735. アルハトロス王国 大使への襲撃
「エファイン、カバンを病院に持って来て!」
ローズがそう言いながら魔法の輪っかを開けた。そして彼女がハインズたちと警備隊員と一緒に病院に到着すると、急いで救急室へ向かった。ローズが見えると、扉の前にいる警備隊員が急いで扉を開けた。
「具合は?」
ローズが急いで手を洗って、すでに出血を止めるための治療している医療師らに聞いた。
「良くないです。傷が急所に当たりました」
彼が言うと、ローズは手袋をはめながら横たわったズルグンを見ている。
トントン、と扉がノックされて、ローズのカバンを持って来たエファインが来た。彼がそのまま開いている机にそのカバンを開けて、中の道具を取り出して、並べた。消毒液に浸してから、できた手術道具を看護師に渡した。看護師がその道具をローズの側に置いて、ローズの指示を待つ。
「ソノダ先生はそのまま血液のことを任せます。ガリン先生は体温の管理をお願いします。私は壊れた細胞を元に戻します」
「はい、お願いします」
一人の医療師がうなずいて、作業を続けている。ローズは力を集中して、壊れた細胞を丁寧に治した。数時間もかかる大手術が終わった時、外はもう暗くなった。
「聖なる神、この者に完全なる回復を与えてください」
すべての手術を終えると、ローズはズルグンの額に口付けした。一緒に治療した医療師らがうなずいて、ズルグンの脈を確認して、記録を書いた。
「お疲れ様でした、ローズ先生」
「ガリン先生も、ソノダ先生も、お疲れ様でした」
ローズがうなずいて、ソラから白湯を受け取った。エファインはテキパキとローズの道具をきれいにして、再びカバンに入れた。彼はその手際の良さを見た看護師らがうなるほど、上手だった、と。
「ローズ先生、ロッコ様がいらっしゃいました」
一人の看護師が言うと、ローズがうなずいた。扉が開いて、ロッコとダイが入って来た。
「やぁ、ロッコ。ダイも」
ローズが言うと、ロッコとダイはうなずいた。
「お疲れさん。手術が成功したようだね」
ロッコがうなずいて、看護師らに病棟へ移されるズルグンを目で追った。
「うん、大変だったけど、なんとかなったわ。対応が早いソノダ先生とガリン先生のおかげで、彼は助かったわ」
ローズがうなずいて、その近くにあるソファに座った。
「早速だけど、刃物はあったか?」
「なかった」
ロッコが聞くと、ソノダはカルテを持って、首を振った。
「傷口から見ると、刃物が大体短剣ぐらいだと見えたわ」
「短剣か・・」
ロッコはカルテを見てズルグンの傷口を確認した。
「これは急所だね」
「うん。普通は死ぬよ。傷が結構深かったから、手術も大変だったわ」
ローズはそう言いながら白湯を飲んだ。
「目撃者はいるのか?」
ソノダが聞くと、ダイは首を振った。
「残念ながら、いなかった。彼が倒れた場所がちょうど死角になって、誰も気づかなかった」
「それは困ったな」
「はい」
ダイがうなずいた。
「幸い、ちょうど青竹学園の近くなので、何人かが気づいて、ここまで運んでくれた」
ダイが言うと、ソノダとガリンはうなずいた。
「発見者の情報はあるのか?」
ソノダが聞くと、ダイはうなずいた。
「はい。5人いて、4人はここの学生で、1人は通りすがりの主婦だ。子ども園に子どもを預けに行った人だ」
「主婦の名前は?」
「エスマ、住所は鈴蘭長屋の8の9だ」
「アルシア殿の奥さんか」
「はい」
ダイがうなずいた。ソノダはともに異世界から来た仲間だから、意外と結構詳しい。
「アルシア殿はこのことを知っているのか?」
「はい、先ほどロッコ殿が連絡した」
ダイがうなずくと、ローズは首を傾げた。
「アルシアって?」
「暗部だ」
ローズの質問に、ロッコは答えた。
「ズルグン殿が起きていれば、どういう状況だったのか聞けると思うが、起きるのはまだ先のことか」
「残念ながら、そうね」
ロッコの言葉を聞いたローズはうなずいた。
「彼は誰かに狙われているか、あるいはどんな問題を抱えているか、もし分かるなら、教えて欲しいのだが・・」
「うーん、そのことについて、良く分からないわ。仕事のことなんて、彼は何も言わないからね」
「そうだな」
ロッコがうなずいた。大使だから、いろいろと秘密が多い仕事だ。
「でも、ズルグンのような人が、なんでおとなしく刺されたか、分からない。護衛を普段しないということだけは分かっているけど」
「ふ~む」
ローズが言うと、ロッコはしばらく考え込んだ。ロメーシアで会ったズルグンはまるで暗部だった。注意深い彼がそう簡単に刺されるはずがない、とロッコは思った。
相手はズルグンを超えた凄腕の刺客か?、とロッコが疑問を唱えると、全員は考え込んだ。手術終えたソノダとガリンも同じことを思った。ズルグンの体に残った数々の傷痕は、何よりも彼の歴史を語っている。数多くの戦いを体験した体だ。
それなのに、なぜ・・?
「さて、これから親方様のところへ行くが、ローズはどうする?」
「このまま帰るわ。子どもたちが家にいるからね」
「分かった」
ロッコがうなずいて、ハインズ達を見た。
「だが、気を付けてくれ。相手はスズキノヤマの大使を襲ったから、次は誰になるか分からない。念のため、今夜はあまり外に出ないようにしてな」
「うん、分かった」
ローズがうなずいた。ロッコはズルグンのカルテをソノダに返して、立ち上がった。
「先生方のご協力、ありがとうございます」
では、とロッコとダイが救急室を後にした。
ローズも立ち上がって、二人の医療師と話してから、警備隊だらけの廊下に歩いた。ズルグンの部屋の前にはズルグンの配下と警備隊が立っている様子が見えた。
「皇后様」
ローズがその声の持ち主に振り向いた。
「エトゥレ!なぜここに?」
「陛下のご命令でございます」
エトゥレが丁寧に頭を下げた。
「ズルグン様のご様子は?」
「安定しているわ。明日か、明後日ぐらいに目覚めるでしょう」
「良かった・・」
エトゥレがホッとした様子で言った。
「ズルグン様はご高齢なので、どうなるか、とても心配しておりました」
「大丈夫よ」
ローズが微笑んだ。
「それに、ズルグンに高齢なんて、失礼よ。あの人はとても若々しいなんだから」
「ははは、そうでございますね」
ローズが言うと、エトゥレは苦笑いした。
「では、馬車にご案内致します」
「ありがとう」
エトゥレが学園の前にある馬車に案内した。ローズがその馬車に乗り込むと、ハインズも入って、彼女の前に座る。ソラたちに護衛されたローズが無事に屋敷に戻ると、屋敷の中にすでにガレーとエルク・ガルタがいる。とても物々しい、とローズは思った。
「お帰りなさいませ」
ガレーが言うと、ローズはうなずいた。ソラがローズの手をとって、早速屋敷の中に入った。中庭に狼のアッシュがあくびしている姿がある。厳重の警備の中、子どもたちは中庭で遊んでいる。ローズが見えて来ると、彼らは一気に走って、ローズを抱きついた。
「お帰りなさい、皇后様!」
三人が一斉に言って、抱きついた。ローズが微笑みながら我が子たちを抱きしめた。ただいま、と彼女は言った。夕餉もできたため、ローズは子どもたちと一緒に夕餉を食べた。その後、子どもたちはそれぞれの部屋に入った。
「ガレーは食事した?」
食事を終えたローズがガレーに聞いた。はい、とガレーは丁寧にうなずいた。
「ズルグン様が大丈夫だ、とエトゥレ殿から伺いました」
「うん。手術が成功したわ。多分、明日辺りに起きると思う」
ローズがうなずいた。
「でも、傷口がとても深かった。急所に当たったことを考えると、相手は相当な腕前だと思うわ」
「どの辺りに刺されたのでございますか?」
「右の脇腹」
「それは・・」
ガレーが言葉を失った。その辺りに深く刺されると、人が死ぬ。手当てが早くても、大体手遅れだ。
「ズルグンが倒れる前に、傷口に全魔力で塞いだ。だから私が来るまで間に合ったんだ」
「それは何よりでございます」
ガレーはホッとした顔になった。もしもその時ローズがこの里にいなければ、ズルグンが死んでしまうでしょう。
「ガレー、エトゥレは?」
「エトゥレ殿はロッコ殿の所へ参りました。やはりこの問題は警備隊だけでは解決できないでしょう」
「そうね。ズルグンは大使だから、国の代表なんだから、異国で刺されると国際問題になる」
「はい」
ガレーはうなずいた。
「誰かがスズキノヤマとアルハトロスを不仲にしようと思っているのでしょう」
「うん、私もそう思う」
ローズがうなずいた。
「ですが、この時間になっても犯人が捕まっていないので、先ほどダルゴダス公爵から連絡が入りました。今夜は警戒するように、と」
ガレーが言うと、ローズはうなずいた。
「とりあえず、この屋敷は安全だと思います。幸い、皇太子殿下とフェルザ皇子殿下と柊皇子殿下がここにいらっしゃいますので、護衛が少し楽と存じます」
ガレーが微笑みながら言った。
「ガレーはこれからおうちに帰るの?」
「私は今夜ここにおります。どうぞご安心ください」
「分かった。でも、ガレーはあまり無理しないでね。眠かったら、寝て下さいね」
「ははは、恐れ入ります。どうぞ、ご心配ならずに」
ガレーが軽く笑いながらうなずいた。ローズが立ち上がって、玄関にいるエルク・ガルタと数人の配下を見て、そのまま寝室へ入った。
手術によって、大量の魔力を消費したローズが疲れたからか、彼女は朝までぐっすりと眠った。
「おはよう」
眠そうなローズに起こしたのはエフェルガンだった。ローズは体を起こして、ソファに座っているエフェルガンを見ている。
「おはようございます。あれ?いつ来たの?」
「昨夜だ」
エフェルガンが立ち上がって、まだ寝ぼけているローズに口付けした。
「今日はゆっくりしなさい。昨日ズルグンの手術に魔力を大量に消費しただろう?」
「うん」
「子どもたちも、しばらくここにいろ」
「うむ」
ローズがうなずいた。
「でも今日はズルグンの様子を確認しなくてはいけないんだ」
「ズルグンならトダを行かせた」
ローズが言うと、エフェルガンは即答した。トダは医療師でありながら、エフェルガンの護衛官だ。
「ローズはここから出ないで欲しい」
「うむ、なんで?」
「刺客は魔法が使える奴らしい」
「らしい?」
「捕まえようとしたが魔法で逃げた、とロッコ殿は言った」
「うむ」
厄介だ、とエフェルガンが言うと、ローズもうなずいた。
「相手は他の国の暗部とか、なんかの刺客なの?」
「その結論が今日ダルゴダス公爵との会議で分かる」
エフェルガンは衣服を整えながら答えた。
「余は朝餉を食べた。ローズはあとでもゆっくりしていると良い。子どもたちも朝餉を食べたから、心配しなくても良い」
「うむ、はい」
「余はこれからダルゴダス邸に行く」
エフェルガンがソファに置いた剣を腰に付けた。そして彼が寝室から出ると、数人の侍女が寝室の中に入って、ローズの朝支度を手伝った。
本日ゆっくりとしているローズと違って、朝っぱらからダルゴダス邸では会議が行われている。スズキノヤマ大使が襲撃されたことで、両国の間に緊張が走った。龍神の都から、連絡を受けた暗部長官ミリナが来て、その会議に出ている人々の顔に深刻の色が見えた。
「スズキノヤマ皇帝陛下にとって、ズルグン殿は影替えのない家臣であることを、十分理解しておる」
ダルゴダスが重い口を開いた。彼はその前にロッコとダイから報告を聞いた。
「ズルグンはただの家臣ではない。私の育ての親に等しい存在だ」
エフェルガンはダルゴダスをまっすぐに見て、言った。
「育ての親か」
「はい」
「その育ての親同然の大使が、わしの領地内で刺された・・か。これは困った」
ダルゴダスはため息ついた。
「ロッコ」
「はい」
「大使を刺したのが誰だ?」
「ササノハの暗殺ギルド、シルマの星のメンバー、ガムルでございます」
ロッコは顔色を変えずに答えた。
「どうやって知った?」
「それは・・」
エフェルガンが聞くと、ロッコは戸惑った。けれど、ダルゴダスがうなずいた。それを見たロッコがうなずいて、エフェルガンをみている。
「ズルグン殿のマントから数枚の暗殺者情報が入っていました。恐らくそれは親方様に届けられるつもりでしょう、と私が思っています」
「ズルグンが?」
「はい」
ロッコが数枚の紙を取り出した。血が付いている。
「これはその情報です。また私の郵便受けにも、同じ紙が入りました。恐らく彼が狙われていることを知って、私にそのことを知らせようとしたでしょう」
ロッコがまた一枚の紙を取り出して、机に置いた。
「ですが、もちろん、このような情報をそのまま丸呑みにするわけではありません。いくつかの情報を得て、調査の結果、犯人がガムルであることは判明しました。ですが、昨夜、エトゥレ殿と一緒にその情報を確認しに行った最中、ガムルと会ったものの、残念ながら逃げられました。申し訳ありませんでした」
ロッコが謝罪すると、エフェルガンとダルゴダスがうなずいた。
「では、これからどうするか・・」
「青竹の里にいるスズキノヤマの人々の安全を保証する」
エフェルガンの質問に、ダルゴダスは即答した。
「ササノハの暗殺ギルドに関しては、暗部長官ミリナ殿が全力と潰すと仰った。そうだな、ミリナ殿?」
「はい」
ダルゴダスが言うと、ミリナがうなずいた。立場的に女王の代理としてきたミリナの方が上なのに、ダルゴダスの前では彼女がとても素直だった。
育ての親だからか、とエフェルガンは彼女を見て思った。女王もダルゴダスが育てていたことは暗部から聞いた。
「暗殺ギルドの存在自体、違法なので、我々が全力で彼らを潰す」
ミリナがはっきりと言った。エフェルガンがうなずいて、机の上にある資料を見ている。
「可能なら、依頼した人も探ってもらいたい」
エフェルガンが手を伸ばして、資料を一枚取って、目を通した。
「依頼か・・、少し難しいかもしれない。知っての通り、人材が限られているからだ」
「そのためなら、必要な費用や人材など、スズキノヤマは惜しまず協力する」
ミリナが言うと、エフェルガンはためらいなく言った。
「もし依頼者が外国にいるとなると、どうする?」
ダルゴダスが聞いた。エフェルガンは少し考えてから、ため息ついた。
「どこの国の者かとなると、少し厄介だ。まず、外交ルートで接触してみる。それでも効果がないのなら、ズルグンに対する襲撃は、我が国に対する攻撃として受け止める」
「すなわち、戦争?」
「戦争は最後の手段として、そう認識して欲しい」
エフェルガンはミリナをまっすぐに見た。
「だが、どの道に効果がなければ、正義のために、我々が全力で戦争する」
エフェルガンが言うと、重い空気が会議室で流れている。
「ファリズを少し借りても良いか?」
ダルゴダスが言うと、全員彼に視線を移した。
「問題ない」
エフェルガンがうなずいた。
「ファリズだけですか?」
「彼以上の実力者は思いつかない」
ダルゴダスがエフェルガンを見て、うなずいた。
「分かった。今日中に彼を呼び寄せる」
「協力、感謝する」
「いいえ」
エフェルガンが首を振った。
「元々これは我々の仇の問題だから」
エフェルガンが言うと、ダルゴダスは無言でうなずいた。
「エトゥレはしばらくロッコ殿の手伝いにいても良いのか?」
「構わんよ」
ロッコがうなずいた。
「では、とりあえず、今日の会議はここまでだ。何かあったら、貴殿に連絡する、エフェルガン殿」
「感謝致す。窓口として、屋敷に外務補佐官が待機する。ローズはしばらく屋敷から出ないので、ご理解願います。子どもたちも今屋敷にいる。安全が確認されるまで、彼らも屋敷にいる」
「分かった」
ダルゴダスがうなずいた。彼が立ち上がると、全員立ち上がって、部屋を出て行った。
「ズルグン殿が起きたら、また連絡するよ」
「そうだな。お願いします」
会議室の外でロッコはエフェルガンに声をかけた。
「ローズがちょうどここにいて、良かったよ」
「そんなに危険だったのか?」
「ああ」
ロッコがうなずいた。
「普通は死ぬよ。相手が毒を使わなかったことに、不幸中の幸いだった。けどな、毒がなくても、普通はあんなに深く刺されたら死ぬ。相手は左利きで、刃が長めの短剣で右腹を刺して、腎臓を貫通して肺まで足したからな。あの御仁が、一瞬の判断ですべての魔力をそこに集めたから、ローズが来るまで間に合った。もし彼女がちょうどこの里にいなかったら、間違いなく、彼は死ぬよ」
「そうか」
エフェルガンは険しい顔でロッコを見ている。
「改めて、ズルグンを一所懸命助けた皆に感謝致す」
エフェルガンは頭を下げた。
「良いって。ズルグン殿が生きてくれて、何よりだ」
「ああ」
「それに、あれはローズのおかげだ。けど、彼の手術のために、大量の魔力が必要だっただろう。何しろ、数時間もかかった大手術だったからな。今日は、なるべく彼女を休ませて下さい」
「はい、そうする」
ロッコが言うと、エフェルガンはうなずいた。
「改めて、調査をよろしく頼む」
「心得た。じゃ、な」
ロッコが手を振って、領主の館を後にした。外で待っているエトゥレがロッコに付いて、どこかへ行った。




