716. スズキノヤマ帝国 穏やかな朝
レホマの訪問が順調に進んでいる。朝早く、領主はエフェルガンたちが泊まっている町について、さっそくその地方を支配しているエルキアの所へ向かった。エルキアは領主を迎えに来て、早速自分の屋敷の中へ招いた。二人が話した後、その夜領主オマール・ヘルダがエルキアの屋敷に泊まった。
朝になると、エルキアやオマールは早速エフェルガン達が泊まっている屋敷に向かった。朝早く起きた子どもたちは護衛官らと一緒に朝練習している。エフェルガンも後から来て、子どもたちの練習をみている。領主オマール・ヘルダが現れてエフェルガンに挨拶すると、エフェルガンが驚いた。
「こんなに朝早く来たとは思わなかった」
エフェルガンが言うと、オマールが微笑んだ。
「レホマでは、陛下とご家族の安全は私どもの責任でございます」
「そうか」
エフェルガンが微笑んだ。
「少し剣の打ち合い練習を付き合え、オマール」
「あ、はい!」
エフェルガンがケルゼックから練習用の剣を受け取った。もう一本の剣はオマールが他の護衛官から手渡された。オマールが剣をにぎって、エフェルガンの前に行って、頭をさげた。
「では、始めるぞ」
「はい!」
二人がしばらく剣の打ち合う練習を励むと、さっきまで護衛官らと練習している子どもたちが動きを止めて、エフェルガンたちを見つめている。
「へーか、すごい」
エフェリューが言うと、彼の護衛官であるパリはうなずいた。
「殿下もやりたいのですか?」
「うん」
エフェリューがうなずいた。
「ですが、それはとても難しいですよ。簡単そうに見えますが、実際に息が合わなければ、剣が当たってしまって、痛いですよ」
「うむ」
エフェリューが考え込んだ。けれど、彼の目には父親の格好良い姿があった。やはりやって見たいと言う気持ちが表れた。
「エベユー、やろう」
柊が言うと、エフェリューがうなずいた。護衛官らが話し合って、安全を図り、木材でできた剣を二人の皇子に持たせた。護衛官サマットとラジがやり方を教えると、二人がうなずいて、練習し始めた。
「フェルザ殿下はやりませんか?」
「やーない」
フェルザが首を振って、父親を見つめている。二人の兄弟は自分たちの練習に熱くなるけれど、フェルザはずっと父親を見つめている。エフェルガンがやっと練習を終えると、フェルザが何も言わず、また朝運動の続きをした。
練習が終えると、全員朝の支度をしてから、朝餉を食べる。遅れて来たローズがエフェルガンと領主オマール・ヘルダに謝罪して、エフェルガンの隣で朝餉を食べた。
朝餉の後、彼らがその地方の学校や子ども園、市場や工場などを視察した。緊張しているオマールとエルキアと違って、エフェルガンは真剣な顔で人々の話を聞いている。
皇帝陛下が御自ら領主の仕事を確認していらっしゃる、と一人の老婆がそう言いながら、キラキラとした目でエフェルガンの手をにぎった。老婆はエフェルガンの後ろに立っているローズを見て、頭を下げてからエルキアを褒め称えた。彼のおかげで価格が安定している、と老婆が言うと、エルキアはホッとした様子を見せた。エフェルガンがうなずいて、笑みを見せながら、老婆の肩を軽く触れてから、また視察を続けた。
昼餉はその市場の中にある屋台で行われた。子どもたちも美味しそうに食べると、その屋台の店主の顔に笑みが表れた。民の食べ物が皇帝一家の口に合うかどうか、考えるだけでもとても恐れ多いことだ。結局、その日に屋台の売り物が完売した。エフェルガンが護衛官らの食事もまとめてそれらの屋台で行われて、まとめて支払った。
「しそました!」
「ごそまでた!」
「ごましそた!」
三人の皇子たちが同時に手を合わせて食事に感謝した。言葉がばらばらだけれど、彼らの態度を見た人々が思わず微笑んだ。ローズとエフェルガンも手を合わせて食事に感謝した。
エフェルガン一家はレホマの首都であるレスカの町へ向かった。途中でいくつかの町へ降りて、同じように市場を回って、人々の話を聞いた。
「疲れたか?」
エフェルガンが聞くと、ローズは恥ずかしそうにうなずいた。彼女が今朝からずっと何度も寝落ちしかけた。人前でなんとか気合いで起きたけれど、ダルセッタに乗る途端、その眠気が強くなってきた。
「眠いんです」
「どうしたんだろう」
「多分疲れていると思う」
「なら、レホマで二日か三日ぐらいゆっくりとしようか?」
「そこまで必要ないと思うわ」
「いや」
エフェルガンが首を振った。レスカの町は後一時間ぐらいで着く。レスカで領主やレホマの貴族らと一緒に夕餉が予定されているけれど、調整可能だ、とエフェルガンが思った。そもそもこの公務の旅自体も突然で行われていることなので、領主に当日になってから知らせが来る訳だ。当然、領主だって準備することなんてできない。その時こそ、エフェルガンが民のありのままの姿を見ているわけだ。人々の様子や町の整備、そして市場の物価など、すべて視察している。
「眠いなら、少し仮眠して。着いたら、起こす」
「うん。起こしてね」
ローズがうなずいて、体をエフェルガンに委ねた。エフェルガンの片手がローズの体を固定して、ダルセッタを操縦している。異変に気づいたケルゼックがエフェルガンの隣に行って、様子を伺うと、エフェルガンが首を振って、合図を出した。大丈夫だ、と。ケルゼックがうなずいて、ハインズ達に合図を出した。すると、ハインズとソラがローズ側に回って、確認しながら飛んでいる。
レスカの町に到着すると、ローズがまだ眠っている。起こすと約束したエフェルガンはそのまま彼女を屋敷の中に運んで、部屋の中に入った。医療師兼護衛官のトダがエフェルガンの後ろに走って、エフェルガンと一緒に寝室の中に入った。
「皇后は大丈夫か?」
「はい。異常がございません」
トダがホッとした様子でうなずいた。ローズの身に病気でもしたら、この旅は中止だ。
「ですが、皇后様がお疲れのご様子で、明日一日、できればゆっくりとお休みをなさった方がよろしいかと存じます」
「分かった」
エフェルガンがうなずいた。彼はぐっすりと眠っているローズを見ている。
実は、彼はこの前にローズが隠した壺を見つけた。ダルゴダスが書いた取り扱い説明書を読んで、その壺の中身を小瓶に移して、持参した。そして、昨日の夜、それを飲んでしまった。そのために、夫婦のことが大変なことになってしまった。
簡単に言うと、元気すぎる夫の相手に、妻が大変だった。エフェルガン自身は朝になっても全然疲れていない。けれど、ローズはエフェルガンの相手に力尽きてしまった。強力すぎる里の精力剤、恐るべし。
トダが部屋を後にしたけれど、エフェルガンがしばらく眠っているローズの手をにぎっている。ローズはその壺の中身を知っているから隠した。彼女がその中身を調合したことは考えられない。なら、使用したことがあったのだろう、と彼は思った。けれど、それを気づいた瞬間、彼は嫉妬した。
相手は自分じゃなかった。
間違いなく、ロッコだ。ダルゴダスが最初に認めたローズの夫は、自分ではなく、ロッコだった。けれども、エフェルガンはロッコからローズを奪い返した。自分にとって、ローズは最初で最後の妻だ。最愛の妃で、この国の皇后だ。
ならば、なぜ今更嫉妬なんてしたんだ、とエフェルガンは自分自身に問いかけた。
「んー」
ローズが目を覚ました。
「あら」
彼女がすぐさま気づいた。知らない部屋にいて、その寝台の上に自分がいる。目の前に、エフェルガンが微笑みながら彼女の手をにぎっている。
「起こして、と言ったのに」
「すまん、あまりにもぐっすり眠ったから、起こせなかった」
エフェルガンが言うと、ローズが口を尖らして、身を起こした。けれど、エフェルガンがそんな彼女の顔を見て、笑った。彼の手はしっかりとローズの手をにぎっている。
離すものか、と彼が心の中で思った。例えロッコでも、柳でも、ローズは自分のものだ。龍にでさえ、何があっても、エフェルガンはローズを離すつもりがない。
ぐ~~~~~~~~~~~
ローズのおなかから見事な音がした。
「少し待って」
エフェルガンが立ち上がって、部屋の外へ出て行った。そして外にいる子どもたちを部屋に入れた。彼らは恐る恐ると部屋の中に入って、心配そうに母親を見ている。
「皇后、いたない?」
エフェリューが聞くと、フェルザと柊も彼女を見ている。
「痛くないよ。眠かっただけですよ、皇子」
ローズが答えると、彼らの顔に笑みが見えた。
「よった!」
同時に三人が言うと、ローズが微笑んで、手を広げると、三人とも寝台の上に登って彼女を抱きついた。部屋の中に三人の侍女たちとオマール家の侍女が一人入って、ローズの身の回りの世話をし始めた。子どもたちはローズを抱きしめてから、再びエフェルガンと一緒に外へ出て行った。これから彼らは領主オマール・ヘルダ夫妻と一緒に夕餉をする予定だ、と伝えられた。一緒に来た柳とエルキアも夕餉に参加する。けれど、彼らは近くの宿に泊まることになる。
言うまでもなく、今夜の護衛が特に、普段よりも数倍も厳重だ。ローズが夕方の支度をしている間に、部屋の中のある屏風の向こうにはハインズとソラがいる。またバルコニーには、エファインとトニーがいる。部屋の前にはアナフがいる。また外で護衛隊のジョルグたちもいる、と侍女エリンが言った。
「もう陛下は大げさだわ」
ローズが呆れたほど言うと、侍女エリンは首を振った。
「皇后様はあまり調子が良くありませんでしたから」
「いや、ただの寝不足で、疲れただけだよ」
ローズが文句を言うと、侍女エリンはまた首を振って、ローズの服を直している。
トントン、と扉がノックされた音がして、ハインズが開けると、アナフと毒味役アマンジャヤが来て、食事を運んでいる。アマンジャヤが安全宣言をしてから、ローズが手を合わせて食事し始めた。侍女達が彼女の世話をして、微笑みながら会話を交えている。ハインズとソラは何も言わず、屏風の向こうで待機している。
「美味しかった。ご馳走様でした」
ローズが手を合わせて、食事に感謝した。屋敷の侍女が食器を片付けて、毒味役と一緒に部屋を出て行くと、ローズの侍女たちが再びローズの手を拭いて、寝る準備を整えた。しばらくすると、医療師のトダが入って来て、ローズの脈や熱を確認してから回復薬を差し出した。
「皇后様のレシピで作られましたよ」
「あら」
ローズが笑って、その回復薬を飲んだ。彼女のレシピになると、味が甘い。エフェルガンがその味が気に入ったから、トダはそれで回復薬や風邪薬などをローズのレシピで作ることにした。甘党が多いスズキノヤマだから、甘い薬が好まれる、とトダは笑いながら言った。
薬の時間が終えると、トダが部屋の外へ出て行った。侍女達もエリンだけを残して、部屋の外へ出て行った。エリンは近くにある椅子に座って、眠くなったローズを見ている。見られたら眠れないよ、と思ったローズはあっという間にぐっすりと眠ってしまった。トダの回復薬には強力な睡眠薬が入っていたからだ。
その日は何事もなく、彼らは静かに過ごした。朝になると、やはりローズが起きなかったから、エフェルガンは朝練習のために支度して、外へ出て行った。子どもたちがもうすでに庭で練習している。エフェルガンがオマールと打ち合いの練習をすると、エフェリューと柊も木材の剣で打ち合っている。一人だけ木の上に登って彼らを見ているのは、フェルザだった。
柳がそんなフェルザを見て、踏み台魔法でフェルザがいる高さまで上がって、フェルザの隣に座った。
「練習しないのか?」
「うん、しない」
フェルザが視線を変えずに、うなずいた。柳がフェルザの視線を合わせて見ると、気づいた。その木の上からローズがいる部屋の窓が良く見える。
「ローズのことが心配なのか」
「うん」
「あいつなら大丈夫だ。ちょっと疲れただけだから」
「うん」
フェルザがうなずいた。
「俺と少し練習するか?」
柳が言うと、フェルザが柳を見ている。
「良いの?」
「無論だ」
柳がうなずいた。
「お前が言葉をわざと子どもっぽくすることは知っている。あの二人に合わせているんだろう?」
柳が言うと、フェルザが驚いた顔をして、笑みを見せた。
「なんだ、全部お見通しなんだね」
「俺に下手な芝居は無意味だ」
「下手だなんて」
フェルザがまたローズがいる部屋を見つめている。
「その方が無難だから」
「そうか」
柳がフェルザを見て、なんとなく彼の考え方を理解できた。まだ3歳の子どもなのに、そんなに達者にしゃべれると、怪しまれるからだ。
「お前はあいつとよく似ている。外見ではなく、中身だ」
柳が言うと、フェルザは何も返事しなかった。どうやら、フェルザはその話の意味を知っているようだ、と柳は思った。
「私はこのまま弱く見られた方が良いと思った」
しばらくすると、フェルザは口を開いた。
「なぜ? 何のために?」
柳が聞くと、フェルザは打ち合っている二人を見ている。彼の護衛官らが二人の試合に夢中している様子も見えた。
「権力争いにならないために、ね」
「お前はまだ3歳だ。それを今考えなくても良い」
「今からでも考えないといけないんだ」
フェルザが言うと、柳がフェルザを見て、首を傾げた。
「エフェリューは強い。彼はこの国の皇太子で、いつか皇帝になる。けど、私は弱い。すると、アルハトロス側にとって弱い王は必要ない。よって、アルハトロスは私が要らないと言うでしょう?」
「・・・」
「アルハトロス王太子は柊にやってもらおう、と思ってね」
「お前は・・」
「好き勝手に生きていくためだよ」
フェルザが微笑みながら言うと、柳は呆れた顔を見せた。なんていう子どもだ、と彼は思った。
まさしく、ロッコだ。小さなロッコに違いない。
「あ、練習が終わった」
フェルザが手を振ったエフェルガンを見て、手を振った。
「お前は、もし賞金首ハンターに襲われたら、どうする?」
柳が言うと、フェルザが微笑んだ。
「その時の状況次第だね。誰か助けてもらえるかもしれない」
「剣を使えなかったら、命取りになるぞ。お前ら三人が狙われている。護衛官が必ずそばにいるわけではない」
「そうだね。肝に銘じますよ」
フェルザが丁寧頭を下げた。フェルザの護衛官らが木の下に近づくと、フェルザが両手を上げた。
「伯父上、おろてー、こわい!」
フェルザが大きな声で言うと、柳が一瞬驚いた。けれど、彼が手を伸ばして、フェルザの体を抱きかかえて、木の上から降りた。護衛官らが柳に頭を下げて、フェルザを朝支度のために屋敷の中に入った。
柳はフェルザ達が見えなくなるまで見て、ローズがいる部屋の窓を見ている。ローズがとんでもない子どもを産んでしまったかもしれない、と柳は思った。
フェルザが、途轍もなく、危険だ、と柳は改めて思った。かわいいローズの顔をしているけれど、彼の性格はあのロッコの性格だ。ただ、彼が武器を使えるかどうか、柳は分からない。年齢から考えると、まだだろう。
そしてエフェルガンがこのことについて、分かるかどうか、柳も分からない。それに、あの子にはエフェルガンの特徴がある。頭に羽耳とオレンジ色の瞳は、間違いなくエフェルガンの特徴だ。
フェルザは紛れもないロッコとエフェルガンの子どもである。そして、柳の子どもでもある。彼の体に生えている葉っぱは、間違いなく、柳の母親の特徴だ。ローズは、母親であるフレイと何の血の繋がりがなかったから、その遺伝子は柳からしかない。
禁じられた愛だった。
けれど、柳はそれを理解している。彼女を手に入れるためなら・・、と柳はため息ついた。けれども、何もかも、うまくいかなかった。ローズが愛したのは、あの鳥皇帝だ。だから彼女はエフェルガンの手をとって、再び彼のそばでこの国の頂点にいる。
「柳様、我々も朝支度をしましょう」
エルキアが来て、柳に声をかけた。柳がうなずいて、木の枝にかけたタオルを拾った。
「今日の午後は予定通り、晩餐会がございます」
「そうか」
「柳様も参加するのでございましょう?」
「もちろんだ」
柳がうなずいた。
「今更と思うが、「様」はやめてくれ」
「なぜでございましょう?」
「その「でございます」もやめてくれ」
柳がまっすぐにエルキアを見て、言った。
「俺たちは友達じゃないか?」
「あ・・」
柳が歩きながら言うと、エルキアが驚いて、足を止めた。そして彼がまたうなずきながら、また柳の隣で歩いた。
「そうですね。覚えておきます。まだ癖が残っているから、敬語を言ったら、また指摘してください」
エルキアが答えると、柳がうなずいた。
「当然だ」
柳がうなずいた。
「朝餉の後、この辺りの農業を教えてくれ」
「はい、喜んで」
エルキアが微笑みながら言った。二人の足取りが軽かった。




