720. スズキノヤマ帝国 モルグ人の移住者(1)
その日は、エフェルガンたちが複数の場所へ移動して、視察を行っていた。どこへ行くのか、全く予測ができていなかったから、あちらこちらで領主たちの緊張した顔が見られた。本土から遠くにあるトルバタやエルゴシアなどで、今回の視察はとても良い情報が入った。
「ソマールでモルグ人移住者が増えたという報告があった」
「確かに、ソマールは昔からモルグ人と交流があったわ」
ローズはソファに座りながら机の上にある報告書をとって、読み始めた。思った以上に、多かった。住宅や下水など、新たな開発が必要だ。そのためにも、予算を組まなければならない。かなり大きな額だ、とローズは思った。
「ところで、まだ怒っているのか?」
エフェルガンが声をかけると、ローズはため息ついた。
その質問は今日で5回目だ。
「うむ」
正直に思うと、うんざりだ。答えるのも面倒だ。ローズは答えず、ただ報告書を見てから机に置いた。
「もう怒っていない」
ローズが立ち上がった。けれど、エフェルガンは素早く彼女の手をつかんで、自分に引っ張った。
「嘘だね」
彼はバランスの失ったローズの体を素早く抱きしめた。
「うむ」
「もう機嫌を直せ」
「だから、もう怒っていないって」
「嘘だ」
エフェルガンがローズの体をぎゅっと強く抱きしめた。
「うーん」
ローズは荒い息で首を口付けしてしるエフェルガンから逃げようとした。けれど、エフェルガンが彼女を逃がすつもりはなかった。
「答えないと、このまま、朝までこうするぞ?」
「しつこいわね」
「そうだよ。余はとてもしつこい男だ。それは自覚している」
「だから、もう怒っていないって・・、あ~ん、どうしたら信じてくれるの?」
「何も・・、このまま余の愛を感じれば良い」
エフェルガンがそう言いながら、熱くローズを抱きしめた。結局その日の夜はローズがただエフェルガンの愛を感じただけだった。
朝になると、寝坊したローズと違って、エフェルガンがいつも通り、朝早く起きて、練習している。眠そうなローズは体に毛布を巻き付けて、寝台を降りて、外を見ている。エフェルガンが三人の子どもたちに何かを話している。そして子どもたちの前で、エフェルガンが魔法を披露した。ケルゼックが設置した的に彼の攻撃が当たると、エフェリュー達が瞬いた。その様子を見てローズは思わず微笑んだ。
風龍の紋章を持っている彼らは、途轍もなく強い風属性の魔法を持っているでしょう。あの三人なら大丈夫だ、と彼女が振り向いて、三人の侍女達の挨拶を返事した。
「今日は余と皇后だけの公務になる」
朝餉の最中にエフェルガンが言うと、ローズと三人の子どもたちが思わずエフェルガンを見ている。
「これから行くところは危険な場所だからだ」
エフェルガンは彼らの視線の意味が分かったかのように、そのまま説明しながら机の上にあるパンを取って、口に入れた。
「危険って、どこに?」
「ダマール島だ」
エフェルガンが言うと、ローズが瞬いた。あの島はソマール戦争以来、全然行っていなかった。そもそも、ローズ自身もソマール戦争の後、海龍の神殿へ連れて行かれてしまった。
「うむ、分かりました」
ローズはうなずいた。残念そうな子どもたちを見て、エフェルガンが微笑んだ。
「今日は、そなたらは練習しなければならない。一国の皇子であるそなたらは、それなりの力を持つ必要がある」
エフェルガンが三人の子どもたちを一人一人見て、机の上に残ったパンを三つにわけて、適当に三人の皿に与えた。
「互いの兄弟が、理不尽な扱いをされたら、立ち向かわないといけない。自分たちが良ければそれで良いなんて、そのような大人になって欲しくない。余はこの前のように、レホマでフェルザが差別を受けたことに、エフェリューと柊が気づかなかったことを聞いて、悲しく思った。これからは、そのようなことがないようにしたい。分かったか?」
エフェルガンが言うと、三人ともうなずいた。
「さ、食べるが良い」
エフェルガンが机の上にあるお茶を取って、ゆっくりとお茶を飲んでいる。忙しい皇帝だから子どもたちと一緒に過ごす時間も限られている。成長が早い子どもたちだから、今がとても大事な時だ、と彼は理解している。
自分自身のように、両親の愛を全く知らずに成長して欲しくない、とエフェルガンはもぐもぐとパンを頬張った三人を見て、微笑んだ。
朝食の後、三人の子どもたちが宮殿に残したまま、ローズとエフェルガンが出発する準備をした。子どもたちにはトルドから来たファリズが見てくれるから、ローズは安心して彼らに向かって手を振った。
「ダマール島は、結局スズキノヤマになったんだね?」
ローズが広がった海に囲まれている島々を見つめている。魔法の輪っかをくぐったから、移動がとても早くなった。
「ダマール島は元々ソマールの一部だった。あの戦争で、王家が滅びたし、民もモルグによってかなり殺されたから、そのままにするのも大変だった。防衛もできなかったから、結局スズキノヤマがソマールを支配することになった」
「反発がなかったの?」
「負けた国は反発など、そのような権利はない」
エフェルガンがためらいなく答えた。彼らが現れると、さっきまでのどかな島にいる人々が驚いた。エフェルガンたちが着地すると、その島の人々が集まってきた。小さな島だからか、ほとんどの島民が集まってきた。
「陛下、ようこそいらっしゃいませ」
島を任された役人が来て、エフェルガンとローズに挨拶した。エフェルガンがうなずいて、そのまま市場へ向かった。人々は恐る恐るとエフェルガンの質問に答えて、自分たちの暮らしを話している。
この島では、モルグ王国と通じ合っていた人々がたくさん暮らしている。そしてモルグ王国が滅んだ今でも、数多くのモルグ人らがこの周囲の島々で暮らしている。
「島の治安はどうだった?」
「安全です!」
一人の中年男性が答えた。ソマール王国だったころと比べられないほど、安全になっている。ソマールで大きな海軍基地があったから、この辺りがとても安全になった。そして、この辺りの島々では、海龍神殿が数多く建てられている。
第二のエルサナードにならないように、と。海龍に滅ぼされた大国はこの島の近くにあった。そしてモルグ王国のように、地上からきれいさっぱりと海龍に滅ぼされたことも、人々の記憶に新しい。
エフェルガンは町の設備を見て、うなずいた。けれど、移住したいと願った人々が多くいることを報告書に書かれているように、早急に対応しなければならないことも町長から聞かされた。
エフェルガンが新しい住宅地を見て、計画を目に通しながら説明を受けた。学校や医療施設予定も確認して、うなずいた。
ローズは新しい井戸を見てから、女性らと会話した。スズキノヤマでは、女性も学校にいけることを知った人々が喜びの声を発した。
「私も医療師になりたい!」
一人の少女がキラキラとした目でローズを見つめている。けれども、ローズが知っている。それは難しいことだ。
彼女がモルグ人だからだ。
エフェルガンが今でもまだモルグ人に本土へ渡ることを禁じている。理由はやはりモルグ人がローズを求めているからだ。
「ソマーレでいつか医療学ができると良いですね」
ソマールで最も大きな町、ソマーレではいくつかの学校があった。けれど、医療はなかった、とローズは思った。
「本当にそう願っています。だって、ソマーレでは、医療学がないのですから」
少女はローズを見ている。
「医療学はスズキノヤマにしかありませんので・・」
「そうなんですね」
ローズはその少女の言葉を聞いて、うなずいた。
「でも、医療学は魔法が必要なんだけど・・」
「魔法か・・」
少女はがっかりした。なぜなら、彼女は魔法ができないからだ。
「魔法ができないと、医療師になれないのですか?」
「今の所だと、やはり難しいと思う」
ローズは申し訳ない顔で彼女を見ている。
「でも、いつか魔力がない人にも、医療を勉強することができるようになると良いですね」
「はい!」
彼女がうなずいた。勉強できるだけでもありがたいことだ、と一人の女性は言った。ソマール王国時代だと、女性が学校に行くことができなかった。それどころか、教育は数少ない人々の特権だった。貴族とお金持ちしかできないことだ。けれども、モルグ人の襲来で貴族のほとんどが殺された。それで、文明そのものが、ソマールの地から消えた。
今の状況にまで建て直してくれたのはスズキノヤマだった。国そのものが変わってしまったけれど、人々の生活はがらりと変わるようなことがなかった。ただ、学校と医療は民にとって、身近な存在になった。
男女区別なく、学校にいける。そして医療も、最近無料に受けられるようになった。人々にとって、それだけでも大きな意味を持つ。
そしてこの島々に移住するモルグ人にとって、それも大きな意味を持つ。
スズキノヤマでは、種族と男女区別なく教育と医療を受けられるけれど、一つだけ皇帝の勅命がある。それは、モルグ人が本土へ渡ってはいけないことだ。
ということは、ソマーレで医療学校を作るしかない。
ローズは人々の言葉を聞きながらうなずいた。医療学なら、自分のお金で建てることができるでしょう、とローズは思った。なんだかんだ、彼女はたくさん稼いでいるからだ。ちなみに、お金があまり使わないから、貯まる一方だ。
昼近くになると、ローズたちはダマール島で早めに食事してからソマール州の首都のソマーレへ向かった。連絡を受けたソマール州の領主はすでに待機して、到着したエフェルガンに挨拶した。彼の顔に緊張した様子が見えた。まじめに働いている領主でさえ、この時にとても緊張している。皇帝が自ら視察するから、当然領主の働きぶりが見えてしまう。
「陛下、皇后様、ようこそソマールへ」
領主アート・アーミ子爵は丁寧に挨拶して、頭を深く下げた。エフェルガンがうなずいて、早速市場へ向かった。ダマール島と同じく、品々の価格や生活用品の物価を細かく確認して、人々の生活を直に見ている。学校や医療、二人がそれぞれ別行動している。
「皇后様は素晴らしい医療師と聞いております」
ソマーレで医療施設の医療師の一人が嬉しそうに言いながらローズに案内する。
「素晴らしいかどうか、それが人々が判断するんだけどね・・、私が諦めが悪いから、可能な限り、全力で患者を治すつもりですね」
ローズが微笑みながら入院している人々を見て、カルテを確認している。今日はほとんど骨折や食あたりで入院患者ばかりだった。食あたりは山で取った山菜が毒草だった。ローズは医療師の説明を聞きながら命が助かったその患者を見て、うなずいた。
「山菜は毒草と間違いやすいから、分からない時は素直に市場で買ってきた方が良いと思うよ」
ローズがそう言いながらその患者のおなかに手を当てた。発見が早かったから助かったものの、かなり弱っている。
「暖かいです」
その患者が言うと、ローズは微笑んだ。
「体内から毒を追い出しているだけだよ。排泄物に混じって、体内からきれいさっぱり出て行くのよ」
そうすれば、早く元気になる、とローズはにっこりと微笑みながら言った。
病棟の視察の後、ローズは子ども園に向かった。全国的に今子ども園がとても話題になって、人気の施設になっている。働く人にとって、子ども園の存在がとても重要だ。ローズは子ども園を利用している女性らと会話しながら、子どもたちを見ている。モルグ人の子どもたちも嬉しそうに遊んでいる。背中に斑点模様がある。けれど、翼がある者と斑点模様がある者と仲良く遊んでいる。これこそローズが望んだ平和だ。アクバー・モーガンに見せてあげたかった、とローズは切に思った。
子ども園の訪問が終えると、ローズは移住者の仮設住宅に向かった。そこには小さな家々が並んでいる様子が見えた。エフェルガンもきっとこのような場所を把握している。彼は今、別の場所で住宅の開発を視察しているでしょう、とローズは思った。
「あそこは新しく建てられた仮設住宅でございます」
担当の人が説明しながら海岸からあまり遠く離れていない家々を示した。
「彼らも移住者?」
「はい」
担当の人がうなずいた。
「ほとんど小さな筏に乗って、ここに流れ着いたらしいでございます。身元が分かる人もいますが、そうではない人も何人かおりまして、暗部は彼らの身元を確認しております」
担当者は手元にある手帳をローズに見せた。彼らの情報がずらりっと並んでいる。
「この人は身元がないって?」
ローズが手帳に載っている人の名前を読んで、確認した。
「ほとんど怪我をなさって、喋るのも困難でございました。意識がない人も何人かおりました」
「あらま。怪我した人はどうなった?」
ローズが瞬いた。
「手当てしておりました。傷が治った者はその辺りの仮設住宅におります。この時間だと、住宅現場で働いているのでございます」
「働く人々の身元はもうはっきりと分かったの?」
「はい。もちろんでございます。この辺りだと、身元が分からない人は残り一人しかおりません」
担当者がうなずいて、ローズから手帳を返してもらった。
「この辺りの移住者は最近滅んだモルグの国エルカモルグ、そしてザルマモルグから来たと申し上げておりました」
「ふむ」
ローズはエルカモルグのことを聞いたことがあった。エフェルガンは彼らの王の首を執って、それを持参して、ダルゴダスにローズを求婚した。けれど、ザルマモルグは聞いたことがない。
「ザルマモルグは初めて聞いた国だわ」
「私どもも同じく、初めてでございました」
担当者がうなずいた。
「場所はここからずっと東にあるらしいですが、ある日、何者かによって、突然王とその家族が殺されたらしく、権力争いが起きたと聞いておりました。その権力争いに巻き込まれて、逃げている人々がここに流れ着いた、と」
「モルグも大変だね」
ローズはうなずきながら説明を聞いている。
「エルカモルグ出身の人々が30名ほどこの島におります。彼らの身元がはっきりと分かっておりましたので、問題ございません。ザルマモルグからだと10名で、その中から3人が大怪我しておりました。2人は完治したのですが、もう一人は記憶を失って、身元や身分が分かっておりません。」
「あらま。その人と会えるかしら?様子を見たいと思ってね」
「もちろんでございます。こちらへ」
ローズが担当者の後ろで歩いて、その人の家へ向かった。その人の家には兵士が一人立って、扉を開けた。
「皇后様がいらっしゃいました。起きろ!」
兵士がその家の中で休んでいる人を起こすと、ローズは彼を制止して、首を振った。乱暴にしてはいけない、とローズが言うと、兵士は静かに彼を起こした。すると、その男が身を起こして、ローズを見上げた。その瞬間、ローズも彼を見て、固まった。
その男性は、ローズが愛した彼にうり二つ。
「ザーラ・テサロ・・」




