なすのはもったいない。まぁ、それもまたスズキノヤマの権利だから、なんとも言えない。しばらくここで過ごしてな」

「・・・」


ロッコが手を振って、そのまま部屋から出て行った。


『ザルズ、彼らを見張れ』

『御意』


ロッコが古代言語で言うと、透明な者が現れて、頭を下げた。ロッコがそのまま歩いて、一番奥にある部屋に入った。


そこは何もない部屋だ。けれど、ロッコはためらいなく、その部屋に入って、一番奥にある壁を触れた。ロッコの姿がその部屋から消えて、現れた先は武器がたくさん並ばれた部屋だった。


ロッコはその中から箱を開けて、中身をポケットに入れた。そして彼は鏡で映った女性の顔を見つめている。


『大丈夫だよ。あなたを苦しめるウジ虫を退治してやるからな、ローズ』


ロッコがその鏡を触れてから、消えた。





「あれが白状したのか?」


玉座に座っているファリズが現れたロッコを見て、聞いた。


「ああ、すんなりとな」

「珍しい。嘘でもついたじゃないのか?」

「嘘はつかないと思う。あれは魔法師だ。暗部じゃねぇ」

「魔法師のくせに、暗部の真似ごとしているなんて」


ファリズはため息ついた。


「この国の王に命令された、と答えた」

「王か。どうする?」

「俺が捕まえようか?」

「証拠も大事だぜ?弟と父上を動かすには証拠が必要だ」


ファリズは言った。


「証拠なら集めてやるよ。ついでに王も捕ってやるさ」

「俺の仕事はほとんどないじゃねぇか」


ファリズが笑うと、ロッコも笑った。


「あんたは十分仕事したよ?彼の護衛らを全員眠らせたんだろうが」

「は!あれぐらいは仕事にならん」


ファリズが言うと、ロッコは微笑んで、彼の前に歩いた。


「じゃ、俺と一緒に王の所に行くか?」

「良いね」

「けどな、ばれたら、速戦争だよ?」

「それは困るな」


ファリズはため息ついた。


「あんたは今スズキノヤマに仕えているのだから、おとなしくここで待つか、町の様子を見に行くか、どちらかにすると良いよ」

「ふむ・・。なら、町に行くよ」

「まぁ、俺の仕事が終わったら、ザルズに言うから、心配しなくても良いよ」


ロッコが微笑みながら言った。ファリズがロッコにザルズ一体を付けるように命じたから、ロッコはこの地獄の神殿に行くことができる。


「分かった。じゃ、仕事終えたら、連絡しろよ」

「あい」


ロッコがうなずいて、ファリズが開いた魔法の輪っかに入った。輪っかが消えると、ファリズは一人で誰もいない神殿を見渡した。


考えみたら、彼は地獄の神殿のことをあまり知らない。


長年もこの神殿の「王」になったのに、とファリズは思った。ファリズは立ち上がって、玉座の部屋から出て行った。次々と部屋に入って、やはり似たような作りだ。ここは古い神殿で、番人らが神殿を守っている。


牢屋に行くと、囚われたガムルとイズミルは諦めた様子で天井を見つめている姿が見えた。そして一番奥の部屋まで行くと、前の部屋と同じく、普通の牢屋で、何もない部屋だった。


神殿なのに、祭壇がない。


地獄だという名前の神殿だけれど、人々が思うような苦しみの姿の死者もない。けれど、この神殿の名前は「地獄」だった。


しかし、何に対する地獄だったのか、彼は分からない。ただ、彼が若かった時、名前も姿も分からない男に試された後、「地獄の王」という称号を与えられた。


鬼神族の中で、たった一人が「地獄の王」になる資格がある。王が立つと、その王が死ぬまで新たな王は誕生しない。けれど、地獄の王になると、ケルズとザルズを自由に使うことができる。それだけではなく、神殿内は自由に使えるようになって、住まいも与えられる。そして何よりも、彼が望む物を、ザルズやケルズに言えば、何でも叶う。


けれども、ケルズやザルズは人の言葉をしゃべれない。『御意』以外、彼に何も教えない。この神殿のことも、何も。


ファリズは部屋を出て、来た道を歩いた。そして何かに気づいた。


前の世界では、この神殿もこんな感じだった。この世界に来てからでも変わらない。ということは、神殿はどこにあるのか、彼の中に疑問が生まれた。けれど、考えれば考えるほど、答えが分からなくなった。


「考えるのをやめた。俺はこれだけでも十分ありがたく思うぜ、地獄の神様よ」


ファリズが一人で言った。突然現れたザルズたちは彼を見て、頭を下げてからまた静かに消えた。ファリズは自分の玉座がある部屋へ戻って、しばらく玉座を見つめている。そして彼はいきなり苦笑いした。


「俺が地獄の王になっても、俺自身のために、世界を統一しようと思ったことはない。欲のない王だが、それでも良いなら、死ぬまで王になってやるぜ」


再び現れたザルズが頭を下げて、ゆっくりと消えた。ファリズは彼らを見て、何も言わず魔法の輪っかを唱えた。そしてためらいのない足で輪っかの向こうへ歩いた。


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