59. スズキノヤマ帝国 迷子
まだ日も昇ってない暗い朝だった。
ローズはいつも通りに自動的に起きてしまった。日頃の訓練で、必ず朝おきて、ランニングするためだ。そして朝餉の後は、必ずハードな武術の練習をする。これはずっと毎日やってきたから、体が覚えてしまったのだ。
顔をタオルで濡らして、支度した。やはり寝室に風呂場がないと不便だ、と彼女が思った。お湯は魔法瓶で寝る前に用意したものだ。都から持ってきた運動着に着替えて、父からもらった練習用の剣も用意した。ランニングだけなら剣はいらないけれど、いちいちと部屋に戻るのも面倒だからついでに持って行こう、と決めた。
外を出ると、誰もいない。けれど、黒猫のリンカは隣の部屋から出てきた。
「おはよう、リンカ」
「おはよう。走るのか?」
「うん」
「じゃ、一緒に行こう」
階段を下りて、二階のベランダが窓から見えた。ベランダにいたのはエフェルガンだった。彼は一人で剣の練習をしていて、周りは護衛官三人がいた。
「おはようございます!」
「ローズか。おはよう」
彼が剣の練習を止めて、ローズを見ている。
「こんなに朝早くから練習なの?」
「ローズこそ、こんなに朝早くから剣を持って、何をしに行くのか?」
「朝の運動するの。いちいち部屋に戻ると、面倒だからついでに練習用の剣を持って来た訳だよ」
「そうか。護衛官は?」
「リンカだけ。部屋の前に誰もいなかった」
「リンカ?どこに?」
「ここにいる。ほら!」
ローズは猫の姿のリンカを抱いて、見せた。
「本当に猫になった。話は女王様から聞いていたが・・」
「ふん」
エフェルガンとその護衛官達は驚いた顔している。
「でもこの時刻だと辺りがまだ暗く、断崖絶壁もある。二人だけで城の外へ出ると危険だ」
「じゃ、どうしたら良いの?どこへ走って、運動すれば良いの?」
「じゃ、僕と一緒に走ろう。誰かローズの護衛官を呼べ」
「ありがとう」
エフェルガンがそう言うと、ローズの護衛官の二人を呼びに行った人が走った。
「ずっと前から毎朝運動しているのか?」
「うん。里では小さい子どもが歩き始めたその瞬間から朝運動の義務が発生するの。私も目覚めてからその二日後にもう運動にさせられた」
「この時間から?」
「そうだよ」
ローズがうなずいた。
「なんでそこまで?」
「私がいた里は戦闘部族の里だから、体力作りの訓練は小さいころから始まる。レベルが上がると、専門的な知識の教育も受けるけどね」
「なるほど。それは里全体に適用されるわけか。戦闘能力がない者はどうする?」
「職人になるか、あるいは専門知識になるか。医療師や農業など、里の生活を支えるための道がたくさんある」
これは昔柳が教えたことだ。ローズの頭の中で丁寧に説明してくれた柳の顔が浮かび上がった。
「なるほど。本当にこことはまったく違う文化で、違う生活しているんだね」
「うん」
「護衛官が来た。走ろうか」
「はい」
ハインズとエファインが遅れてしまったことに謝罪した。ローズがうなずいて、エフェルガンたちと一緒にぐるっと城周辺を走り出した。所々に注意すべき場所も教えてもらった。そして、エフェルガンは念入りに護衛官を必ず連れて行くように、と。
運動した後、少し休憩してからエフェルガンと組み手の練習をした。意外と結構ハードな練習だった。防具をしなかったから、いくらバリアーの魔法をかけていても、痛みが残った。エフェルガンは体力温存の方法もローズに教えた。
運動が終えると、二人は一緒に朝日を見てから、朝餉の支度をした。
二人で朝餉をとった後、出かける準備をする。今日はローズのために鎧を作りに帝国御用達の防具工房につれていく、とエフェルガンが言った。ついでに、ローズは少し買い物をしたいと言った。そしていくつかの学校の情報も調べたいと伝えたらエフェルガンは快く許可してくれた。
防具屋で、エフェルガンは彼女のための防具を注文した。職人は細かく体のサイズを計って、エフェルガンの細かい指示を注文暑に書いた。ドイパ国の防具をちょっと直せば良いのにと思ったけれど、どうやら、ローズが他国の防具を身につけていること自体、エフェルガンにとって気に入らなかったことだった。紋章の代わりに薔薇の花を付けてくれるようにとエフェルガンは指示した。エフェルガンはそれ以外も防具の色、形、重さまで、かなり細かい注文をしていた。
防具屋の用事が終わると、今度は学校の情報を調べる。ローズは宮殿の教育省に連れて行ってもらって、たくさんの学校の情報をもらった。どんなことを教えてくれるか、勉強期間や学校の住所まで細かく記されていた。とりあえず見学してから、気に入った学校があれば、入学すれば良い、と言われた。このリストも後で国にも送ろう、とローズは思った。
その後、エフェルガンはアルハトロス大使館となった建物へ連れて行った。とても立派な建物だった。使用人も数名いて、生活に不足ない、とローズは思った。大使ニエルはローズたちに挨拶して、建物内を案内してくれた。また本国から数名のスタッフを呼び寄せる計画も考えている、とニエルが言った。例の焼き菓子と剣の話で話題になったらしく、注文や問い合わせが殺到している、と彼は嬉しそうに報告した。ちなみに遠く離れているアルハトロスへの移動のために、空軍から移動用兼輸送用の大鳥がいつでも使える、という連絡があった。これから本格的に仕事が忙しくなる大使だから、過労で倒れないようにと注意して、大使館を後にした。
昼餉の時間になり、エフェルガンは町はずれにある高級料理屋へ連れて行った。比較的に人が少ないから落ち着いて食事ができると言った。もちろん毒味をしてから食事した。本当に毎回の食事のことになると、毒味役の方も大変だと思う。エフェルガンが慣れている様子だったけれど、ローズは慣れていないから、かなり神経質になった。屋台で食べ歩きが好きなローズにとって、このような生活はかなり負担となる。この身分になってから、気楽に外へ出歩けなくなって、とても窮屈に感じる。
食事の後、待ちに待った買い物タイムだけれど、ここもやはりかなりのVIP体制だった。とても落ち着かなかった。エフェルガンは気にせずお店に入り、ローズが欲しがっているスズキノヤマの服やサンダルなど、自由に選ばせた。時にエフェルガンの方から、この服が良いとか、これは質が悪いとか、細かいコメントもあるけれど、数着も買ってきた。ちなみにエフェルガンはリンカのためにも数着の普段着を買った。
エフェルガンはかなり細かい人である、とローズは思った。けれども、さすがに買い物中にあれこれと言われると、ローズはかなり不快と感じる時もある。
エフェルガンはローズのために通学用のカバンも買った。ちゃんとした専門のお店に入って、お店の人に上等なカバンを見せてもらった。けれど、実は、ローズがカジュアルなカバンが欲しかった。普通の町娘が使うようなカバンの方が楽だと思ったけれど、エフェルガンには通じなかった。結局その店で一番無難な手提げカバンを選んだ。やはり上位階級の生活はローズに合わないところもある。慣れれば良いといつも言われるけれど、慣れる前にストレスになりそうだ、と彼女が口を尖らしている。ドイパ国のジャタユ王子との買い物の方が楽しかった。そしてそんなローズの表情の変化にやはりエフェルガンが気づいた。
「何が気に入らなかったか教えてくれ」
「別に・・」
「そうは思わない」
「・・・」
「ローズの態度で分かるんだ。ただ僕はその原因が分からない」
エフェルガンがそういうけれど、頭に来たローズは答えたくない。これ以上答えたら、喧嘩になるだけだ、と彼女は思った。
「大丈夫だよ。気にしすぎよ」
「僕は嘘を言わない。だから、嘘を言われるのが好きじゃない」
「・・・」
「ローズは大丈夫なんかじゃない。その態度で分かる」
そのエフェルガンの態度こそ、とてもしつこく感じて、ローズはうんざりしてきた。
「ローズ、どうして返事をしない?」
「・・・」
エフェルガンは声を荒げた。ローズに無視されたことに腹が立ったようだ。ローズだって今すごく頭に来てるから、喧嘩をしたくない。だから黙ることにした。
「ローズ!」
「もう、エフェルガンのバカ!」
そう言って、ローズは瞬間移動を念じてしまった。座標を定めずにしたから空中にでてしまい、急落下!
「ローズ!」
エフェルガンの声が聞こえたが、ローズは町を目指して再び瞬間移動をした。
ローズは知らないところに着地してしまった。ずいぶんエフェルガン達と離れてしまった。怒りが頭にきてしまって、とっさに瞬間移動してしまった。
ここはどこだ?
ローズがキョロキョロして、周囲を見渡した。
華やかなスズキノヤマの首都の裏に、このような場所もあった。暗く、汚れている道だ。貧富の差がやはりどこの国にもある。前世も現世も華やかなところがあれば、その裏に道ばたで転がって、物乞いする人々もいる。エフェルガンはこのことを知っているのだろうか。この人たちをただ報告で知るだけなのか、あるいは誰も報告する人すらいないから知らないのでしょうか。
比較的にきれいな服をしている彼女は、この場所にいると結構目立つ。やはり絹よりも、普通の服を着れば良かった、と彼女が後悔した。町に出たら、今度そうする、と。水たまりやゴミで汚れている道を歩き、彷徨っている。少し人通りが多いところに出て、賑やかな町の雰囲気になった。
屋台がたくさんあるけれど、ローズはお金を持っていなかった。こんなにひもじい思いをしてしまい、身分なんてどうでも良くなった。豪華な料理屋で食べた料理よりも、あの屋台で売っている食べ物の方が美味しそうだった。色々な屋台があって、楽しそうな人たち、そして彼らを見て、うらやましく思ってしまった、自分が悲しく思う。
何が気に入らないと言われても、どう答えれば良いのか分からない。ただ、自分の思い通りにならかったからイライラしてしまった。
いちいち口出しされて、買い物の楽しさが奪われてしまった気分だった。自分のわがままだ、とローズも自覚した。やはり買い物は自分でするべきだった。エフェルガンに買い物の付き合ってもらったことが間違いだった。その結果、不満がたまって、喧嘩になってしまった。そして、今は迷子だ。知らない国で、知らない町で、無一文状態だ。せめて大使館までいけばなんとかなるけれど、場所が分からない。なぜなら、ここはスズキノヤマの首都であって、とても広くて、国内最大の町でもあるからだ。
どのぐらい歩いたかな。リンクかければ、できるかもしれないが、連続して瞬間移動してしまったから、魔力をかなり消費してしまった。念のため、魔力を温存したい。気づいたら日が暗くなっている。目の前に公園があった。疲れたから近くの木の下に座り、休むことにした。
もう自分自身にいやになってしまった。気温も下がり、ひんやりしてしまった。体を丸くして木によりかかる。今夜はここで野宿するか、とローズは思った。
公園が暗くなってきた。ホームレスの人たちがあちらこちらで公園のベンチで横になったり、焚き火をしたりしている。大きな町だとこのような風景は普通か、とローズが彼らを見つめている。スズキノヤマは大きな国だから、当然色々な人種もいる。鳥人族だけではなく、草花の人も、トカゲ族も、たくさんいる。誰も彼女の存在に気づく人もいない。気づいていても、気にしない。
おなかが空いた。しかし、食べるものがない。この公園にいる人たちの中にも、多分彼女と同じく、おなかが空いている人もいるでしょう。けれど、ローズの場合、自己自得だ。だから文句を言わない。明日は、もう少し歩こう。暗くなったから、もう歩くのも危ない。エフェルガンは怒っているんでしょう。また会えたら、謝ろう。でも今は少し眠った方が良いかもしれない。ローズは目を閉じて、いつの間に寝てしまった。
「ローズ?」
聞いたことあるような声だ・・。目を開けると、エフェルガンだった。
「うん」
「良かった。無事で良かった」
エフェルガンはローズを抱きしめてくれた。
「ごめんなさい」
ローズが謝罪した。
「僕もごめんなさい」
「なんで?私が悪かった。勝手に怒って、逃げて、迷子になって、心配をかけてしまった」
「ローズを怒らせた僕も悪かった。リンカに言われて、多分買い物のことで不満だったと・・」
確かにそうだったけれど、・・。
「私のわがままだった。ごめんなさい」
「女性にとって、買い物ってそんなに重要で、楽しいことなんて知らなかった。物を選ぶ楽しさを理解しなかった僕を許して」
「こちらこそ・・」
エフェルガンはぎゅっとローズを抱きしめた。
「でも今度は一人で買い物する。もうエフェルガンに付き合うとは言わないから、もうエフェルガンを困らせない」
ローズが言うと、エフェルガンの顔に悲しみが見えた。
「そんなことを言われると、悲しい」
「・・・」
「僕は他人と一緒に買い物をしたことがなかった。今日は初めてだった」
「そうなんだ」
「だから分からなかった」
「じゃ、今度買い物の楽しさを教えてあげる」
「ぜひ、そうしてくれ」
「はい」
エフェルガンはローズを支えて、翼を広げた。そしてバサバサと羽ばたき、空へ飛んでいく。
「皆の所へ戻ろう」
「うん。でも、どうやって私を見つけたの?」
「波動だ。ローズの波動を探した」
「私の波動を・・覚えたの?」
「自信が無かったけど、必死だった。記憶にあるローズの波動パターンを思い出して、くまなく探した」
「そうなんだ」
「護衛官もリンカも町に出て探している」
「教えないと」
「今から信号弾を出すよ」
ローズたちは巨大フクロウが待機している丘の上に着いた。フクロウ達を見張っているのは毒味役の人で、彼女が無事だったことを知って、安堵したと言った。エフェルガンは空に信号弾らしい光を出した。待っている間に、エフェルガンは自分の肩かけ布を外して、彼女の肩にかけた。
「ありがとう」
「はい。少し座って待とう」
フクロウの近くで座った。ここから、夜景がみえる。
「ねぇ、エフェルガンは自分の足で町を出歩いたことある?」
「たまに・・」
「物乞いやひもじい思いをしている人々をみたことある?」
「ある・・かな」
「ジャタユ王子はほぼ毎日、町に出て、自分の目でいろいろなことを確かめているの。一人じゃ難しいからいつも護衛官三人と一緒に町に出歩きをしているの。普通の身なりで、いろいろな人の声を聞いて接触している」
「僕はそのようなことをしたことがない」
「そうか」
「言い訳に聞こえるかも知れない、人が多いところは苦手だ」
「どうして?」
「何かあったときに、巻き込まれてしまう。あの時のように・・」
「弟さんの罠にか?」
「はい」
エフェルガンがそう言いながら、ローズを見つめている。
「護衛官三人なくしてしまったよね」
「本当のことをいうと、護衛官三人以外にも周りの数名も巻き込まれて死んでしまった。何人か分からないが、かなり悲惨な状況だった」
「それはきつい」
「はい。自分の認識の甘さに罪のない人々を巻き込んでしまった。大切な護衛官まで犠牲になった」
彼がそう言って、ため息をついた。
「その思いは分かるけど、それでもエフェルガンは次期皇帝になるのだから、下々の者の暮らしを自分の目でみないと、ダメだよ」
「その通りだな」
「この町も貧富の差が結構ある。治安が良いかどうか分からないけど、夜は暗いから危ない気がする」
「そうなんだ」
「指導者になるエフェルガンは、このことをちゃんと教えてくれる人が周りにいないとダメだと思う」
「だろうな。僕はまだ何も知らないんだ」
「これからやれば良いと思うよ」
「分かった」
ローズが言うと、エフェルガンがうなずいた。
「あと一つ言いたいことがある」
「聞かせて」
「屋台の食べ物がものすごく美味しそうだった」
「そうか。今度食べに行こう」
「うん」
ローズがうなずいた。エフェルガンが彼女を見て、しばらくして、口を開いた。
「僕からもローズに言いたいことがある」
「はい」
「不満や気に入らないことがあれば、あるいは言いたいことがあれば、ちゃんと正直に言って下さい。僕が気づかないことだってたくさんある。言ってくれないと、分からない」
「はい」
「心配したよ、本当に」
「ごめんなさい」
「ローズが怒っても良いから、もう逃げたり、迷子になったりしないで下さい。ローズ自信が危険にさらされることになるだけではないんだ。周りの者のことも考えてほしい」
「はい」
「ローズにも分かると思うが、護衛官にも家族がいるんだ。僕たちのために死んでも良いという立場の者たちだが、やはり何かあった時に、彼らの家族のことを考えると心が痛む。だからできるだけ、連携をして、ともに行動して欲しい。自分たちのためだけではなく、彼らのためにも、いつもそう認識してほしい」
「はい」
「慣れてないローズにとって大変だろうけど、ゆっくりでも良いから、慣れて行こう。イライラしたら、いつでも僕に言って、一緒に解決方法を考えよう」
「はい」
17歳のエフェルガンにここまで言われてしまった自分が恥ずかしい、とローズは思った。優しい声で、分かりやすい言葉で言っているけれど、内容はとても現実的で、正論である。自分は反省しなければいけない。もっと自覚を持って行動しないと、周りの人達の迷惑になってしまう。
エフェルガンは涙を流している彼女を優しく抱きしめた。この青年はいったいどのように生きてきて、ここまで精神的に成長したのでしょう。鈴が言った通り、エフェルガンは並大抵の人ではない。自分が苦しかったから、他人に優しくできると、その強さは何よりの証だ。これからももっと成長するのでしょう。心のどこかで、彼とともに成長したいとローズは思った。
しばらくして、リンカと三人の護衛官が来た。ローズの無事な姿を見て、皆の笑顔が頭から離れなかった。リンカと護衛官の皆に手間と心配をかけたことを詫びた。その夜、涙で溢れている目のせいで、夜の星空あまりよく見えなかった。




