16. アルハトロス王国 訓練の日々
「牛乳をこぼすなよ! もっと踏ん張って、走れ!」
ダルガの指示が大きく響いた。いつも優しいダルガは、教官の立場になると、とても厳しい。ミライヤの命令で、毎日村まで行って、牛乳を買って、再び山の上にある屋敷まで走って帰る。当然のことで、その牛乳をこぼしてはいけない。またあまり遅いと、次の訓練がズルズルと遅くなってしまう。だからローズは、一緒に走ってくれるダルガと同じペースで走らなければならないのだ。
断片的な記憶によると、前世のローズは運動神経が良かったのようだけれど、今のローズは、体がとても小さいため、一般的な人の1歩だと彼女にとって3~5歩ぐらいの距離となる。そして、普通の人よりも大きなダルガと同じペースでいるために、それ以上の足の瞬発力や回転をしなければいけない。ダルガは手加減をしているとはいえ、やはり走りが早い。きっとかなりの手加減している、とローズは思った。本来の速度だと、ローズが絶対追いつけないでしょう。元々ダルガは護衛で傭兵なので、とても強い人である。そんなすごい人が領主であるダルゴダスの依頼を受けて、今はローズの護衛であって、教官であって、読み書きの先生であって、そしてなによりも今のローズにとって、大切な「家族」である。侍女のモイと一緒にローズを世話していて、まるで本当の家族だ、とミライヤに言われたことがある。
「お帰りなさいませ!」
ローズがやっと屋敷に戻ったところで、モイはもうすでに離れ屋敷の前で待っている。日が昇る時に、朝餉をするのはこの国の習慣である。だから到着に間もなく、牛乳を置いて、朝風呂に入って、着替えて、皆で朝餉を食べる。
今日の朝餉はモイの特製パンだ。ローズはこのパンが大好きだ。ぱりっと焼いたパンの中に野菜とチーズが入っていて、塩気のある味に、組み合わせの野菜スープがとても合う。
美味しい♪!
そして何よりも、3人で分け合って食べることで、ご飯がもっと美味しく感じる。
「はい、ちゃんと牛乳を飲むんだよ」
ダルガはローズのグラスに牛乳を入れた。これもミライヤの命令である。必ず毎日牛乳を飲むことだ。いつたっても、ちびのままじゃ困る!、という。
確かに、ここに来てから、身長が少しだけ伸びた、とローズが気づいた。けれど、そうと言っても、40センチから50センチになる程度の成長だ。本当に成長できるのか、分からない。
「モイ」
「はい?」
「最近ズボンが少し小さくなった気がする。ちょっと走りにくくなったの」
「そうですか?じゃ、後で少し大きく直しますね。今日はあるもので我慢して下さいね」
「はい、ありがとう」
「いえいえ」
モイは花のお茶を煎れて、ローズたちの前に差し出した。この花のお茶はとても美味しい。ほのかの甘みがあって、香りもとても良くて、ホッとする味だ。
「ご馳走様でした!」
ローズとダルガは手を合わせて、食事に感謝した。ありがとう、美味しかった、と。
「はい、お弁当です。今日も頑張って下さいね。怪我がないように、行っていらっしゃいませ」
モイは二つの弁当をローズとダルガに渡して、玄関まで見送った。毎日、モイが村まで馬車で買い物に行くので、当然この屋敷よりももっと山の上にあるミライヤ先生の訓練場まで歩くことにした。何しろ食事終わったばかりのお腹で、いきなり走ると吐いてしまうからだ。距離で言うと、大体3キロぐらいある。
訓練所に着くと、まず魔力の訓練が始まった。自然界から魔力を集めて、体に取り込んで、そしてその魔力を魔法として応用する。この繰り返すだけで2-3時間がかかる。これは結構きついだ、とローズは思った。
魔力を集める時間が遅いと、次の魔法を応用するのに時間がかかってしまう。これはどのようにして、もっと早くするかが勝負の分かれ道になる、とダルガが言った。ダルガは魔法も使えるから、ローズに実戦的な話をしてくれる。ダルガの場合、武器による物理攻撃がメインで、魔法は補助として使っている。腰にある2本の剣は、魔法をかけると火の剣になるようだ。
実際にローズはその技をエスコドリアの港で見た。雷鳥と戦った時に、ダルガは剣に魔法をかけて、火属性の魔法となった。この技はエンチャントだという。いずれローズも、それを習わなければいけない技である。
「最近良くなったね、ローズ様」
「え?本当に?」
「はい。魔法の発動率が良くなったし、次の魔法までかかる時間も、早くなりました。この調子です」
「はい!」
「じゃ、少し休憩しますか。お茶を飲んでから、また武器の練習しましょう」
「はい!」
「良い返事です」
ローズたちは休憩所に入って、疲れを癒やす。この休憩所では、回復魔法が施されているから、中に入って、座るだけで疲れが癒やされる。魔法の回復も早くなるので、とても助かった。
「お茶、美味しいね」
「はい。モイさんのお茶を飲むと、元気が出ますね」
「うん」
しばらくして、ローズは会話をし始めた。
「ローズ様は、本当に魔法の才能があると思います。これからもっとレベルが高い魔法攻撃の種類をマスターしなければいけないと思います」
「ダルガさんみたいな武器と魔法じゃ、難しいの?」
「できますが、今のローズ様は欠点があるため、私の戦い方のような真似をすると不利ですよ」
「欠点?」
「はい。ローズ様は体が小さいため、相手との間合いが遠くなるのです。私の場合、体が比較的に大きいので、相手の剣が届く前に、私の剣の方が先に届くから、勝負がほとんどそれで決まるのです。近距離で行きたいなら、今よりももっと素早い動きをして相手の攻撃をかわしながら、自分の攻撃が相手の方にが届く距離まで動かなければいけません」
「かなり大変だな」
「はい。だが、逆に考えれば、元々持っている魔法の才能を生かし鞭や蔓で距離を取って、素早く魔法を放ち攻撃すれば勝てる可能性が高くなります」
ローズがうなずいた。なるほど、と。
「私はダルガさんの間逆なんだね」
「はい。その通りです」
「柳兄さんは雷鳥と戦ったときに鬼神になって鞭を使って雷鳥の動きを止めて、短剣でとどめを刺した。私もそのような技ができるのかな?」
「ローズ様は鬼神になれますか?」
「いいえ。私にはまったく父上と母上の血が入ってないから、鬼神にはなれないと柳兄さんから教えられた。この薔薇の花や植物の能力は母上が、私を作った時に埋め込まれた種によって開花したものだと思うんだけど・・」
ローズが言うと、ダルガが首を傾げた。
「作ったと言いますと?」
「私の体は元々飾り用の庭人形だったんだって。だから変なところに花が咲いているでしょう?それが母上が植えた花だからだ。父上は庭で私の魂を捕まえて、その人形に入れた。そして龍神様の力によって、こんな感じになって生まれ変わったんだ」
ローズがさらりと自分の秘密を言った。その事実を聞いたダルガが瞬いた。
「そうだったんですか。ダルゴダス様は何も教えて下さらなかったから、私はローズ様のことがあまりよく知りませんでした。でも今、私のもやもや感が晴れました」
「うむ」
言ってしまった、とローズが自分の口の軽さを後悔した。
「ではお答えします。ローズ様は柳さんのような鬼神になって、敵を鞭で動きを封じて、短剣でとどめをするのが、無理です。なぜなら、ローズ様は鬼神ではないから。しかし、今持っているあのトゲがびっしりの鞭ならば、大幅に敵を封じることができましょう」
ダルガが微笑みながら言った。彼はそれを受け止めて、彼女の疑問を答えるようにした。
「また剣や短剣を使いたいなら、私が教えることもできます。どうでしょう、鞭の練習のあと、明日から剣か短剣の練習でもしましょうか?」
「お!可能ですか?」
「はい。でも、きついですよ」
「がんばります。よろしくお願いします、ダルガ教官!」
ローズが頭を下げると、ダルガがうなずいた。礼儀正しい子だ、と彼が思った。
「ははは、その呼び名は新鮮ですね。私は厳しいですよ」
「はい!」
「では、昼餉の時間まで、鞭を練習するよ!」
「はい!」
その後、ローズは練習所で自分の手の平から鞭を出して、ダルガの手本の見ながらひたずら練習に励んでいる。
あれから数ヶ月間が経った。
ローズの魔法の感覚が良くなって、中級ぐらいのレベルまで上がって来た、とミライヤに先日言われた。自分の鞭も、やっと自分の一部として扱えるようになった。ちなみに短剣の使い方もできるようになった。素早さはまだダルガに負けているけれど、少なくても、足の瞬発がよくなって、ぴょーんと高いジャンプができるようになった。
ローズはたまに猫のリンカと朝走って、牛乳屋まで行って、登り道の山道を競走したりした。けれど、一度も勝つことはない。この黒猫のリンカはとても足が速いのだ。あっと言う前に行ってしまうのだ。ダルガもリンカに一度も勝つことがないと言ったことを聞いてびっくりした。なんていう素早い猫なんだ、とローズが驚いた。
朝餉の後、練習場に行こうとしたら、ミライヤにばったりと会って、いくつかのアドバイスをもらった。
「魔法攻撃と物理攻撃をうまく組んで、敵の数と動きに合わせると、良いのよ」
なるほど。要するに、まず相手はどう動くかを見極めてから、どの魔法が一番合うのかを素早く決めることだ。敵の動きが速いなら、呪文の時間がかかる魔法が不利となる。その時に、距離を取るか、相手を動きを封じるかが大事だ。そしてすべてのプロセスは、次から次へと流れるようにすることが大事だという。もちろん背中を相手に取られないように、十分な注意が必要だ。体が小さいローズは、何よりも、距離を取るのが大事だということだ。でも今日は、近接訓練だから距離がとれない、とローズは思った。
「それじゃ、今日は攻撃を受けた後の立ち直り方を教えましょう」
ダルガはまじめな顔でローズを見ている。
「まず、怪我をしないように必ず体にバリアーをまとって下さい。これは攻撃を受ける前に、そして攻撃を受けた後にも、必ずバリアーを張り直し、繰り返す。絶対にこれを守って下さい。分かりましたか?」
「はい」
ローズはうなずいて、体中にバリアーを張り、次の指示を待つ。
「私に向かって、思いっきり殴れ!どこからでも構わない。力を込めて、思いっきり私を倒す、という気持ちでかかって来て下さい。一発でも当たったらエスコドリアの鹿肉のシチューをご馳走してあげます。お腹がいっぱいになるまで!」
「おお!」
ダルガが本気で言っているのか、とローズが一気にやる気が上がった。
「ただし、私も反撃するから、当たった度にバリアーを張り直すことだ。でないと、死にますよ」
「げ!」
「始め!」
ダルガが手加減していると思うけれど、当たると結構痛い、とローズが思った。だから彼女が念入りにバリアーを張って、ダルガさんを攻撃する。けれど、簡単に交わされた。そして彼の拳が横から来た。ローズが数メートルまで飛ばされた。
ぐは! い、痛い!
しかし、痛がる余裕はない。ローズはまたバリアーを張り直して、再び攻撃した。今度は真正面から拳を受けてしまった。
うううう!負けてたまるもんか!鹿肉のシチューが待っているんだ!
こんな感じの訓練が数時間続いて、結局力尽きたのはローズだった。バリアーを張る魔法も尽きて、その場で崩れてしまった。
「大丈夫ですか?」
「もうダメかもしれない」
「じゃ、鹿肉のシチューは諦めますか?」
「諦めたくない」
「だったら、立ちなさい。息を整えて、周りの気を感じるんだ。戦いながら、魔力が空にならないように、動きながら自然のエネルギーを吸収するんだ。より良い結果のために、戦いながら魔力の補充が大事ですよ。これはそのための訓練です」
「昼餉食べてから、この訓練してはダメ?」
「私は構わないが、ローズ様は食べたものを全部お口から吐き出すことになりますよ?」
ダルガは笑いながら言った。
「うう、それはいやだ」
「では、準備を整えて下さい。準備できたら、またかかって来て下さい」
負けてたまるもんか!鹿肉のシチューのために!
結局その日も、次の日も、次の次の日も、鹿肉のシチューが食べられなかった。
この生活はもう数ヶ月間も続いている。毎日、蹴っ飛ばされて、殴られて、数ヶ月間が経った。今日こそ!、という日々が続いている。回復魔法のおかげで、傷もあざもすぐに治って、モイにばれていない。ばれたら、絶対ダルガがモイに怒られる。小さな女の子を殴るなんて、最低だ!、と言われそうだ。
けれど、戦闘になると、基本的にすべてが敵なんだから、性別は関係ない。生き延びるために、どうしても、教えないといけない技である。しかし、あんな厳しいダルガは、毎回ローズに回復魔法をかけながら、まだ痛むかと、優しい声でかけている。本当はとても優しい人だ、とローズは思った。
けれど、このままでは、いつ経っても、鹿肉のシチューが食べられない。体が小さいローズは、どうやって体が大きなダルガに一発を殴れるか、非常に難しい課題である。
素早さを上げるしかない。以前ダルガは教えたことがある。相手の攻撃をかわしながら、自分の攻撃が届くまで近づいて、思いっきり一発の強い攻撃をするという戦闘術だ。だったら、この足に魔力を込めて素早くなるような魔法を唱えれば、できるかもしれない。魔力の使い方によって、戦闘補助魔法として使えるのがある。これなら使える、とローズが思う。
より素早く、より強く、ぎりぎりなところまで、近づいて、一発!
「ダルガさん、今日こそ鹿肉のシチューをご馳走になりますよ!」
「ほう、すごい自信ですね。どのように攻めてくるか、楽しみです」
「行きます!」
「来い!」
ローズが素早く動くと、ダルガの構えが見えた。彼の足が動いた。これは蹴りだ!、とローズは素早く、体を低くして、片手で地面タッチして、体のバランスを支えて、足で先生の片足を払い倒そうと思った・・、けれど、届かなかった。
ちっ!と思った瞬間、逆にローズの方が蹴り飛ばされた。数メートル先まで遠くに飛ばされて、素早く立ち上がって、バリアーを体全体で自然の魔力を吸収しながら、足に素早さを上げる魔法をかけた。
再び、素早い速度でダルガに向かって、構えを見て、手が動く。今度はパンチだ!、と体を下へ素早く低くして、なんか空いているところが見えた。
お腹当たりが隙あり!、と思ったら、今度は足の動きが見えた。まずい、とぎりぎりまで体を横にひねて、すれすれで交わした。
次の攻撃が来る!と考えがままならない強い衝撃が当たった。
ぐはっ!
横から回転したダルガの蹴りが入ったけれど、耐えた!ローズは片手で素早くバリアーして、残った力をしぼって、回転が終わる前のダルガのすぐの横に入れた。そして、地面を低くして、両足に力を込めて、なぐる体制をした。
「当たれぇぇぇぇ!」
ローズが思い切って殴った。
「は!」
アゴが当たったのか?ダルガの動きが止まった。
「まいった」
「お?!」
「当たりましたよ、ローズ様。素晴らしい動きでした。では鹿肉のシチューをご馳走してあげましょう。おめでとうございます」
「わーーーーーーーい!」
ローズが思いっきり歓喜を放って、踊り出した。夢にまで出てきた鹿肉のシチューが頭に浮かぶ。
「ありがとう、ダルガさん」
「いえいえ、よく頑張りましたね。まさか、ここまでできるようになったとは、とても感心しました。ご自分の体にエンチャントまでできるようになったとは、ミライヤ様もきっとびっくりするでしょう」
ダルガが笑って、うなずいた。やはりこの子がとても成長が早い、と彼が思った。
「わーい!」
「さて、今日はここまでにしようか。休憩してから帰りましょう」
「はい。えーと、ダルガさん、痛いですか?」
「痛かったよ。ローズ様のパンチは普通のパンチじゃないから」
「え?」
「魔力とトゲがあるから、かなり深く刺さっているんだ、これは」
「うー、ごめんなさい」
「問題ありません。後で抜くのを手伝って下さい」
「はい」
どうやら、戦いの最中にローズが興奮してしまったようだ。興奮すると、体中からトゲが出てしまうのだ。この手の拳まで気づいたらウニのようにトゲだらけになってしまった。まだ拳に血が付いている。おそらくダルガさんのアゴに当たった時に付いた傷の血だった。
「ヒール!」
回復魔法を半分ぐらいの魔力で唱えてみた。血が止まったけれど、トゲがまだアゴに刺さっている。ローズは小さな指で一本ずつと抜いた。合計6本のトゲがとれた。もう残った物がないか、と念入りに見て、大丈夫そうだと見える。
「ヒール!」
今度こそ、傷口が閉じた。
「ありがとう、ローズ様」
「ううん、私こそ、傷を付けるつもりがなかったんだ」
「問題ありません。ほら、私だって思いっきり蹴ったり、殴ったりしていたじゃないですか?ははは」
ダルガは笑って、うなずいた。
「ダルガさんは、かなり手加減しているんでしょう?」
「どうでしたかな?結構本気になってたりして、ははは」
「うむ」
ローズはダルガを見て、疑った。
「お体は、まだ痛むのですか、ローズ様?」
「いや、もう大丈夫だ」
この休憩所の回復魔法はすごい、とローズが思った。しばらく休んだら、痛みが消えて元気になった。
「じゃ、帰りましょう!」
「シチューだ!」
ローズが大きな声で叫んだ。
「そのことなんだけど」
「ん?」
「明日にしましょうか?ミライヤ様に、明日一日休みをとって、モイさんと3人で食べに行きましょう。モイさんもずっと、ここのところ頑張って私たちのお弁当を作ってくれているから、たまに休みをしてあげないとね」
「はい!」
「よし、屋敷まで競走だ!」
「え?!待って!ずるいよ、ダルガさん、先に走るなんて!」
明日の鹿肉のシチューが楽しみだ!