52. アルハトロス王国 龍神の都 同盟条約
着々と国の再建が進んでいる中、周囲の国々からの大使らが定期的に龍神の都を訪れるようになった。
ローズは国勢にまったく関わらないようにしているので、彼女が政治的な話はよく分からない。ただ、他国の王や王子が来た時に、挨拶のためには出席をするようにと鈴に命じられている。個人的に、あまり好きではない。
その理由はシンプルだ。面倒だからだ。
なので、挨拶を終えたら、眠いからと言って足早に退室する。この小さな体はこんな時に、非常に便利だ。幼い姫だと思われて、幼い子の真似すれば大体許される。ローズはかなりの面倒くさがり屋な自分の性格に自覚している。
今日も他国からの客人が来た。スワ王国という小さな国だ。位置的にアルハトロスの南西辺りにあり、山や森に囲まれている国だ。小さいながら豊な国で、最近モルグ人に狙われているという情報もあり、周囲の国々と同盟関係を結ぶようにしている。単体では勝てないと分かっているから、同盟を結び、防衛の連携ができれば国の安全に繋がるという計算だ。スワ王国の大使はアルハトロスの優れた武人数名を国に駐在させる代わりに、アルハトロスが必要としている物資を定期的に送るという提案だった。スワ王国はアルハトロスの広さの半分しかないのに、アルハトロスよりも遙かに豊な国だ。金属ももちろん、絹や油もとれる国だ。だから決して悪い条件ではないと大使が言った。鈴は専門家と会議してから結論を出すという返事をし、しばらくスワ王国の大使とそのご一行の滞在を許した。
大使と一緒に来られたのはスワ王国の王子だ。彼はとても大きな猪のような体で、若そうな人で、顔に牙がある。体が大きい理由は、ずばり、太っているからだ。とてもぶよぶよとしている。しかも、頭が悪そうだ。太っているせいか、気候が暖かい龍神の都では彼にとって負担が大きいと見える。彼の体から、大量の汗が出ている。大丈夫か、とローズは心配になるぐらいだ。
一応、彼が客人だから、失礼にならないように、適当に声をかけることは礼儀作法の一つだ、とローズは思った。ローズは人型のリンカと一緒に、そのぐったりとしている猪王子に挨拶に向かった。
「初めまして。アルハトロス第一姫の薔薇でございます」
「あ、はい。余はスワ王国のシシオだ」
余・・だと?、とローズは眉を顰めた。この猪は太っている上に、頭が悪そうで、えらそうな態度している。焼き豚にしても良いですか?、とローズは殺意を露わにすると、ローズの耳にリンカは小さな声でささやく。
「ローズ、おさえて」
「むむむ」
仕方ない。今回だけ許す、と彼女が思った。彼女が殺意に満ちた笑顔で別れの挨拶をした。
「あ、そうですか。では、ごきげんよう」
ローズが言うと、王子はいきなり座り直して、びしっと彼女たちを見つめた。じっと見つめて、瞬きもせずにいた。
「待った!」
「む、何か?」
ローズが振り向いた。
「名を申せ!」
「む」
失礼で、頭が悪くて、耳も遠いか。完璧だ。こいつを殺そう、とローズは思った。
「薔薇ですが?」
「その方ではない。後ろにいる女だ。黒い服の女の方だ」
彼はリンカに指で指して言った。失礼もほどがある、とローズは思った。
「薔薇姫様の付き人のリンカと申します」
リンカは丁寧に答えた。けれど、その目は、なんか怖い。とても冷たくて、まるで死神のような目だ、とローズは思った。
「ほほ、リンカと申したか。余の妻になれ。良い暮らしをさせてやるぞ」
うわー!このバカ王子は大胆にもリンカに求婚した。もう、死亡フラグが見えているような気がする、とローズはチラッとリンカを見ている。リンカの殺意もしばらく漂った。その部屋にいる暗部達やリンカを知る者たちは、固まってしまった。鈴でさえ、固まってしまった。なぜなら、途轍もない、部屋中に冷たい殺気が漂ったからだ。そして、なぜか、少しずつその殺気が消えている。リンカはものすごく美しい笑顔で、王子に向かって、頭を下げた。そして王子の顔の近くまで近づいて笑顔で返事を言う。
「申し訳ありません。個人的な理由ですが、王子、あなたはとてもまずそうですから、お断りします」
リンカはそう言いながら微笑んだ。
「ぶ!」
会場にいる暗部達やリンカの知り合いは、思わず口を隠したり、別の方向をみたりして、笑いを堪えているように見えた。
くくく、と至る所から聞こえている。里の者なら、全員、知っている。あの美しいリンカは遠くから眺めるための存在だ。美しい死神と呼ばれるほど、とてもレベルが高い女性で、人と関わることが面倒だと思うあまり、日頃猫の姿で生活している。里では非公式ファンクラブが存在しているぐらいの人気者だ、と昔ダルガがローズに教えた。けれど、やはり誰一人もリンカに求婚を挑む者がいなかった。この猪王子は初挑戦者だ。ある意味で、すごい。きっとこのことは、里に伝わってくるでしょう。なぜなら、暗部の中でもリンカのファンもいるからだ、とローズは思った。
しかしながら、求婚を断った理由も「まずそう」だから、きっとあれは捕食者の視点で言う言葉でしょう。女王である鈴も思わず笑ってしまった。
「申し訳ない、王子。妹の薔薇姫の付き人は朝からまだ何も食べていないようですね。無礼をお許しくださいね。では昼餉にしましょう。王子もどうぞご一緒に食べましょう。美味しい焼き豚でも・・」
鈴が言うと、王子は青い顔で首を振った。
「え、遠慮する。今日は調子が悪いから、大事を取って、余は休むことにする。失礼する。大使、後を任せた」
「あら、残念ですわ。あとで医療師を向かわせましょう」
スワ王国の猪王子は足早く退室した。大使は頭をさげて、王子の無礼に対して、鈴にお詫びをした。リンカにもぺこぺこと頭を下げて、詫びた。無能な主を持つ者の苦労は、・・とローズが彼をとても哀れに見えてしまった。
大臣レベルの会議が始まった。そのため、ダルゴダスも宮殿に呼ばれた。何しろ、里の武人の頂点にいるのは、長であり領主であるダルゴダスだからだ。いくら鈴の命令でも、そう簡単に決まるものではない。久しぶりに父に会えると思い、会議室周辺をうろうろしているローズを見ると、護衛の暗部の誰かがダルゴダスに報告した。会議の休憩時間に、会議室から姿が見えてきたダルゴダスに向かって、ローズは走って飛び込んだ。ダルゴダスは笑いながら彼女をつかまえて、抱きしめた。ダルゴダスはローズを大きな腕に乗せて、頭をなでた。
「父上!会いたかった!」
「元気か?」
「はい!父上も元気で良かった!」
「わしは元気だわい。ははは。ローズが書いた絵をわしの執務室に飾っておるぞ」
ダルゴダスが笑いながらそう言うと、ローズの顔に複雑な感じとなった。
「あの変な絵、飾らなくても良いよ。恥ずかしいから」
「なかなか個性的だったわい。それを見るたびにそなたが元気にしているんだと思い、安心して毎日の仕事にがんばれるわい」
ダルゴダスが笑って、ローズの顔を見ている。
「なら良いけど」
ローズがうなずいた。
「今日の夕餉、どうだ、わしと一緒に食べられるか?」
「喜んで」
「明日の朝はもう里に戻らなくてはいかんのぉ。今度はもっとゆっくりとそなたの話が聞きたい。今回は仕事でな、許せよ」
「うん、仕事だから仕方がない」
「生活はどうだ?不自由はないか?」
「うん、大丈夫」
「そうか、安心した」
「父上」
「なんだい?」
「私は暗部のロッコと仲良くしているの。今度の彼の任務が終わったら私の護衛官にしてほしい」
ローズが言うと、ダルゴダスが驚いた顔をした。
「ロッコか。あの話し相手だった暗部のことか?」
「うん」
「ここに話し相手がおらんか?」
「いません」
「寂しいか?」
「うん」
「そうか。じゃ、あとでミリナと女王陛下と相談してみる。暗部は今忙しいでな、なかなか調整が難しいと聞いている。任務の合間なら、そなたに会えるようにできると思う」
「うん。それでも良い」
「他に必要なものがあるか?」
「剣が欲しい」
ローズが即答した。
「なぜだ?そなたは姫ではないか?護衛官もいるだろう?」
「うん、いるけど、警備の問題じゃないんだ。私は今剣の修業で毎日第三将軍とやり合うの。ここにある練習用の剣を使っているけど、やはり重さが気に入らない。もうちょっと、良い物がないかなと」
「じゃ、いるのは練習用剣か?」
「練習用と真剣の両方が欲しい」
「うむ、分かった。考えておこう」
「ありがとう」
ダルゴダスが考え込んだ。
「剣か。さすが、わしの娘じゃ。わはは」
「母上が聞いたら、たぶん泣いてしまうかもしれない」
「どうして?」
「私は全然おとなしくないし、姫らしくもない」
「ローズはローズだ。じゃじゃ馬でもわしのかわいい娘じゃ」
「ありがとう、父上」
「じゃ、また会議に戻らないといかんな。今夜の夕餉に迎えの者をそなたの部屋まで送ろう」
「はい。では、また夕餉の時間に」
ダルゴダスはローズを下ろして、再び会議室に戻った。ローズは今夜の夕餉をわくわくとしながら部屋で待つことにした。
日が沈む前に一台の馬車と複数の護衛官が迎えにきた。ローズとリンカは馬車に乗って、ダルゴダスが待っている料理屋へ向かった。どうやらこの料理屋は里の特産品を扱っているところで、里の料理をメインに出しているところだ。内装も里にある料理屋に似ていて、主に絨毯の上に低いテーブルだ。もちろん普通の椅子とテーブルもあるが、里出身の者は大半絨毯の上に座って食べるのが好きだ。実際にローズも、ダルゴダスも、柳も、ロッコも、ダルガも、モイも、絨毯の上で食べるのが好きで、当たり前だった。しかし、都では、このような食べ方はあまり好まれていない。都の者は椅子に座って、テーブルで食事するのが一般的である。絨毯の上に座り食べるのは野蛮的に見えるらしい。だからフレイはいつも椅子に座って、テーブルで食事をしているわけだ。逆にダルゴダスは日頃いつも絨毯の上で食事をする。里に客人がいる時だけ、仕方なくVIPルームで上品に食事をする。だからローズは都で、このような絨毯の上で食事ができる所があると知って、嬉しく思った。
ローズはダルゴダスの隣に座る。一緒に食事に来たのは国の第二将軍と第五将軍、そして数人の大臣やダルゴダスの補佐官数人だ。リンカは警備のため、部屋の外にいる。第二将軍は、ダルゴダスとほぼ同じ年齢で、同じぐらい大きな人だ。とても強そうで、ひげも立派だ。並べて座ると兄弟だ、とローズが思うぐらい、とても雰囲気が似ている。第五将軍はとても若い武人で、鹿の角をしている。体が細いが、とても筋肉質な人だ。第二将軍と比べたら体が小さめだが、とても頭が良さそうな人だ。若くてハンサムな第五将軍は、きっとモテモテだとローズが思う。しかし、食事しながら話を聞くと、なんと第五将軍がとても愛妻家であることが判明した。そして第二将軍は、実は鈴が作ったお菓子が大好きだ、という話しもあった。
将軍らはローズの武勇伝をダルゴダスの前で話して褒め称えた。別に武勇伝でもなんでもなかったけれど、と彼女が思った。毒に盛らされたことまでダルゴダスの前で明かされて、逆に心配を招いてしまった。将軍らはダルゴダスに警備体制が今大きく変わって来たと伝えると、やっと安心な顔を見せてくれた。
ローズはダルゴダスにスワ王国の王子の話しをしたら、彼が豪快に笑った。実はリンカへの縁談の話しもたくさんきていたのだけれど、リンカに尋ねると答えはいつも「興味がない」だったそうだ。理由を尋ねると答えはいつも「面倒だからだ」という。本当に面倒くさがり屋の黒猫リンカだ。だからダルゴダスは、リンカの縁談のことを本人に任せている、と言った。
そしてやはり久日ぶりの里の味を口にしたローズの食欲が上がってしまった。こんな小さな体で、ダルゴダスと良い勝負ぐらい数々の料理を食べてしまった。いったい体のどこに消えていくか彼女自身も分からない。けれども、里にいる頃と比べると痩せている彼女を見ると、ダルゴダスはフレイと同様に、心配している。都の食べ物が口に合わないかと心配して、定期的に里の食べ物を送ると約束した。
しかし、実はローズの食べる量を見れば、あの大きな第三将軍よりもたくさん食べていることが分かる、とローズは思った。けれど、なぜ痩せているのか、彼女自身も分からない。きっと彼女が他の種族と成長過程が違うのでしょう、と考えられる。
楽しい夕餉が終わって、ローズはダルゴダスと別れる。明日の朝早く里に戻るそうだ。まだたくさん会話をしたかったけれど、あまり遅いと宮殿の者が心配になる。それに警備の面ではあまり良くない、と暗部の者が言った。ダルゴダスたちはこれからまた飲み会で、非公式な話し合いをするそうだ。小娘である彼女がいると、やはり話しにくいこともあるのでしょう。なので、夕飯終えて、ダルゴダスに別れの挨拶をして、宮殿に戻ることにした。
数日後、スワ王国との条約が発表された。同盟を結び、防衛の協力と物資の細かい話しは決まったそうだ。
あの猪王子がどうなったか、知らない、と。