35. アルハトロス王国 別れ
「おはようございます」
侍女リエナはローズを起こしに来た。まだ日も出てない真っ暗な朝だ。この里ではレベル0以下の子どもたちは、日が昇る前に朝走りをするようにと義務づけられている。当然レベル1から4の朝運動はあるが、朝一番に走るのはほとんど幼い子どもたちばかりだ。なんでこんなに早い時間帯にするかというと、朝餉の後だと他のレベルの子にぶつかってしまうからだ。体が大きな子ども達と一緒にやると怪我の恐れもあるからだと聞かされた。走る距離は屋敷を一周となり、レベルが上がれば上がるほど距離が増えていく。レベル5以上はほとんど職に就くので走る義務はない。それで、レベル0以下のローズは当然毎朝走ることを義務づけされているのだ。
「おはよう、リエナ」
「はい、温かいタオルです。お茶は今から入れますね」
リエナは温かいタオルをくれた。顔を拭いて差し出されたお茶を飲んだ。リエナはてきぱきとローズの運動着を準備する。昨日いろいろと忙しすぎて、ローズの衣服の準備がほとんど間に合わず、結局ドイパ国で買った運動着を使うことになった。この運動着はあのオオラモルグの戦いで使ったものと同じ店で買ったものだ。色が違っただけで、二着を買ってもらったのだ。しかし、あれであの夜の光景は頭に蘇った。恐ろしい光景だった。
「お着替えを手伝いましょうか?」
「ううん、自分でできる」
ローズは着替えを済まし、靴を履いて、またお茶を飲んだ。リエナはローズの長い髪の毛を三つ編みにしてきれいに束ねた。
「ありがとう、リエナ」
「いえいえ。では、行きましょうか?」
「はい」
ローズたちは部屋を出て、中庭を通って、横の庭にいく。横の庭にはすでに柳がいる。
「おはよう、兄さん」
「おはよう、ローズ。朝走るんだね」
「うん。お兄さんは?」
「今日は先生の手伝いだ」
「じゃ、お兄さんはどの辺りにいるか楽しみに探すね」
「ああ。でもローズならすぐに走り終わりそうだ」
「そう、かもしれないね」
「じゃ、走り終わったら、一緒に朝餉をして、ジャタユ王子を見送りに行こうか。その後、欅達のところに行くから仕度準備を早めにしよう」
「うん。行ってくる」
「ああ」
ローズは子どもたちが集まる所に行った。先生に挨拶して、久しぶりにトカゲ族のリナと山猫人族のエリオと再会した。ローズのことが覚えていて、あの二人が再会に喜んでいた。エリオはもう大きくなって、次の同時満月の日にレベル鑑定を受けるつもりだ、と彼が言った。こちらでは、同時満月の日にはレベル鑑定があるそうだ。どんな鑑定かが知らない。ちなみに月が二つあるから、どの月の満月かと聞くと、両方ぴったりの満月状態になる日のことだ、とエリオが答えた。
子どもたち全員集まったそうで、先生は走る指示をだした。今回はビリにならないように、しっかりと走る!と気合が満タンだ。思った以上に、すらすらとあっという間に走り終わってしまった。エコリア山の麓の村まで牛乳を買いに行く距離よりも短かった。ちなみに柳はどのあたりにいたかも、分からなかった。
「ローズちゃん、すごい足が速くなったね!」
トカゲ族のリナさんが池の近くに座って待っているローズの隣に座って、褒めた。
「うん、私もびっくりした。いつも先生と走ったから、多分気づかないうちに先生のスピードに合わせたかもしれない」
「そうなんだ」
「でもやはり同じぐらいの子ども達と走った方が楽しい」
「そうだね」
全員ゴールに到着したから、今日の朝走りは終了で、全員解散となった。ちなみに本日菫は昨日転んだので、今日は走らないと聞かされた。医療師は足の腫れが治るまで走らないようにと指示を出したそうだ。そう、姉と言っても、菫はまだ二歳で普通の子どもだ。ローズと数日だけの年上だったのだ。でもまだ一度も会ったことがない。今度会いに行こう、とローズが思う。
部屋に戻って、朝の風呂に入り、朝の仕度をした。今日はジャタユを見送りに行くから、少しおしゃれな服を着ることにした。ドイパ国でたくさんの服を買ってもらったので、そのきれいな一着を着ることにした。絹の生地でできたゆったりとしたドレスのような上着で、と同じ色のズボンのペアだった。かわいい花柄が刺繍されていて、とてもきれいな服で気に入った。ちなみにリエナは昨夜遅くまで下着を作ってくれたおかげで、助かった。今日中に数枚の下着を作る予定だと言われて、ローズがとても嬉しそうだった。リエナに手伝ってもらって、ローズの髪の毛もきれいにしてもらってから、きれいな髪飾りを付けてもらった。
朝餉の食堂の前に、柳はもう待っている。手にカバンを持っているが、問いかけると出かける際に買い物もしたいと答えてくれた。二人で食堂に入り、自分のお皿を取り、空いている所に座り、おとなしく父とジャタユを待っている。台所から次から次と色々な料理が運ばれてきた。相変わらず朝っぱらから豪快な朝餉だ。そしてはしたないことで、ローズのおなかからその恥ずかしい音がでてきた。
ぐ~~~~~~~~~~~
「あ、失礼しました」
ローズは赤い顔で謝罪した。なんだか恥ずかしい、と彼女が思った。
「ははは、おなかが空いたか。あと少し我慢しよう」
「うん」
柳はローズの頭をなでた。そしてローズの胸にあのブローチを見て、笑った。
「ブローチ、付けてくれたんだ」
「うん。だって欅兄様のところへ行くのだから、見せないとね」
「そうだな。あいつも喜ぶよ」
「うん」
部屋の中にダルゴダスとジャタユとミライヤが入ってきた。いつも朝に弱いミライヤは、今日はすごくきれいに着飾っている。リンカは人の姿でミライヤの後ろに歩いた。相変わらずの黒いドレスの姿だ。けれど、その美しさを見る者は瞬きもせず言葉を失うほどになっている。食堂にいる人々は息を呑んで二人の美女を見つめた。ミライヤとリンカは用意された椅子に座って、ダイニングテーブルで食事することにすることになった。一方、ジャタユとその護衛はダルゴダスと同じく絨毯の上に座って、朝餉を取ることになる。
「こら、そこらの男ども、ミライヤとリンカをじろじろと見ないで、朝餉にしよう。頂きます!」
「頂きます!」
ダルゴダスが言うと、全員手を合わせて、朝餉を食べ始めた。
「頂きます!我が国でも、あの二人の美しさに見とれている者も多くいるんですよ、ダルゴダス様。やはりアルハトロスの女性は美人が多いですね」
「美人か。ははは、褒めてくださり、嬉しく思う。ありがとう。ははは」
男たちが渋々と食事に集中することにした。遠くからリンカのため息が聞こえそうな気がする。これだからリンカは日頃猫として生活しているのだ。毎回視線を浴びると、落ち着かないのだと分かる。しかし、彼女を見つめているのは男性だけではなく、女性も見とれるほどの美しさだから、仕方がないことだ。
楽しい朝餉のあと、ジャタユはダルゴダスと別れ、用意された馬車を乗った。ミライヤもジャタユと一緒に乗った。リンカとフェレザは後ろの馬車に乗った。ローズと柳はリンカ達と同じ馬車を乗ることになった。そして後ろに数台の馬車にはドイパ国の国王陛下にダルゴダスからの贈り物のお返しの品物が入っている。話によると、里の名産品の飾り物や絹、そして刺繍された高級布も入っているそうだ。あまりにも用意する時間がなかったので、在庫にある物だけになってしまった、とダルゴダスはジャタユに謝罪した。それに対して、ジャタユは突然の訪問をしたことで、迷惑をかけてしまったことに謝罪した。彼も話し合いが成功したことの喜びと歓迎されたことに対して感謝の言葉を述べた。ローズは政治的な話になると、訪問するだけでもかなりの大事になったことを勉強になった、と思った。
馬車は里の入り口まで進んで、待機したドイパ軍の近くで止まった。ジャタユは馬車から降りて、ミライヤの手を取り、降りるのを手伝った。とても紳士的だ。ローズたちも合流して、荷物の整理を手伝った。準備が整えていると報告もらって、ジャタユはミライヤの手に口づけをして、背中から翼を広げて、空を飛び立った。ローズたちは手を振って別れをした。
ミライヤとリンカはその後馬車で屋敷に戻ったけれど、ローズと柳はゆっくりと歩きながら、職人が住む集落に向かう。距離はここから正反対の位地にあるのだけれど、ゆっくりと歩けば昼前に着くと柳が言った。けれど、今日の柳はなんとなく、ちょっと様子が変だ、とローズは思った。気のせいかもしれない。柳は途中でローズを腕に載せて、歩くことにした。
柳の身長は多分2メートルぐらいある。ローズの目線で見ると2倍ぐらいだ。ダルゴダスもフレイも身長が高いので、おそらく百合と菫も、将来背が高くなるでしょう、とローズが思う。欅は兄の柳よりもずっと背が高くって、体も大きい。だから兄弟の中で一番ちびなのが、今のところはローズだけだ。
血のつながりがまったくない兄弟だから仕方がないことだ、と彼女がそう思いながら周りを見ている。
柳はジャタユからもらった防具を着ている。とてもきれいな防具だ。丈夫で軽いと彼が言った。さすが王家御用達の防具屋だから、作りも質も最高級である。紋章の代わりに柳の木のシルエットを打ってくれた。とても繊細な模様で見事なものだ。金属の色はプラチナのような色だったが、何の金属かが分からない。エスコルディアの防具とは色が違う。
「柳、私が重いなら下ろして良いよ。自分で歩けるから」
「大丈夫だ」
「そう?無理をしないでね」
「ああ、無理はしない。俺はしばらくローズを抱きたいだけだ」
「なら、良いけど」
「ローズは今日もきれいだな。この服はドイパで買ったものだったよね、あの港の近くの店で」
「うん。良く覚えているね」
「ローズが先に手に取った服だから、気に入ったんだと見たから」
「そこまで覚えているんだね」
「そうかもしれないな。ローズのことを忘れないようにしている」
柳は微笑みながら言った。
「うむ、でも私のくだらない行動をいちいちと覚えると疲れるよ?多少忘れても良いんだよ?」
「ローズは俺の生きる理由だから、忘れないさ」
「なんか大げさだね」
「そうだな。ローズにとって大げさかもしれないな。でも俺にとって、必要なことだから」
「うーん、そうなんだ。よく分からないな」
「ずっと分からなくても良いんだ。いろいろと辛かった気持ちは、ローズには分からなくても良い」
「うん」
しかし、ローズはなんとなく知っている。柳は小さいころから味わった孤独感や、他人への不信感、心ない言葉や中傷を日頃言われていたことも、そして虐めや暴力までも、知っている。彼はずっと一人で耐えてきた。けれど、ローズと出会うことによって安らぎを得たと聞かされた。こんな小さいローズは柳にそんなに役に立つかと考えると、良く分からないと思うこともある。けれど、他人は自分が気づかない所をみたりすることもある、とローズは思った。柳がローズのどこに惹かれて安らぎを得ることが良く分からないと同じく、ローズも柳のどこに惹かれて安心感を得るかも分からない。
ローズは柳の心臓の音を聞くだけで、安らかな気持ちになる。不思議な二人の関係だ。ローズは柳に対するこの気持ちは、愛なのか甘えなのかが分からない。けれど、柳はローズに対する態度から見ると偽りのない愛だ。しかし、ローズたちは兄弟だ。血のつながりがまったくない兄弟だけれど、兄弟は兄弟だ。これ以上、お互いを求めてはいけないと互いに分かっている。しかし、頭で分かっていても、心には偽りができないのはこの気持ちだ。そして時には思わず態度で現れてしまい、気づいていたら互いに自制をする。自制をする度に、心に締め付けられるのほど痛みを感じて、切なさで涙を流すこともある。柳も、ローズも、同じ気持ちで苦しんでいる。
一時間ほど歩いていたら、職人街が見える。里の中で一番賑やかな職人街で、たくさんの店や工場がある。欅の工房はちょっと静かな所にあるが、百合はどこに住んでいるか、分からない。だからとりあえず欅がいるところに向かうことになった。
「欅、いるか?」
「はい」
中から返事が聞こえた。あの大きな体の欅だ。
「お、兄さんだ。おおお!ローズちゃんじゃないですか!お久しぶり!元気してる?」
欅はローズを柳の腕から取って高く持ち上げた。怖いけれど、この人は心から喜んでくれている。
「おひさしぶりです。欅兄さん」
「あ、そのブローチ、付けてくれたんだ」
「うん。ありがとう。こんなにきれいなものを作ってくれて」
「気に入ってくれてうれしいよ。じゃ、二人とも中へ入って」
欅んの工房に入って、相変わらず散らかっている様子だった。様々なものを作っているようだ。ローズは柳が置いてきた座布団の上に座り、柳も適当に絨毯の上に座る。欅は台所から二つのコップを持って、ローズと柳に差し出した。美味しいハーブ茶だ。
「一年間も見ないうちにずいぶんと変わってしまったね、ローズちゃん」
「そう?」
「うん、大きくなった。顔も変わってきたし。あ、そうそう、ちょっと手の平を計らせて。母上からローズちゃんのために裁縫道具と調理道具の依頼が来ていて、やなり普通の人と違うサイズだから、計らないといけないんだ」
「うん」
欅はノートと書く物をとって彼女の手を計っている。
「ふむふむ、また鏡とくしも作らないといけないみたいだ。今度はもうちょっと大きめにするかな」
「いつもありがとう、兄さん」
「いいえ、問題ないよ。君は僕の大事な妹だからね」
「兄さんも私の大切なお兄さんだ」
「やはりかわいいな、ローズちゃん。柳兄さんはローズちゃんに優しくしている?」
「うん、とても良くしている。ほら、この短剣も柳兄さんからもらったの」
「あ、その短剣か。そんな大切なものをもらったローズちゃんにうらやましいな」
欅は笑いながらその短剣を見た。
「ローズは身を守るためにこの短剣が必要だからあげたんだ。もしその前に欅がこの短剣が必要ならとっくにあげたよ」
「あはは、いや、僕は短剣をもらっていても、何に使うかが分からないよ。包丁代わりになるだけだよ」
「だな。ローズはあれでいろいろなものと戦ったんだ」
「すごいな。怖くなかった?」
欅が聞くと、ローズが首を振った。
「怖かったよ。でも戦わなければ死ぬから、必死だったんだ」
「君は武人になるの?」
「ううん、まだ分からない。でも柳兄さんのペアになりたい」
「そうか。ゆっくりと考えても良いんだよ。ローズちゃんはまだ二歳だからね」
「うん」
欅がそう言いながら微笑んだ。
「じゃ、今日はどうする?もうすぐ昼餉だけど、一緒に食べようか?」
「百合もできれば誘いたいが、良いところがあるか、欅?」
「とびっきり美味しいお店はあるよ。昔、親方と一緒に行ったことがある。そこに行こうか?」
「任せる。お金は俺が払うから大丈夫だ」
「僕も払うよ。今回はローズちゃんの歓迎だからね」
「そうだな」
「じゃ、ちょっと待ってね。仕度してくる」
欅が仕度して、ローズたち3人で百合の所に行くことになった。百合の工房はここからだと歩いて30分間の距離で、とても賑やかな町の中にある。刺繍や衣服など、色々な高級品を取り扱いの店もたくさん並んでいるところだ。ローズが迷子にならないように、柳はローズを腕の上に乗せて歩いている。こう並んで歩くと、本当に大きなお兄さん達だと思う。
ローズたちは一つの工房の前に止まり、百合との面会願いを工房の人に頼んでいたら快く中へ入れてくれた。客間に入ると、待つようにと言われた。ローズは用意された座布団の上に座り周りをみている。いくつかの刺繍の作品が展示されていて、どれも見事なできばえだった。そしてどれも高そうだった。
数分後、足音が聞こえた。部屋に入っていたら、百合だった。
「ローズさん、おひさしぶりです。元気にしていますか?」
百合はローズを思いっきり抱いてくれた。
「はい、元気です。心配をかけてごめんなさい」
「いいえ、私の方こそ、ごめんなさい。小さいあなたを屋敷から追い出さないように父上に頼んだが、できませんでした。力がないこの姉を許して下さい。苦労をしたのでしょう」
「いろいろと大変だったけど、なんとか生きて戻りました」
「かわいそうに」
百合がローズを見て、心配そうな目で見つめている。
「大丈夫です。お姉さんこそ、元気にしていますか?」
「ええ、もちろん。毎日忙しく刺繍を作っていますの」
「お姉さんは上手だからね」
「ローズさんも習えばできますよ。屋敷に戻ったということは、これから裁縫や刺繍のことも習うんでしょう?」
「うむ」
「大丈夫、もう指にぐっさりと刺さらないと思いますよ。今度は手のサイズに合わせる道具を使えば良いんですからね」
百合は微笑みながらローズの刺繍への恐怖を取り払った。
「そうだよ、ローズちゃん。僕が道具を作るから、安心して習い事をやって下さい」
「はい」
欅がいうと、ローズは小さな声で答えた。
「そうだ、百合、時間があるなら4人で食事でも、どうかなと思って」
「ええ、喜んで!初めてですね、4人で食事だなんて!うれしい!ちょっと師匠に言ってきます」
百合はとてもうれしそうで、再び工房の中に入った。しばらくして、着替えをした百合は一段と美しく見えた。きれいな刺繍で飾られている服がとても美しい。自分で作ったと教えられて、もっとびっくりした。
ローズたちは馬車で欅が示した料理屋に行った。とても大きな料理屋で、美味しいと評判が良いお店だそうだ。柳と欅はセットメニューを注文した。皆で分けて食べると言った。百合もいくつかのメニューを選んで、甘い物も頼んだ。ローズは全部柳に任せることにした。
数々の見事な料理が運び出されて、どれも美味しそうだった。皆で分け合って兄弟仲良く四人で美味しく食べることになった。柳はローズの口周りをきれいにしたりして、それを見た百合と欅が笑っている。
「そんな優しい兄さんだとは知りませんでした」
百合に言われた時の柳の顔は印象的だった。そう、百合は柳のことが怖かった、と以前ローズは柳に聞かされた。柳自身は百合に嫌われているんだ、といつも思っていた。実際は、敏感な百合は柳の力のオーラの方に反応していて、怖いという感覚になった。兄弟でも案外知らない者同士だった。
欅が百合姉さんのために作った雷鳥石の髪飾りも今百合お姉さんの頭にある。とてもきれいな形の百合の花だった。百合姉さんが柳に感謝の言葉を言った。すると、柳は笑っただけだった。百合はローズのブローチを褒めて、とてもかわいいと言った。
モイへの結婚祝いのことも相談したところで、百合はお皿セットが良いと言った。なんだかんだと毎日使うものだから、何もないから始まったあの二人には実用性がある物の方が役に立つと教えられた。というわけで、食事を終えたローズたちは百合のおすすめの店に行って買い物をした。すてきなお皿や茶碗、コップなどのセットを買って包んでもらった。お金は柳が払った。高かったようだが、問題ないと彼に言われた。買い物の後、百合を工房に送ってから、柳たちは欅を工房まで送った。そしてローズと柳はモイの屋敷まで馬車で行くことにした。なぜなら、結構な距離だったからだ。
モイとダルガの屋敷はそこそこの大きさで、建物が古いけれど、きれいな状態である。馬車から荷物を下ろして、屋敷の玄関にモイの名前を呼ぶと、中からモイが現れた。嬉しそうな顔で、ローズたちを中へと案内した。
結婚祝いの品をあげたら、モイはとても嬉しそうな顔をした。ちなみにダルガは出かけている最中で、色々な手続きや仕事の関係で出かけなければいけないとモイが説明した。
「何から何までたくさんいただいています。ありがとうございます」
「私も感謝しているんだ。モイとダルガさんがいなければ、ここまで成長しなかったかもしれない」
「役目でしたから、一所懸命やっただけですよ」
「役目以上にたくさんの愛情をもらった。生涯忘れない」
「ローズ様・・」
「あ、そうだ。エコリアに行って、一年間分の給料とかは大丈夫だった?」
「はい、二人の一年間分の報酬はちゃんといただいています。ちなみにこの屋敷の家具も一式揃っていて、昨夜この屋敷に入ったら別の人の屋敷かと思ったが、馬車の係から、ここは私たちの屋敷だと言いました。二人でびっくりして、あまり眠れませんでした」
モイが恥ずかしそうに言った。
「あはは。父上の祝いの品にびっくりしたんですね」
「はい、屋敷丸ごとだったから。ちなみに裏に小さな畑があります。旦那様がお仕事の時に、私は庭で野菜を作ることができるんです」
「すごいな。って、ダルガさんのことは旦那様というんだ・・」
「あ、はい・・」
恥ずかしそうな顔のモイはかわいい。なんてラブラブな新婚さんだ、とローズは思った。
「でも、あまり疲れてはいけないよ。赤ちゃんがいるんだからね」
「はい、昨日奥様にそう教えられました。ダルゴダス様は良く見抜いて下さいました。私はとてもびっくりしました」
「父上はすごい人だからね。多分何かの生命の波動を感じたのでしょう」
ローズが言うと、柳もうなずいた。
「そうだな」
「うん。これからダルガさんもモイのことを少し理解してくれるでしょう。昨日すごく怒られたからね」
ローズが笑いながら言うと、モイがびっくりした。
「そうなんですか?」
「うん。そばにいながらなんで気づかなかったかとか・・、でもちゃんと反省したから、これからもっとモイを大切にしてくれるだろう」
「本当になにからなにまで、感謝の言葉が足りないぐらいです」
「まぁ、これから楽しみだね。たまに遊びに来ても良い?」
「もちろんです」
モイが嬉しそうにうなずいた。
「モイの子どもが産まれたら、どんな子かを見に行く。モイの顔で長い尻尾の子かな?男のこかな?女の子かな?」
「不自由なく元気に生まれたら、私にとってなによりです」
「うん。そうだな」
ローズがうなずいた。
「あ、花のお茶です。どうぞ」
ローズたちは美味しい花のお茶を飲んで、しばらく会話をしてから、モイと別かれて、屋敷を後にした。その屋敷の近くに旧領主の屋敷があって、今は誰も住んでいないと柳が教えてくれた。フレイが昔住んでいた屋敷だったけれど、とても広かった。ただ、ダルゴダスにとって大きさが合わなかったから、新しく屋敷を建てた訳だ。
ローズたちが歩いて帰る途中で、柳は急に静かになった。ちょっと寄り道がしたいと言ったから、彼がローズを腕に載せて、里の壁の外側ちょっと離れた所にある小さな湖まで足を運んだ。とてもきれいな場所だ。
「きれいだね」
「ああ。ここは俺が気に入った場所だ」
「良くここに来るの?」
「ああ。特に気分が落ち着かないときに、ここに来るとなんだか落ち着く」
「ここは壁の外なのに?」
「俺はいつも一人だったから壁の外に抜けていてもだれも気づかなかった」
「そうか」
柳が優しく言った。
「ローズ」
「なに?」
「あなたが愛しい」
柳はローズの手を取って、その手を優しく口付けした。とてもゆっくりだったけれど、ローズは彼の情熱を感じた。
「俺は、ローズを、望んでいる」
柳はゆっくりと言葉を言った。一所懸命と自制をしながら息を整えている。
「ローズのすべてが・・欲しい」
「・・・」
「でも、今の俺はローズを守れない。守りきれないんだ」
「何が言いたいの?」
柳はローズを抱きしめた。
「ごめん、ローズ」
「何がですか?」
「俺はここで留まることができない」
「え・・?」
「俺はローズを守るために、今よりもずっと強くならなければいけないと知った」
「あのオオラモルグの戦いで・・ですか?」
「ああ。相手の実力は俺よりもずっと上だった。このままじゃ、ローズを連れて行っても守れないと分かった」
「私を・・ここに・・一人に置いて行くんですか?」
ローズは震えた声で言った。
「一人じゃない。父上もリンカさんも皆がいるんだ。父上が守ってくれると約束してくれたんだ」
「でも私は柳が良い」
「分かってくれ、ローズ」
「うそつき」
「連れて行きたい、・・俺だって辛い」
「柳のバカ!」
「ごめんよ、ローズ」
ローズは思いっきり泣いた。がっかりも、怒りも、悲しみも、まとめて来たと感じた。今日のすべての楽しさが一瞬にして消えてしまった。柳はただ彼女を強く抱きしめた。自分の弱さを克服しないと彼女を守ることができないと誰よりも自覚したからだ。それを理解しても、やはり別れたくない。
可能ならばずっと一緒にいたい。修業でも付き合うつもりだった。でもそれが柳にとって大きな負担となる。モルグ人はいつか彼女を狙って来るとミライヤが言った。もしもその時が来たら、やはり守りきれないだと自覚をした上での決断だった。
「これから、どうするの?」
「修業し直す」
「どこに?」
「分からない。足を伸ばして遠くへ」
「いつまで?」
「分からない」
「その間に私を襲う者が現れたら?」
「父上が守ってくれる」
「縁談が来たら?」
「ローズが望むままに・・」
柳が小さな声で言った。
「本気で言ってるの?」
「本気だと言ったら、うそになる。俺はローズを愛しているんだ。ローズは俺の生きる理由だ。心から愛しいと思っている。この気持ちは変わらない」
「でもなぜ・・?」
「俺はローズを信じるからだ。ローズは俺を信じてくれればうれしいが、ローズの心を縛ることができない。だからローズが望むままにすれば良い」
「柳・・」
「ローズ、俺はローズのために強くなる。今まで以上に、頑張って来る。いつか会える日まで、元気でいてくれ」
柳がローズをなでながら、言った。彼が微笑んだけれど、彼の心がズタズタだった。
「柳も絶対に死んじゃダメ。いつも無茶をしているから」
「俺は死なない。ローズの元へ帰るために死なない。だからローズも元気でいてくれ」
「手紙、送ってくれる?」
「ああ、できるだけする」
「きっとだよ」
「ああ」
柳は再びローズを強く抱きしめた。柳も泣いている、とローズは気づいた。初めて知った男の涙だ、とローズは思った。悔しい思いとこれからの思いを混ざり、自分がどうしようもないぐらいの気持ちがごちゃごちゃになって、整理しきれないから出た涙だったのでしょう。
それ以上に、ローズの涙で誰よりも辛く思ってしまうかもしれない。心に痛くしみる、と柳は思った。
その夜、屋敷に戻る途中にローズたちは無言になった。柳は別れる前にローズの頭に口付けをした。そしてその後ろ姿に声を出さずに涙を流したローズをみて、後ろへ向いて歩きだして、里を後にした。
侍女リエナは何があったか分からない。けれど、その夜一晩中ずっと泣いているローズを見て、困り果てたという。