36. アルハトロス王国 青竹の里 新しい一歩
「ローズ、良いかな?」
フレイの声だ。ローズは夕餉を食べずに、ずっと泣いているから、侍女リエナは侍女長に報告した。侍女長から報告をもらったフレイは、急いでローズの部屋へ来た。
「はい」
「何があったの?」
フレイはローズの寝台に座り、彼女を起こした。頭をなでて、涙をハンカチで拭いてくれた。
「何も・・」
「何もなければ、泣いたりはしない」
「・・・」
「柳と喧嘩したの?」
「ううん」
「何かされた?」
「ううん」
「欅と百合とは喧嘩した?」
「ううん、喧嘩してない」
「モイさんの所に行くと聞いたけど、途中で何かあった?」
「何もない」
「では、どうして泣いているの?ローズの様子はおかしいから、皆が心配しているよ」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい、では分からないわ。母にも言えないことなの?」
「・・・」
ローズの涙が再び溢れ出してしまった。一人ぼっちに、おいてけぼりにされた気分と、柳と別れてしまった悲しさが再び襲ってきた。
「よし、よし。気持ちが晴れるまで泣いても良いですよ。母は隣にいるから」
ローズは大きな声で泣いてしまった。心の奥にしまっていた悲しさと悔しさが湧き上がってしまった。フレイはただ黙って、ローズをなでた。ローズは、こんなに思いっきり泣いてしまったのが初めてかもしれない。ずっと我慢してきた気持ちが、こんなに露わにしてしまった。恥ずかしいと思っても、どうしようもないぐらい泣きたかった。どのぐらい泣いたから分からないぐらいが、少しずつと落ち着いてきた。
「少し気分が晴れた?」
「うん」
ローズがうなずいた。
「良かった」
「ありがとう」
「はい。ローズ、もしかすると、柳が帰ってこなかったことと、関係があるのですか?」
フレイはそう尋ねて、ローズを優しくなでた。
「うん」
「あの子は、旅に出る、とお父上に言ったそうですよ」
「・・・」
「ローズには言わなかった?」
「屋敷に戻る時に、言われた」
「びっくりしたでしょうね」
「うん」
実際に、ローズがどうしようもなかった。
「ローズは一緒に行きたかったの?」
「うん」
「でも、行けなかった。悔しかったね」
「うん。捨てられた気分だった」
ローズがうつむいて、小さな声で言った。すると、フレイが彼女をぎゅっと抱きしめた。
「捨てるなんて、そのようなことはしないよ。柳はローズのことを、とても大切にしているんですから」
フレイが優しく言った。
「なんで分かるの?」
「母親ですから、分かります。それに、彼はローズがずっと眠りにいた時から、目覚めて、いろいろなことがあって、エコリアに行ってから、そして昨日と今朝まで、柳はどれほどローズを大切にしているの様子を見たのです」
「・・・」
ローズがだんまりして、自分の指を見つめている。
「あんな優しい顔をする柳は、ローズと一緒にいる時だけですよ」
「・・・」
「あの子はいろいろと苦労していたんだ。感情はあまり外に出さなかった。柳の苦しみを理解しても、何も助けることができなかったこの母を恨んでいるかもしれません。だって、私に見せたことがないあの優しい笑顔が、ローズにはいつも見せているんだもの」
「そうなんだ」
ローズがフレイを見て、難しい顔をした。
「そうですよ。だからきっと柳も、今のローズと同じぐらい悲しんでいる」
「うむ」
「柳がいなくなって、寂しい?」
「うん」
ローズがうなずいた。
「その気持ちは分かります。でもローズは一人じゃないんだ。この母もいるし、菫もいるし、リンカもいるし、リエナもいるし、毎日楽しく過ごしましょう」
「・・・」
正直に言うと、彼女たちがいても、どうにもならない、とローズは思った。
「明日はゆっくりしましょうか。朝の走りをしなくても良いですよ。ゆっくりと休んで、悲しみが少し癒えたら、また普段通りにしましょうね」
「うん」
「では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
フレイは優しくローズの頭をなでて、寝台に寝かした。毛布を掛けてくれて、そして部屋全体の灯りを手の一振りですべて消えた。本当に魔力が高い人だ、と彼女が思った。
彼女が部屋を出て行くと、部屋の前にいるリエナに今夜もう休んで良い、と命令してから自分の部屋に帰った。泣き疲れてしまったローズも、その後、いつのまにか眠った。
朝に目を覚ましたら、日がもうすでに高く登った。日の光が窓の隙間から入ってきた。寝台に体を起こし、座ったら、ふらっとした。頭が痛い。きっと昨日泣きすぎたせいだ、とローズは思った。力が入れないけれど、水場に行きたい。寝台から降りて、ふらふらしながら歩いて行った。なんとか部屋の中にある水場に行って顔を洗ったりした。鏡をみるとひどい顔になった。こんなに目が腫れているんだ。
もう少し寝ようか、と彼女が思った。しかし、バランスを崩して、倒れてしまった。崩れた洗面器などで、騒がしい音になって、それを聞いた侍女達が部屋に入ってきた。彼女たちがローズを寝台まで運んでくれて、医療師を呼びに出て行った。一時、大騒ぎになった。
「熱が高いですね。今日は安静にして下さい」
医療師は薬を侍女リエナに渡し、そしていくつかの指示を出した。フレイも様子を見に来て、ローズの頭をなでてから、外へ出て行って、医療師と会話した。そして外は静かになる。完璧だ、本当に悪いことって連続して来るものだ、とローズはため息をつきながら思った。
扉が開いて、侍女リエナはお粥と薬を持って来た。あまり食欲がないと断ったけれど、小鉢に入っている卵料理を見て、急に食欲が湧いてきた。それはローズの好物の卵料理だった。料理長は彼女の好物を知っているのだ。
食事を終えて薬も飲んだ。あとで寝るだけだ。リエナは外に出て、部屋に再びローズが一人になった。しかし、すぐには眠れない。ローズが寝台から降りて、棚にある本を手にして読むことにした。魔法の本だった。いつの間にかミライヤからこんなにたくさんの魔法の本が彼女の棚に並んでいる。ドイパ国の本も数枚並んでいる。ドイパ国の料理の本も、絵の本も、星空の本も並んでいる。昨日までなかったのに、いつこんなに本をもらったんだ?、とローズは首を傾げながら思った。
衣服の棚をあけたら、数々の服や布や絹までがある。そして一つのきれいな箱があり、開けると中には髪飾り、首飾り、耳飾りなど、見たこともない様々な宝石が入っている。箱に刻まれた文字はドイパ国で、国王の紋章だった。もう一つに少し大きめな箱があって、開けてみると見事な宝石や飾りなどで、絹のハンカチや色々な小物が入っている。
その箱には、人形も入っている。とても美しい人形で、目が透明な青い宝石で作られている。とても美しかった。その人形の近くに一通の手紙がある。手に取って読むと、手紙がスズキノヤマ帝国のエフェルガン皇子からだった。とてもきれいな字で書かれている、と彼女が思った。
あのかわいいミミズクフクロウの羽根耳がある皇子を思い浮かべながら手紙を読むことにした。御礼の言葉が書かれていて、そして彼女と文通がしたい、という申し出があった。あの15歳ぐらいの皇子で、オレンジ色の瞳の持ち主だった。聡明な皇子だ、とズルグン大使が言った。ローズは皇子が住んでいる国も知らないし、当時会った時も戦争中だったから、会話をまともにしなかった。またその後、彼女が2ヶ月間も寝てしまったため、皇子がドイパ国に訪問されたのに、会えなかった。だからこのようなプレゼントを贈ったのだと説明が書かれていた。
手紙をもう一度読み直すと、本当にきれいな文字だった、とローズが思った。その手紙を見ると、ローズは自分の文字のひどさに反省をしてしまった。柳もエフェルガン皇子もきれいな文字を書いている。これからまじめに文字の書き方を勉強しないと文通しても恥をかいてしまう、と彼女がそう思いながら、手紙を丁寧に折って、封筒に入れた。
ローズはその箱にあった人形を出して、見つめている。本当にきれいな人形だ。この青目は彼女に似せて作ったものかもしれない。人形の髪は茶色だったけれど、なんとなく似ているように見える。美しい民族衣装で、絹の生地で作られている。人形の服装や髪に、光輝く金属と宝石で飾られている。なんという豪華なものだ。この人形一つだけでも相当な金額がかかっているのでしょう。こんなに高いものをもらっても良いのか、とローズは思った。
その箱の中にも小さな箱が入っていることに気づいたローズはその箱を取って、開けた。箱にはスズキノヤマ帝国、帝国の紋章があった。その中身は、ペンやインクの瓶で、とても美しい作りの物だった。書く物セットだ。その箱の下に紙や付箋があって、手紙を封するための封蝋とスタンプもある。スタンプは薔薇の花の形になっている。とても上品に作られていて、ローズは感動してしまった。あと、その箱の中身で、手の平サイズの小さな箱があった。開けると、キラキラと光っている飴玉が入っている。皇子は本当にまめな人だ。まったく知らない皇子だったけれど、こんなにプレゼントされたら、ローズは思わず微笑んでしまった。
これで、ローズは文通を断る理由がなくなってしまった。御礼の手紙も書かなくてはいけない。ジャタユにも御礼をしなければいけないんだ。こんなにたくさんの本と衣服や宝石などをもらったことに感謝しなくてはいけない。他の人はもらったかどうか分からないけれど、ジャタユに関してはあとでミライヤと相談してから、手紙を書くことにする。
柳を失って悲しんでいるローズは、ジャタユとエフェルガンからの贈り物をもらったことで、彼女の少し気分が少し良くなった。彼女が人形を手にして、寝台に戻り、抱いた。とても抱き心地の良い人形で、気に入った、とローズは思った。そして薬が効いたか、眠気に襲われて夕餉の時間が越えても、そのまま眠った。
夜中、おなかが空いて、部屋を出てひとりで食堂に行った。台所に料理長がいるので声をかけた。
「あの・・」
「ローズさんじゃないか?どうした?もう大丈夫か?」
「おなかが空いた」
ローズが小さな声で言うと、料理長が微笑んだ。
「そうか。じゃ、何かを作るから、向こうで待ってなさい」
「料理を作るのを見ても良い? 邪魔はしない、みたいだけ」
「良いよ。料理に興味あるか?」
料理長がフライパンを取って、コンロに火を入れた。
「うん。私はいつか料理長が作ったあの卵料理を自分で作りたい」
「あれは結構難しいぞ?」
「うん、分かってる」
「じゃ、一緒に作ってみるか?」
「良いですか?」
「無論だ。ははは」
料理長は数個の卵とバターなど出して、丁寧に彼女に料理を教えてくれた。ローズが慣れていない手つきで卵を割って、卵の殻が散らばってしまった。料理長は笑いながらその殻の取り方を教えた。なんと手を水に濡らしてから、ボウルに散らばった卵の殻を触ると、とても取りやすくなった。そのような初体験でローズの顔に思わず笑顔になった。
それから、卵を溶いたりバターやクリームを入れてシンプルに塩だけで味付けをして、簡単なオムレッツができた。まだ料理長の料理よりもほど遠いの仕上げだが、おなかが空いた彼女にとって格別な味がした。卵料理以外にも台所にあるパンやスープなど、台所にあるまかないのテーブルで料理長と一緒に美味しく食べた。
「どうだ、料理をした気分は?」
「難しかったけど、楽しかった」
「そうか。良かったわい」
料理長がもぐもぐと食べているローズを見て、微笑んだ。
「料理長はずっと昔から父上と一緒にいた、と聞いたけど、本当ですか?」
「本当だ。まだローズさんの父上が若かった時から、ずっと一緒だった。戦場にも一緒だった」
「すごく長いお付き合いだね」
「そうだ。ははは、わしはダルゴダス様に付いていく、と決めたから、戦場だろうが、地獄だろうが、天国だろうが、この世界まで来たわい」
「すごい」
ローズが彼を見て、目を大きくした。
「ローズさんも何かの導きでこの世に生まれ変わったんだろう。わしらはここに出会って、これはきっと天の導きだとわしが思った」
「そうかもしれないね」
ローズがうなずいた。
「どうだ、料理の勉強で、わしの弟子になっては?」
「良いですか?」
「ローズさんなら歓迎するわい」
「ありがとう、料理長」
「師匠と呼べ」
「はい、師匠」
料理長が笑って、うなずいた。
「でもわしはきびしいよ。耐えられるかどうか心配じゃが」
「うむ、やってみる」
ローズがうなずいて、彼を見つめている。
「実にいうとね、私は狩りで手に入れた獣や鳥に、何かと美味しく食べられる方法がないかと知りたくてね。いつか柳兄さんとペアになって狩りをしたら、せっかく倒したものが食べられなくて、もったいないと思うんだ。だって肉の塊だから」
「ほほー、わしに弟子入りしたい者がだれ一人もその願望を抱くのがいなかったわい。驚いた」
「変ですか?」
ローズが聞くと、料理長が首を振った。
「いやいや、うれしいわい。いつかわしと一緒に狩りをして、料理の修業でもするか?」
「はい!」
「ははは、急に元気になったか。本当にローズさんは変わった娘だ」
「弟子になったから呼びすてにして下さい、師匠」
「そうかい?良いだろう」
料理長が笑いながら、うなずいた。
「でも、この屋敷では一番大変な仕事は台所係だ。見ての通り、皆大食いだからだ。朝から晩まで、仕事が終わらない」
「うん、私も大食いです。師匠の料理が美味しいから、なおさらで我慢ができないの」
「はははは、そうか。じゃ、明日から、具合が良くなってからでも良いから、来なさい。侍女からエプロンをもらって、台所の手伝いから習うぞ。弱音を吐かぬようにな」
「はい。でも他の勉強もあるけど、大丈夫ですか?」
「無論だ。空いている時間でも良いからのぉ。他の勉強も大事だからだ」
「はい。ありがとうございます!」
「じゃ、もう遅いから、部屋に戻り寝なさい」
「お休みなさい、師匠」
「お休み、ローズ」
台所を出たら、侍女リエナが食堂にいた。彼女がずっとローズを待っていたようだ。ローズを部屋まで送って、また薬を飲ました。明日から料理の勉強になると考えるとわくわくになった。ローズはエフェルガン皇子からの人形を抱いて、再び眠った。