121. スズキノヤマ帝国 ダナ(9)
「ローズ様」
「どうしたの、オレファ?」
オレファはローズの部屋に来て、心配そうな顔している。
「殿下に・・何かをされたか・・その・・結婚することになった原因が・・」
ガレーも部屋に駆けつけて来た。彼も相当心配したそうな顔している。
「殿下に無理矢理と・・」
「ハティ殿によるとローズ様は一晩中ずっと泣いておられたと・・」
「やはり何かあったのですか?殿下にひどくされたとか・・」
エフェルガンの親代わりの二人は心配そうな顔でローズを問いかけている。エフェルガンは呆れた顔で後ろから来た。
「何もしなかったよ」
エフェルガンが答えるとオレファは厳しい視線を送った。
「私は、今、ローズ様に尋ねているのですよ、殿下」
オレファの言葉にエフェルガンが口を尖らせて黙っている。オレファは鋭い眼差しでエフェルガンを見てから、再び不安な目でローズを見ている。
「うむ」
「殿下にお構いなく、正直にお答え下さい」
「うーむ・・」
ローズはどう答えれば良いか分からない。国の秘密をしてしまったと答えるとまずい気がする。
「やはり・・殿下に・・、私は一日そばを離れただけで・・、なんてことだ・・」
オレファは頭を両手で隠した。相当ショックをしているようだ。
「だから・・、僕はローズに無理矢理とか、何かとしたかのような言い方をやめてくれ」
エフェルガンは反論している。
「殿下、夜這いをなさったのですか?」
ガレーの鋭い質問にエフェルガンの顔が赤くなった。
「いや、してない。してないよ。ローズ、本当のことを言って、何もしてないよね?」
助けを求めているエフェルガンに、ローズはただため息をした。彼女は何を答えれば良いのか分からないからだ。それに目にゴミが入って、ちょっと目を擦ったら、痛かった。痛かったから、涙が出てしまった。
さて、どう答えれば良いのかな・・・、と彼女がそのうるうるとした目でエフェルガンを見ると、ガレーとオレファの顔が険しくなった。
「うむ」
「ローズ・・頼む・・」
「・・・うーむ」
ローズの様子で、ガレーはとても怖い顔をしている。オレファも、・・怖い。
「夜這い・・ではなく・・?!」
ガレーの声が変わっていく。
「いや、夜這いはしてないよ」
エフェルガンは首を振って、まじめに答えている。けれど、・・ガレーの顔がますますと怖くなってきた。
「殿下、夜這いではなかったということは、やはり無理矢理でしたか。なんてことを?!あれほど申し上げたのに・・」
「いや、本当だ、ガレー、僕は何も・・」
「言い訳は結構!もうこうなってしまっては、これからどうするのか、長い話をしなければいけません!」
「でも、ガレー、取り調べはどうする?」
「あのモルグの剣士は明日まで待ってくれます。今夜は殿下に女人の体について勉強して頂きます。お子ができてしまわれる可能性があるゆえ・・」
「いや、ガレー・・」
「はい、殿下、別室に行きましょう。きっちりと勉強をしてから、反省して頂きます」
ガレーはエフェルガンの手を引っ張って、エフェルガンの部屋へ入った。リンカが着替えを持って来た時に、オレファに声をかけようとした。しかし、彼は一人でかなりショック状態している。
ことの原因は夕餉の、フォレットはローズに敬語ではなく、普通の言葉で話をかけても良いかとエフェルガンに確認したところで、ローズのことを「皇太子妃殿下」と言ってしまった。それで、エフェルガンが説明する前に、オレファとガレーに結婚のことがばれてしまった。エフェルガンはその二人にローズを戸籍に入れたことを言った途端、あの2人がショックのあまり言葉を失って、凍り付いてしまった。あまりの急な話で、何があった、としか思えない。彼らが焦って、ローズに事情を確認しにきたわけだ。
貴族の社会では、庶民と違って、結婚という行事はとても日にちがかかることだ。数々の儀式や話し合いのあとやっと盛大に行われることだ。だから一晩で入籍を済ませたことになると、緊急性が高いことが起きたとしか考えられない。例えば・・夜這い、あるいは相手を無理矢理とものにしてしまった殿方に対する強制的な義務だという理由がほとんどである。
夜這いは合意の元で行われる行為なので、伝統行事でもあるため、一夜共に過ごしただけですぐには入籍することがないと聞かされた。しかし、相手の合意なしで、無理矢理とされた場合、相手の男性がちゃんと責任を果たすために女性の家族の訴えにより、被害者の女性とその男性と緊急入籍させることが一般的である。万が一子どもができてしまったら、ちゃんと父親の名前があるように、と。しかし、このような結婚は長続きしないという現状もある。大体数ヶ月後に女性の方から離婚申し立てが上がってくる、とオレファがローズに説明した。
「リンカ・・」
「オレファ、落ち着きなさい」
リンカはうろうろしているオレファの腕を指でつまんだ。
「落ち着けと言われても・・」
「もうやってしまったことは仕方がないんだ」
リンカはローズの近くに座って、フォレットが持ってきた焼き菓子を一枚とって食べ始めた。
「美味しい」
オレファもお菓子を一枚とって食べた。
「本当だ。美味しいね・・って落ち着いてお菓子を食べている場合じゃない!」
「だから、もうやってしまったことなんだから、今更じたばたしても、どうにもならない」
リンカ、その「やってしまった」ってものすごく紛らわしいと思うけど、とローズは思った。
「うむ」
本当に困った、とローズが思った、何を言えばいいのか分からない。
「ローズ様、いや・・お妃様、その・・もし殿下のお子・・ああ、俺は・・いや・・私は・・何を言おうとしたんだ」
「落ち着け、オレファ」
リンカはオレファの手を指でまたつまんだ。
「ですが・・」
ローズはため息をついた。確かに不安がいっぱいけれど、リンカの言った通り、やってしまったかもしれない。今更じたばたしてもどうしようもない。
「オレファ、私を、今まで通りに普通の言葉で話をかけて下さい。お妃様とか、まだ実感がないから、名前だけでも良いんだ」
「ローズ様・・」
「うむ。なんで昨日殿下と結婚してしまったか・・言えない。ごめんなさい、私の口からじゃ、言えないんです」
「ハティ殿が、昨日殿下がローズ様の部屋を去ったあと、一晩中ローズ様が泣いておられたと・・」
「うむ」
「ガレー殿の察した通りでしたか」
「うむ。何を・・察していたの?」
「その・・ローズ様が殿下に・・その・・されたことを・・」
「うむ」
大変だ、とローズが思った。ということは、今エフェルガンはガレーにしぼられているんだ・・・、と。でもその理由も言えないので、沈黙するしかない。
「うむ、やってしまったから仕方がないわ」
自分も何を言ってるんだ、と彼女が思った。もうこのような複雑に話になってしまったら、お菓子でも食べて落ち着こう、と。
「皇帝陛下にも連絡を入れないといけません」
「うむ」
「でも、殿下のお子様がお生まれになったら、この国も安泰だ」
「まだ早いよ」
「そうですね。ははは。龍神族はお子様を産むのですよね、卵ではなく・・」
「うーむ、分からない。私は子どもを作ったことないからなんとも言えない。他の龍神族もいないから誰に聞けば良いか分からない」
「そうですよね、ははは」
オレファが笑った。本当に、彼が変だ、とローズが思った。多分リンカも同じことを考えているのでしょう、と。
「子どもを産むか、卵を産むか、あるいは自己分裂で・・」
「へ?ジコブンレツ?」
「うむ、気にしないで。適当に言っただけだ」
「そう・・そうですね。ははは」
自己分裂か・・まるで単細胞のような生きものだ、とローズは思った。
「あ、そうだ。オレファ、お願いがあるんだ」
「なんなりと」
「もう結婚してしまったんだから、中途半端にしたくないんだ。この国の伝統や文化、法律も勉強したいんで、本か資料があれば欲しいんだ」
「分かりました。あとで殿下と相談して仕入れておきましょう」
「こんな大変な時なんだから、少しずつで良い、と思う。まだ薬学の勉強もたまっているんで」
「そうですね」
オレファがうなずいた。
「後は、エフェルガンのことも、たまに聞かせて下さい。オレファならいろいろと詳しそうだ」
「ははは、お任せ下さい」
「私のこともリンカがよく分かっているから、気になるところがあれば、リンカになんでも聞いて下さい」
リンカは無表情でお菓子を食べている。
「ふん」
「うむ」
「ローズ自身は自分のことが分かっていないから、猫の私が分かるわけないでしょう?」
「そう言われたら、そうかもしれないな」
「まぁ、ローズは色々と面倒なことに巻き込まれる運命にあるから、これからもっと慎重に行動をすべきよ」
「うん」
「私は猫だから、何も知らないけど」
リンカはまたお菓子を食べる。
「猫の目からみると、ローズと殿下の子どもは恐らく大食いで、短気で、怒りん坊で、何を考えているのが分からないで、凶暴で、魔力が高い・・」
「リンカ、そんな子、怖いよ」
「そうね。子守はオレファにやらせれば良い」
「うむ」
想像をするだけで、大変そうだ。オレファの顔色が変わった。
「殿下以上に大変な子守になりそうですな・・」
「ふん」
オレファでさえひいてしまった。怖いな、とローズが思った。できれば良いところだけを受け継いで欲しいと、ローズが勝手に思った。
「でもローズ様はもうこれからあまり戦場に行かないようにして頂きたい。大切な御身なので、激しい戦闘をしないで下さい」
「うむ」
「暗殺者にも狙われてしまわれるから、出歩く時は必ず護衛官を連れて歩くように。あとでフォレットに頼んで護衛官を増やすようにと」
「うむ。ハインズとエファインで十分だよ。リンカもいるし」
「リンカは料理や買い物があるので、ずっとローズ様のそばにいるわけではないのです」
「うむ」
それはそうなんだけど、ちょっと大げさかな、とローズが思った。
「オレファ、結構過保護ね」
リンカは白湯を飲みながらオレファの顔を見つめている。見つめられたオレファの顔が赤くなった。
「過保護か・・いやいやいや、普通だよ、リンカ」
「ローズはあまり過保護な体制が嫌いだよ。押すなと言われたら、あえてそれを押してしまう子なんだから。閉じこめられたら、必ず逃げ道を探す。逃げられないと分かったら、屋根の上で一人で泣くんだよ」
「そうでしたか」
「そうよ。最悪の場合、暴れて暴走するんだよ」
「そんな・・」
オレファが不安そうな顔で彼女を見つめている。
「うむ」
リンカの説明に頭を抱えてしまうオレファである。そして「うむ」しか言えないローズである。否定できない。
「まぁ、今は以前よりずっとおとなしくなったけどね」
リンカは口を拭いて、お菓子の箱を閉じた。
「ごちそうさま」
リンカは立ち上がって、風呂場へ行ってお湯を入れている。
「ローズ、風呂場がもうすぐできるから、あとで入ってね。寝間着は寝台の上に置いた。明日の着替えは机の上に置いた」
「はい。ありがとう、リンカ」
「今日は早く寝なさい」
「うん」
「殿下が来ても、私は噛む理由がない。あなたたちは夫婦なんだから」
「そうなんだね・・」
「じゃ、お休み。行こう、オレファ」
リンカはオレファの手を引っ張って、外へ出ていった。ことの流れが速く、未だにまだどうしたら良いのか分からないローズである。自分がまだ戸惑っているのだ。
風呂を終わらせて、着替えして、髪の毛を乾かしたら、扉を叩く音がして、返事をしたら、ガレーとエフェルガンが入ってきた。ガレーは優しく脈と熱を測り、回復薬を処方してくれた。戦いの後は必ず飲まなければいけないと言った。またローズの部屋の外とその周辺に暗部数名と兵士を配置すると言った。そしてガレーは「くれぐれも無理をしないように」と言ってから退室した。
エフェルガンはかなり疲れた様子だった。相当ガレーに怒られたらしい。特別な授業を受けた後、女性の体について、子どものことについてや精神的な話まで事細かくみっちりと教えられたそうだ。大変だったのでしょう、とローズが思った。しかし、エフェルガンもローズと結婚した本当の理由をガレーに言わなかった。やはりその事実はローズたちの秘密にしなければいけないようだ。
国にとって重要機密事項・・それは腐敗した貴族社会の大掃除だった。それは皇帝の希望でもある。恐らく皇帝はこのことを想定して、計画を立てたと思う。エフェルガンの性格を理解して、ローズという存在に気づき、そしてエフェルガンの願望も知った上でこの縁談を実現しようとした。国をあげて、ローズをアルハトロスから、スズキノヤマへ移動させて、エフェルガンと旅をさせ、距離感をなくす作戦で見事にそれが希望通りにことが運んだ。
男と女の関係だ、朝昼晩ともに行動したら惹かれ合ってもおかしくない。実際にあの男嫌いのリンカですら、オレファを否定しなくなった。手を引っ張って歩くなんて、今までのリンカではありえなかった。他人との関わり合いが苦手なリンカだから・・ミライヤがこのことを知ったらびっくりするのでしょう、とローズは思った。
ローズとエフェルガンが仲良くになったことで、次はそれが良く思わない貴族が必ず出てくる。簡単に言うと、ローズはその餌である。ローズという餌が目の前にいたら、ダナ家のように行動を起こす貴族も出てくるでしょう。実際に今日の襲撃もローズを狙ったものだと思われる点が多かった。使用人棟から厨房あたりまではほとんど女性がいる区域だ。使用人の数が減ったことがかなり知られていて、食事の準備にローズとリンカが台所に行くのだろうという予測があったかもしれない。
彼らの狙いもエフェルガンだという可能性もある、とローズは状況を分析した。でなければ、そんな大量の暗殺者を送ったなど考えられない。暗殺者を雇うのに、かなりお金が必要なので、先ほど襲ってきた数になると莫大な資金源の存在が確実である。これから先も、その資金源によって、二人を襲う暗殺者も現れるでしょう。
ローズは襲撃の本当の理由が、エフェルガンが今調査中の薬草の買い占めか、権力争いか、あるいは両方か分からない。どちらにせよ、今回は失敗に終わった。次はどのように襲ってくるか、分からない。
「どうした?さっきからずっと考え込んでしまって」
エフェルガンはとなりに座り、グラスに白湯を注いで飲んだ。
「ううん。色々ありすぎて、今日は大変な一日だったな」
「そうだな」
「エフェルガンもこれからまた仕事に戻るの?」
「いや。今日はもう休めとガレーに言われた」
「そうか」
「今日はまた猫と一緒に寝るのか?」
「ううん。猫はもうあなたを噛む理由がないと言った」
「そうか・・あとはローズの気持ちだけか」
「うむ」
「僕はローズの気持ちを尊重したいと思う。が、僕も男だ。愛する故に、ローズのすべてが欲しい、そんな欲望がある。毎日ともに過ごしていると、この気持ちが段々と強くなっていく。我慢すればするほど、抑えきれなくなる時もある。ローズのことを思うだけで、たまらなく愛しく・・抱きしめたくて仕方がない」
「もう・・抱きしめているんじゃ・・」
エフェルガンはローズを抱きしめて、口づけをした。彼の体が熱く感じる。
「そうだな。このまま、倒してローズのすべてを頂こう」
「私はそれを拒む理由がない・・ただ・・」
「ただ?」
「できれば・・子をまだ・・まだ先にして欲しい」
「ああ・・そうだな」
「まだ里の父上と母上の祝福を受けてないので・・いきなり子どもを連れて帰ったらびっくりするでしょう」
「そうだな」
「それにまだ皇帝陛下に結婚報告の挨拶もしていない」
「ふむ」
「何よりも、まだ聖龍様に挨拶をしてない。それをしてからでも遅くないと思う」
「確かに・・それは重要だ」
エフェルガンがうなずいた。
「明日、この近くの聖龍の神殿へ行こう。遠くにいるお父上はすぐに挨拶できなくて仕方がないけど、聖龍様なら近くにいるから祝福を受けよう。せめて聖龍様の挨拶を済んでからにして」
「うん。そうしようか」
ローズがうなずいた。
「今夜こそだと思ったが・・仕方がないな」
「今夜、ここにともに過ごしても大丈夫だよ。私はあなたの妻ですから」
エフェルガンは首を振った。そして優しく口付けをした。
「いや。僕は今夜ここにいたら、間違いなく、ローズを・・。頭で分かっていても、体がもう抑えきれなくなってきた」
「うむ」
「明日神殿へ挨拶して供え物をささげよう。ローズの龍の父上だから、ちゃんと許しを得よう」
「うん」
「今日はゆっくりと休め」
「はい」
「愛しているよ、ローズ」
優しい口づけだ。そろそろ覚悟をしなければいけない、とローズが思った。
彼の気持ちを本気で応えなければならない。けれど、彼女の気持ちは、本当はどうなのか、本当に彼のことを愛しているのか、答えを出せないまま、ローズはただ黙って彼をぎゅっと抱きしめた。エフェルガンは少し驚いたが、微笑んでくれた。
「お休み、ローズ」
「お休みなさい」
彼はローズの頭に口づけをしてから扉に向かって歩いていった。彼の後ろ姿を見送りながら、色々なことを考えながらまくらを抱きしめた。




